10話 本音と建前の間で
正直な所、こんな展開になるとは思っていなかった。
先日の一件が発端となり、途端にこの神社の雰囲気が悪くなった。
僕の方から何とかしようと考えて動いてみたが、何とも出来なかった。
とにかく避けられているかのような状態が続いている。
数日の事であり、日が経てば忘れると思っていたが、
この狭い世界では顔を合わせねばならない以上……
一つの出来事が、時間と共に解決するというのは望みが薄くなるのかもしれない。
実際に経験したからこそ、掴み取れた事実だった。
ならば、里遠ちゃんと巫女さんの関係があまり良いと思えなかったのもまた、
その辺りに原因があると考えれば納得が行く。
だから、少し気長に待つ。
時折、里遠ちゃんとのんびり遊んであげながら。
少なくとも、こんな微妙な空気でも食事だけは作ってくれている。
まだそこまで嫌われてはいないとは思っているが、どうだろうか……
今日もまた、里遠ちゃんと共に外に出ている。
相変わらずの神社の境内。青々と茂る木々は目に優しく、
日陰でゆっくりとするのもまた、心地よい物だ。
「おにいちゃん……」
「どうしたのかな、里遠ちゃん」
「ももことは、まだ……」
「ああ、その事か……」
里遠ちゃんも、僕と巫女さんが喧嘩でもしているのかと思い、
心配してくれているみたいだ。
時折こうして、忘れた頃を見計らって聞いてくる。
だけどそれは、まるで僕の心を見透かしたかのような物言いだと思ってしまう。
偶然にしては出来すぎているかのような状況で、いつも問われるのだ。
巫女さんのとの仲直りは、まだかと。
今回も……そうだ。
「ももこもね、おにいちゃんのこときにしてるんだよ?」
「なるほど、気にしてはいてくれている……のか」
「かなしいかお、してたよ」
「教えてくれて……ありがとう」
僕も、巫女さんの事は気になって仕方ない。
互いが互いを気にしているのだから、話し合うなり何なりすれば良い。
だけど、何故か互いにそれをしようと動き出せない。
「おにいちゃんはしらないとおもうけど、
ももこはまた、ちょうしがわるくなってるの」
「それは……やはり、言い出せなかったのだろうな」
「うん……」
俯いている里遠ちゃんの姿を見て、それ以上問う事を止めた。
巫女さんに口止めでもされているかもしれないと考えると、
大体どういうことなのかが説明できてしまうから。
「今は、何処に?」
「おへやで、ねてるよ」
行くべきだろうか。それとも、行かざるべきか。
そんな行動の一つが、明日を決めるのならば……
歩んでみても悪くは無いのかもしれない。
「なやんでる?」
「立ち入るべきか、去るべきか。
拒絶されるかもしれないと思うと、難しい」
「いきたいの?」
「本音は、行きたい方だね」
怖いのは、拒絶。怖いのは、変化。
振り切れないのは、勇気が足りないからなのだろうか。
それとも、真実を知っていないからなのだろうか。
そのそれに掛かっていたとしても、導く先は一つ。
「だいじょうぶだよ」
「行っても大丈夫なのか……」
「おにいちゃんは、かんがえすぎだよ」
「そうは言うけど……」
どうしても、心のどこかで踏ん切りがつかないまま。
時間だけが過ぎていこうとする。
だけど、里遠ちゃんはそれを許そうとはしていない。
「こわいの?」
「ああ……」
言われて、自分でも気付いた。
「心のどこかでは、そう考えているのかもしれない」
何も見えない場所に向かって一歩を踏み出そうとする事。
それがとても大きな壁に見えてくる。
「ももことおんなじだね」
「同じ?」
里遠ちゃんの言葉は、思いがけないものだった。
「まったくおなじこときいたの。きてほしいって……
でも、きてくれないかもしれないから、こわいって」
似た者同士だと言ったのは、そういう事だろう。
確かにそういう反応をすれば、言われてもしかたない。
「それにこんどはけんかになるかもしれないから、
もっとこわくなるかもしれないっていってた」
「なるほどな」
傷をつけかねない恐怖を互いに持って、
それでいて相手を知りたいと思う好奇心を内に秘める。
巫女さんも僕も最後に欲しい物は何か。
そこに目線が向いているのならば、答えは自ずと一つに絞られていく。
僕の手は、この段階では決まっている。
だから、これを持って巫女さんの所に行く事にすればいい。
「里遠ちゃん……
僕は本当に行って、大丈夫なのかな?」
「きっとももこは、まってるよ」
ならば、尚更だ。
「行ってくる」
「ももこのこと、よろしくなんだよっ!」
「ああ、解った!」
出来る限りの笑顔で僕は返事を返してみた。
里遠ちゃんもまた、気持ち良いと思えるほどの笑顔だった。
部屋を出て、巫女さんの部屋へと急いだ。
なるべく急いで、音は出来る限り立てずに。
月明かりに照らされている廊下を歩く気分は、
まるで幻想の中を歩くかのようで、神秘的な気持ちになれた。
故に尚更深くそれを感じ取れたのだろう。
巫女さんの部屋が一種の神域のような存在に見えてくる。
いざ行かんと思えども、心をなるべく落ち着けて行かねば。
「失礼します」
部屋の外からの一言。
これで、上手く始められただろうか……
「あ、はい……来てくださったのですね」
「様子を伺いに参りました」
ここまではまず問題ないだろう、巫女さんに中に入るように呼ばれるまで待つ。
「入っていただいて構いません」
「ありがとうございます」
僕は部屋に入り、普段の巫女服とはまた印象の違う、
簡素な服を着ている巫女さんを見た。
「珍しいですか、私のこの姿は」
「確かに見かけた事はありませんね」
「驚いていただけました?」
「もちろんです」
嘘偽りは無い。
だけど何処か探り合って、堅苦しくて。
僕は寝ている桃子さんの布団には近付かずに、
少し離れた所から話しかける事にした。
「単刀直入に聞きます。
ほんの少しだけだが、体調を崩していたとは本当なんですね」
「ええ、その通りです。今回もまた、少し休めば落ち着きました」
思ったよりは、普通に話していられる。
態度としても非情に柔らかい。
反対に僕は両手に握りこぶしを作り緊張の度合いを強めているので、
ここに並ぶ限りは、完全に相手の出方の方が上だった。
「でも、この行動だけで私が来人さんを信じる事は致しません」
「そうですか、別に僕としてはどんな感情を抱いて貰ったとしても構いませんけどね」
やはりある程度の拒絶の変わっていないのだから、
僕は僕で、少しくらい何か強気で言って見るしかなかった。
「構わないとは、どういう事ですか?」
「率直に言わせて貰えば、
別に嫌われているならそれでも構わないと思っていますし、
無理をして信じてもらうつもりも無いだけの事です」
ここに居るだけの居候のような扱いの僕が、
無理をして出しゃばって意見を言って掻き回す必要などないだろう。
信じられないのならばそれで良いし、嫌いなら嫌いで構わない。
「ただ、嫌われていたとしても……
病気になればそれなりに面倒を見るのは当然だとは思っていますけどね」
「それこそ、あなたの勝手ではないでしょうか」
「勝手だとしても、面倒を見ることすら拒絶されていない状況を考えれば、
僕としてはそれだけで十分だと思っています。
それすらも拒絶されるのならば、僕は大人しく鳥居の外に出て行くだけの事です」
「ふふっ……そうですか。
それならば、今こうして話している時点で行動には移す気は無くなったのですね」
「大体察していただければ」
信じてはいないが、それには何かの理由があると感付いている。
互いが互いにそれを思っているからこそ、話が成り立つ。
この時から既に、妙な親近感が僕達の間に築かれつつあったのかもしれない。
後で思い返せばそう結論付ける事になるのだろうか。
「ふふっ……」
再び、巫女さんの表情が柔らかな笑顔に変わる。
「どうしたのですか?」
「こうして様子を見に来ていただけるのは嬉しいですね。
頼りになる男の方が来ていただけるだけで、随分と雰囲気が変わります。
あの娘だと、どうしても頼れない部分がありますので……」
微妙に褒められているのだろうか。
色々と矛盾している発言のような気がしないでもないのだが……
「頼れる方ですが、心の底から信じて良い方ではありません。
信頼を打ち崩しかねない物を色々と背負っている……と思っております」
「正直、そんな言われ方をすると色々と気になりますね」
要するに、性格や言動や行動は信用に値する人間だが、
来歴や記憶の有無などを含めると完全に信じきるわけにも行かない。
これは僕が巫女さんに思っている事と全く同じである。
「細々とした理由については深く聞くつもりはありません。
話すべき機会が来た時は、話してくれると言う事ですね」
「私としては、あまり話したい事ではありません。
知れば、傷付く事にも繋がりかねません」
「ならば、尚更聞いてみたい気がします。
ただ、重ね重ね言いますが、無理に聞き出す事はしません」
「ありがとうございます」
少なからず、巫女さんの考えが知れた気がした。
僕が傷付きかねない事を恐れているのだろう。
それ以外の理由も色々と含んでいても納得できるとは思うが、
何よりもまず、互いが互いを心配している事だけは揺ぎ無いのは、解った。
だからこそ、僕は僕の考えを告げておく必要があった。
「僕は僕自身を信じきれていない。
だからこそ人に信じてもらい、頼られるのはまだ早いと考えていますし、
巫女さんが僕を警戒していたとしても、当然の事だと思っています」
僕はただ、思っていた事を口にしただけだった。
「ごめんなさい……」
しかし、巫女さんは反射的に謝罪の言葉を述べた。
「何故、謝りますか?」
「あの娘の事で色々迷惑を掛けているのは私も解っています。
それなのに、私は疑って見ている事を……」
「だから、それで構いません。
ただ、それで申し訳ないと思ってくれるのならば、
思っている事を僕に少しでも良いのでぶつけてください」
「はい……」
巫女さんは静かに頷いて、考え始めた。
何をどうやって伝えるべきなのか……
頭の中で思案してくれているのだろう。
暫く待って、巫女さんがその重い口を開いた。
「私はまだ、警戒しています。
ただ立ち寄っただけの旅人には見えない、外から来た人の事を」
「旅人としては色々と不自然……
確かにそれは、僕自身の事とはいえ考えている事には違いない」
「その中でも特に気になるのは、
記憶を失っていると自分で宣言している点です」
「ほう……」
考えてみれば、それは僕から言い始めたはず。
巫女さんがそこを気にしているのも無理はなかろう。
「失礼な事を聞いているのかもしれませんが、
演技ではありませんよね?」
「演技ではありませんよ。
本当に、記憶喪失については僕が一番知りたいくらいだ」
「あの娘の場合は、解らなくもないのですが……」
それは、どういう意味だろうか。
里遠ちゃんにも当てはまる何かがあるのか?
「その言い分だと、里遠ちゃんの事で何かを知っているのではと、
僕は勘繰りたくなってしまいますが……」
僕はすかさず反撃を試みる。
しかし、巫女さんの表情は崩れてなどいない。
「ごめんなさい、答えるわけにはいきません。
ですが、思い当たる節が無いとは断言いたしません」
失言で崩れると思っていたが、隙は見せてくれないらしい。
「それは、僕が来る前の状況にも関係している?」
「答える必要の無いことではないでしょうか」
首を振るだけではなく、押し留められるような動作をしていた巫女さん。
これは間違いなく、明確な拒絶。
僕は……戸惑った。
明らかに何かを知っている素振りを見せながら、あえてそれを強烈に否定した。
どんな事を知っていて、どんな基準で僕の事を見ているのかは知らないが……
巫女さんから上手く情報を引き出すのは困難を極めそうだ。
「聞いても無駄……か」
堪らず僕は、溜息をついた。
親密になっているわけでもないのだ、知れる事にも限度は……ある。
「それでも、記憶が戻るまではここに居ていただきたいと思っているのもまた、
私の嘘偽り無い本心なのです。これだけは信じていただけますか?」
「明確に信じきれないと断言してくる相手の言葉を信用できると思いますか?」
巫女さんが絶句していた。
僕は僕で、嘘偽りの無い本音をぶつけただけなのだが……
思いの他、その効果が出てしまったらしい。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。
それでも私は、放っておけないと思ってしまうから引止めてしまうのです」
「なるほど、そう来ますか……」
ならば僕は僕で、巫女さんの態度に応じた対応をすれば良いのか。
信じてくれないのならば、こちらもまた信じない。
それで……良いわけ、ないだろう。
「何にせよ、その気まぐれのような何かが発端だった。
ここに住まわせて貰っていることに関してはお礼を言わせてください」
「こちらこそ、あの娘の面倒を見ていただいている事に関しては、
改めて御礼を申し上げさせてください」
信頼できる点が全く無いとは言えないから、
僕と巫女さんはお互いにその点でお礼を言い合った。
「しかし、僕への警戒は解かないと……」
「外からの来訪者である以上、完全に信じる事は致しません」
なるほど……と、思った。
今の一言で巫女さんの考えの一端に触れられた気がした。
確かにそれは、覆せない事実でもある。
そして、僕は僕で巫女さんを警戒しなければならないと感じた。
明らかに何かを知っている事に加えて、その言動全てが、怪しい。
だが、視点を変えれば正しさを含んでいる。
「事情が読めました。
巫女さんにとっては、僕の存在は外から来た得体も知れない存在。
確かに、一番気にしなければならない相手でしょう。
ここには三人しかいないのだから」
「だからこそ、慎重さを忘れないでください」
「肝に銘じておきます」
ああ、そういう意味では……
記憶を辿るのに必死になるのも考え物なのだろう。
そしてここまでは、あくまで建前としての彼女の言葉。
この神社を守る主としての言葉だったのだろう。
一気に表情が明るくなり、堅かった表情が解けていた。
それを見て僕は、やはり只者ではないと思ってしまった。
「それにしても、羨ましいと思ってしまうのは……」
「僕と、里遠ちゃんの事ですか?」
「はい……」
何故か、妙に残念そうな表情をしていた。
少しばかり新鮮な気分になるのは、見た事無い表情だったからかもしれない。
話としては大真面目なのに、僕は少し笑いそうになる。
だが、巫女さんはやっぱり真面目なのだろう。
「あの娘に兄として慕われているのを見て、
不審に思った事もありましたが、信じるべきともまた考えました」
恐らくそこには、僕の知らない幾つかの葛藤があって。
「可能な限り、あの娘の相手をしてあげてください。
私と違って、寂しがりやな所があります」
それを振り切って、僕を信じようとしてくれている。
そんな姿勢を見て、気持ちを正して考えを改める。
今、伝えなければならない。里遠ちゃんの言葉を。
「残念ですが、同じ事を里遠ちゃんにも言われた気がします。
巫女さんも一人が寂しいと思う時があるかもしれないから、
巫女さんの事をちゃんと見てあげて欲しいと……」
言い切って、巫女さんの顔を見た。
ただ、単純に驚いていた。
「そうですか、あの娘がそんな事を……」
呟かれた言葉が、妙に嬉しそうな感じに聞こえてきたのは、
僕の気のせいでは無かったのではと信じたい。
本人は気付いていない可能性があるのだが、
巫女さんは意外と思っている事が態度などに薄っすらと滲み出ている事がある。
今後はもう少し注視してみよう、警戒されない程度に。
「病床に臥せっている間だけでも構いません。
あの娘の事をお願いいたします」
「それは当然ですが、巫女さんの事も大切にさせていただきます」
「なっ……」
巫女さんの顔が真っ赤になった。照れている、これはなかなか可愛らしい。
よし、このまま止めを刺すとしよう。
「あまり照れないでください。ここで一緒に住む仲間である以上、
仲間の事を気遣わない選択肢を選ぼうとするなんて、論外なんですよ」
「仲間……ですか」
「そうです、仲間ですよ」
「疑惑の目を向けなければならない相手だとしても?」
「それでも、仲間には違いありません。
記憶が戻るまでの一時的なものだとしても」
「本気ですか?」
「どれだけ警戒されて、信じられなかったとしても。
巫女さんの事もまた、大切にしようと思います。
あくまで、仲間としてですけどね」
言ってみて、これはこれで照れ臭かった。
巫女さんも状況が理解できていないのか、目が点になっている。
だけど僕の中には明確な答えが積み上げられていた。
頼りあってこそ、仲間になっていくのだと。
だからこそ僕は、諦めてはならない物が山のようにあるのではないかと思った。
「仲間だから、大切にしてくださるのですね。
ありがとうございます」
「僕が言いたかった事、理解してくれますか?」
「大体は、理解できました。
ですが、まさかこんな言葉を聞く日が来るとは思いませんでした」
巫女さんは薄っすらと微笑んでいた。
それを見て僕は、何かが動き出したような、そんな気持ちになった。
その始まりが、巫女さんのこの顔ではないかと……
「本当に、ありがとうございます。
色々な話をして、少し疲れてしまいました」
「気付かなくて、すみません」
「いえ、最後には楽しい談話になりました。
この話はまた、明日以降に続きをしませんか?」
「そうですね、是非とも」
これで、ある程度上手く行ったのだろうか。
「仲直り……で、良いのかな?」
「はい、仲直り……ですね」
「それでは、失礼します」
僕は立ち上がって、巫女さんの部屋から出た。
部屋を出る前に見た、巫女さんの輝かしい笑顔がとても印象に残っていた。
自分の部屋を目指しながら、一つの疑問が頭を駆け巡っていくのに気が付いた。
(仲間……か……)
何故これほど簡単に、僕の頭の名からこの単語が出てきたのか。
まるで最初から導かれているかのように、浮かび上がってきた。
最初は、もっと別の言葉で巫女さんを説得しようと思っていたのだ。
里遠ちゃんの保護者役の前に、巫女さんは一人の女性であると……
だからこそ、こちらもまた放っておけないのだと。
出てこなかったのは、誤解を恐れていたからなのかもしれない。
警戒を余計に深めかねない意味合いを隠し持っていると思ったので、
別の言い回しを考えていた時に偶然見つかったのだ。
それが一番、あの場に馴染んだ言葉であり、巫女さんが何よりも喜んでいた言葉になった。
願わくば、そんな喜んだ顔をまた見てみたいと……
(あ……しまった……)
通り過ぎていた。自分の部屋はもう少し手前だ。
慌てて引き返し、少し空を見上げる。
星空を眺めて、気持ちを少し静めていく。
そして、明日への期待を膨らませることにする。
何かが変わるかもしれない、そんな気配と共に……
僕はゆっくりと、眠気に身を任せた。