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7子栗鼠の問

「さあ、よく来ましたね。子栗鼠(こりす)さん」

ヒガンは言った。私の心臓がドキリと跳ねた。私は心を落ち着かせた。私はヒガンの住む小さな木造の家の中にいた。今いる部屋は私とヒガンしかいないが、それでも狭く感じた。東側に窓が一つと、その前には作業台のようなものが一つ。中央にはテーブルと椅子。窓の反対側の壁には暖炉。暖炉には空の鍋が吊るしてある。北側には奥の部屋へ続く廊下がある。そして、南側には鏡台があり、私は今しがたその鏡の中を通ってこの家にやってきた。

私は自宅の自分の部屋で、ヒガンの合図を待っていた。すると、鏡に何かが映った気がしたので、私は鏡に近づいてみた。そこには自分ではなく、ヒガンが映っていた。ヒガンは私に向かって手を差し出した。私は手を伸ばすと鏡の冷たい表面に触れた。と、思った瞬間ヒガンの手が私の手をつかんでいて、私は鏡の中に引き込まれた。鏡の中を通るときは、水の壁をくぐっていく感覚に似ていた。もちろん実際の水があるわけではないので、身体は濡れないが、全身が冷たいものに包まれる感じがした。しかし、それも一瞬のことで、私はヒガンに手を握られて、ヒガンの家の鏡台前に立っていたという訳だ。

「子栗鼠? 私の名前は……」

未だに心臓がドクドクうるさいが、私は平静を装った。

「言わないで下さい」

名乗りかけた私をヒガンは即座に制止した。私は首を傾げた。ヒガンはため息をつく。

「気を悪くなさらないで下さい。以前にも言いましたが、私は息をするように魔法を使います。私に名前など知られてしまえば、あなたは、私の操り人形同然です」

「でも、ヒガン様は私を操り人形にしたいわけではないでしょう?」

すると、ヒガンはさらに困った顔をした。

「私の事情なのです。あなたは、魔法を使う時どうしていますか? 大体は呪文を唱えたり特定の動作をすることで魔法を使っているでしょう。私は違うのです」

ヒガンは言った。

「私には、魔法は紋様のように見えるのです。これのような」

ヒガンは私に右手の甲をみせた。そこには真蔓に触れた証の紋様がある。

「紋様を思い浮かべると、それが魔法として発動します。厄介なことに、危険とされる魔法ほど、それはそれは美しい紋様なのです」

ヒガンはうっとりとした表情をした。そして、即座に首を横に振った。一体何の魔法を思い浮かべようとしたのか。私は少し背筋が寒くなった。

「ちなみに、私の名前のヒガンは、通り名です。限り無く真名に近い通り名です。お互いに真名を名乗るわけではありませんから、この方が平等でしょう?」

「それにしても、何故私は子栗鼠なんですか?」

ヒガンは、ふふっと笑った。蕾のほころびを連想させる柔らかな笑みだ。

「あなたは、私がパンを食べるよう指示を出した時にパンを両手で持って頬を膨らませながら、食べていました。その様が栗鼠のようだったからです。子を付けたのはあなたがまだ成人していないからですよ」

私が思い出す中でこの時のヒガンが一番楽しそうだったように思う。私としては、からかわれているようで、当時はいい気分ではなかった。

「さて、最初の授業は何が良いでしょう? ここは、学校ではありませんので、なんでも自由に言ってみて下さい」

ヒガンに聞かれ、私は迷わずに答えた。

「世界を滅ぼす方法を教えて下さい」

ヒガンは呆気に取られたように私を見つめた。

「何故、世界を滅ぼしたいのですか?」

ヒガンは慎重に尋ねた。

「あ、いえ、逆なんです。世界を滅ぼす方法を知れば、それを防ぐ方法への手掛かりになると思ったからです」

私の答えにヒガンは眉をひそめた。

「まるで、世界滅亡を経験したような口振りですね」

「ええ、まぁ」

私は誤魔化すような答え方をした。ヒガンはお気に召さなかったようだ。

「ええ、まぁ、ですか?」

ヒガンは、ふむ、と口を覆った。ヒガンの目つきが鋭くなった。私は黙っていた。ヒガンは私に読心術をかけている。放って置いた方が話は早いはずだ。と、ヒガンがうなりながらよろめいた。

「私の、……声?」

ヒガンは両手で目を押さえている。ヒガンはうずくまった。ふー、ふー、と荒く息をしていた。私は黙ったままヒガンが落ち着くのを待った。ヒガンは大きく息を吸って吐く動作を繰り返した。ヒガンの呼吸音しか私には聞こえなかった。ヒガンは呼吸が落ち着くと、目から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。

「私は覚悟が足りなかったようです」

ヒガンは落ち着いた静かな口調で言った。落ち込んでいるようにも聞こえた。

「さて、質問に答えましょう。世界を滅ぼす魔法はありません」

ヒガンはきっぱりと言った。でも、と言いかけた私をヒガンは遮った。

「人間の魔法の範疇(はんちゅう)での話です」

ヒガンは言った。そして、顔をしかめた。それからどこか皮肉めいた笑みを浮かべ、ヒガンは口を開いた。

「世界を滅ぼす魔法があるとすれば、それは永久魔法ですよ」

「永久魔法? そんな魔法が本当に存在するのですか?」

永久魔法とは、永久に尽きることのない魔力を作り出す魔法である。また、その作り出した魔力そのものを永久魔法ということもある。まだ魔法学校にいたころ、図書室の古くさい辞書でその魔法の記述を見たことがあった。ただ、それ以上に詳しいことは書かれておらず、実現不可能な魔法なのだと当時は理解したのだった。

「永久魔法は、理論上は作り出すことが可能です。遥か昔から、永久魔法を作り出すことは、魔法使いたちの野望でした。その研究が流行したときは、実にさまざまな論文が発表されたものですよ。今読み返せば、馬鹿馬鹿しいものばかりですがね」

ヒガンは懐かしそうに目を細めた。

「ヒガン様も研究なさったのですか?」

私は尋ねた。ヒガンはうなずいた。

「ええ、勿論です。私も永久魔法の魅力に取りつかれた人間のひとりですから。でも一生懸命に研究して気がついたことは、私にこの魔法を作り出すことはできないということでした」

「どうしてですか?」

「理由は二つです。一つ、魔力が足りなかった。二つ、永久魔法の材料を私は手に入れることができなかった。よろしければ、私の研究をまとめたものがありますから、自由に読んでみて下さい」

ヒガンはそう言うと手招きした。ヒガンは私を奥の部屋に連れていった。ヒガンは仕切り代わりのカーテンを開けると、部屋の中に入った。そこには沢山の本が詰まった本棚があった。引き抜くのが大変そうなくらいぎゅうぎゅうに詰まっている。

「研究書の他に小説もありますから、何でも読んで頂いて構いません。ちなみに永久魔法の研究書はここにあります。馬鹿馬鹿しい方の研究書も近くにあるので、比べてみても良いでしょう」

ヒガンは本棚を指差した。

「それから、話を戻しますと、世界を滅ぼす魔法が永久魔法ならば、それを防ぐ魔法も永久魔法です。しかし、普通の人間であれば、永久魔法を作り出すことをためらうはずです。その理由は、この研究書たちから探ってみてください」

「わかりました」

私はヒガンの指した本棚に近づき、ふと足を止めた。

「では、私のいた世界を滅ぼしたのは、永久魔法ですよね。永久魔法は、普通の人間なら作り出そうと思えないということは」

私の言葉にヒガンは眉間にしわを寄せた。

「普通ではないということですね。何故そうなったのかは、私にはわかりかねます」

ヒガンの声は残念そうだった。どこか軽蔑しているような響きもあった。

「あと、本は必ずこの書庫の中で読んで下さい。居間への持ち出しは厳禁です」

ヒガンは気を取り直して言った。ヒガンは書庫のさらに奥へと案内した。不思議なことに書庫を歩いていると、ひそひそと誰かが話しているような気配がした。私は身震いした。腕に鳥肌が立っている。ヒガンは、書庫の奥の壁際の机と椅子に私を案内した。壁には星のようにも花のようにも見える模様が描かれている。ヒガンがその模様に触れると机の上が明るくなった。

「これは読書灯です。もう一度軽く触れれば消えます。また触れ続けながら明るさを念じれば、好みの明るさに変えることもできますよ」

では、と書庫から出ようとするヒガンを私は慌てて呼び止めた。

「待ってください。あの、その」

「どうしましたか?」

振り返ったヒガンは青ざめている私を見て、理解したようだ。ヒガンは私の肩に優しく手を置いた。

「ああ、驚きましたよね。この書庫には図書霊(としょれい)がいるのです。図書霊は、本の持ち出しを嫌いますからね。だから、持ち出し厳禁なのです。ところで、図書霊は知っていますか?」

私はこくりとうなずいた。図書霊とは、本に憑く思念で、大抵はその本に思い入れがある読者の思念が多いが、たまに作者の思念が憑く場合もある。一冊の本に複数の読者の思念が憑くと、読者同士の感想会が始まったりもする。なお、思念の図書霊化には一定以上の魔力濃度が必要だ。だから、図書霊は、高等な魔術書がある図書室に発生しやすいと言われている。ちなみにこの知識は小さい頃に読んだ絵本に書かれていたことだ。面白い話だったので、繰り返し読んだため、かなり印象に残っていた。

「でも、図書霊は空想の産物なのだと思っていました。図書霊の話は幼い頃に読んだ絵本でしか見たことがありませんでしたし」

私が言うと、ヒガンは微笑んだ。

「それは、素晴らしい絵本をお持ちでしたね。珍しい現象ですが、図書霊は実在します。もし、図書霊たちの雑談が気になるようでしたら、静かにしてくださいとお願いすると良いでしょう。図書霊は本好き達の思念ですから、読書の邪魔はしたくないと思っています。なので、読書のための静寂を求めるならば、怖がらずにお願いしてみましょう」

「わかりました」

私はうなずいた。では、とヒガンは書庫を出ていった。私は、ヒガンに教えてもらった永久魔法の研究書と馬鹿馬鹿しい方の研究書の両方を持って机に就いた。読書灯は、ヒガンの設定では暗かったので、模様に手を触れ、もう少し明るくした。この魔法、便利だな。私は早速ヒガンの研究書を開いた。著者名は「ヒガン」になっていた。これを書いた時から徹底して真名を隠していたのかと思うと驚きだった。私はページをめくった。

しばらくして、私は本を読み終えた。馬鹿馬鹿しい方の研究書は、本当に馬鹿馬鹿しく、途中で読むのを止めてしまった。問題はヒガンの研究の方である。ヒガンは永久魔法を生み出す呪文と何故その呪文を唱えるべきかの根拠、必要な魔力量まで緻密(ちみつ)に研究をしていた。そして、永久魔法に必要な材料もしっかりと書いていた。私はそれを読み、ため息をついた。私は本を元の場所に戻すと居間へ向かった。居間では、ヒガンは作業台の前に立っていて、開けた窓を閉めているところだった。

「答えは出ましたか?」

「はい。永久魔法の材料は魔法使いの魂です。魂の取り出し方は魔法で肉体と魂を分けて取り出します。炎の魔法で肉体を焼くと成功しやすい。……これは、もはや禁術なのでは?」

「そう思うのも無理はありません。ですが、永久魔法は、禁術ではありません。他人の命を奪ってまで、永久魔法を作ることは、もちろん犯罪です。では、自分の命ならどうでしょう? ですから私の研究はここで終わったのです。永久魔法を作ることを夢見たものの、その研究に自分の魂を捧げるのは、疑問でした。私には自分を永久魔法に変えてまで成し遂げたいことなんてありませんから」

今ヒガンの言ったことは、研究書の後書きにも記されていた。「自分を永久魔法に変えてまで成さねばならないことなどこの世に存在するのだろうか」と。ヒガンの研究書で唯一腑に落ちなかった点だ。

「疑問なんですが、その言い方ですと、永久魔法には、永久魔法を作るための理由付けが必要ということですか? 尽きることのない魔力として存在させるだけではいけないということでしょうか? ……例えば、永久魔法を魔法具に装填すれば、永久に魔力切れを起こすことがない魔法具を作れると思いますが、そもそも永久魔法は、そのような使い方は出来ないということでしょうか?」

「あなたは、素晴らしいですね。その通りです。……ここにお掛けください」

ヒガンは嬉しそうに私をイスに座らせた。ヒガンは私の隣に立つと指でテーブルに魔法式を書き始めた。文字は薄い緑色に光っていた。ヒガンは恐ろしい速さで魔法式を書き上げた。この式は、ヒガンの研究書内にも登場したものだ。

「この部分が魂を意味します。この魂の力を使って永久魔法を作るのですが、ここです。この永久魔法を意味する式の部分をよく見てください」

私はヒガンに言われた通りに永久魔法の式を見つめた。そして、永久魔法を作る過程の式と見比べてみた。

「あ、れ? 永久魔法になっても、材料の魂の式は変換されずに残るんですね。普通の魔法の魔法式だと、材料の式は、魔法の式に組み立てた後は、全く別の式に変換されるはずなに。でも、魂が残るということは、つまり?」

ヒガンは強い光を目に宿していた。

「ええ、よく気がつきましたね。そう、永久魔法には魂の自我が宿るのです」

私は息を飲んだ。

「永久魔法は意思を持つ存在なのですか?」

「ええ、そうです。魔法式に沿って考えるとそうなります」

ヒガンは自信があるようだ。

「しかし、何故自我が必要なのかについては、想像の話になります。永久魔法は存在理由がないとその魔法構造を維持できず、壊れてしまうのだと思います。だから、自我が必要なのだと考えます。試しにこの魔法式から魂の部分を引くと」

ヒガンがテーブルに書いた魔法式の魂の部分を消すと魔法式はバラバラになって消えてしまった。この光る文字の魔法は無効な魔法式を削除する魔法もかかっているようだ。

「このように式が崩れて消失します。では、この自我が永遠に残るかというと、そうでもないようなのです」

ヒガンは先ほどの魔法式を素早く書き直した。

「ここからは式がややこしくなります。魂を意味する式を"S"という記号に置き換えましょう」

ヒガンが式に軽く指で触れると魂の式が"S"という記号に置き換わった。

「では、もとの式に時間の経過を意味する式を加えて行きます。そして、時間を加算していくと」

ヒガンが時間の経過を意味する式を足していくと式に変化が起きた。魂を意味する式"S"が別の式に変換されたのだ。しかし、永久魔法の式自体は崩れずに残っている。

「これは、どういうことですか?」

私は驚いて尋ねた。

「魂を意味する式"S"が別の式に変換されましたね。この式は"N-e"という記号に置き換えましょう。では、さらに時間を経過させます。」

すると、"N-e"の状態からまた魂の式"S"が復活したが、何故か微妙に形が異なっていた。式は"S+"となっていた。ヒガンはさらに時間経過の式を足した。すると今度は一度目に魂の式が変換された時と同じ形"N-e"になり、また時間経過の式を足すと魂の式が復活した。しかし、この魂の式も、元の魂とその後に復活した魂の式と異なる魂の式"S++"だった。私はすっかり混乱した。

「これは、つまり?」

私はヒガンを見つめた。ヒガンは困った顔をしていた。

「想像の話になりますが、永久魔法の自我は永遠ではなく、時間が経つと"N-e"、すなわち無自我状態になり、また時間が経つと、新しい自我が発生するということなのだと思います。ただ、これは単純な魔法式ですので、自我の死と誕生の条件まではわかりません。確実に言えることは、永久魔法は、自我を持つ存在であるということ。そして、ここからは想像の話になりますが、永久魔法は、存在の理由付けがないと存在し続けることが出来ない。そして、永久魔法の自我は生き死にを繰り返す。無自我期間は次の自我のための準備期間だと考えられます」

ヒガンはテーブルの文字を消した。

「あなたから世界を奪った永久魔法は、一体どんな存在理由を持っていたのでしょうね?」

私は顔をしかめた。

「きっとろくでもない理由ですよ」

「そうですね。追い詰められていたのかもしれませんね」

えっと私はヒガンを見上げたが、ヒガンは既に鏡台の前に立っていた。

「今日は初日ですし、ここまでにしましょう。もうすぐお昼です」

ヒガンは私を鏡台の前に立たせた。

「では、思い切り押しますよ。勢いが大事なのです」

ヒガンは私の背中を鏡に向かって勢い良く突き飛ばした。私は鏡をすり抜けて、自分の部屋にやってきた。一瞬冷たさを感じただけで行きよりも早かった気がした。いっそのこと、ヒガンの家に住み込みで魔法の勉強が出来たら良いのに。ヒガンは私との交流を秘密にしたいようだった。私は平日に休みを取っているので、平日が仕事の両親は夕方まで帰ってこない。もう少し長く居たかった。明日はパンを買って行こう。そうしたら、ヒガンも私をもう少し長居させてくれるかもしれない。そうと決まればと、私はパンを買いに出掛けた。

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図書霊がいる世界観好きだね。魔法式便利。パンの手土産作戦が成功することを祈る(笑)
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