第20話 罠
「やらかしたなー」
実は思ったより凹んでいる更紗だった。あやうく蒼真を本名呼びするところだったのだ。
「サラさん。めげたらあかんで。むしろよーやったほうや。俺等なんか何回NGだしたかわからへんからな」
「そうだな。監督は厳しいからな」
健太と蒼真、更紗と三人だけ離れて出番を待つ。更紗の出番はもう終わりだ。
「サラさん、神殿にきただけでめっちゃテンション上がってたもんなー」
「憧れの神殿だし!」
今日の撮影は埼玉某所にある水害対策の巨大施設だ。通称神殿と呼ばれ、特撮ファンの聖地といわれている。
見学も可能ではあるが、都心から離れているため更紗も初めて入場したのだ。
「神殿で演技したからもう特撮女優を名乗れるな」
「名乗りません」
更紗は首を横に振る。あまりの慌てように二人が笑う。
「出演依頼あっても出演せーへんの?」
「エキストラでもいいからまた出たいなー。でも映画の収録もまだまだなんだからね」
「よっしゃ。言質は取ったな蒼真!」
「だな」
「なんのこと……」
遠くから二人を呼ぶ声がする。
「ソウ君、健太君、そろそろ準備をー」
そういっていると二人は立ち上がった。
「ほな俺等の出番やな」
「いってくる」
「いってらっしゃい。二人とも」
入れ違いのようにスタイリストの美田がやってきた。メイク担当だ。
「どうよ。サラちゃんの衣装。美術担当とあーだこーだいいながら決めたの!」
「素敵です!」
「ブランド提供だからねー。向こうも気合い入れてきたのよ。完成度高いわー」
「あの新しいブランドですよね」
美田と更紗が懐かしのゴスロリブランドや現在の原宿ガーリー系の新ブランドについて盛り上がる。
「別人のようにメイクしてもらって。これなら身バレもしないですし助かります」
「わからないわよー? あの女優は誰だって話になるかもしれないし?」
「恐れ多いです。ソウさんの知り合い補正で助けられているだけで」
「もっと自信をもちなさい。あの演技最高だったわー。監督も褒めていたぐらいなんだから!」
「ありがとうございます」
幼少の頃の蒼真を思い出して感情移入しただけなので、気恥ずかしい更紗。
女優だなんて恐れ多い。
「今後が楽しみな女優だし。期待しているわ」
「滅相もない!」
同人誌の感想ならいざしらず、私生活では褒められなれていない更紗は恐縮するばかりであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
収録が終わったら、ロケバスに乗って撮影所に戻る。
蒼真たちは別シーンの収録が残っている。更紗のダークウィドウの撮影もあったが、そちらは立っているだけ。すぐに終わった。
帰宅の準備をしていると、蒼真が控え室の外で待っていた。
「更紗」
「蒼真さん」
今周囲に人はいない。
「もう帰るのか」
残念さを隠さない蒼真。
「明日仕事だしね。また来週来るよ」
励ますように力づける。
「休みまで取らせてしまって。ありがとう」
「いい映画にしようね!」
「ああ。必ず」
「私、嬉しいんだ。こんな、感情移入できる役を与えてもらって」
「でも弟扱いは勘弁な!」
「わかっているよ。それなら蒼真さんなんていわないから。姉同然なのにおかしいよね?」
「ん。そうだな」
クスッと笑う更紗。蒼真と話しているとどちらが年上かわからない。
「本当は送って行きたいんだけどな」
「まだ収録あるでしょ? がんばって。帰宅したらメッセを送るよ」
「俺も。早く免許が欲しいな」
「免許取って、車を買ったらドライブに連れていってよ。それまではガントレットストライカーとして、子供の夢を守ってね」
「約束な」
「約束するよ。約束は守るもの」
二人しか通じない、約束の重み。
「更紗は、変わらないな」
「蒼真さんが変わりすぎたんだよ。私なんて」
「本当だって!」
必死な蒼真をみて、更紗は失言に気付く。自虐すると蒼真を傷つけることになる。
「嬉しいよ。ありがとう」
「年齢はすぐに追いつくからさ」
「待ってる」
二人だって、年齢差が縮まらないことなど理解している。だからこそ――
口にしてはならない。
「帰り、更紗も気を付けて」
「うん。ありがとう」
更紗は外で待っていた律子と合流し、最寄り駅の大泉学園駅前で降ろして貰った。
池袋で乗り換えて品川から新幹線から新大阪までの切符を買う。疲れ切っていたが、車内で眠ることはできなかった。
「明日から現実が始まる」
帰りの新幹線でぼそっと呟く更紗。
充実した映画収録との落差が激しい。
「変わらない、か。更紗おねーちゃんに戻りたいな」
蒼真は常に言ってくれているが、そんなことはない。月日は残酷だ。
二十歳過ぎたばかりの自分と、今の自分。新幹線の窓ガラスに映っている自分を見ると、同じだなんて口が裂けてもいえない。
「ムダな時間、過ごしちゃったのかな。もう少し、努力すれば良かったのかな。いたずらに年を取っちゃった気がする」
これが本音だった。
あの頃の更紗の幻影に、蒼真は引っ張られていないか。
「ダークウィドウは、変身した自分を見られたくないんだよね。わかる」
ダークウィドウについてずっと考えている。
「ガントレットストライカー紫雷とダークウィドウ。もとより敵対はしていない。過去の贖罪、それを乗り切ったらあの二人には違った未来が…… ないか」
あくまで亡き弟だ。やはり環に倒されてこそ引き際だろう。
何事にも美しい引き際というものはある。
「私も引き際を考えないとね」
閑散とした車内。新幹線から見る夜景は侘しいものだ。
「環に討たれてこそ、ダークウィドウは美しい。何故ならダークウィドウは引き返せないのだから」
新幹線で仮眠を取り、乗り換えて帰宅する更紗。
(泣いても笑っても、収録はあと二回ぐらいか)
映像ディレクターと制作進行のスタッフが更紗の都合も考えてスケジュールを組んでいたときは涙ぐんだ。現場を見れば、かなり無茶をいっていることがわかる。
彼らは「いい映画になれば」といって快く引き受けてくれた。
「特撮業界に悪い人はいない、か」
本当にいいスタッフだった。ずっと、いつまでもあの輪の中にいたいとさえ思う。
しかしこんな奇跡のような時間は一時の夢だとも理解している。
「18歳になったら、か。私も常に引き際は考えないとね。――ダークウィドウのように」
いつ蒼真の心が離れるかわからない不安。離れるまでは傍にいたいと願う。
彼の心が離れたら――ダークウィドウのように美しく散り、消えたい。エゴといわれようとも。
今更ながら蒼真にきちんと向き合えていないことに気付く更紗だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
蒼真と健太の二人は歌謡バラエティ番組収録のため、TV曲の控え室にいた。
主題歌担当の音楽グループ「slash」と一緒に登場して、華を添えるためだ。二人とも歌うわけではないので気楽だ。
slashは実力派シンガーを組み合わせ、特撮のために作られたスペシャルユニットである。主役といえど、緊張する二人だった。
「いいな。俺もガントレットストライカーになってみたいよ」
「この仕事がきて嬉しかったもんナ」
ボーカルの刀塚と有名バンド出身でギター兼ボーカルのejjiが二人に声をかける。
「俺達もお二人が主題歌と聞いて信じられませんでした!」
「ダウンロード数も凄いですよね!」
意外なことにこの二人も特撮好きであり、決して企業案件だけというわけではなかった。
熱心に曲作りをしたことも知られている。映画のゲスト出演もあるということだ。
「ガントレットストライカー紫雷が良かったんだよ。子供が俺達の名前を覚えてくれたら、嬉しいぜ」
「そうそう。商売っ気ではなくてサ。あの人、あの歌の人だ! って子供は大人になっても覚えていてくれる。コレ、音楽やってるヤツにはマジ財産なんだヨ」
「わかります。子供の頃、聞いた曲、普通にカラオケで歌いますし」
「それよそれ。やっぱサ。嬉しいわけよ。自分の曲が思い出に残るってのはネ」
無口で有名なejjiが饒舌になっている。バンドマンはサブカル好きが多い。ejjiもそうなのだろう。
「slashだけの武道館コンサートまで決まるとはなぁ」
「信じられなかったよネ。曲足りないから作っちゃうヨ」
特撮主題歌としてはあり得ない人気を誇る二人だった。
「お二人の前で歌うことになるのか……」
恐縮する蒼真。キャラソンを担当しているとはいえ、本格派の二人を前に歌うのは恐れ多いのだ。
「ソウ君いけるっテ。自信をもって」
「はい!」
「健太君はもう少し練習が必要かな」
刀塚が健太をイジる。
「俺だけに厳しー!」
「ははは。冗談だよ。楽しくいこう。まずは収録だ」
楽屋は他のスタッフが羨むほど、和気藹々としていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おつかれさまでしたー」
「盛り上げてくれたね。ありがとう」
slashの曲が終わり、座っていた二人が雑談に入る。
ここからは壁の花、いわゆるがやだ。たまに合いの手を入れるぐらいでいい。
数グループ歌い終えたところで、MCが次の歌手へのトークに入った。大谷さくらが笑顔を浮かべながらトークに応じている。
興味がない四人はそのまま雑談をしていた。
それを目敏く目にした大谷さくら。
(あの四人、私なんか眼中にないってわけね!)
相変わらず腹立たしい。とくに天海蒼真への苛立ちが募っていく。
そこにMCがさくらに話を振ってきた。
「最近ハマっているものとかはあるんですか?」
「ありますよ! ニチアサのガントレットストライカー紫雷です!」
「おお。今日ゲストにきている!」
「兄の影響で~。私、結構特撮好きなんですよね」
反応が遅れた蒼真と健太。
露骨なアピールに苦笑するslashの二人。
(おいこら。あざとすぎるぞあいつ)
(やり過ごすか)
しかしMCはこんなネタを見逃すわけもなく――
「天海ソウさん。よければこちらへ」
「わー! 嬉しい! 本物の秋月環ですね!」
喜色満面のさくら。
(空気読めよMC)
(それな)
仕方なく蒼真が一人で向かう。健太は呼ばれていないからだ。
当たり障りのないトークでやり過ごし、席に戻る蒼真。
「ああいう手合いは昔からいるんだよネ。気を付けてネ、ソウ君」
ejjiが小声で蒼真に囁く。
何に? と聞き返す余裕はなかった。
さくらは自曲を歌唱し終え、席を外す。控え室に置いてあるスマホを手にとり、おもむろに電話を始めた。