7.花開くあまてらす
帰り際、澪とあまてらすは会話をしなかった。澪が酸素不足に耐えかねてキャンディを口にすると、身もだえするほどすっぱい味が口いっぱいに広がった。
「何か食べる? 見て、あそこのドーナツ屋すっごくおいしいんだよ。特に桜もちドーナツ最高」
あまてらすも気に入るだろうと、ドーナツ屋に連れて行こうとした。だがあまてらすは、
「私はドーナツは好きじゃないんです。あれだけはお金を積まれても食べたくないです」
とだけ言って、それきり黙ってしまった。
家に帰ってもあまてらすは無言だった。澪が強めの口調で「どうしたあまてらす、話を聞くぞ」と言うと、彼女は部屋をばたんと閉めてしまった。それから数日あまてらすはほとんど澪の前に姿を見せなかった。「やれやれ、あまてらす姫の天の岩戸作戦か」と澪はうんざりしながら、ビールとナッツをむさぼり、ため息をついた。
三日目の朝、澪は強行突破しようとほうきを持ってあまてらすの部屋の前に立った。
「あー、あー、あまてらす君。そろそろ観念したまえ。出てこないとドアを打ち破るよ」
立てこもり犯を説得する警察官のように、部屋の中まで響く大声で澪は言った。すると、ゆっくりとドアが開き、赤い目をしたパジャマ姿のあまてらすが恨めしそうな顔で出てきた。
「何なんですか、澪。放っておいてくれませんか」
「そういうわけにもいかないよ。ほら、朝ごはんできてるよ」
あまてらすの手を引っ張って、リビングへ連れ出した。そこにはお湯を入れたカップラーメンが二つ置いてある。あまてらすは、はあとため息をつき、
「朝からカップ麺なんて、澪は本当に生活力がないのですね。全く残念な人です。この部屋だって誰が片づけたと思っているんですか」
と悪態をついた。澪はその態度を見て、減らず口を叩く元気があるのなら大丈夫だと少し安心した。
「まあまあ、君の気持ちもわかる。でもありがたく食べなさい。カレー味とシーフード味、どっちがいい」
あまてらすはシーフードを無言で指さした。澪は、カレーヌードルを食べながら、あまてらすにひきこもるわけを尋ねた。彼女は首を横に振り、
「私のやり方は本当に間違っていたのでしょうか。警察に言えば即解決でした。自分たちで母親を探しに行った結果、商店街の人に迷惑をかけてしまいました。らなちゃんも見つかったからいいものを、もし誘拐犯にでも捕まっていたら……。物事を解決するなら、最もスムーズな方法を目指すべきではないでしょうか」
澪は、あまてらすの言い分の正しさは認めようと思った。彼女には彼女のやり方、筋の通し方があり、変えたくない気持ちもわかる。しかし考えを押し通すだけでは人は動かないし、幸福にはなれない。どうやってそれを伝えたらいいか、ラーメンを食べながら考えあぐねた。
「とにかくさ、人の気持ち最優先で行くのがいちばんいいんだけどね。行動する前に、みんながどう思っているのか、一歩立ち止まって考えてみる」
あまてらすは少し悲しそうな顔をして、
「私には……まだ人の心がわかりません。どうしたらいいのですか」
と言った。澪は、
「今度同じことがあったら次に間違わないように、まず相手が何を思っているのか、何をしてほしいのか考えてみな。それだけでも全然違うから。あまてらすの正義感は大切だ。まっすぐな性格も素敵だよ。今度はそれにひとつまみの優しさを加えてほしい。そうすれば前よりもっとうまくいくと私は思うよ」
ラーメンをすするあまてらすの頭をぽんぽんと叩いた。彼女はラーメンの容器に顔を突っこんで、気恥ずかしそうにしている。
「カップ酒呑むか」
と言って、澪は棚の中から、酒を取り出し笑顔であまてらすに勧めた。すると彼女は、
「どさくさにまぎれて私を悪の道に引きずり込もうとしないでください。私は自分を少し改めようと思います。ですから澪も生活態度を改めてもらわないと。今日から、澪の生活を考えて厳しくいこうと思います。覚悟してくださいね」
その顔はどこか今までより晴れやかで、柔らかいものだった。澪が立ち上がり、窓を開けると、さわやかな風が吹き抜けてきた。季節は初夏になろうとしていた。