青年の場合
「いらっしゃい。」
店の扉をくぐった青年に声をかけたのは、この店の主であるマスター。
齢にすると30中頃だろうか。
「こんにちは。」
返事を返す青年は、まだまだ若さの溢れる20前後といったところだろう。
時刻は朝の11時。
「今日は学校は?」
「午前中は先生達が会議で講義ないんですよ。
家で管巻いてるのもあれなんで、コーヒー飲みながら時間潰しにでもと思って。」
「俺は構わないが、勉強したらどうだ?」
「課題はちゃんと出してますし、講義も真面目に受けてるんで大丈夫ですよ。」
「ならいいか。何にする?」
「カプチーノください。」
「ホットでいいかい?」
「ホットでお願いします。」
「あいよ。」
カウンターに腰かけた青年の注文はカプチーノ。
所謂イタリアンコーヒーの代表的な飲み物だ。
優に1時間以上前から起ち上げられているであろうエスプレッソマシーンは、ボイラーの圧力計も正常な範囲を指し、いつでも動き出せる状態で佇んでいる。
マシーン上部のカップ達も、排熱をその身に浴び、暖かな体でスタンバイしている。
抽出レバーを下げて湯通しをすると、フィルターホルダーを外して、軽妙な音をたてつつノックボックスに使用済みの粉を打ち捨てる。
再度湯通しを行うと、給水作業を行うマシーンが前奏を奏でだす。
腰に下げたタオルでホルダー内を拭い、グラインダーの下へとセット。
電動コーヒーグラインダーを起動させ、モーター音が鳴り響く。
軽快なリズム音を刻みながら回転レバーを動かし、挽かれた粉をホルダーに詰めていく。
ホルダーに詰められた粉をある程度均し、タンパーで押し固めた後、金属が触れ合う澄んだ音色を響かせながら軽くホルダーを小突いて、もう一度タンピング。
ホルダーの縁を軽く拭い、マシーンのヘッドに嵌め直してレバーを下げると、低く唸る重低音を鳴らしながら、エスプレッソが抽出される。
カプチーノカップをマシーン上部より抽出口にセットしつつ、冷蔵庫から取り出したミルクをマグへと注いでいく。
マグをスチームの下へセットし、スチームの甲高い音をたてながらミルクを攪拌して、フォームドミルクを作っていく。
エスプレッソの抽出を止め、フォームし終わったスチームを拭って軽く蒸気を吐き出させると、マグを回しながら鈍い音と共に底を打ち付けて均し、カップへと注いで行く。
始めは底に沈みこむ様に注ぎ、最後は浮かせる様にアートを描いてゆく。
出来上がったカップをソーサーに載せ、スプーンを添えれば完成。
陶器が触れ合う音色が、スプーンの金属音と共にフィナーレを告げる。
「お待たせ。」
「どうもです。今日はリーフですか。」
「他の柄が良かったかい?」
「いえ、どういった基準で描いているのかなと思って。」
「ハハハ。その時の気分だよ。別に深い意味はないさ。」
「そんなもんですか。」
「しいて言うなら、夏場に雪だるまを描いたりはしないってぐらいかな。」
「なるほど。なんとなくわかりました。」
軽い言葉を交わした後、青年はカップに口をつける。
温められたカップに注がれたコーヒーは、その温度を保ちつつ彼の口に入り、ラテアートを崩しながら流れて行く。
上層の空気が多量に含まれたミルクはゆっくりと。
中・下層のエスプレッソとしっかり混ざり合ったミルクは緩やかに。
甘さと苦さ、そしてコクの余韻を残しつつ、半ばほどまで減るカプチーノ。
「相変わらず美味しいですね。」
「ありがとう。まあ、まだまだ師匠には及ばないけどね。」
「充分すぎると思いますけど。」
「まあ俺としては、学生の若さでコーヒーの味を語る君の方が恐ろしいけど。」
苦笑とよべない程の微笑を浮かべつつ会話する2人。
カウンター越しだからこそできるBARの醍醐味だろう。
「分かってる訳じゃないですが、そこいらの喫茶店よりは格段に美味しいって感じるだけですよ。」
「へえ。例えばどこらへんが?」
「まずミルクが甘いです。」
「ふむ。」
「次にえぐみの様なものが感じられません。」
「ほう。」
「後は、口当たりが滑らか?な感じがします。」
「ほんと、舌肥えてるね。いい表現じゃないか。」
「そうなんですか。」
「だいたいの感じが掴めてるよ。」
「それはよかったです。
ところでマスター。よく見るふわふわの泡がのってるカプチーノとは何が違うんですか?」
「ああ。あれもカプチーノなんだけど、あのタイプは嫌いだから。」
「好き嫌いってことですか。」
「うーん。厳密なカプチーノってのはまた説明がややこしいんだけど、とりあえずあのタイプはミルクの甘みが感じにくいからね。」
「なるほど。納得しました。
でも、厳密なカプチーノって何か細かい設定があるんですか?」
「そうだね。特徴によって名称も違えば、ミルクの量や加えるものも変わってくる。
それこそ、うちのBARという名称も本来のスタイルとは違うからね。」
「確かイタリアスタイルでしたよね。」
「そうだよ。本場のお店のカウンターは基本スタンディングで、お店の奥にテーブル席はあるけど、そっちの席にはチャージ料金がかかるんだ。」
「立ったままですか?」
「向こうはコーヒーが生活の1部に組み込まれてるからね、朝昼晩とかかさずエスプレッソを飲むんだよ。」
「めっちゃお金かかるじゃないですか。」
「ところが、エスプレッソ1杯の値段もものすごく安いんだ。おまけにカウンターだとチャージも発生しない。」
「考えられないですね。」
「向こうの文化と消費量の成せる技だからね。それこそ缶ジュース1本分ぐらいの値段で飲めるんじゃないかな?」
「やっす。なんすかその値段。」
「うちでやったら大赤字で、すぐに潰れちゃうよ。」
「ああー。まあこの味なら値段分の価値はあると思いますよ。」
「そう言ってくれると嬉しいね。そうじゃないと商売あがったりだ。」
「おっと、友達から呼び出し喰らったんでもう学校向かいます。」
「はいよ。じゃあカプチーノで500円だね。」
「ちょうどで。」
「まいど。気を付けて行ってきな。」
「はーい。ごちそうさまです。」
扉を抜けて去って行く青年と、飲み干されたカップ。
主と店は、今日も穏やかに営業をしている。
リズムが悪かった為、カプチーノ作成の流れを改訂しました。