第三話【《生きる》ということは】
今回はナナ視点でお楽しみください。
──ぼんやりと、光が見えた。
赤とも、白とも、青ともつかない光。
それが水の底から揺らめいている。重く、冷たく、どこか優しい。
(あれ……死んだのかな……私……)
そう思ったとき、耳の奥で何かが響いた。
『ナナ・シグナス。意識領域、深度レベルAまで下降。生命レベル、37。緊急処置を開始する。』
(だれ……?)
『チップ強制同調。神経拡張率、73%……許容範囲。記憶断片、複製開始──』
苦しい。脳の内側から焼かれるような痛み。
でも──どうしてだろうか、怖くはなかった。
そこにいたのは、あの“女の人”だったから。
意識が薄れていたあの時、ペンと消しゴムを手に戦ってた、あの人……。
◆
──視界の端に、白衣の女が立っていた。
片手にペン、もう片手にスケッチブック。あの時と同じだ。無表情で、どこか退屈そうに彼女は言った。
「目覚めるまで、あと少しだよ。ナナちゃん。」
(……知ってる、あなた……)
「私はアクリランス・パレット。ノアールの下位幹部8位。私はあんたの命をつなげって、命令された。」
パレットは虚空に浮かぶインターフェースへ、ペンを走らせる。
ナナの神経系が、一本ずつ強化され、仮想世界の中で再構築されていく。
「……なんで……助けたの……?」
ナナは問うた。あの時、死んでもおかしくなかった。
むしろ死んでいた方が、楽だったのではないかとさえ思う。
「理由はない。命令だし、フィン……あのクソガキの“選択”だ」
(……お兄ちゃん……)
──そこに、兄の姿が揺れる。
◆
【記憶領域・アクセスログ再生中】
──暗い部屋。軍の医療ステーション。ナナを挟んで、パレットとフィンが向き合っていた。
「本当にいいのか? 兵士になったら、もう普通の人生なんか戻ってこないんだぞ?それに、あの子だけじゃなくて、何でお前みたいなクソガキが?」
パレットの問いに、フィンは震えながらも、強く頷いた。そこに確かにあったのは、一つの思い。
「それでも……俺はナナに生きてほしい。ナナがいない人生なんて、俺は望んでない。どんな形でもいい。ナナは1人で戦わせない、2人で生き残る……!2人なら何も怖くない!何があってもナナを守る……!」
「妹バカ。シスコンだな。」
「うっさいですよ。あんたには関係ないでしょ。」
「分かったぞ、シスコンのクソガキ。ほら、ここにサインしろ。分かったら手術室に急げ。」
パレットは鼻で笑うと、契約書に署名させた。
──それが、すべての始まりだった。
◆
(……バカだ……)
現実に戻るナナ。
視界の奥が霞み、涙が一滴だけ浮かぶ。
(私、いじめられて、希望も捨てて……姉さんに八つ当たりばっかりして……)
──学校では、机に刃物が刺さっていた。
──下駄箱には「死ね」の落書き。
──クラスメイトは見て見ぬふり。教師は「考えすぎじゃない?」と笑った。
そんな日々の中で、ナナは徐々に壊れていった。
そして、心の奥で願っていた──「いっそ、全部終わればいい」と。
(それなのに……)
「なんで、助けたの……っ」
「さあね。……でも私は記憶を覗いた。アンタの兄さんの、“そういうところ”好きだよ。」
パレットは静かに微笑む。
それは冷たい戦場の中では、あまりにもあたたかい表情だった。
「……感情論で命を救う奴は、嫌いじゃない。馬鹿だけどね」
ナナは唇を噛む。
「……怖いよ。これからどうなるかも分からない。私、戦わされるの? 戦場に出されるの……?」
「そう。けど、あんたには特別な“適合能力”がある」
パレットは、ナナの掌に“仮想端末”を置く。そこには能力診断が浮かんでいた。
⸻
コードネーム:アジャスタブル(適合)
・人工義肢、義眼、神経デバイスとの完全同期
・任意の外部兵装との適合率:99.7%
⸻
「……あんたは、どんな武器にも“なれる”子だよ。最強だ。今からね」
「……そんなの、いらない。私はただ、普通に暮らしたかっただけなのに……!」
その瞬間、部屋の扉が開く。
◆
「ナナっ、無事か!?」
フィンが駆け込む。
血に汚れた制服、包帯だらけの姿。それでも、真っ直ぐにナナを見つめていた。
「……お兄ちゃん……」
「目覚めてくれてよかった……ずっと不安だった、怖かったんだぞ……!」
フィンはナナを強く抱きしめる。
ナナは少しだけ抵抗し、目を背けた。
「なんで……なんで私なんかを助けたの……! 私、ずっと辛かった……もう、生きてても意味ないって、思ってたのに……!」
「意味なんて、いらなくないか?」
フィンの声は、決然としていた。
「俺が“いる”って思ってる。それだけで、ナナは生きてていいんだぞ。……それじゃダメか?」
ナナの涙が、ぽろぽろとこぼれる。
「……お兄ちゃん、優しすぎるよ……」
「だから言ってるじゃんか。いつものことだろ?」
◆
パレットは黙って二人のやり取りを見つめていたが、突然、軽く咳払いをして口を開いた。
「じゃ、ナナの身体はあと24時間で仕上がる。それまでクソガキ、面倒見てやれ。」
「……ありがとうございます、パレットさん。」
「べつに。お前には興味ないから。」
そう言いながらパレットは振り返りかけ──ふと、皮肉げに付け加える。
「ただし、クソガキ。あんたの“対物特化能力”。対人や呪詛には何の役にも立たないからね。覚悟しな」
「はァ? そっちが勝手に選んだ能力ですよね! 私の希望なんて一ミリも聞かなかったくせに!」
「そもそも“対物特化”なんて、普通にハズレだし? ノアールも予算考えなきゃいけないから。てか、命の恩人にどの口叩いてるの?」
「はぁ!? 予算って何ですか!? 妹の命でしょーか、そっちが選べって言いましたよね?」
「うるさい、シスコンが。」
「なんだと、この……ガリガリ絵描き女……!」
ピリッとした火花が空気に走る中、ナナがかすかに笑った。
(……変わらないな、お兄ちゃんは)
(こんな世界でも……私はきっと、大丈夫)
ナナは静かに目を閉じた。
全ての準備が整うその日まで──姉の手を握りながら。
(きっと2人なら、大丈夫だもん。)