第八話【模擬戦②】
訓練コロニーに、鈍く金属がぶつかる音が響いた。
「また、当たった……でも、痛くない」
クミ──コードネームで呼ばれるようになってから、まだ一日も経っていない。
だが、確かに自分は“戦場に向かう者”になったのだ。
「よし、次!ガンガン行くぞ、構えろよ!」
対面するトルテ教官は、何度目かの突きを繰り出す。
軽装の訓練用バトンが、迷いなくクミの腹を打ちすえる。
ドンッ。
鈍い音とともに、クミの身体がわずかに揺れた。
しかし──
「あ、あまり……。痛く……ない、です…。」
「お、おう……? ってかコレ、効いてるのか?」
トルテ教官は眉をひそめ、距離を取った。
(正直…訓練兵相手にやっていい威力じゃねえんだよな…。これが最上位能力、適合の力か…。
実際、クミの要望で威力は少し上げている。
フィンやキャリーに対して出した力の150%程度だ。
それなのに、彼女はびくともしなかった。
(私は、痛みを感じにくいわけじゃない。ちゃんと……来るのに。)
だが、内部に響くその衝撃が“身体を止める”ほど強くない。
《適合》。
それがナナ──クミの手術により引き出された能力だ。
相手の能力や攻撃の「法則」に対して、自分の身体が自然に“適合”していく。
防御面においては完璧に近く、物理攻撃、毒性、温度変化、あらゆる要素に対応する。
ノアール内でもその能力は異常で、最高クラスに分類されている。
──だが。
「何度、やっても!!攻撃がっ、当たらない!!」
クミが連続して突きを放つも、トルテ教官は簡単にそれを避けた。
「身体はすごいが、技術が追いついてないなー。まあ、そりゃそうか。あまり無理すんなよ、怪我したら大変だからな。」
トルテは軽く笑いながら、クミの背後に回る。
次の瞬間──
「っ!」
肩に小さな衝撃。
ドロップキック。だが、ダメージは感じない。
「やっぱタフだなお前……ってか、これもう『勝てないけど負けない』ってやつだぞ?」
「勝てる……方法、あるのかな……。」
クミはぼんやりとそう呟いた。
防御できても、相手に届かない。そんな自分の無力さが胸を突く。
(私……何のために、生き返ったんだっけな。)
トルテ教官のバトンが再び構えられた時、ブザーが鳴った。
【15分経過。直ちに模擬戦を終了してください。】
模擬戦、終了の合図だった。
⸻
「よし、じゃあ全員揃ってんな!模擬戦、全員おつかれ!」
訓練コロニーの一室、4人の手術兵が集められていた。
キャリーは深呼吸しながら汗を拭っている。
ベルは相変わらず無言で、左腕の関節を調整していた。
……トルテ教官は、汗一つかいていなかったが。
フィンは軽くタオルを肩にかけ、クミを見て微笑んだ。
「おい、痛くなかったか?」
「大丈夫だったよ、お兄ちゃん。でも、当てられなかった……。」
「わかる、俺も。でもよ。クミって、いくら殴られてもケロッとしてるからすごいよな。」
「……えへへ。」
その笑顔に、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。
「よーし、じゃあ成績発表いくぞ!まだ暫定段階だから、あまり気にしないように!これからが本番だ!」
トルテが手元の端末を軽くタップする。
部屋のスクリーンに、数値が表示された。
⸻
【C級兵 暫定順位】
•ベル:2位
•キャリー:100,047位
•フィン:114,975位
•クミ:140,649位
⸻
「……私、いちばん下……」
クミは俯いた。
ベルは凄まじい動きで、教官を一度ダウンさせた。
キャリーは戦闘スタイルこそ重いが、安定性と筋力による圧力で善戦。
フィンも最後には引き分けをもぎ取り、その対応力が認められた。
そして自分は──ただ“殴られ続けただけ”。
「クミ、順位なんて関係ないぞ。教官も言ってただろ?まだまだ、始まったばかりだからよ。」
フィンの励ましに、クミはかすかに頷いた。
(……私だけ、止まってる気がする)
けれど、それを口にはしなかった。
⸻
「さてさて、最後にお知らせ!」
トルテが両手を叩いて、テンション高く叫ぶ。
「明後日、お前ら4人のために“特別戦場見学”を実施することになった!」
「特別戦場……?」
「何ですか、それ!?」
フィンが首を傾げ、キャリーが元気良く質問する。
「そう! 実際の戦場コロニーで、正規兵がシンの掃討を行う“本物の戦闘”。
見学といっても安全任務。本部に近い安全地帯からだけどな。お前らが“何を相手にしてるのか”、実際の空気で知ってもらう。」
「えっ……そんな、普通の見学じゃない……」
「しかも!」
トルテは親指を立てた。
「今回は、S級の中でも“最上位”──
1位と10位の護衛付きだ。こんな大盤振る舞い、めったにないぞ?」
部屋に一瞬、沈黙が落ちた。
「そ、そんな人が……!」
「こっちも驚いてんだよ。なんか本部が『手術兵の将来性を重視』とか言っててさ。」
トルテは肩をすくめながら笑った。
「ベル、キャリー、フィン、クミ──お前らが今後、どう成長するか。組織は注目してんだぜ?」
クミは、静かにその言葉を胸にしまった。
(私に、そんな……価値なんて)
だがその時、フィンが隣からそっと囁いた。
「一緒に行こう、クミ。2人なら、どんな戦場でも怖くないって……言っただろ?」
心が、少しだけ震えた。
(……そうだ。私は、一人じゃない)
うつむいたクミの手を、フィンが軽く握っていた。
⸻
──そして、2日後。
◆
特別戦場の視察日当日。
ステーションBの発着エリア、格納庫第8区画に、4人の手術兵が集合していた。
「わあ……これが、実戦用の輸送船……」
クミが見上げたのは、長大な胴体と分厚い装甲を備えた鋼鉄の巨体。
突き出した推進ユニットには、焼け焦げた跡がいくつも刻まれている。
「こいつで戦場まで行くわけなのかな?見学ってだけでも、緊張するなぁ。」
キャリーが口を開いた瞬間だった。
「──おーい! 待たせたなー!!」
格納庫の天井近くから、軽やかに跳び下りてきた影。
着地と同時に、弾けるような笑顔を見せたのは、肩に長めのナイフを何本もぶら下げた男だった。
「S級10位、神蔵! 今日はよろしくな~、可愛い後輩ちゃんたち!」
「……なにその登場の仕方。毎度毎度派手すぎでしょ、このバカ。」
もう一人、少し遅れて降りてきたのは、巨大な斧を片手にした少女だった。
無造作な銀髪に、眉間に皺。そして赤い軍服の下から覗く筋肉。
「S級1位、レナ。……別に護衛なんて来たくなかったんだけどね。」
「またまた~、俺とセットじゃなかったら断ってたくせに。」
「ちがっ、そういう意味じゃないし……!」
「わー、でたでた! ツンデレの時間だ~~!!」
「うるさい! 神蔵黙れ!!」
レナは斧の柄で神蔵の額を突いた。
どこか漫才じみたやり取りに、ルナはポカンと見上げていた。
(この人たち……本当にS級……?)
だが、次の瞬間。
「……おい、そこの4人。」
レナの目が細くなる。
「今日の視察についてなんだけど、ただの“見学”だと思ってるなら、そのまま引き返しなさい。」
空気が一変した。
まるで戦場の血の匂いをそのまままとったような、研ぎ澄まされた威圧感。
4人は思わず背筋を伸ばす。
「……実際に“死”を見て、それでもまだ前に進めるのか。今日、それが試されるんだからさ。」
「ま、怖くなったら手ぇ挙げてくれよな? そのままステーションに連れ戻してやっからよ。」
神蔵が軽い口調で笑うが、彼の眼差しはまるで冗談じゃなかった。
「じゃ、武器選定室へ移動するから。お前らは護衛対象だから、選べる武器は限定されてるからね。そこ、頭の片隅に入れて起きなさい。」
レナに先導され、4人は格納庫脇の武器保管区画へと入った。
⸻
「うわーお……こんなに種類が……。」
壁面に整然と並ぶ各種兵装。ライフル、ナイフ、ハンマー、火炎放射器。
どれも実戦仕様で、訓練用とは桁違いの質感だった。
「使用時間は限定されるけど、実際に“手に取る”ことには意味があるのよ。」
レナが淡々と説明する。
「自衛に徹すること。お前たちは“戦闘の主役”じゃない。見て、感じて、判断しろ。」
その言葉に、4人はそれぞれの武器へと向かった。
フィンとクミが選んだのは、汎用マシンガン。
重すぎず、連射性能に優れた中型モデルだ。
「これなら動きやすそうだ。俺らは軍人としての知識もないし、オーソドックスなのがいいよな。」
「うん、私も……!なんか、怖くて…。軽いやつがよかった。」
対物特化であるフィンの能力には、装備との相性も重要になる。
今はまだ、“基本”を学ぶ段階だ。
キャリーは迷わず、巨大なロケットランチャーを抱えた。
「これ、ずっと使ってみたかったの。重いけど……なんか、落ち着く。後、コレとコレも!」
無骨な笑みを浮かべながら、キャリーはハンマーや爆弾も手に取る。
「ちょっとちょっと!この馬鹿、そんなに持てる訳ないでしょ!返しなさい!」
レナが慌てて注意する。
…その時で、あった。
突然、武器のサイズが縮み始めた。
ロケットランチャーもハンマーも、鞄のようなサイズに早替わり。
驚くレナに、キャリーは淡々と告げる。
「私の能力、サイズ調整なんです。私には重さのハンデはないですし。火力重視の立ち回りにしたくて。」
「そ、そう…。分かったわ…。」
驚きながらも、すぐ引き下がるレナ。
「クソ、能力者め…。羨ましい…。」
彼女のその呟きは、誰にも聞こえなかった。
最後にベル。
彼が選んだのは、2本のシャフト型ナイフ。
細身だが、鋭い反射材で強化されており、速度と切れ味を両立している。
無言のまま、スッと構えを取る。
「……似合ってんな、少年。」
神蔵がニヤリと笑った。
「そいつは俺も昔使ってたタイプと同じだ。ちゃんと研げば、斬れ味は裏切らねぇぞ。」
ベルはわずかに頷き、そのまま鞘に納めた。
⸻
輸送船内部。
鋼鉄の床を踏みしめ、4人は着座シートに座り、シートベルトを締めた。
「じゃあ、まもなく発進すんぞー!」
神蔵が船体後部で通信を操作しながら叫ぶ。
その横で、レナは黙って窓の外を睨んでいた。
(……戦場。俺らが、行く場所。)
フィンは、背中のマシンガンに手を添えた。
クミが小さく、隣で呟いた。
「怖くないって言ったけど……やっぱり、ちょっと怖いかも」
「まぁな。俺も、正直震えてる。」
ルナは笑いながら答えた。
けれどその目の奥にあるのは、確かな決意だった。
──ゴォォォォ……
振動が伝わる。
輸送船が発進。加速とともに、景色が流れていく。
やがて、ステーションが遠ざかり、無数の星の中へと突き進む。
その先に待つのは、死の現場。
人類が、勝ち取ったはずの平和の、その“裏側”。
それを──彼らは、今から目撃する。
少年少女たちは“戦場”を見ることになる。
人知を超えた、能力と能力のぶつかり合い。
その中で、心がどう動くのか──彼ら自身もまだ知らない。