第25話 退職か続行か
更紗の仕事は決算前で大忙しだ。
これが終わったら仕事を辞めることも考えていた。
(川上さん、ちゃんと話を聞いてくれたしなあ)
退職の相談をしている上司もいる。経営管理課の課長だが、現在は延長雇用。もう六十を過ぎている男性だ。以前は相当なやり手だったらしい。
更紗の退職理由は一身上の都合で、詳細は話していない。
その川上に更紗が個室に呼ばれて面談する。
通常なら賞与に影響する来年度の個人目標も話だが、更紗の場合は退職時期の相談だ。
「来期のスケジュールも組まれたし、年度末を乗り越えられそうだ。助かるよ」
「いいえ。こちらこそ無理をいってすみません」
「とんでもない。退社の権利ってのはね。社内規定三ヶ月や一ヶ月が多いが、法律では二週間で雇用は終了となるんだ」
川上が笑う。
「ところで、引き留めに入りたいんだが」
「引き留めるんですか?」
引き留められるとは思わなかった更紗が驚く。
「まず二日間、有給申請は大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
どうしても外せない撮影が入った更紗は、連休前の祭日を利用して有給申請をだした。
「経営管理はどうしても会社に詳しい人間から補充しないとダメだからね。他部署だと経理か総務か。となるとベテランに抜けられるとやはり辛い。そうだな。もう一つは副業規定が来年度。つまり四月から解禁になる。女優業として登録すれば退職する必要はないんじゃないか?」
さらっといわれて、一瞬何を言われたか理解できない。
「……え?」
「もういっそオープンにしたまえよ。有給を増やして、あやしまれて気を病むこともなくなるぞ
「えええ…… いつからご存じで?」
端役とはいえ女優の件など、一切話していない。
またそのための給料は申告の必要もないほど定額だ。交通費は会社持ちなので十分すぎる。
「――私は昭和時代からの年季の入ったガントレットストライカーシリーズオタなんだ。今も孫と一緒に見ている。夏の映画もね」
にっこり笑う川上に、恥ずかしさで顔が真っ赤になる更紗だった。
夏の映画という一言で、言い訳などできようはずがない。
「映画をみて驚いたよ。有給が増えた理由も理解した。一昨年までの更井君はいつも有給未消化が多かったからな」
土日休みの職場だったので、有給を使う必要はあまりなかったのだ。
「お恥ずかしい限りです。それでもよく私だとわかりましたね」
「声でね。それにしても凄いことだよ。しかし下世話な話になるが年末調整に影響ないレベルの収入しかなかった、ということでいいのかね。もし女優業が金になるならもっと早く退社相談があってもおかしくない」
「はい。さすがは川上さんですね」
双方、話が早い。ようは生活と収入の話だ。更紗の今後についてもそれはいえる。
「差し支えなければ、どういった経緯で女優になったか教えてもらえるかな?」
「主演の天海ソウさんの母親が私の古い友人なのです。そこからひょんなことで」
たいがいの要約はひょんで片付けることができる。
「なんだって。ずいぶん若いお母さんということだね」
「そうですねえ。学生時代、色々ありまして。私もびっくりでした」
「なるほどなあ。私の孫もガントレットストライカー紫雷は大好きだ。息子夫婦と一緒に必死になってガントレットの予約競争に参加したよ」
「大変らしいですね!」
更紗も持っているとはいえなかった。
「経緯もわかったところで、まだ退職届けも出していない。どうだね。退職は保留にしてみては」
「……本当によろしいのでしょうか?」
「構わないよ。どうしても気になるなら私のように契約社員に切り替えてもいいじゃないか。私としては社内にいるガントレットストライカー女優を手放したくはないね」
川上は覇気のない生真面目な人物だと思っていたが、とんでもない。
経営管理として会社を俯瞰している人物なのだ。下手なコンサルよりよほどやり手だとは聞いていたが、まさか自分も対象になるとは思ってもいなかった。
「辞めないといけない理由があるなら率直にいって欲しい」
「……実はダークウィドウが中心のVシネマが決まったのです。Vシネわかりますか」
「凄いじゃないか! Vシネというと外伝のアナザーストーリーだよね」
普通に通じてしまった。川上は興奮を隠そうともしない。
「なるほど。それでまとまった休みもいると」
「はい。会社にご迷惑をかけることにもなりますし」
「まあ待ちたまえ。もしこの会社を辞めるとして、女優業以外の仕事は?」
「とくに決まっていません」
「そうか。、ならVシネ撮影にあわせて契約状態も検討しよう。万が一の時は引き継ぎも視野にいれるから、会社には残ってくれないか?」
「そんな。それこそ私に都合が良すぎて」
「社長には報告する。他の者には内緒にしておこう。おそらく、社長も乗ってくる」
「乗ってくるって。そんな大事なんですか!」
更紗の方が驚くような待遇だ。
「例外もないわけじゃない。会社の利益になるならね。ほら市会議員になっても会社に籍は残るだろう? 労働組合によっては違うけどね。基本無給になるがそういう事例がないこともない」
「なるほど……」
「しかしよく数日の有給で撮影をこなせたね。そこに私は興味がある」
「事務所の社長がそのようにスケジュールを組んでくれたのです」
「へえ! では特別扱いは我が社だけではないということだね」
にっこり笑う川上。勝負あったという顔だ。
「そうなります……」
更紗は恥ずかしさで消え入りそうな声になりながらも肯定した。
「生活するにも引っ越しするにも金はいる。慌てる必要はないんじゃないかな」
「本当にありがとうございます。他の社員を考えるとそれはそれで心苦しいのですが……」
「広報代わりになってもらうかもしれないね。それはそれで珍しくない」
「本当でしょうか?」
「たとえばだ。私が若い頃、格闘ゲームの声優は社内で調達していてな。今はアナウンサーとか普通にいるんだぞ」
「か、格闘ゲーム?」
格闘ゲームなど上司から聞くような言葉ではない。
しかも社内声優など、深いネタを振られて困惑する更紗。
「関西独自の文化だったからなあ。有名なゲーム会社があってね。関西の劇団からゲームのために声優を手配していたんだよ」
遠い目をする課長に対して更紗はようやく、川上が彼女の想像以上にディープな人間だと察することができた。
ジャンル違いで世代も違う更紗だが、話のわかる上司だった川上に妙な親近感がでてきた。
「ゲーマーでもあったんですね」
「世代だね。今でもオンライン対戦で遊んでいるよ。仕事のストレス発散だ」
「いいですね」
思わず頷いてしまったが、なんとかオタトークになることだけは避けた更紗だ。
何より仕事中である。
「おそらく他の人間よりは理解ある環境を作れると思うよ。どうだね保留ということで」
川上はいつになく押しが強い。
「は、はい。では保留ということで御願いします」
こうして更紗は会社公認の女優となったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
更紗はマークシープロダクション事務所社長の如月遙花に、web会議ツールを使い対面で会社継続の報告した。
「あら、なんて理解のある上司なの。これもあなたの人徳ね。会社を辞めるにしても生活の件は私も気になっていたもの。その方は理解があって、かつ現実を見ている方なのでしょう」
「はい。実際そんな人でした。いつもはそんなそぶりを見せていなかったんですけど」
「これで私も気兼ねなくあなたを長時間拘束できるわね」
「怖いです社長!」
「ふふ。でも紫雷外伝に専念できます」
「私もダークウィドウ再登板の話なんて、二度とない機会ですから。会社を辞めてでもチャレンジしたいと思いまして」
ガントレットストライカー紫雷は歴代のシリーズでも人気があった。
企画も無数あり、ダークウィドウを焦点にあてた、Vシネマの企画も通ったのだ。
問題は更紗の拘束時間だったが、Vシネは低予算で作られることが多い。
収録日数はさほど多くないことが幸いだった。
「蒼真も喜ぶわね」
「あれ? 蒼真さんもでるんですか? まだ脚本が届いてなくて」
「プロットは来ているわよ。なんといっても今回は脚本家の横原さんキモ入りですからね」「でもダークウィドウは死んだから、不思議なんですよね」
「一時的にとはいえ人気キャラは何度でも蘇るわ」
「そうでしたね」
一度死んだ悪役キャラクターにはコアな人気がつく場合もある。
「秋月環もでるの」
「ソウさんのスケジュールは埋まっていると聞いていましたが…… ガントレットストライカーですものね」
「ええ。最優先ね。実際はそういうわけにもいかないんだけど、無理矢理時間を捻り出してでも参加するっていって聞かないから。横原さんもわかってて入れたのね」
「作戦ですね」
「ソウも見事に引っかかったわね」
横原は天海ソウは時間をやりくりしても参加する前提で脚本を書いたのだ。
「Vシネにしては主役の出番が多いものになりそうよ」
「良かった。私も嬉しいです」
何より再び秋月環を演じることに、蒼真が喜ぶだろう。
「打ち合わせにも参加できそうね」
「日程さえわかっていれば融通効かせてもらえるそうです」
web会議を打ち切って、一息つくと今度は蒼真から着信が鳴る。
詳細はメッセージで送信済みだ。
「更紗? 社長の報告終わった頃かなって」
「正解!」
くすくす笑いながら尋ねる。
「Vシネの問題はなくなったよ!」
「良かった! でも少し残念」
「ん? 東京引っ越しがなくなったから?」
「そう。でも東京は東京で別の心配が増えるから、結果的には良かった」
「別の心配って?」
「ほら、大人の娯楽が多いからさ」
「まーわかるけどさー。安心してね。毎回東京で同人誌だしてたんだから」
「今は女優だってことを忘れないてないか?」
「わかっているよ~」
思わずくすくす笑う更紗。
蒼真がすっかり心配性になっている。
「話のわかる人が上司で本当に良かった。お孫さんもガントレットストライカー紫雷の大ファンですって。オタバレしないように必死だったよー」
「それは嬉しいな。そうだ。いいことを思いついた」
「なあに?」
「次の打ち合わせに東京来るだろ? その時のお楽しみだ」
「うん。わかった」
蒼真がいいこと、が何かは不明だが、決して悪いものではないだろう。