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悪役令嬢を誤発注した日

作者: 銀城
掲載日:2026/03/12


 それは、恋の始まる朝に起きた、あまりにも冷静な事故だった。


 タイトル、王立学園 恋愛譚れんあいたん

 庶民育ちのヒロインが王子と出会い、悪役令嬢に睨まれ、試練を越えて結ばれる――そういう、古く正しい形の物語である。


 開始時刻まで、残り一時間二十八分。


 舞台の上では、朝の光が校舎の壁を白くなぞり、噴水は定められた高さまで水を押し上げ、石畳にはまだ夜の冷たさが薄く残っていた。


 講堂の窓は磨かれ、花壇の薔薇は見映えのいい角度で咲いている。


 何もおかしくない。


 だが舞台裏では、細い銀縁眼鏡をかけた男が一枚の発注書を見下ろしたまま、ぴたりと動きを止めていた。


 名前はクロード。

 物語構造を担当する側の作者であり、人物を “役割” で見る。

 

 その隣では、いかにも不機嫌そうに眉を寄せている女が紙を覗き込む。


 名をミラという。

 会話と感情の流れを好み、人物を “人間” として見る。


 「……クロード」


 「何だ」


 「質問なんだけど」


 「簡潔に頼む」


 「悪役令嬢、発注数、千になってるんだけど」


 クロードは発注書を見た。

 ミラも見た。


 発注書もまた、見られていることを理解しているように、簡潔にこう記していた。


 悪役令嬢 発注数:千


 しばらく沈黙が落ちた。


 「確認するわね。本来、何を何体、頼む予定だったの」


 「モブ令嬢だ」


 「何体」


 「千体」


 「じゃあ数字は合ってるのね」


 「数字だけはな」


 「項目だけが地獄じゃない」


 クロードは端末の履歴を開いた。


 発注者名:クロード

 カテゴリ:悪役令嬢

 数量:千

 確定時刻:深夜三時十二分


 ミラは履歴を見て、クロードを見た。


 「……あなたじゃない」


 「私だ」


 「そこ認めるんだ」


 「履歴が残っている」


 「証拠があるから認めたみたいな言い方やめて」


 机の上には、修正前の脚本が開かれている。


 ヒロイン一人。

 王子一人。

 悪役令嬢一人。

 背景のざわめきと舞踏会の厚みを支えるためのモブ令嬢、千体。


 きれいな学園恋愛劇の配置だった。


 そこへ悪役令嬢千体。


 もはや恋愛どころではなかった。


 ミラはこめかみを押さえた。


 「どうしてこうなったの」


 クロードは履歴をさらに一段掘り下げる。

 数秒の沈黙のあと、実に平然と告げた。


 「わからん」


 「わからん、じゃないのよ」


 「発注時刻が深夜三時だ。眠気による判断力の低下が考えられる」


 「考えられるじゃなくて、そうなのよ」


 「そうだな」


 「認めるの早いわね」


 クロードは冷静だった。

 冷静すぎるくらい冷静だった。

 自分のやらかしを前にしても、書類の角を揃える指先すら乱れない。


 ミラは深く息を吸った。

 吸ったところで状況が改善する見込みは、ひとかけらもない。


 「取消は」


 「不可。すでに出荷済みだ」


 「停止は」


 「同じく間に合わない」


 「返品は」


 「人格搭載後の個体は不可」


 「廃棄は」


 「倫理監査が飛んでくる」


 「じゃあ責任者は」


 「私だ」


 「そうね」


 「異論はない」


 「今ほしいの、反省の色なのよ」


 「反省はしている」


 「ちっともそういう顔じゃないの」


 クロードは発注書を伏せた。


 「反省の表情を作っている暇がない」


 「そういうところが腹立つのよ」


 ミラは時計を見た。

 開始時刻まで、一時間二十三分。

 その数字は、今の二人にとってほとんど脅迫に近かった。


 「ヒロインたちへの伝達は」


 「全員に通知を流していたら開始時刻に遅れる」


 「開始をずらせないの?」


 「世界が破損する」


 「じゃあ」


 「千の悪役令嬢を出演させるしかない」


 ミラは目を閉じた。


 「言葉にしないで。頭痛がひどくなる」


 「現実は言葉にしなくてもひどい」


 「ああもう、ほんとあなたそういうところだけはブレないわね」


 それで終わりだった。


 開始時刻は動かせない。

 悪役令嬢はもう届いている。

 ヒロインに事情を説明する時間はない。


 つまり、恋愛劇の方を事故に合わせて折り曲げるしかなかった。


 ミラは机を指で叩く。


 「どうするのよ、これ」


 クロードは答えない。

 答えないまま、机の上の脚本を閉じた。

 そして新しい紙を一枚引き寄せる。


 「恋愛劇では捌けない」


 「でしょうね」


 「戦わせるしかない」


 ミラが手を止める。


 「……は?」


 「やるしかない」


 クロードは表紙に書かれた題名へ、まっすぐ一本線を引いた。


 王立学園 恋愛譚。


 その下に、新しい題を書き込む。


 王立学園 包囲戦。


 ミラは眉をしかめた。


 「まじなの……」


 「時間がない」


 「知ってるわよ」


 そこからは速かった。


 舞踏会は開戦式典へ。

 中庭は制圧拠点へ。

 王子は攻略対象から防衛対象へ。

 モブ令嬢用に空けていた群衆配置は、悪役令嬢用の包囲陣へ。

 悪役令嬢は恋敵ではなく、集団の宿敵へ。


 恋の台本を、力ずくで戦いの形へ押し込んでいく。


 ミラも紙を引き寄せる。

 導線を繋ぎ、破綻しそうな箇所へ応急の台詞を差し込み、残酷なくらい雑に、それでも成立だけはする形へと組み替えていく。


 「ねえ、あなた、発注以外はだいたい有能なのね」


 「その評価は複雑だな」


 残り四十分。

 残り二十分。

 残り十分。


 机の上の修正稿が積み上がるたび、どこかで学園の設定が書き換わっていく。

 恋の導線が消え、戦闘線が引かれ、優雅な嫌味は宣戦布告へと意味を変えた。

 背景で微笑んでいるはずだったモブたちの位置には、敵意と気品を兼ね備えた悪役令嬢がずらりと並ぶことになった。


 残り一分。


 最後のページにクロードが印を入れた。

 ミラが乾いた息を吐く。


 「……間に合った?」


 「間に合わせた」


 「自分の寝ぼけ発注を、自分で脚本修正して帳尻合わせたわけね」


 「そうなる」


 「最悪」


 「同意する」


 「その “同意する” やめて」


 開始の鐘が鳴った。






 *






 ヒロインは、何も知らなかった。


 朝の光の中で馬車を降り、胸の前で鞄を抱え、これから始まる学園生活に緊張していただけだった。


 門は高い。

 校舎は白い。

 空は青い。


 怖いけれど、頑張ろう。

 これからの不安と希望が、彼女を包み込んでいた。


 そんな彼女が正門をくぐった、その時だった。


 おうぎの開く音がした。


 ひとつではない。

 十でもない。

 乾いた音が、何百と重なった。


 彼女が顔を上げる。


 正面階段。

 回廊。

 窓辺。

 噴水の縁。

 石畳の両側。


 数多の、悪役令嬢。


 「な、なにこれ……」


 一人ではない。

 二人でもない。

 見渡すかぎり、いる。

 金の巻髪、飾り立てたドレス、扇で口元を隠す気取った仕草。

 それが一面に並び、自分だけを見ていた。


 多すぎた。


 彼女は立ち止まる。


 そして、最前列に立つ一人が、音もなく一歩前へ出る。


 「ごきげんよう」


 すると少し遅れて別の場所から、


 「ごきげんよう」

 「ごきげんよう」


 さらに回廊から、


 「ごきげんよう」

 「ごきげんよう」

 「ごきげんよう」


 挨拶が、終わらない。

 同じ言葉なのに、空間全体が喋っているみたいだった。


 彼女の喉が鳴る。


 「ご……ごきげん、よう……?」


 震えた返事だった。

 だがそれで十分だったらしい。


 今度はあちこちから、ばらばらに "まあ" が落ちてくる。


 「まあ」

 「まあ」

 「まあ、なんて図々しい」

 「まあ、なんて身の程知らず」


 笑い方も、声の高さも、少しずつ違う。

 そこがいちばん怖かった。


 彼女は後ずさる。

 だが、後ろの門は既に閉じられている。

 逃げ場はない。


 「こんなの、聞いてない……」


 悪役令嬢たちが手を上げた。

 前から、横から、少し遅れて後ろから。

 波みたいに腕が持ち上がっていく。


 次の瞬間、石畳に魔法陣が走った。


 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。


 彼女は鞄を抱えたまま、魔法陣の真ん中でがくがく震えた。


 「ひ、ひえ……」


 さらには逃げ場を塞ぐように、四方八方に無数に陣が増え、重なった。

 視界がいろどりに満ちる。


 「ひぇぇええええっ!?」


 階段の上から、先頭列が駆けた。

 その後ろから、そのまた後ろから、悪役令嬢たちが波のように押し寄せる。


 「いきますわよぉ!」

 「いきますわよぉ!」

 「いきますわよぉ!」


 朝の鐘が鳴る。


 本来なら恋の始まりを告げるはずの音は、その日ばかりは開戦の鐘にしか聞こえなかった。


 王立学園 包囲戦 第一話が始まった。




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― 新着の感想 ―
こ、これは……「フ〇ーザ様」軍団?! せめて「お助けキャラ」とか「お助けアイテム」位用意してあるよね?キノコとかお花とかかわいい恐竜とか♪
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