たとえこの身朽ち果てようと、いつか君の許へ帰らん
連載作品『幻想恋愛奇譚集』に「不死身の騎士と死霊術師」として収録したエピソードの短編読切版となります。大筋に変化はありませんが、細部で改稿しているところがあります。
夢を見ている。
薄暗い室内で、一組の男女が会話をしていた。
俺はこの家のことをよく知っている。その男女のことも。
――約束よ。
――ああ。……俺は〝不死身の騎士〟だ。たとえ死んでも、お前に会いに行くぜ!
男が馬鹿げたことを言い、女がそれに苦笑した。
男の顔はよく見えたのに、女の顔は闇に覆われて、よく見えなかった。
俺は彼女をよく知っているはずなのに――
†††
(――……んだ?)
俺の名はラック=ベルシ。
この国の近衛騎士として日夜、陛下の居城たるここ王城の守備の任に就いている。
どうやら俺は、ほんの少しぼうっとしていたらしい。
白昼夢を見ていたような気がする。
それは、戦火を免れるために数か月ほど前に俺が王都から逃がした、妻の夢だったかもしれない。
……まあ、今の俺には関係ない話だな。
――ザザッ、と足音が響く。
おっと、仕事の時間だ。
近衛騎士として指折りの実力を持つと自負する俺だが、そんな俺には宿敵と言うに相応しい相手がいる。
それが数日に一度、俺の守る王城の西門にやって来る死霊術師のババアだ。
「今日も来やがったな、ネクロババア!」
俺がそう言うと、黒いローブを全身に纏ったババアは、顔を真っ赤にして金切り声を上げる。
皺だらけのババアは当然、俺の愛する妻とは似ても似つかない。
「誰がババアよ! 私の名前はオーディよ。いい加減に覚えなさい!」
ちなみに、ネクロババアというのは俺が付けたあだ名で、死霊術師とババアを足し合わせただけのシンプルなネーミングだ。
……オーディ? どこかで聞いたような名前だな。
「ああ? そういえば、そんな名前だったか」
こんな類いのやりとりももう、何度目になるかわからないほどだ。
それにしても、毎度毎度よくそんなに本気で怒れるものだと、俺は自分が怒らせている元凶だということを棚上げして感心してしまう。
この邪悪なる死霊術師のババアはいったい何が狙いなのか、頻繁に俺の守る西門を訪れては、俺を含む近衛騎士隊に勝負を挑んできた。
俺は無事だが、もう何人もの仲間がこいつ一人のために命を落としている。
「〝不死身の騎士〟ラック! 今日こそあなたに引導を渡してあげるわ!」
ババア――オーディは俺の二つ名を呼ぶと、配下のゾンビ共を嗾けて来る。
……ひいふうみい……やべっ。怒らせ過ぎたな。いつもより多いぞ。
俺は腰から聖剣を抜き放つと、左手で角盾を構えつつ、ゾンビ共を迎え討つための位置取りを行う。
この剣は、陛下から下賜されたもので、邪悪なるものに強い威力を発揮する破邪の剣だ。
「よっ、ハッ! せいやっ!」
俺は、押し寄せるゾンビの連中を、右手に持った聖剣でスパスパと撫で斬りにしていく。
聖剣の力によって塵と化したゾンビは、二度と復活することはない。
……フハハハハ。ゾンビなど、物の数ではないわ。
「相変わらず出鱈目な聖剣ね」
ババアが呆れたような口調で言うが、俺が聖剣の力に頼りきりみたいに言われるのは癪だな。
この俺も、今の攻防で十数匹ほどのゾンビを屠ったが、息切れ一つ起こしちゃいないんだぜ。
そこの所はちゃんと評価してほしいもんだな。
「……ハン! そろそろ観念して捕まる気になったか?」
そう訊いてはみたが、もちろんババアが素直に頷くなんざ、思っちゃいない。
「そんなのは御免よ。……また来るわ」
遠くからゾンビを操っていたババアは、生気の無い馬に跨ると、あっという間に王城から離れて行った。
「何度だって返り討ちにしてやるぜ」
俺はババアのその背に向かって、余裕たっぷりの声を投げかけた。
ババアを見送った後、俺は右手のガントレットを外して一息吐いた。
五指を開き、手の平を内側に向けて目の前でよく見えるようにする。その表面はまるで酷い火傷をしたかのようで、水ぶくれを起こし、ボロボロになっている。
――痛みは、まるで感じない。
……いつからこうなっていたのか……
思い出そうとしても上手く行かない。
まるで、記憶に靄が掛かっているみたいだ。
「〝不死身の騎士〟が聞いて呆れるぜ……」
この傷のことを、俺は誰にも相談できずにいた。
王国はいま、余裕のない状況だ。
先ごろ、なんとか帝国の攻勢を撥ね退けたのは良いが、彼らがいつまた侵攻して来るかわからない。
俺は疑問を棚上げにして、ガントレットを右手に着け直す。
「……早く、迎えに行ってやらねえとな」
想うのは、今ごろ故郷の田舎で平和に暮らしているはずの妻のことだ。
彼女を王都から逃がすときにうっかり、「死んでも会いに行く」なんて大言壮語を吐いてしまった。そう言ったものの、戦争が終わるまではさすがに動きようがない。
そんな時分に、あんなババア一人にいつまでも手こずっているわけには行かないのだ。
……そう、早くあいつの所へ――……
俺は、久しく会っていない妻の姿を脳裏に思い浮かべる。
――思い浮かべようとした。
†
その日の晩、俺は国王陛下に謁見を願い出ていた。
「ベルシ様、どうぞ」
「ああ、ご苦労」
謁見の間の門番に通され、俺は扉の先へ進む。
それから、玉座のやや手前まで足を進め、跪く。
「面を上げよ」
厳かな陛下の声に従って、俺は顔を上げる。
「余に何か、申したい事があるそうだな」
陛下に促され、俺は唾を飲み込んでから提案を奏上する。
「はい。以前から報告している例の死霊術師を討伐するため、しばらく城を留守にすることをお許しいただきたく」
「ならぬ」
しかし、陛下は一刀両断に俺の奏上を切り捨てた。
……ぐっ。だが、ここで簡単に引き下がるわけにはいかん。
「ですが陛下、あの老婆一人の手にかかって、これまで何名もの騎士が犠牲になっております。このまま放ってはおけません」
そう。あのババアはあれで結構な凄腕なのだ。
俺は聖剣による相性差もあって完封できているが、西門の守備が実質俺一人になっているのは、あのババアのせいなのだ。
しかし、陛下の判断は変わらなかった。
「くどいぞ。其方の役目はこの城を守ることだ。賊の追跡は他の者に任せよ」
「……ハッ。承知しました」
俺は頭を下げ、陛下の前を辞去する。
……仕方ないか。これまで通りやるしかない。
謁見の間を出る直前、俺はもう一度玉座の方を振り返った。
玉座に腰掛ける陛下の姿は、最初から最後まで微動だにしていなかった。
†
数日後、常のごとく王城の西門を守る俺の前に、再びネクロババアが姿を見せた。
「……性懲りもなく、また来やがったか」
俺がそう言うと、黒ローブのババア――名前は、確かオーディだったか――は不敵な態度で俺に人差し指を向ける。
「ラック、今日こそあんたを冥府に送ってあげるわ!」
その自信たっぷりな彼女の姿を見て、ズキン、と頭が痛んだ。
……なんだ? 俺は何か、大事なことを忘れているような……
「……死霊術師に言われたんじゃあ、シャレにならねえな」
俺は歯を食いしばって頭痛をこらえながら、右手で聖剣を抜き、左手で角盾を構える。
「今日はいつものようには行かないわよ」
彼女――オーディがさっと手を振ると、ローブの影から動く屍どもがぞろぞろと姿を現す。
その数、ざっと三十。
前回も多かったが、今回は量・質ともに遥かにそれを上回る。
……どうやら、本気で本気らしいな。
そして、動死体どもの中に、明らかに異質な気配を放つ剣士が紛れてやがる。
――きっと、あいつが本命だな。俺が気づかないとでも思ったか……?
「さあ、お前たち、行きなさい!」
「へっ、掛かって来やがれ!」
オーディの合図に従って、ゾンビ共の群れが左右に列を成して展開する。
――統制が取れていやがる! 厄介だな……!
俺は聖剣に秘められた力の一部を使うことを決めた。
左側のゾンビの列に狙いを定め、なるべく多くのゾンビを捉えられるように聖剣の切っ先を奴らに向ける。
「! 避けなさい!」
オーディが慌てたように指示を出すが、もう遅い!
「〈聖光爆発〉!」
俺の発した合言葉と共に聖剣が発光し、切っ先から聖なる光が迸る。
放射状に広がった聖光はゾンビを捉えると爆発を起こし、次々と屍を塵に帰していった。
……今ので八体はやったか。ババアの合図が間に合っちまったな。
俺は想定より低い戦果に対し、ギリリと奥歯を噛み締める。
今の聖剣の秘技は連発はできない。ここからしばらくは、純粋な剣技のみで奴らを捌かなければならない。
この秘技を見せた覚えはなかったが、さっきのオーディの反応からして、効果を知っていたのは間違いねぇな。
「……そうか。ババア、てめえ。俺の仲間から聖剣の情報を聞き出しやがったな」
そう考えれば納得が行った。
このババアは俺の仲間を何人もその手に掛けてきたはずだ。
あいつらがそう易々と口を割るとは思えないが、死霊術師のこのババアのことだ。どんな非道な手で聞き出したか、わかったもんじゃないぜ。
しかし、ババア――オーディは、まるで心当たりがないと言わんばかりに首を傾げて見せた。
「――……何を言ってるのかしら?」
「とぼけやがって。まあ、いいぜ。結果は変わらねぇからな」
俺がそう言うと、オーディは溜め息を吐いた。
「――ラック、かわいそうにね。今、解放してあげるわ」
彼女はそんなことを宣うが、俺にとっては全く以って意味不明な言動だ。
「あんだ、そりゃあ? ……お前に憐れまれる筋合いはねぇよ!」
俺はそう叫び返しながら、ゾンビを二体まとめて斬り捨てた。
それからは死闘だった。
いつもの俺なら、バッサバッサとゾンビ共を斬り伏せていくところだが、今回はゾンビ共の質が高い。加えて、中に手練れの剣士が紛れていやがる。
ゾンビ共の雑多な攻撃に紛れて、時折俺の命に届きかねない鋭い剣閃が襲ってくる。
何体かのゾンビを斬り伏せた後、それを放つ者の正体が掴めてきた。
隻腕の老剣士。その剣筋は、正当な剣技を修めてきた騎士のものと遜色ない。
何度か切り結んだ結果、俺は彼がゾンビではないと確信した。
……この聖剣で斬りつけても、ゾンビと違って塵にならなかったからな。
「じいさん、片腕でよくやるな! 死霊術師の手先なんかやめて、この国に仕えないか?」
俺がそう言うと、その老剣士は呵呵と笑った。
「ワッハッハ! 片腕はあなたに斬り飛ばされてしまいましたからな! お誘いについては、否とお答えしておきましょう」
「俺に……? おいおい、冗談にしては笑えねぇぜ。じいさんと俺は初対面だろう?」
俺のその言葉に対して、老剣士はフッと寂しげな笑みを見せた。
「――では、そういうことにしておきましょう」
そう言った後、老剣士はすっと右手に持った剣で天頂を指し示した。
すると、ゾンビ共も俺から離れて動きを止める。
……何のつもりだ?
それから老剣士が言ったことは、俺にとって予想外であり、願ってもない申し出だった。
「あなたと、一対一で戦いたい」
そう。老剣士は俺に決闘を挑んできたのだ。
「……そりゃあ、俺にとっちゃありがたいが、いいのかい?」
俺の問いに対して、老剣士が頷く一方で、死霊術師の老婆は明らかに狼狽していた。
……こいつら、打合せとかしてなかったのかよ?
「パール! 話が違うじゃない!」
「すいません、オーディ様。……ですが、私も決着を付けたいのです」
二人は大声で議論をしていたが、結局はオーディが折れた。
ったく、痴話喧嘩なら他所でやってほしいもんだぜ。
「……くっ! 仕方ないわね……。でも、不利になったら手助けさせてもらうわよ!」
「それで結構」
どうやら話はついたらしい。
ぶっちゃけ、老剣士の提案は渡りに船だ。
さっきまでみたいに、ゾンビ達の陰からチクチクとやられる方が、万一がありそうで怖かった。
「……参ります!」
「悪いが、手加減はできないぜ!」
「無論! 気兼ねは不要!」
老剣士は強かった。
剣技だけなら俺と互角だっただろう。
だが、俺には無尽蔵にも思える体力がある。
戦いは徐々に、俺の優位に傾いていった。
――カィィンッ!
俺の聖剣の一振りを受けきれず、老剣士の右手から剣が離れ、くるくると空中を舞った。
そのときにはもう、老剣士はぜいぜいと肩で荒い呼吸をし、息も絶え絶えな状態だった。
「パール!」
死霊術師の悲痛な叫び声が聴こえた。
「あばよ」
だが、俺は敵に掛ける慈悲なんざ持ち合わせちゃいない。
俺は素早く聖剣を袈裟懸けに振り、老剣士に止めを刺そうとした。
――悪ぃな、じいさん。恨んでくれていいぜ。
そのときだった。
老剣士が、ずっと服の袖に隠したままだった左腕を高く掲げた。
このときまで、俺は気づかなかった。
肘から先が失われた老剣士の左腕の断面に、分厚い鉄製の防具が仕込まれていたことに。
――パキィィンッ‼
それは、俺の愛用する聖剣が半ばから折れてしまった音だった。
――なんてことだ。
……これじゃあ、陛下に顔向けができない。
そんな思いが胸を過ってしまったからだろう。
俺はほんの一瞬、呆けてしまっていた。
そして老剣士は、そんな俺の明らかな隙を見逃すような凡夫ではなかった。
「うおぉぉぉっ‼」
老剣士は折れた聖剣の切っ先に顔面を傷つけられながらも、怯みもせずに俺に全身で体当たりを仕掛けて来る。
俺はそれを真正面からまともに食らってしまった。
老剣士に突き飛ばされ、俺は地面に仰向けに転がった。
「オーディ様、後はお願いします……」
老剣士はそう言うとドサッと地面に倒れ込んだ。
その胸には折れた聖剣が突き立っている。
俺が老剣士に体当たりを受けたとき、咄嗟に突き刺したのだ。
「……パール、あなたの犠牲を無駄にはしないわ」
死霊術師オーディの声が、いつもよりずっと近くで聴こえた。
いよいよ勝負を懸けてきたのだろう。
……ひょっとしたら、ここまでが彼らの筋書きだったのかもしれない。
俺は待機していたゾンビ共に両手両足を拘束されて、すっかり身動きが取れなくなってしまった。
いつもなら、たとえ聖剣が手元になくても、数体のゾンビごときに遅れは取らないのだが、ゾンビの質が高いことと、パールとの死闘でダメージを負っていたことが俺に不利に働いた。
……やべぇな。万事休すか。
「……おい、やめろ。こっちに来るな」
俺の制止の言葉を聞きもせず、オーディがゆっくりと歩み寄って来る。
……ああ、俺はこのまま為す術なく、彼女の手に掛かってゾンビにされてしまうのか――
そういえば、彼女の顔をこんなに間近で見るのは初めてのことだ。
意外にも、目鼻立ちの整った綺麗な容貌をしている。
若い頃はきっと美人だっただろう。
よくよく見れば、薄く化粧までしていやがる。
結構な齢だろうに。それでも女ってことか?
――ズキンッ!
……クソッ。また頭痛だ。いったい、何だって言うんだ……
オーディが俺の顔に片手を伸ばし、頬に触れてきた。彼女の温かな体温を感じる。
「やっと、あんたに手が届いた……」
オーディは感極まった様子でそう言った。
敵同士とはいえ、思えば長い付き合いだからな。俺には理解できないが、何かしら感じ入るところがあるらしい。
……まだ、もう少し……時間を稼がなければ……
「……ババアの癖に案外、美人なんだな」
俺が不意にそんな言葉を口にすると、オーディは目を丸くした。
「……驚いたわ。まさか今頃になって口説かれるなんて。――どうせなら、オーディって呼んでくれる?」
彼女も満更でもないらしい。
俺は運気が巡ってきたのを感じ、内心でほくそ笑んだ。
オーディは何かを確かめるかのように、俺の両手両足を含む全身の数箇所に手を触れる。
「オーディ、あんたはいったい何者なんだ?」
俺が訊ねると、彼女は手を止めて俺を見る。その顔に柔らかな微笑を湛えて。
「今さら私に興味が出てきた?」
「純粋な疑問さ」
何かを期待するようなオーディの問いに、俺は誤解の余地のない答えを返す。
「だってなあ、別に西門からじゃなくたって城には入れるだろう? なのに、他の門にあんたが現れたって話は聞いたことがない」
それは事実だった。
西門以外の門に死霊術師が現れたなどという話は、少なくとも俺は一度も聞いたことがない。
それなのに、彼女は俺の科白を聞いて、なぜか表情を曇らせるのだった。
「――あんたがそういう話をしたのって、いつ、誰となんだい?」
それは奇妙な問いだった。
――なぜそれを、あんたに答えなきゃならない?
そんな反発心も生じたが、会話を続けるのは俺も望むところだ。
俺は記憶の中の靄に手を入れる。
「誰とって、そりゃあ――」
だがそこで、俺は答えに詰まる。
――思い出せない。
昨夜か一昨夜にも話したはずの、同僚の騎士の顔と名前が。
俺は突然、激しい頭痛に襲われる。
「……グワァァッ……!」
「ラック! 大丈夫!?」
オーディが気遣わしげな様子で俺の額に手を触れる。
……ああ、彼女はどうして敵である俺のために、それほど親身になれるのか。
俺はこれから起こる事への罪悪感で、胸が潰されそうになる。
――トスンッ
そんな音がしたのは、その直後のことだ。
背中から衝撃を受け、オーディは前のめりになった。
「ラック……?」
――ゴボッと、死霊術師の老婆オーディが血混じりの声を漏らした。
呆然と俺の名を呼ぶ彼女の左胸は、折れた聖剣の切っ先によって背中から貫かれていた。
俺はその一撃が彼女の命に届いたことを理解し、勝利を確信した。
冥土の土産だ。
種明かしでもしておいてやろう。
「悪いな。俺は手元から離れた聖剣を動かせたりするんだわ。今みてぇにな」
それを聞いたオーディは、いっそう激しく血混じりの咳を吐いた。
「私、死ぬのね……」
だが、そう呟く彼女は、意外にも晴れやかな笑顔を見せた。まるで、憑き物が落ちたかのように。
「何笑って――」
「嬉しいわ。この後、どうやって死のうかと思っていたから」
俺の言葉はオーディの差し込んだ科白によって遮られた。
「なんだと……?」
俺は彼女のその科白を訝しむ。
絶体絶命のこの状況で、なぜ笑っていられるのか。
……まさか……
俺の脳裏に一つの嫌な想像が浮かび上がる。
「――もう仕込みは終わってるもの。あなたに殺されるなら、本望よ」
致命的にまずい予感がして、俺はその場から逃げ出そうとする。
しかし、相変わらずゾンビ共は俺をがっつりと拘束し続けており、何の抵抗もできない。
死霊術師の顔が迫って来る。
――やめろ!
俺はそう声を出そうとして、しかし金縛りにあったように口元を震わせることしかできなかった。
やがて、俺と死霊術師の間の距離が、ゼロになる。
生と死の間での接吻。
その口づけは、濃厚な死の予感を振り撒きながら、燃え滾るような生を実感させる、鉄火場のような熱いキスだった。
――これは、何かの儀式のプロセスなのか……?
魔法の知識のない俺には想像もつかない。
ともかく俺は、オーディが口移した彼女の熱い血をごくりと飲み込んでしまった。
「……ゥゥォォオオオッ……!」
その血が食道を伝って胃に下りるや否や、まるで体の芯にカッと火が灯ったかのようで、俺は全身が沸騰するような錯覚を覚えた。
……いや、これは錯覚なんかじゃない。
俺の全身は、四肢の先端からぼろぼろと燃え尽きるように崩れようとしていた。
一方で、俺の四肢を拘束していたゾンビ達は、それよりも先に塵に帰っていた。
「上手く、行ったみたいね……」
横向きに倒れたオーディが満足そうに言う。
「何を……」
――何をした。
そう問おうとして、俺は言葉を失う。
――今にも命を落とそうとしている目前の彼女は、時が経っても昔日の美しさを失っていない。
その瞬間、俺の記憶に巣食っていた靄が晴れた!
――俺は、全てを思い出した。
「……オーディ! 我が愛する妻、オーディよ! あぁ、俺は何ということを……」
手を伸ばす。しかし、その手は身に纏った鎧ごと、先端からぼろぼろと黒い灰になって崩れ去ってしまう。
俺はオーディに近づこうと、必死で身を這いずらせる。
気づけば、涙が滂沱となって流れていた。
「思い出したのね……」
オーディは消え入るような声で言う。
その声に非難の色は全くなかった。
俺は全身が燃え尽きるまでの僅かな間に、記憶の大海を走り抜けた。
†††
帝国との戦争で、王国は初めから劣勢だった。
破竹の勢いで侵攻して来る彼の軍が、王都に到達するのは最早時間の問題だった。
「私だけ逃げるなんて、できないわ」
俺は王都からの離脱を拒むお前を、必死で説得した。
「お前だけじゃないさ。王都から脱出する民の一団がいる。そこに混ざればいい」
「でも、あなたを置いていくなんて……」
頑固なお前を説き伏せるのは本当に大変だったよ。
「なに、陛下も負け戦を続けるほど愚かじゃない。戦争が終われば、また会えるさ」
「約束よ」
「ああ」
お前を安心させるため、俺は冗談めかしてこう言った。
「なんつったって、俺は〝不死身の騎士〟だ。たとえ死んでも、お前に会いに行くぜ!」
縁起でもない、ってお前は苦笑いしてたな。
俺は、最も信頼できる従士にお前を託すことにした。
「パール! オーディをよろしくな!」
「は、はい! 奥方様を必ずお守りいたします!」
実直で素直なあいつは、ちゃんと俺の信頼に応えてくれたみたいだな。
それから俺は王城の西門の守備に就き、そこで命を落とした……。
陛下は降伏をよしとされなかった。
籠城戦は決死戦となり、最後の一兵まで戦ったんだろう。
それから何が起こったか――そこのところは、実はお前の方が詳しいんじゃないか?
†
――えぇ、知っているわ。
死霊術の師匠に教えてもらったもの。
この国を明け渡したくなかった陛下は、死霊術の禁忌に手を出された。
王城を媒介として、王都を冥界とつないだのよ。
それによって、王都は亡者のはびこる魔都に変わった。
帝国は……諦めて手を引いたわ。
そこだけは、陛下の望み通りになったわね。
私は死霊術を学んだ。
王都で何が起こったのかを知るため。
そして、あなたの魂を本来あるべき場所に還すため。
……才能がなかったから、とっても苦労したわ。
まさか、五十年もかかるなんてね。
あなたは私のこと忘れちゃうし。もう、嫌になっちゃう。
何度諦めようと思ったことか。
でも、私にはあなたを忘れるなんてできなかった。
……これからたくさん借りを返してもらうから、覚悟してね。
†††
なんとかオーディの傍に辿り着いた俺だが、崩れ落ちた両腕では彼女に触れることさえできず、ただ寄り添うばかりだ。
「俺はずっと、幻を見ていたんだな。陛下ももうお亡くなりに……」
オーディは横向きに倒れたまま、力なく頷く。
俺も倒れ込むようにしてそこに並び、彼女の目と目を合わせる。
「ひどい顔」と彼女が笑う。……仕方ないだろう。
オーディは震える手を伸ばし、再び俺の頬に触れる。
……もうその手から、先ほどのような熱を感じることはない。
それが、たまらなく悲しい。
「……パールにも、悪いことをしちゃったわね。……きっと、この結果には、満足してくれると思うけど」
オーディのその言葉を聞き、俺の胸に慙愧の念が湧き上がる。
このときには、俺の体で残った部分は腰から上だけだった。どうやらもう、時間は残されていないらしい。
「……あの世で会ったら、謝らないとだな。……はあ、自分で自分が情けない……」
俺は努めて明るい声を上げたが、終いには尻すぼみになってしまった。
一秒でも長く、彼女と一緒の時間を過ごしたい。そう願った。
「私も、一緒に謝ってあげる。同罪だもの……」
掠れるようなオーディの声を聞いて、俺はパッと笑顔になった。
「そうかい? そいつは……――」
――……しかし、俺の今世での意識は、そこで途絶えた。
――彼女の掌の中で逝けて、良かった。
「ラック……? もう逝ったのね。私も――」
最期に、彼女のそんな声が聴こえたような気がした。
†
二刻後、呪われた亡国の城を訪れる一団の姿があった。
長年、魔都の呪いを解こうと奮闘してきた高名な死霊術師を支援してきた団体の者たちだ。
彼らは事前にその死霊術師に頼まれていたのだ。
「一刻経って戻らなかったら、様子を見に来てほしい」
と。
それは死霊術師が魔都に赴く際の恒例行事だった。
そして、その約束が履行されるのは、今回が初めてのことだった。
慎重な彼女は魔都に長居することなく、いつも必ず一刻以内に戻っていたから、今回、彼女が戻っていないことを知った一団の面々は大層驚いた。
「〝不死身の騎士〟がいたら勝ち目はない。その場合は、あの御方の生死が確認でき次第、撤退だ」
代表の男の言葉に一同は頷く。
一同の中にも腕に覚えのある者はいたが、聖剣を持つ彼の亡霊騎士は別格だった。
「……いないな」
やがて王城の西門が見えて来たが、彼らが亡者に襲われることは一度もなかった。
「隊長! こちらに先生方のご遺体が!」
先行していた斥候の男が、その場に二つの死体を見つける。
一人は死霊術師の老婆、もう一人は彼女に付き従っていた老剣士のものだった。
「これは……奴の聖剣か」
一行は二つの遺体から死因となった凶器を取り出し、およその事態を把握する。
「……命と引換えに、彼の騎士を倒されたのですね」
横向きに倒れた老婆は、微笑を浮かべ、まるで安らかな眠りに就いているかのようだった。
〝不死身の騎士〟ラック=ベルシは、魔都と化した亡国の首都を攻略する上で最大の障害となっていた。
帝国が彼の討伐のために出した報奨金の額が、その障害の大きさを物語っていた。
この老婆らが成し遂げた功績は、それほどに大きい。
代表の男は、彼女に代わって報奨金を申請しようと決意する。
そして、死霊術師オーディ=ベルシを手厚く弔って、その功績を世に知らしめるのだ。
余った金は、これから魔都を解放しようとする者達の支援に回せばいい。
彼は、それまでずっと魔都の上空に立ち込めていた暗雲が晴れ、雲間から差す陽光がその前途を祝福しているかのように感じた。
(完)