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5パン屋と魔女

私は魔法がある世界にやって来た。私の魔力は中程度。この国の大多数の人間の内の一人である。少数派に魔力なしの存在もいたが、差別は無かったように思う。そして、さらに少数派に強力な魔力持ちもいた。彼等は王国魔術師団に召集され、多大な権力を与えられた。権力持ちなんてまともな人間はいないだろう。一生関わることもないはずだ。

私は魔法を学べる学校に入った。成績は低くなかったように思う。私の成績を両親はとてもよく褒めてくれた。しかし、自分以外の人間に対し、無意識に壁を作る傾向にあった私は、一般的な親子のように打ち解けた関係にはなれなかったように思う。良い子だけど、どこかよそよそしい。両親は私にそんな印象を持ったようだ。父よりも母の方が本気で悩んでいたようで、父や友人たちに相談する姿を何度か見たことがあった。私は申し訳ない気分になった。

「性格がちょっと変だから、心配かけているんだよね。ごめんなさい」

あまりに母が悩んでいるので、思わず謝ったこともあった。母は、はっとした顔をした。そして、私を抱き締めた。

「あなたは悪くないわ。あなたの個性を理解しきれてなかった私がいけないのよ。私の方こそごめんなさい」

いい母親だなと私は思った。 しかし、両親との微妙な距離感は変わらなかった。だから私はより一層勉強に励んだ。魔法を学ぶことは前の世界からの私の念願だ。私は他の子たちに負けないくらい頑張った。流石に学年一位とまではいかなかったが、かなりよい成績で私は卒業した。私の真面目さを近所の人たちもとてもよく褒めてくれた。両親は誇らしそうだった。もっと私が両親に懐くことができたら、より完璧だったろうに。嬉しそうな両親の傍らで私はそんなことを考えていた。こういうところがいけないんだろうな、などと思った。

卒業後、私は魔法と関係ないところに就職した。街で一番大きなパン屋の売り子である。

「一生懸命魔法を勉強したのに、パン屋で良かったのかい?」

就職の報告をした時に父にそう尋ねられた。私は苦笑いをした。

「まぁね。ちょっと現実をみちゃってさ。この程度の魔力では王国魔術師団は論外。この街の魔法薬店は、小さなところばかりで普通の薬屋と大差ないし。魔法具店はガラクタばかり売ってるし。かと言って派遣魔法師団なんかに入ったら郊外で魔物や賊の討伐に行く羽目になるんだよ。自分にはどれも合わないよ」

確かに、と父はうなずいた。この国では、魔法を学んだとしても、それを生業にしていけるのは、ほんの一握りだ。魔法学校の卒業生の大多数は、魔法とあまり関係ない職業に就くのが現状だ。それでも魔力を持つ者が魔法学校に通うのは、高度な魔法の他にも便利な生活魔法も習うことができるし、普通の学校よりも歴史や数学など魔法以外の授業も質が良いからだ。

一方母は、私の就職をとても喜んだ。

「この国一番のパン屋よ。この上ない就職先だわ。あなたの好きな葡萄のパンもこのお店から買っていたのだし」

「うん、それが就職先選びの決め手になったんだよね」

私がそう言うと、両親は晴れやかな表情で笑った。そう、このパン屋は人気店だ。だから求人もたくさん出ていた。パンを作る方ではなく、売り子を選んだのは、出勤時間がパンを焼く係よりもゆっくりだったからだ。交通手段が徒歩しかない私には、夜明け前から出勤しなければならない作り手は酷に思えた。

「魔法で空を飛ぶ魔法使いはいないの?

例えば、ほうきにまたがってさ」

この質問は、ありとあらゆる人にしてみた。皆、私が冗談を言っていると思い、相手にされなかった。

「空を飛ぶ魔法は聞いたことがないな。できたとしたら、相当に高度な魔法だ」

学校の先生で、笑わずに真面目に答えてくれた人も中にはいた。

「物を浮かす魔法もかなりの集中力が必要でしょ。物が大きく、重くなるほど大変になる。それを自在に移動するとなれば、さらに高度な技術が必要だ。つまり、この学校で習う魔法ではこれが限界だ」

先生は机に散らばっていた本を瞬時に本棚に移動して見せた。私は納得した。

「ところで、君。何故空を飛ぶ手段にほうきにまたがることを考えたのだね? 鳥のような翼を背中に生やすとかではなく?」

先生は不思議そうな顔をしていた。この世界にほうきで空を飛ぶ魔法使いはいないらしい。

「いえ、ただ、身近なものを使って空が飛べたら便利だと思っただけです」

私は誤魔化した。先生はその説明で納得したようだ。

「君のその発想力はもっと評価されるべきだと思うよ」

先生はお世辞ではなく、心を込めてそう言ってくれた。私は後ろめたい気分だった。これは、私の独自の発想ではない。同時にほうきに乗ってお出かけする夢は潰えた。せっかく練習して飛べるようになったのに。郷にならえ、というやつである。突飛なことをして外れ者になるのは本意ではない。

ところで、パン屋になったからといって、魔法を全く使わなかったか、というとそうではなかった。売り子の仕事は、会計の他に商品の包装・陳列も含まれた。焼き上がった大量のパンを棚に並べる作業は、魔法を使った方が効率的だった。仲間の売り子たちも魔法を使ってパンを陳列していた。私の場合は、他の作業でも魔法を使った。客が買った商品は魔法で紙袋に詰め、自分は、その間に会計の対応をした。私が売り場に出ている日は、客の流れが円滑だと店長に言われた時は嬉しかった。客が少ない時は、配達を頼まれることもあった。客が事前に店に注文を出しておき、決まった日時に決まった場所へ届けるのだ。学校や役所など利用が多かったが、個人客の利用もあった。外出が億劫な年寄りの利用がほとんどで、注文は手紙で届き、約束の日にパンを届けに行きお代をもらった。

ある日、新しい客からの注文が手紙で入った。見たことがない住所だった。店長はいたずらかもしれないと怪しみながら封筒を開けた。

「街で評判のパンを私も戴きたく存じます」

という書き出しでその文章の下に希望のパンの商品名が几帳面に書かれていた。

「登録にない住所、ですよね?」

手紙を覗き込みながら私は言った。

「お前の言うとおりだ。お前はこれをいたずらだと思うか?」

私は首を横に振った。

「いたずらではないと思います」

「ワシもいたずらではないように思うが、住所がなぁ。聞いたことがない住所だ」

住民の住所は国によって表記が決められており、管理がしやすいようになっている。そのため、住所は、地区名・地区内における方角・番号の順に表記されなければならない。

「北の森、小川の木橋先、丸い空の下の小屋ですか。住所というより、道案内の文章ですね。街の北側に森があるのは、事実ですし、手紙の通りに行くしかないと思います。注文者の名前は、ヒガン様、ですか。変わった名前ですね。よかったら、私が配達しましょう。もし、ヒガン様が見つからなかったときは、私がパンをすべて買い取ります。ただしその場合は、原価で売って下さい」

すると店長は、顔を曇らせた。

「あ、流石に原価は欲張りでしたね。三割引でいかがですか?」

私が提案すると、そうじゃない、と店長は首を振った。

「お前に安くパンを売るのは問題ないさ。ただな」

店長は困ったように眉にシワを寄せた。

「ただ、何でしょう?」

私は店長の態度に少し戸惑った。

「北の森には恐ろしい魔女がいる」

「店長は、賢女派ではないのですね?」

私はからかうように言った。北の森に住む人物についてはいくつかの噂がある。まず、北の森とはこの国の北側に広がり、北の国との国境までを覆ってる森である。私の住む街を出るとすぐそこに森の入り口がある。北の商人や旅人はこの森を通ることがあり、そこで不思議な人物に出会ったというのである。共通点は、その人物は若い娘であること。森の中の小さな小屋に一人で住んでいるということだ。人によっては、その娘を魔女と恐れ、または、貧しい農婦と蔑み、または、賢女だと敬った。奇妙なことにこの娘の噂は数十年前から存在したらしい。昔も今も森の小屋に住むのは若い娘なのである。他所から来た人間がこの国の人間を楽しませる為に考えた作り話にしては、登場人物が一貫しているように思えた。恐ろしい魔女と蔑みたいならば、乱れた白髪で鷲鼻の老婆と言えば、より迫力があっただろう。独り身の農婦なら、獣に襲われ夫を亡くした女とした方が物語性があっただろう。賢女ならば、賢そうな眼鏡をかけた中年の女とでも言えばそれらしく聞こえただろう。何故、魔女にせよ、農家にせよ、賢女にせよ、若い娘なのだろう。そこに私はある魔術の存在を疑った。「不老」の魔術である。不老の魔術は高度で危険な魔術とされ、長年の研究対象だが、実現した試しがない魔術である。少なくともこの世界では。もし、この手紙が本物で噂の人物が森にいるならば、正体は魔女だと私は思っていた。店長には、手紙は本物だと思うと言ったものの、私はいたずら説を捨てていなかった。だから、いたずらだった場合安くパンを自分に売るように提案したのだ。聞いたことがない住所は、出鱈目の可能性がある。それでも配達に名乗りを上げたのは好奇心からだ。北の森に噂の人物が本当にいたならば面白いではないか。

配達当日、店長は心配そうに私を見送った。北の森に徒歩で行くのは無理がある。店長は朝早くから馬車を手配してくれた。森の手前まで乗せていってくれるそうだ。馬車は丸一日貸し切りだ。配達が終われば、それに乗ってパン屋に帰るようにとのことだ。森には時々、大きな猛獣が出る。店長は、私に獣避けの鈴を三つも用意した。正直、魔法も何もかかっていない鈴に効果があるものかと期待はしていなかった。猛獣が出たなら魔法で撃退すれば良い。

馬車の中は酷く退屈で、私はうとうとしていた。馬車の振動で鳴る鈴の音が耳に心地よかった。夢うつつ、私は誰かの声を聞いた気がした。どこかで聞いた声だ。しかし、思い出す前に馬車は目的地に着いた。

馬車を降りると、私は迷わず森に向かって歩き始めた。御者の男が心配そうに何か言いかけた。

「大丈夫です。それにこの冒険が空振りでも、私はパンを安く手に入れることが出来ますから」

私が声をかけると、御者は言葉を飲み込んだ。私はにっこり笑うと森に入った。私は手紙を広げた。まずは、小川を探そう。私は草木が何となく分かれていて道に見える部分を歩いた。十分ほど歩いただろうか。小川はまだ見つからなかった。耳を澄ましても川の音は聞こえない。木々の葉のすれる音や、小鳥のさえずりが聞こえるばかりだ。このままでは、ヒガン様の家を見つける前に猛獣に出くわしてしまいそうだ。私は人差し指を立ててくるりと回した。すると、白い光が足元から伸び、しゅるしゅると地面を駆けて行った。

「あ、そっちか」

私は右を向くと光を追いかけた。

光を追いかけ、しばらく歩いた。なかなか小川は見つからなかった。甘かったな。私は少し後悔した。小川なんてすぐに見つかると思っていた。しかし、歩いても歩いても川のせせらぎは聞こえてこなかった。それどころか、自分がどこを歩いてきたのかもわからなかった。すぐに見つかると思っていたから、道標すらつけていなかった。先ほど使った道案内の魔法についても嫌な予感がしていた。もし、探すべき対象が存在しない場合この魔法は同じところをぐるぐると回るだけなのだ。私は試しに近くの枝にハンカチを巻き付けた。そして、道案内の白い光を追いかけた。

「嫌な予感しかしないね」

私は苦笑いしながら、野ネズミのようにしゅるしゅると草をかき分けながら進んでいく光を見遣った。そして、予感は的中した。私はハンカチを巻いた枝の前に戻ってきた。私は道案内の魔法を解くと、枝に巻いたハンカチを外した。この森に小川がないなら、小川に見える何かがあるはずだ。いつの間にか日は高く昇っていた。森の外に待たせた馬車は一日貸し切りとのことだが、いつまで待ってくれるだろう。店長は、馬車代を前払いしていたから、馬車はすでに街に帰ってしまったかもしれない。さて、どうしようか。初めて入った森をあてもなく歩き回るのは馬鹿馬鹿しいことだ。勘を頼りに進んだところで遭難することは目に見えている。私は小さく呪文を唱えた。すると、薄い光が私の身体を包んだ。すっと身体が軽くなる。そして、私の身体は、ゆっくりと宙に浮き、上昇した。風に揺られて獣避けの鈴が、ガランガランと低い音で鳴った。私は足元に広がる北の森を見下ろした。歩いて探すのが無理なら、空から探せばいい。しかし、これだけ木が生い茂っていると、空から川のようなものを見つけるのも難しいかもしれない。もし、ヒガン様が夕方になっても見つからなければ、諦めよう。そうすれば、このパンは私の物だ。私は自分をそう励まして小川に見える何かを探し始めた。

空から探して始めてどのくらい経っただろうか。恐らく、地上を歩き回っていた時間よりは短いだろう。飛んできた色鮮やかな小鳥たちをかわした時に森の中に光るものを見つけた。薄く青みを帯びたそれは、細い川のように見えた。その場所だけ木々が開けていた。私は高度を下げた。そして、川のような物に架かる木の橋らしきものも見つけた。私は橋の上ではなく、橋のたもとの辺りに下りることにした。何故橋の上にしなかったかと言うと、乗った瞬間に底が抜けると嫌だと思ったのと、この橋に魔法がかかっていた場合、渡る前と後で決定的に何かが変わってしまうことを恐れたからだ。川の向こうは帰れぬ彼岸(ヒガン)かもしれない、と。その川らしきものと橋には、言葉に表しにくい奇妙な雰囲気があった。心にしまいこんだ寂しさを呼び起こすような感じだ。私は獣避けの鈴が鳴らないくらい慎重にゆっくりと降下した。

上空から川に見えていたのは、地面の裂け目だった。裂け目は街方向からかなり離れた森の中にあったので、歩いてたどり着くのは困難だっただろう。裂け目は南北に伸びていた。全長は、二十メートルほど。幅は六メートルくらいだ。そこまで規模の大きいものではない。私はパンの入ったかごを置くと両膝をついて裂け目を覗き込んだ。かなり深い。底の方から薄青い光がゆっくりと脈打っている。上空から見たとき川のように思えたのはこの光のせいだ。私は地面に腹這いになると、裂け目の縁に手を掛けてもっとよく覗き込んだ。じっと見つめていると、青い光の中から小さな白い光の粒が浮かび上がってふわふわと漂っている。そして、獣避けの鈴とは違う高く澄んだ鈴の音がした。私は思わず見入ってしまった。すると、光の底から声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。何を言っているのかはわからない。私は身を乗り出した。とその時、誰かに耳を塞がれて我に返った。

「まさか、あちらに行きたいと思っていた訳ではありませんね? 印の魔法使いよ」

柔らかな女性の声だった。私は慌てて起き上がった。女性は、さっと私の耳から手を離した。切り揃えた長い黒髪が美しい女性だった。瞳の色は琥珀色だ。そして、右の手の甲にあるものを見て私は跪いた。

「ご所望のパンを届けに参りました。大魔法使いヒガン様」

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― 新着の感想 ―
マツルさんの続きかと思ったらまさかの「私」サイドのストーリー!お預け状態になってしまったが、こちらはこちらで待ってたファンタジー感にどっぷり浸れる内容。魔法使いとパン屋は相性がいいよね。イメージ的に。…
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