第四話【始動】
──振動。
小さなシャトルが、軌道降下の揺れを繰り返す。
フィンはシートに深く座り込み、落ち着かない指でベルトをいじっていた。
その隣で、ナナは静かに景色を見つめている。
窓の外、漆黒の空間に浮かぶ巨大な構造体。
それはまるで、金属の竜が自らの身体を折り重ねて宇宙に眠っているようだった。
ノアール第154番宇宙ステーション。
──通称「エデンの爪」。
全長58km。24の居住区画、無数の兵器ドーム、8つの重力中枢を持つ要塞都市。
一国どころか、惑星すら圧倒する軍事力と経済力を誇る、ノアールの象徴の一つ。
「わぁ……。」
ナナが小さく呟く。12時間前までは普通に学校に通っていた少女とは思えぬ、あまりにも純粋な目。
「初めて見るんだもんな……そりゃ驚くよな……。」
フィンが口元を緩めたその時──前の座席から、あの女が無造作に立ち上がった。
「おーい、着陸前にこれだけ渡しとく」
パレットが手を突き出す。
指先には、二本*“青いバンド”が絡まっていた。
「ん? なんですかこれ、アクセサリー? 呪詛封印具とか?」
フィンが警戒するが、パレットは「はぁ〜……」と疲れた溜息を吐いた。
「違う。支給品。身元確認用のただのタグ。正式に入隊してないから、仮IDとして一応つけといてって言われただけ。マジでどうでもいいやつ。」
「……へえ、そういうもんなんですね。」
ナナが手首に巻いてみる。金属製かと思えば、妙に柔らかく、布でもプラスチックでもない質感だった。
「まあ、どーでもいいけど、それつけてると勝手に記録が更新されるから。入退室とか、自販機の購入履歴とか、娯楽施設の使用記録とか。」
「それ完全に監視用じゃん……」
「うん。ノアールってそういうとこある。」
シャトルが減速し、着陸態勢に入る。
遠ざかるパレットの背に、フィンが呼びかけた。
「ねえ、俺たち、これからどうなるんですかね? その、配属とか、訓練とか──」
「私の仕事はここまで。中で職員が迎えに来るから、あとは勝手に動いて。」
「え、冷たっ……!」
そう言うと、彼女はシャトルで何処かに飛んでいってしまった。取り残された2人。
「おいナナ、バンドが取れかかってるぞ。」
そう言ってフィンは、バンドを直そうとするが……
(ナナ、震えてるな……。)
無理もない。一日前までは普通の生活をしていた。
それなのに、今は軍隊に入るところまで来ている。
……だが、フィンの思いは明確だった。
「大丈夫だぞ、俺が側にいる。」
ナナの腕を優しく掴む。
言葉には出さなかったものの、きっと思いは伝わったのだろう。いつの間にか、震えは収まっていた。
そして、2人は歩き出した。
ーーそこが、地獄の入口ともまだ知らずに。
◆
到着と同時に、エントランスのドアが開く。
ステーション内の空気が流れ込み、重力が安定する。
まばゆい人工照明に照らされた格納ドック。
その奥には、無数の兵士候補生たちが列を作っていた。制服に身を包み、同じタグを巻いた少年少女たち──年齢はまちまちだが、どこか顔つきが“抜けて”いる。
「……すごい数だな……。」
「ねえお兄ちゃん、見て。全員、青バンドじゃない」
「ほんとだ。俺たちだけ、これちょっと色が違──」
その時、後方から声が飛んだ。
「おい、君たち。そこの2名。青バンドの識別、確認済みだ。」
職員服を着た中年の男が、無表情で立っていた。胸には“NOIR OFFICIAL-154局”のプレート。
彼はタブレットをちらと見てから、言い放った。
「特別登録者、手術兵。所属未定。即時、個別対応へ移行」
「へ?」
「さぁ、こっちへ。幹部のパレット様から直々に、既に連絡は受けている。」
「ちょ、ちょっと待ってください!? それは一体どういう──」
ナナが動揺するも、男は「急げ」とだけ言い、タブレットを叩く。
次の瞬間、周囲の壁が開き、兵士たちの列とは別の通路が現れた。
「お兄ちゃんっ…!!“手術兵”……って、そんなに特別な存在なの……?」
「ごめんナナ、何も知らない……! パレットさん、何にも教えてくれなかったから……!」
言いながらも、フィンはナナの手を握り続ける。
何が起きても、せめて隣だけは離れないように。
◆
通路を進むにつれ、空気が変わっていく。
金属的だった外区の空間は、徐々に無音の世界へと遷移していた。
歩く音すら吸い込まれる、白一色の壁。無人の廊下。異常に正確な空調音。
(ここ……病院みたいだな……いや、それ以上に……)
やがて二人は、分厚い自動扉の前に立たされる。
そこには“SPECIAL-HOLDING-ROOM 04”
と記されたプレートが光っていた。
「ここで待機。正式配属前に、適性検査とインプラント状態の再確認が行われる」
「えっ……えっと、それって痛い……?」
「回答不能。詳細は医療技師が説明する」
職員は一礼もなく踵を返し、無言で通路を去っていった。
──ドアの前に、二人きり。
◆
「お兄ちゃん……大丈夫かな、私たち……。」
「分かんない。ほんとに、分かんないんだ。」
けど、分からなくても。
不安でも、怖くても──
「……ナナが隣にいるなら、俺は平気だけどな。」
そう言って笑うフィンの横顔に、ナナはほんの少しだけ安心する。
「……うん。私も、怖くない」
ピッ。
ドアが開いた。
その先には、無菌室のような真っ白な空間と、何人もの医療スタッフが待ち構えていた。
──これが、軍の現実。
手術兵という名の“異端者”が背負う未来だった。