6.迷子事件
その後は安定した日々が続いた。澪はあまてらすの感情を引き出すために、色々なところに連れて行った。海の見える丘や図書館、電波塔など、彼女にいい影響を与えられる場所を選んで連れて行った。あまてらすの感情は日に日に、枝葉のように分岐していった。
しかしやはりあまてらすの一番のお気に入りは、近所の公園だった。
「ブランコ乗ったことないでしょ。乗ろうよ」
と言って澪は彼女をブランコに誘った。よくよく考えると澪もブランコに乗った記憶がない。
あまてらすを座らせ、澪は彼女の背中を軽く押した。ブランコはゆっくりと前後に動き出す。
次第に加速がつき、あまてらすの体は高く舞い上がった。彼女の長い髪が風になびいて、美しく空に映える。澪がさらに背中を押すと、彼女は天空に届きそうなほど空中を飛んだ。楽しいか聞くと、あまてらすは目を閉じて「はい」と頷く。彼女は何かから解放され、満足げな表情を浮かべていた。隣のブランコに澪も乗り、しばらく二人でブランコを漕いだ。近くを通りかかった子供たちが、不思議そうな目で澪たちを眺めている。大人がブランコを漕いでいるのが珍しいようだ。
ブランコを降り、ふと公園の入口を見ると、泣きながら歩いている女の子が澪の目に入った。あまてらすがすぐに駆け寄り話を聞けば、母親とはぐれてしまったらしい。
「ママとはどこまで一緒にいたの」
澪がそう聞くと、女の子は商店街で買い物をしている途中に母親を見失ったようだった。それから一人で母親を探していたら、いつの間にか公園まで来てしまった。澪は泣く女の子をできるだけなだめ、母親を探すことにした。しかし、
「こういう場合、重大な事故につながりかねないので、まず警察に連絡しなければなりません。私たちだけで解決するのはよくないと思います。私は研究所で、自分勝手な行動は慎むように言われました。問題があったらすぐ報告せよと繭次長にも言われました。私は警察に指示を仰ぐべきだと思います」
とあまてらすは硬い表情で言う。久々の軍人あまてらすだ。彼女の瞳は正義感に満ち溢れており、自分の主張を貫こうとする強さが見てとれた。だが最適解を求めるあまり、「人間の心」の視点がすっぽりと抜け落ちていた。澪は面倒に感じながらも、慎重かつ穏便に彼女の話を聞いた。あまてらすの正義感が間違った方向に行かないように、コントロールしなければならなかった。
「そんな大ごとにするのはよくないよ。この子だってママに会えればそれでいいんだから、買い物をした場所を探してみよう。まず私たちでやってみて、だめだったら、警察に相談しよう」
と言った。しかしあまてらすは譲らない。
「警察に行けば全てすぐ解決するんですよ。なぜそうしないのです」
女の子の腕を強く掴む。女の子は「痛い」と言って腕を払った。しかしあまてらすはなおも強硬に腕を掴もうとした。女の子はあまてらすを怯えた目で見ている。あまてらすは「自分をどこかへ連れて行ってしまう怖いモンスター」だった。それを察した澪は、二人の中に割って入る。けれども女の子はわんわんと泣き出し、公園の外へ走って行ってしまった。あまてらすはその後姿を呆然と見ている。
「早く追いかけて」
澪の言葉に我に返ったあまてらすは、女の子を追いかけて公園の外を捜すが、どこにも見当たらない。あまてらすはすっかり冷静さを欠き、消沈している。
塞ぎこむあまてらすの背中を押し、二人は商店街を探すことにした。夕方の商店街はにぎわいを見せ、学校帰りの学生や主婦、お年寄りなど、さまざまな人が集まっていた。澪は道行く人に小さな女の子を見なかったかと聞いて回る。しかし商店の人たちは、心当たりがないようだ。打つ手のない二人が途方に暮れていると、浅田が鼻歌を歌いながらこちらに向かってきた。
澪は浅田を呼び止め、事情を説明した。
「僕は商店街の西の方を探すから、二人は東の方を探して」
と言って、浅田は急いで西へ向かった。
澪とあまてらすは商店街の東側を探し始めた。澪は再び道行く人に声をかけ、小さな女の子を見かけなかったか尋ねる。あまてらすもまた、冷静に周囲を見渡しながら情報を集めようと努力していた。
「もしかしたら、あの子はお店の中にいるかもしれない」
二人は商店街の小さな店々を一つずつ訪れ、女の子の特徴を伝えながら手分けして捜した。しばらくして、澪が路地裏に入ると、泣き疲れて座り込んでいる女の子と子犬を見つけた。澪は急いであまてらすを呼び、二人で女の子のもとへ駆け寄った。
女の子は泣きじゃくっている。見知らぬ子犬が彼女の泣き顔をぺろぺろと舐め、慰めていた。
澪が手を差し伸べると、彼女は不安な表情を浮かべながらも、しっかりと澪の手を握った。
犬も連れて行っていいかと子犬を抱きしめ聞くので、澪は「いいよ」と軽く頷いた。あまてらすが合流し、女の子に声をかけようとすると、彼女は澪の後に隠れてしまう。それを見たあまてらすは、話しかけるのをやめ、静かに後から澪たちについて行った。
「浅田さん、いたよ」
澪がそう言うと、浅田はほっとしたように近づいて来る。そして、
「商店街のインフォメーションセンターでアナウンスしてもらおうか。お嬢ちゃん、名前はなんていうの」
浅田はかがんで女の子の頭をなでながら聞いた。すると女の子は元気な声で、
「諏訪山らな」
と言った。澪たちはインフォメーションセンターに行き、事情を説明した。すると即座に、「迷子のお知らせ」が商店街中に響き渡る。母親が見つかってくれればいいと澪は祈る気持ちだった。あまてらすも不安気な表情をしているが、きっと同じ気持ちだろう。
浅田は紙袋から飴を取り出し、らなに渡した。らなはすっかり笑顔になり、浅田やインフォメーションセンターのスタッフと楽しそうに話したり遊んだりしている。犬のコロちゃんも尻尾を振って楽しそうだ。
一方のあまてらすは、パイプ椅子に座ると、そのまま微動だにせず、話しかけても上の空だった。自分の不甲斐なさと、女の子に拒否されたことで、大きなダメージを受けている。
「らなちゃん」
しばらくして母親がようやく現れた。らなは泣きながら母親に抱きついている。その光景を見て澪は心底ほっとした。浅田やスタッフたちも同じ気持ちだったのか、うっすらと涙を浮かべている職員もいた。
「このお姉ちゃんたちが助けてくれたの」
そう笑顔で澪たちを指さすらなに、あまてらすは戸惑いを隠せないようだ。事を大きくしてしまった自分は、礼を言われる立場にないと思っているように見えた。
母と娘は礼をして、インフォメーションセンターから出て行った。あとに残った澪たちも礼をしてその場を去った。
「あまてらすちゃんはずいぶん元気がないね。大丈夫かい」
あまてらすはこくんと大きく無言で頷く。浅田は笑って、
「誰にでも失敗はあるさ。次に生かせばいいんだよ。ま、今はとにかく悩むといいさ。答えは自分でみつけなきゃね、頑張って」
と言って、紙袋の中からレモンキャンディを二人に渡した。