第24話 今宮戎で会いましょう
(どうしてこんなことに……)
新年早々、二人で売り子をしている。更紗はマスクに大きなマフラーと、フル装備の出で立ち。隣の女性は元気いっぱいで売り子をしてくれている。
大阪の港方面で開催されている大型同人誌イベントでサークル参加をしている。
(落ち着いたからって思わず新刊を出すことにしたことが運の尽きかあ)
更紗の自業自得だった。
秋にはガントレットストライカー紫雷の本放送も終わり、次代のガントレットストライカーにバトンタッチされた。
夏の映画も大好評に終わり、更紗もしばらく忙しかったが、蒼真もドラマなどの仕事が舞い込み、多忙を極めている。
当然新刊はガントレットストライカー紫雷。今なお多くの同人誌が並ぶ人気ジャンルだ。
内輪向けやネタバレになるようなことは記載していないが、隣の少女はひたすら更紗を褒め讃えている。
「さらさら先生と同じジャンルで良かったー」
そういう少女は如月遙花の娘、如月藤花。大学生で、同人者だった。
如月遙花に同伴を頼まれ、軽い気持ちで請け負ったものの、予想以上に熱い女性だった。
本は死ぬ気で間に合わせた更紗である。
「ママもきたがったんですけどねー」
「やめて。ママが特撮島に来たら大騒ぎになるよ」
ガントレットストライカー紫雷主演の芸能事務所社長が来ようものなら大騒ぎになるだろう。何せここは特撮島。スーツアクターや芸能事務所にも精通しているファンが大量にいるのだ。とくに2.5次元舞台が流行してからというもの、事務所そのものへの関心が高い。
藤花とはガントレットストライカー紫雷との話題が尽きないので、売り子を頼むにはうってつけの人材だった。
「お母さんのお使いにいってきていいよ! 頼まれたものがたくさんあるって?」
「ママは久しく同人界隈から遠のいていたので電子パンフをみて、いまだに自ジャンルと自カプが生き残っていたことを涙目で喜んでいたんですよー」」
もう親子二代の同人活動など珍しくないのだろう。
昔嗜んだ自カプが生き残っていると、更紗もつい買ってしまう。気持ちは痛いほど理解できた。
(芸能事務所の社長が売り子して、万が一気付かれたら大騒ぎになるだろうなー)
イベントでは蒼真と藤花にゴス服を希望されたが、さすがに断固拒否した。撮影用と普段の化粧の厚さが違いすぎるとはいえ、身バレが怖すぎたのだ。
それに公開は夏。かなり先だ。
猫背の男性が姿を現した。マフラーにニットのキャップ、サングラスに黒のマスクの銃装備だ。インフルエンザやコロナ禍もあり、今では不思議でもない姿ではある。飛沫感染を防ぐために目を保護することも重要だからだ。
「新刊一部ください」
「はい。五百円になります」
「ボク、みずみずです」
「みずみずさん?! はじめまして――」
「はじめまして、ではないんだな」
サングラスを外すと蒼真が笑っている。
それはほんの一瞬で、すぐにサングラスをかけ直す。
「またあとで。さらさら先生」
そういって蒼真は人混みのなかに蒼真は消えていく。
「ちょ! 何をしているの」
思わずスマホで連絡してしまう更紗。
既読はつくが、返信はない。
(待って待って。みずみずさんってかなりの古参だよー)
いったいいつから自分をマークしていたというのか。
動揺を隠せない更紗だったが、今は笑顔で売り子に徹するのだった。
しばらくすると藤花が戻ってきた。
お使いというには多すぎる同人誌の束を抱えて戻ってきた。
「ありがとうございました! 豊作すぎて。やっぱり大阪の正月後イベントは活況ですね」
「いえいえ。無事買えたなら良かった。お母さんの分はどれぐらい?」
「三分の一ですね。親公認でこれだけ薄い本が買えるなんて今までなかったですよ! さらさら先生のおかげです!」
「は、はは…… それは良かった」
目を輝かせる藤花に、曖昧な笑いで返す更紗。
「私が店番しますので、さらさら先生はお買い物どうぞ!」
「大丈夫だよ!」
いつもぼっち参加なので、顔なじみなサークルとの本交換は開場前に済ませてある。
「ところで今日、誰か他にも来るとか聞いていない?」
「いえ? 今日はいつもの三冊も私が担当ですし」
マネージャーが買いにきていた同人誌は藤花が持ち帰る事になっていた。
「そうだよねー。イベントが終わったら藤花ちゃんはどうするの?」
「私は一度荷物をホテルに置いてから、夕方こっちにいる友達と合流します!」
「大荷物だもんねー」
「久しぶりの大阪です。満喫しますよ!」
そういいながらイベント名物の沖縄ドーナツを食べている。
(さっきはフランクも食べていたのに……!)
更紗の食事は会場を出たあとが多い。とはいっても大阪のイベントは買って知ったる場所であり、フランクフルトはたまに食べたくなる。
「大阪移動するときは気を付けてね。とくにタクシーは厳禁だよ」
「え? どうしてですか」
「大阪市街地で十日戎という有名なお祭りがあるの。とても賑やかだけど、難波や心斎橋は大渋滞しているんだ。五分で数メートルなんて場合もあるの」
「そんなに?!」
「そんなに。タクシーだと財布が死ぬ。死んだことがある」
更紗も一度タクシーを使って移動して酷い目にあったことがある。
料金メーターだけが上がっていくことに耐えきれずに降りた。
「乗り換えがんばります……」
「今宮十日戎は百万人以上集まるらしいよ!」
「うわー。それに加えて大阪の移動かー」
「大阪の路線はわかりにくいよねー」
「はい……」
「行きたい場所近くまでは付き合うからさ」
「近くにある大型アトラクションには何回かいきましたから!」
「車とかバスでしょ? たとえばここから大型アトラクションに電車でいくと一時間ぐらいかかるよ?」
「え……?」
会場のある港区咲洲と此花区の桜島周辺は車では近いが乗り換えでいくには不便だ。
「明日行く予定にしておいてよかった!」
「だからおねーさんに任せなさい」
「そんな? 申し訳ない。母に叱られます!」
「言わなければ大丈夫だって!」
更紗は軽く笑い飛ばす。売り子までしてくれた女の子を大阪で迷子にするわけにはいかない。何回かきているといっても大型アトラクションとは違う。
「近くに色々あるよね。撮影した夢州も近いし」
「万博会場だった場所ですよね!」
雑談しながらスペースに座っていると時間はあっという間に経過する。
盛大に拍手をし、撤収準備に入る。以前なら椅子は机の上に乗せていたが、今は畳んで立てかけるだけだ。
即売会は無事、終了して更紗は藤花の泊まっているホテルと、友人と合流するという日本橋にまで移動する。
「あれ? 日本橋駅じゃないんですか」
「罠なんだよー。恵比須駅という駅から降りたほうが近いんだよね」
「地元民の案内、助かります……!」
「あはは。兵庫から近いからねー」
「でも凄い人ですね…… 荷物置いて良かった!」
「お祭りだからねー。あ、私も一緒に降りるよ。イベントは楽だし」
本は無事完売。荷物はアパートに送っている。更紗も身軽だ。
降りたところでオタロード付近まで藤花を案内して別れた。
「ありがとうございました! 母に連絡して友達と合流します!」
「うん。気を付けてねー。家に帰るまでが即売会だから!」
「はい!」
更紗は雑踏を行く。オタロードは以前PCショップが多かったが、今では同人ショップのほうが多くなった。
(中古同人ショップでも行くかなー)
そう思っていると、聞き慣れた指定着信音が流れた。
「更紗? 日本橋にいる?」
「よくわかったね。日本橋だよ」
「俺も日本橋のオタロードにいるんだけど」
「ちょ。おま」
更紗が思わずネットスラングで絶句する。
「えと。今日の収録大阪だっけ?」
蒼真はガントレットストライカー紫雷の収録も終わり、ドラマやバラエティのゲストなどに飛び回っていた。
「昨日で終わり。オフもらったよ。帰るのは明日」
大阪に来るからと言ってもいつでも会えるわけではない。
更紗も蒼真がすでに東京に帰ったと思っていた。
「どこにいるの? 私が探しにいくよ!」
「じゃあ駐車場近くのコンビニ。トレーディングカード専門店がたくさんある場所。わかるかな」
「オッケー。わかるよ。今からいくね」
小走りで走ると蒼真が店の外にいた。
マフラーとニット、マスクとサングラスはそのままだ。
ロングコートを着ているが、相変わらず猫背なのであの天海ソウだとは思われることもなさそうだ。
「蒼真さん。お待たせ」
「早いな。とりあえず移動しよう」
二人は不自然にならないよう、ぴったりくっついて歩き出す。
「そっちこそ。電車移動なのによくここがわかったね」
「社長に協力してもらった。藤花さん経由で連絡を取っていてね」
「……思いもよらぬスパイが……」
藤花が逐一母親の名を出していたのはこのための布石だったのだろう。
「これだけの人混みだとまず大丈夫そうだ」
「男性にも熱心な特撮ファンがいることを忘れないでね?」
「もちろん忘れていないさ。俺がそうだからな」
「そういえば蒼真さん男性ファンも多いよね。男女関係なくファンサすごいって聞いたことある!」
「当然だろ。……いや、人によっては当然じゃないか。あの人たちは俺なんだよ。握手するために子供たちの間に入って並ぶのも勇気が必要だったかもしれない。その気持ちがわかるからさ」
「そっか。蒼真さんならそうだよね。わかるよね」
特撮オタ。男子なら小学生で卒業するが、卒業できなかった者もいる。更紗みたいに途中で入ったわけではない。純粋に変身ヒーローに憧れて。
大人になってもその気持ちを忘れずに。少しだけ大人の特権を利用して財力を駆使できるようになるのだ。
ガントレットストライカー一筋だった蒼真自身、彼等を他人事とは思えないだろう。
「更紗のおかげでね」
「私は何もしていないよ~」
照れる更紗。
「しかし人混み凄いな。朝の中央線よりも混んでいる」
「お祭りだからね! 人の波がとんでもないことになってるよ」
蒼真がごく自然に更紗の手を握る。
「はぐれないようにな」
「はい」
更紗の顔は真っ赤だが、一月の夕方でばれないことにほっとした。
「今宮戎に行く? 屋台がたくさんあるよ!」
「屋台。いいな。初詣だ」
二人は口数も少なく、ただ人混みのなかを歩いている。
「手袋しないで正解だった」
「私は忘れただけ」
戎通りを歩いて行くと、屋影が大量に並んでいる。
「どれだけの屋台があるんだろう」
「五百ぐらい?」
「そんなにあるのか! 眺めているだけで飽きないな」
「ね?」
二人は人の流れに沿って、ゆったりと歩いて行く。
「何を食べようかな」
「屋台は久しぶりだー!」
「俺もだ。更紗に連れていってもらって以来だな」
「そんな昔?!」
十年ぶりということだろう。
「うん。楽しかったな。電車で更紗と移動して。到着したら町中お祭りでさ。七月末なのに七夕なんだって。一宮七夕祭りだっけ」
「そうだよ。なつかしいね。蒼真さんが電車に乗りたいっていったから、一宮までいってしまえって」
更紗がくすっと笑う。
「ガントレットストライカーのモチーフが電車だったもんね」
「更紗はいつも俺のわがままを聞いてくれたよな。次は俺が更紗のわがままを聞く番だ」
「私も乗りたかったし?」
「買って貰ったお面は大切に取ってある」
「さすがに物持ち良すぎだよ!」
「大切な宝物だよ」
目が笑っている蒼真に、更紗の心臓が高く鳴り響く。
蒼真がさらに強く手を握りしめた。
「はぐれないようにな。あの時の俺みたいに」
「覚えているよ」
更紗が顔を赤らめ俯いた。
お祭りの時、各所にある屋台に目移りして突進しようとする幼い蒼真の手を離さないよう握り続けていたのだ。
「どの屋台から攻めようか。会場のフランクぐらいしか食べていない」
「会場のフランクは食べたんだ!」
「以前さらさら先生が画像をアップしていたからね。名物フランク。美味しかったよ。アドバイス通り、空いている時間に食べた。混んでいると生焼けだからタイミングが重要。昼時は避けなければいけない、てね」
「みずみずさんが蒼真さんだなんて思ってもいなかったよ! かなり前からのフォロワーだよね?」
「そうなるな。ほら、母さんに聞けば一発だし?」
「結~!」
「昔の同人誌って凄いよな。奥付に住所とか載せてあるし」
「時代だよね~。今だと考えられない」
「母さんから高校時代のペーパー見せてもらったよ」
「私の黒歴史! やめて~」
そんな更紗を見て微笑む蒼真。
「ほら。それより屋台! 屋台!」
更紗は恥ずかしさから強引に話題を変えた。
「はしまきってなんだろう」
「お好み焼きを箸で巻いたものだよ。名古屋だとアルミホイルに二つ折りだったな」
「地方によって全然違うんだな」
「たこせんもおすすめ。ネタとして」
「たこせん?」
「たこ焼きをせんべいに挟んだものだよ!」
二人は屋台フードを満喫しながら、気になったものを食べていく。
「焼きトウモロコシの匂いがそそる~」
「いくか!」
二人は屋台を巡るうちに、戎通りを南に歩いていく。
「うん。この行列は凄いな」
「私もお参りは久しぶりなんだ。蒼真さんはどこに宿泊しているの?」
「ん。更紗ん家」
「まだ早い!」
顔を真っ赤にして却下する更紗。
「もう十八だぞ」
「まだ十八だよ」
くすっと笑う更紗。焦っているのは自分だけではないとわかって、少し余裕が生まれた。
「どのタイミングならいいんだろう」
「結の顔がちらつかなくなったら、かな」
これは更紗の本音だ。
「宿泊しているホテルはテレビ局付近。梅田近くだから余裕」
「それなら安心だね」
とても空いているとは思えない人の波に揉まれながらも、ゆっくりと進んでいく二人。
「もうすぐだな」
「そうだね」
もはや人混みという領域を越えている、大行列。
若宮戎の参拝客だ。
「昨日ならもっと混んでいたんだろうけど」
「ん? これで?」
「九日が宵戎。十日が本戎。明日が残り福っていうんだー」
「そうか。夜に参拝するなら昨日ってことなんだな」
「そういうこと! 食べ歩きしていたら時間もずれたし、良い感じだね」
長い行列もようやく終わりが見えた。
二人は鳥居に一例してくぐると、蒼真は手を離す。
二人揃って賽銭箱にお金を投げ入れ、二礼二杯一礼を行い、願い事をする。
「更紗は何を御願いしたの?」
「ふふ。内緒! 蒼真さんは?」
「内緒。きっと願い事は同じだと思っているよ」
「そうだね」
二人は夜の難波を、余韻を楽しむかのようにいつまでも歩いていた。