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5.変わる世界

 澪とあまてらすは、生活に必要なものを買い揃えるために連日街に出た。洋服や生活用品、必要家電などを次々と買っていく。お金は全て研究所が出してくれるので、澪は心置きなく買い物を楽しんだ。

「じゃ、次は服を買いにいこう」

 あまてらすの表情も心なしかゆるやかだ。

「好きな服を三着選んでいいよ」

 無表情で一時間近く悩んだ挙句、選んだのはメイド風の服、ゴシックロリータ風の服、それと地雷系のファッションだった。

「あんた素質あるわ……。メイドとゴスロリはいいけど。地雷系はやめておいたら。あと一着はわたしが選ぶよ。うーん、この普通のシャツとジーンズでいいか」

 試着室でゴスロリファッションに着替えさせた。 

「うぉっ、かわいいじゃん。ほらほら、鏡見て!! 」

 あまてらすは鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと見た。すると初めは無表情だったが、三分ほどじっと見ているうちに、顔が柔らかくなった。と思ったら、柔らかいを通り越して、ニヤニヤし始め、しまいにはデレデレ顔になった。

「何その顔……でもいい表情だよ。自分を見て感想をひとことお願いします」

「ええと、これはどういう……感情なのでしょう。わかりません」

「かわいいって感じ。わかるかなぁ、カワイイ」

「カワイイ……。カワイイ……カワイイ……。何となくわかってきました」

と言って澪はにやりとしたが、こうカワイイを連発されると恥ずかしくなる。

 あまてらすは感情や世界を形容する言葉を持っていなかった。だから感情が乏しく無表情に見えるのだ。彼女の「感情教育」は街に出て世界を認識するところから始まった。そしてあまてらすは、スポイトのように感情を吸い上げていったのだった。あまてらすの感情が引き出せるなら、洋服代三万円も安いくらいではないか!

 帰り道、公園を歩いていると、あまてらすが花壇を指さし花の名前を聞いてきた。花壇には、パンジーやビオラがつつましく可憐な花を咲かせている。

「この花……」

 きれい、と言いたいのだろうか。だが、彼女の中に語彙はあっても、感情とうまく結びついていない。言葉となって表出するにはもう一歩だ。しかし澪は彼女の感情の芽吹きを感じ、素直に驚いた。

「花って、きれいだよね」

「きれい……。きれいとはどのような感情ですか」

 心の中にある、感情の水脈をなんとか探りあてたいともがいている。かすかな灯りを頼りに、あまてらすは世界の端をつかもうとしていた。

「きれい、美しいというのは、人間にとって普遍的な感情なのですか」

「そうだね。花は美しい。空も美しい。土も美しい。世界はほんとうは全て美しいんだ。心を開いて見ればね」

 澪は思ってもいないことを口にしている自分に驚いた。今までそんなことを考えたこともなかったのだ。しかし口に出してみると、昔から自分が考えていたことのように思えた。そして言葉にする前と後では、もう違う人間になっていた。

 あまてらすは空を見上げた。ただそこにある空が美しいとはどういう感情なのだろう。ただそこにある花が美しいとは。

「まだ私には十分理解できたとはいえません」

 手を天にかざし、手のひらに光のプリズムを受け入れる。

「いいんだよ。理屈じゃないからね。コンピューターのように割り切れるわけじゃないのさ」

「うつくしい、きれい、カワイイ……なんとも不思議な感覚ですね」

 あまてらすは公園を歩き回る。見るもの全てが新鮮に見えた。平面だった世界が色を持ち、立体的に見えてきた。

「あ、あの人は何をしているのですか」

 指さす方向には、水飲み場で顔を洗うホームレスがいた。きれいとはいえない身なりをして、緩慢な動作を行う姿に、あまてらすは興味を惹かれたようだった。

 澪は簡潔に、彼が社会的にどういう立場の人間であるかを説明した。人生は決して順風満帆ではないこと。ふとしたきっかけで転落したり這い上がったりすることなどをかいつまんで話した。

「なるほど。太陽と夜のように、この世界には明るい部分と暗い部分があるのですね。とても勉強になります」

 陽だけで満たされた世界も、その逆もない。幸不幸、美しいものと汚いもの、それらは半々のハイブリッドだ。

「きれいとは違う感情。この感情に名前をつけるなら何と言えばいいのでしょう」

 あまてらすは胸のあたりを二,三度撫で、何とか感情を咀嚼しようとしていた。彼女は自分の世界を取り巻く、さまざまな事象を見渡してみた。整備された街、雑踏、行きかう人々。犬を連れて歩く老夫婦や、けたたましく走り去るトラックの音。街に流れるクラシック音楽やさびれた看板。言い争う声。雲間から見える春の太陽、柔らかく吹き抜けていく風……。それらは研究所では見たことのないものばかりで、白い壁に囲まれた世界とは違った。彼女の閉ざされた扉は、徐々に開かれようとしているのだ。


 あまてらすの感情の芽吹きを見ることができ、今日の外出は有意義だったと澪は思った。しかしいささか疲れてしまった。

 部屋に戻ると、澪はぐったりしてしまった。あまてらすはまだまだ元気が余っている。

「澪、疲れましたか。肩をもみましょうか」

「背中を頼む」

 あまてらすのマッサージはなかなか上手だ。マッサージ屋で働かせて金を稼いでもらおうかと澪は密かにたくらみ、にやにやした。そして一通り澪のマッサージが終わり、今度はあまてらすをマッサージしてあげようと澪は思った。アンドロイドも体が凝ったり痛んだりするのだろうかという疑問は横に置く。つま先から、すね、ふとももとだんだん体の上部を揉む。 

 上半身をマッサージしようと、澪はあまてらすのシャツをめくろうとした。

「あ、ちょっとまってください」

 とあまてらすは澪を止めようとしたが、遅かった。澪は彼女の体にあるやけどの跡を見てしまった。それが軽いものでないことはすぐわかった。見てはいけないものだったと、澪は謝る。するとあまてらすは起き上がり、両手で自分の体を抱えるようなしぐさをした。そして澪の方に向き直ると、力強く澪を抱きしめた。

「澪、何も心配することはありません。これは私が生まれる前にできたやけどなのです。アンドロイドの生成過程で事故が起こりやけどを負ったと、繭所長は話していました」

 あまてらすは穏やかな口調で言った。澪は、まだ自分の知らないあまてらすがたくさんいるのだ、もっと知る努力をしなければいけないと思った。

 その夜、澪が夜中に起きると、あまてらすは昨日と同じようにうなされていた。部屋のドアを開けて中を覗くと汗をびっしょりとかいて苦悶の表情を浮かべている。澪は床に落ちた掛け布団を拾い、彼女にかけた。なぜ毎日うなされているのだろう。やけどと関係があるのだろうか、よほど辛い目に遭ったのか。澪は彼女の背中を優しくさすり、「おやすみ」と言って部屋を出たのだった。

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