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8運命図

 三連休二日目の早朝、私は昨日の内に買って置いたお土産のパンを用意して、ヒガンの合図を待った。昨日は、急いで帰された感じがしたので、今日もヒガンから合図があるか心配だった。私が鏡台の前で今か今かと待っていると、鏡にヒガンが映った。何故かひどくやつれている。顔は青ざめ、目の下にはクマが出来ていた。ヒガンは昨日と同様に私に手を伸ばした。私が鏡に触れるとヒガンは私を引き寄せた。また水をくぐるような感覚の後、気づくと私はヒガンの家にいた。転移魔法で、この程度の身体の負担ならかなり快適な部類だと思う。時に転移魔法は、目がぐるぐるに回ったり、失敗すると身体が千切れたりと、危険なものも多い。そう考えると、ヒガンの魔法技術がいかに優れているかがわかる。そして、その優れた魔法使いは、私の目の前で、げっそりとした表情で立っていた。

「おはようございます。あの、どうしたんですか?」

聞かずにはいられず、私はヒガンに尋ねた。

「おはようございます。気分が悪いのです」

ヒガンは消えそうな声で答えた。

「何かしてたんですか?」

ヒガンはすぐには答えなかった。口元に手を当て、考える仕草をした。ヒガンはそのままの姿勢でなかなか動こうとしなかった。馴れ馴れしく質問し過ぎたかと私が不安になり始めた頃、ヒガンはようやく口を開いた。

「反面教師というのも、悪くないでしょう。私は身の程をわきまえないことをしたのです」

ヒガンはそう言うとテーブルの上を指した。薄い盆のようなものが置かれている。私はヒガンに促されるまま、盆を覗き込んだ。そして、私は驚いた。薄い盆かと思っていたそれは、覗き込むと深い穴のように見えた。その穴の中に細かい何かがうごめいている。

「何に見えますか?」

「え?」

私は、不快なものを見たような顔をしてヒガンを見た。ヒガンは、私の表情を見て、不思議そうな顔をした。

「何に見えましたか?」

ヒガンは恐る恐る私に尋ねた。

「卵から(かえ)った子蜘蛛(こぐも)ですよね? 気分が悪くなるのも当然です。ヒガン様はこんなものをテーブルに置いて何をなさるつもりだったんですか?」

ヒガンは石のように固まった。そして、フーッと長く息を吐いた。

「なるほど。確かに」

ヒガンは穏やかな目つきになった。

「申し訳ありませんが、私は少し休憩します。このお盆の説明は後程致しましょう。あなたは、書庫で読書に(はげ)んでいてください」

ヒガンが盆に視線を移すと、盆は消えた。そして、暖炉(だんろ)に火が入ったかと思うと、鍋で何ががふつふつと煮えていた。そうかと思うと、鍋は空になり、いつの間にかヒガンの手には、湯気が立つ器があった。爽やかな薬湯の匂いがした。ヒガンはそれを飲み干した。ヒガンの手から器が消えた。

「それでは」

ヒガンはそう言うと、書庫のある方へ向かった。私はその後を追った。ヒガンは書庫と反対側にある部屋に入りかけて、追ってきた私を振り返った。

「この部屋が私の寝室です。急用の際は叩き起こして頂いて構いません。それでは、しばし、失礼しますね」

ヒガンは寝室に入った。廊下に取り残された私は、一旦居間に戻った。そして、テーブルを手で撫でた。滑らかな木の表面に魔法の気配は微塵(みじん)もなかった。次に私は暖炉を覗き込んだ。火の気配も焦げの臭いもない。魔法の残り香さえなかった。

「天才か」

私は思わず(つぶや)いた。私はゆっくりと息を吐くと、書庫に向かい、ヒガンの言うとおり、読書に励むことにした。今日も永久魔法について読んでみよう。昨日はくだらないと言って途中で止めてしまったものもちゃんと読んでみよう。意外と大事なことが書かれているかもしれない。

 私は午前中いっぱい永久魔法関連の研究書を読んで過ごした。当初の予定通り、くだらないと一蹴したものもしっかりと読んだ。何故そのような考えに至ったのか、想像しながら読むと案外面白かった。読書の間、時折背後で図書霊の気配がした。こちらの様子を伺っているのだろうか。しかし、読書の邪魔というほどではなかったので、私は放っておいた。

 昼になり、お腹がすいた私は居間に戻った。パンの入ったかごは鏡台に置いたままになっていた。そろそろヒガンを起こそうか。しかし、ヒガンの寝室に入るのは躊躇(ためら)われた。私はパンのかごをテーブルの上に移動させ、席についた。パンの芳ばしい香りが鼻をくすぐった。私はヒガンを待ちながらいつの間にかうとうとし始めた。

  暖炉に火が入った気配がし、私ははっと目を覚ました。と、私の目の前にスープが入った器が置かれた。白い湯気が立っている。

「こちらのパンは、あなたと私の昼食ということでよろしいですか?」

いつの間にか私の傍に立っていたヒガンが言った。ヒガンの顔色は見違えるほど良くなっていた。目の下のクマも消えている。私はこくりとうなずいた。びっくりして声が出なかった。私は暖炉を確認したが、既に火の気配はなかった。

「トウモロコシのスープですよ。パンに合うと思います」

スープに視線を戻した私にヒガンは言った。ヒガンは皿を並べると、私の向かい側のイスに座った。

「あなたは、葡萄(ぶどう)のパンが好きでしたね。私の分もありますか?」

ヒガンに聞かれ、私は目を丸くした。

「どうして、そう思ったんですか? 私はパンの感想は述べましたが、どれが好きかまでは言ってませんよ」

ヒガンはふふっと笑った。

「葡萄のパンの説明が一番熱がこもっていましたからね」

「あー、なるほど」

私は納得した。

「もちろんヒガン様の分もあります」

私は葡萄のパンの包みを二つ取り出すと、ヒガンと自分の皿に置いた。私たちは手を合わせると、パンを食べ始めた。やはり葡萄のパンは美味しい。ヒガンが用意したトウモロコシのスープとも良く合った。私がヒガンの方を見ると、ヒガンはまだ半分も食べていなかった。

「思ったより素朴な味ですね。ホットチョコレートの方が合いそうですね」

ヒガンの皿の近くにホットチョコレートが現れた。ヒガンはホットチョコレートに葡萄のパンをつけながら食べた。どうやらヒガンは味付けがしっかりとしたものがお好みのようだ。葡萄のパンは素材の味を楽しむパンである。人によっては物足りなく感じるのだろう。

「今日は何の本を読んでいたのですか?」

ヒガンが私に尋ねた。私は今日読んだ永久魔法の研究書について話した。

「何故、永久魔法の研究はここまで盛んだったんでしょうね?」

ふと疑問に思い、私は尋ねた。

「国家事業として取り組んだ国もありましたからね」

ヒガンは答えた。

「どうして国が関わるんですか?」

「どうしてだと思いますか? ろくでもないことですよ」

「まさか、戦争に勝つため?」

「その通りです。魔力切れを起こさない魔法銃や魔大砲などの魔法具があれば、戦争を有利に進められます。その為に永久魔法を研究していた国がありました」

「どこの国ですか?」

「いくつもありましたよ。この国もその内の一つです。だから、国家に魔法使いは関わるものではありません。力を悪用されて終わりです」

「その通りですね。激しく同意します」

私が言うと、ヒガンは深くうなずいた。

「時に、この国の北にある国は強大な魔法戦士団を有しています。この国はいつも北側の国に怯えています。ですから、この国がもしまた永久魔法の研究を始めようものならば、私たちのような野良魔法使(のらまほうつか)いは気を付けなければなりません」

ヒガンの言葉を私は意外に思った。

「え、でも北側とは国家間の交流はほとんどないじゃないですか。商人や移民が時々この森をこえて流れてくるくらいで」

ここ数十年、この国は戦争をしていない。北側の国とは不可侵条約を結んでいるし、公にはお互いに干渉しない関係を続けているはずだ。

「ええ。そうですね。しかし、不測の事態というものは、あるのですよ」

ヒガンは空の器を脇に避けた。器は、音もなく消えた。ヒガンは空いたところに組んだ手を置いた。

「有事の際、野良魔法使いは、王国魔術師団か派遣魔法師団のどちらかに属さなければならない決まりがあります。野良魔法使いは特別な魔力探知によって召集され、選択を迫られます。もちろんこの森には魔力探知を妨害する力がありますから、私が召集に応じることはないでしょう。問題はあなたです」

ヒガンは鋭い眼差しを私に向けた。

「この国の大半の人間は魔法を使います。しかし、その大半の人間は魔法使いと呼ばれることはありません。何故だと思いますか?」

ヒガンに問われ、私は考えた。一般的に、王国魔術師団か派遣魔法師団に属する人々が魔法使いと呼ばれ、私のようなパン屋の売り子は、魔法を使っても魔法使いと呼ばれることはない。

「大半の人間は、物を運んだり、明かりを灯したりする程度の生活魔法しか使わないからですか?」

私が答えると、ヒガンはうなずいた。

「その通りです。そして、あなたが私に師事するということは、生活魔法以上の知識と技術を手にすることになり、あなたは、野良魔法使い扱いになります。この森の外に出ればあなたは魔力探知にかかるでしょう。それでも良いですか?」

それは、厄介だ。今は平和そのものだがいつ何が起きるかわからないのも事実だ。と、私はあることに気がついた。

「少し話がそれますが、ヒガン様は(ほうき)にまたがって空を飛べますか?」

ヒガンは訝しげな表情を浮かべたが、答えた。

「ええ、そういう飛び方も出来ますよ。異国の魔法使いの飛び方なので、この国ではやりませんが」

「箒で空を飛ぶことは、生活魔法ですか?」

私が尋ねるとヒガンは察したようだ。まさか、と呟いたあとに苦笑した。

「箒で空を飛ぶのは、この国では生活魔法と言いません。あきれました。あなたは、私に師事する以前から既に野良魔法使いだったのですね。いいでしょう」

ヒガンは肩の力を抜いた。

「またしても覚悟が足りないのは私の方でしたか」

その後は、二人で残っていたパンを食べきり、片付けをした。片付けをしたと言ってもヒガンの魔法によっていつの間にかパンの包み紙もスープの器も消えてしまったのだが。

「そういえば、疑問なんですが、この森に魔力探知が効かないのは、ヒガン様が魔法をかけているからですか?」

「いいえ、違いますよ。あなたが帰る前に今日はそれをお見せしましょう」

ヒガンは謎めいたことを言った。

「では、北の国がこの国に侵攻して来ないのはこの森のせいですか? あちらの国は強力な魔法戦士団がいるんですよね。それなのに、何十年も前に結んだ不可侵条約を守っているのは、この森が何らかの理由で攻めにくくしているということですか?」

するとヒガンはうーんとうなった。そして、言いにくそうに口を開いた。

「北の国の侵攻がないのは、森のせいではありませんよ。それは、そのですね、おそらく私のせいです」

えっ、と私が声を上げると、ヒガンは肩を落とした。

「昔々、あちらの国で色々ありましてね。私は恐れられているのですよ。あちらの国の人々は魔女のヒガンがこの森に住みついたことを知っているのです」

一体何をやらかしたんだ。私は心の中で思ったが、聞くのは控えた。言いにくそうにしていたことをつつくのは、なりたての弟子がしていいことではないだろう。

「そうでした!」

突然、ヒガンは手を打った。

「これの説明がまだでしたね」

ヒガンがテーブルの上を見下ろすと、薄い盆がテーブルの上に現れた。今朝の蜘蛛の子を集めた盆である。私があからさまに引いていると、ヒガンは苦笑した。

「これは、蜘蛛の子ではありませんよ。歯車です」

ヒガンは私に手招きした。私が恐る恐る盆を覗き込むとそれは、確かに小さな歯車だった。時計の歯車よりも小さく数も多い。無数にうごめくその様は、虫と見間違えても仕方がないと思った。

「これは、運命図と呼ばれるものです。占いよりも正確にこれから起こることを読み取れます。しかし、占いよりもここから未来を読み取るのは、困難です。ここには起こりうるすべての可能性が表れているのですから。昨晩から、これを見ていたのですが、私では無理でした。私の頭では、この情報量を処理することが出来ませんでした」

私はじっと歯車を見つめて見たが、歯車は歯車にしか見えなかった。しかし、”歯車”という言葉が何故か心に引っ掛かった。

「ただ見つめても、これは歯車にしか見えません」

私の心を見透かすようにヒガンは言った。

「ここから運命を読み解くには魔法で魂の一部をこの運命図につなぐ必要があります。普通の人間ならつないだ直後に発狂するでしょう」

私はごくりとつばを飲んだ。

「でも、そこまでしてどうして運命を読み取ろうとしたんですか?」

私の問いにヒガンは慎重な顔をした。初めて会った時と同じ表情だ。

「あなたに出会った時、運命が大きく動くと感じました。私は正しく振る舞わなければ、と思ったのです。ですが、私では運命図をほとんど理解出来ませんでした。気分が悪くなっただけです」

ヒガンが言うと、運命図は消えた。多分この運命図を呼び出すこと自体が恐ろしく高度な魔法なのだろう。やはり、私が魔法を学ぶ相手はヒガンしかいないと思った。

「では、最後に外に出てみましょう」

ヒガンは言った。私は部屋の中を見回した。そういえば、この部屋には外に出るための扉がない。ヒガンは鏡台に触れた。すると鏡台が消え、扉が現れた。

「これが鏡台の姿をしているうちは、外側にも扉はありません。扉が無いだけでも、旅人が断りもなくこの家に入ることを防げます」

ヒガンはそう言うと、外に出た。私も後に続いた。

 ヒガンの家は外から見ると粗末な小屋に見えた。ヒガンがさっさと先を歩くので、私は小走りに追いかけた。ヒガンが案内したのは、私とヒガンが初めて会った大地の裂け目だった。ヒガンは裂け目に架かっている木の橋の近くに立った。私も近づいてみた。木の橋に見えたのは、茶色くなった蔓性の植物だった。蔓は大地の裂け目の上に橋のように横たわっているが、一部の細い蔓が崖の表面を這うように裂け目の底に向かって伸びていた。良く見ると、蔓には模様のようなものが入っている。

「この植物は魔力を持っています。この植物の出す魔力が探知魔法を妨害しているのです」

「魔力を持つ植物?」

私が驚いていると、ヒガンは意外そうな顔をした。

「あなたは、もう既にこれが何か知っているはずですよ」

言われて私は気がついた。

「もしかして、それって」

「そう、この植物こそが真蔓まつるなのです」

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