第19話 親の心子知らず
夢のような日々が終わり、兵庫県に直帰する更紗。
どうにも仕事に身が入らないのだが、無心で作業する心得はある。淡々と仕事をこなしていた。
「同人誌を描く時間はないかぁ」
休みは東京往復だ。毎週ではないにしろ、体力的にきつい。
壁打ちは続けている。ガントレットストライカーに関してだ。
『今週のガントレットストライカー格好いい! 環君に惚れ直すよ』
直後蒼真からメッセが届く。
『惚れ直したくれたか』
『いつも惚れているよ!』
これぐらいの軽口を叩く余裕はでてきた。
『映画が終わったらデートだな』
『まだ早い!』
釘は刺しておく更紗。実際事務所に出入りするようになって、以前より敏感になっているのだ。
『えー。大阪に行くからさ』
『カラオケぐらいならね。東京では無理でしょ』
『そうだなー』
『人気特撮俳優なんだから、身辺はしっかりとね!』
更紗もこんな釘は刺したいとは想わない。しかしやはり社会人として区切りをつけるべきだ。
『俺のこと、どう思っている?』
直球できたなと苦笑いする更紗。一回り以上年下に翻弄されてばかりではいられない。
『18歳になったら教えてあげる』
自然に送った言葉だった。
『またお預けか』
『再会してから怒濤すぎるよー』
さすがにショートメッセで蒼真さん呼びする勇気はない。
『女優デビュー楽しみだ』
『そうだね。次はさ来週行くからよろしく!』
『メッセージは送るから!』
『はい』
そう返信して会話は終了した。
枕を抱え、一人悶絶している更紗。
(推しだよー。推しとこんな会話してていつか罰があたりそう)
ごろごろしてふと思う。
(罰があたるなら、せめて私一人にあたりますように)
それだけを願わずにはいられなかった。
「蒼真さんも年頃の男だしなー。お預けか。辛いんだろうな」
そういわれても男性と付き合ったことはないので何をどうしたらいいのかまったくわからない。
壁打ちするわけにもいかず、更紗のほうこそ悶々としてしまう。
結に愚痴代わりにメッセージを送り、寝ようとしたところ電話がかかってきた。
「もしもし。結? たいしたことないから電話しなくていいって書いたのに」
「こらー! どこの世界に母親に男女間の相談する女がいるの。あんたがそこまで世間知らずだとは思わなかったわ。心配で私まで眠れなくなりそうよ!」
「え? そんなに」
「そんなに」
電話の向こうで真顔になっている結の顔が想像できた。
「蒼真が何をいっても受け流して。18歳になったらもうどうでもいいわ。あんたらの好きにしなよ」
「母親が投げないで? あまり待たせるのも辛いかなって」
「あんたのほうが暴走しそうで怖くなって電話したのよ!」
「暴走する勇気がないよ!」
「素人ほど、思いきったことをするからね」
「何の素人?!」
「……私が悪かったわ。あなたはそのままでいて」
「なんだよー。教えろよー」
「拗ねないの!」
そうはいいつつもお互いの近況を話し合い、電話を切る。
(結論を出すにしても蒼真さんが18歳になってもらわないとね。あと一年と少しぐらいか)
あと一年悶え続けるのかと思うと、気が遠くなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「蒼真が思いっきり迷惑かけているな」
結の旦那、大地が苦笑する。
「あらあなた。盗み聞きとは感心しないよ」
「とはいっても息子のことだからなぁ。なんで更紗さんまで女優になるんだよ」
二人の仲には口を出す気はないが、その話を結から聞いたときは驚愕したものだった。
「端役よ端役。大げさに考えちゃ駄目」
「しかし兵庫と東京の往復だぞ。端役のためにだぜ。勤め人がやることじゃない」
「西宮なんて四捨五入したら大阪みたいなもんでしょ。新幹線ならすぐよ」
「なんてことをいうんだよ」
あまりに大雑把な妻に苦笑いする大地。
「更紗さんを幸せにできるのかなあ。あの人が娘になるのかあ」
「気が早い! 私は更紗の婚期が遅れてしまうことを気に掛けているのに。蒼真が更紗を捨てることだってありえるわ」
「そのときはさすがに蒼真をぶん殴るぞ、俺」
息子に手を挙げたことは一度もない優しい大地ではあったが、そんな未来もあり得ないわけではないことを知っている。
「俺達夫婦が迷惑をかけっぱなしだった。その上、息子が更紗さんを捨てるとか考えたくもない」
「年齢はね。やっぱりね」
「やめろ。その話は俺に効く」
年の差婚の二人にとっては禁句に近かった言葉だ。
「だからこそ余計にね。傷が深くなる前にあの二人が判断することなんだけど…… 二人とも子供だからなぁ」
「更紗さんは分別ある人じゃないか。だからこそ女優なんて話にまで飛躍したんだし」
「常識ある大人のやることじゃないけどね!」
「特撮俳優は常識外だろう。なにをいまさら」
特撮俳優を目指して、本当に主役の座を射止めた息子を誇らしく思っている大地。
「人としての良識があれば問題はない。だいいち、それをいうなら俺達は子供だった。更紗さんが面倒を見てくれなかったら、蒼真の幼少期、乗り切れたかどうか」
「そうねー。私達、人のことはいえないわねー」
二人して笑い出す。今でも夫婦仲は良いのだ。
「そろそろ映画の収録か」
「収録現場を見に行きたいけど、更紗が嫌がるのよねー」
「俺にはよくわからんが、推しから告白されたらどういう心境なんだ?」
「派閥によるかな」
「君たちの世界は派閥が多すぎるよ」
大地にとっては複雑で奇妙な世界だ。同じ作品が好きでも逆カプなら相容れない世界なのだ。
「ガチ恋なんていっても、推しと恋愛は別物よ。だから更紗も面食らっているわけで」
「どんな結末でもいいからハッピーエンドがいいな。ビターエンドやバットエンドにはしないよう、蒼真に言い聞かせよう」
「そうね。願わくは二人が無事、お互いを傷付けないよう。――難しいわね」
すべては息子次第。二人は自慢の息子が、更紗にとってのヒーローになることを願っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
いよいよ映画の撮影が始まった。更紗は有給をとって参加だ。
大量のスタッフがいるなか、不安で仕方がない更紗。
演技指導みたいなものはなく、助監督の一人が更紗に伝える。
「台本は読みましたね? 立っているだけですが、簡単なようで難しいんですよね」
「そう思います」
「とはいってもマネキン代わりということなので気楽にしてください」
「わかりました!」
幼少の頃の蒼真を思い出す。
ダークウィドウは死んだ弟の面影を、秋月環に見いだして、それとなく彼を助ける敵だ。最後は自らが望んでガントレットストライカー紫雷に討たれる。
はじめて脚本を手にしたとき、確かにダークウィドウで一本同人誌が描けるなと思った更紗だった。
何回かリハーサルを行う。
怪人役のスーツアクターが、実際の台詞まで喋ってくれる。そのあと、声優の声があてられるのだ。
監督が助監督に囁く。
「監督からです。『ダークウィドウになりきってください。幼少の頃の天海ソウさんをイメージして』だそうです。最後はどんな感情を浮かべるか、泣き笑い然とした感じで、ということです」
「難しいですね」
「僕もそう思います。まずはやってみましょう!」
「はい」
本番がスタートする。
「何の真似だ。ダークウィドウ」
「退け。お前の任務は別だろう」
表情一つ変えること無く、怪人に告げる更紗。
倒れている秋月環に目をやる。
弟の面影。
幼い頃の蒼真を思い出し、再会したときを思う。死に別れだったらどう思うだろうか。
同人作家の性だ。キャラの深掘り、解釈はやってしまう。勝手に深い洞察が生まれてしまう。それが同人者だ。いくら「作者はそこまで考えていない」といわれても。
当然更紗は自分が演じることになり、ダークウィドウに関してはどうしても深掘りしてしまっていた。
去って行く怪人。
(そっか)
苦悶の表情を浮かべている環を演じる蒼真。
「何故俺を助けた……」
このとき、更紗は哀しげな、そして儚い笑みを浮かべた。
監督が食い入るように更紗を見詰める。
「二回も私の前から消えるな。ソウ――」
マといいそうになってしまい、慌ててしゃがんで座り込む。あまりに子供の頃の蒼真をイメージしすぎてしまった。
「ごめんなさーい!」
どっと笑いが起きる。さきほどの儚げな女性とはまったくの別人だったからだ。
「いえ。よかったと思いますよ。今の演技は素人とは思えません」
怪人役のスーツアクターが更紗を慰める。
健太がけらけらと笑っている。
監督が立ち上がり、助監督二人を引き連れて近寄ってきた。
「いい表情だった。台詞さえ間違わなければ完璧だったよ」
「申し訳ございません」
「サラさん。俺の子供の時を思い出しただろう」
立ち上がってジト目の蒼真。子供扱いは嫌なのだ。
「子供の頃から面識があるのかね? 君たちは」
「生まれてから関東に引っ越すまで、実の姉ともいっていいぐらい、面倒をみてもらっていました」
親代わりとは絶対言わない蒼真だ。
「なるほど。ダークウィドウにはまり役なわけだな。あの表情も納得できますね」
助監督も納得したようだ。
「君はダークウィドウをどう解釈したのかね」
「もう二度と逢えない弟を、敵とはいえ環のなかに見いだしたのです。いずれ来る運命を悟りつつも、嬉しさが優ったのかなって」
「その解釈でいい。だからあんな表情を浮かべたんだね。実際のソウ君の子供時代を知っているから」
「はい」
消え入りそうな声の更紗。
「あの表情は良かった。自信をもってやってくれたまえ」
監督にそう励まされ、撮影が再開となった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「何の真似だ。ダークウィドウ」
「退け。お前の任務は別だろう」
表情一つ変えること無く、怪人に告げるダークウィドウ。
倒れている秋月環を冷然と見下ろしている。一切の感情がない。
去って行く怪人。
苦悶の表情を浮かべる環をずっと視線を注いでいる。
「何故俺を助けた……」
ダークウィドウは哀しげな、そして儚い笑みを浮かべた。
「二回も私の前から消えるな。サトル」
「誰と勘違いしている……」
ダークウィドウから表情が消えた。
帽子のつばに手をかけ、目線を隠す。
「秋月環。――お前は死ぬな」
「待て! ダークウィドウ!」
悠然と振り返り、石造りの通路に消えるダークウィドウを見送るしかできない秋月環だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「カーット! オッケーだ。いい画になったな」
「いいですね。実際の知り合いだからこそできる演技ですか。実の姉同然とは、ソウ君も思い入れが凄いですよ」
「垓君が連れてきてくれたんだよ。コネ枠とはいっていたが、なかなかどうして。キャラクターの掘り下げもちゃんとしている。普通に使えるよ」
普通に使える。
褒めているようには聞こえないが、女優に向けては最大の褒め言葉だ。
「このスタッフのなかで震えてもいないし、いいですね彼女」
助監督も納得する。
この現場には蒼真、健太、垓、そしてメイク担当の美田がいるのだ。
すでに見知った顔が多いことから、更紗も自然と演じることができたのは幸いだったのだろう。