25海竜の卵
大樹のそびえ立つ島を囲むように六つの島が浮かんでいる。それらの島々に、マツルは名前を付け、その名にちなんだ性質を与えた。
東に水の島、南東に緑の島、南西に影の島、西に火の島、北西に風の島、北東に星の島が位置している。マツルとハヤが向かったのは、東の水の島だ。水の島は、上空から見ると四つ足の動物のような形をしている。北側の大きな湖は、その四つ足の動物の目の辺りにある。東側に緑豊かな山々が連なっており、それは棘の生えた背中のようだ。その東の山々から西に向かって何本か大きな川が流れている。名前の通り水の豊かな島のようだ。
今日はいつもの見回りや、魔法で生命の成長を促すわけではないらしい。何か他の目的があるらしいが、ハヤにはまだ内緒だとマツルは言った。しかし、マツルは非常に上機嫌だった。何を見せてくれるのだろうかと、ハヤも楽しい気持ちになった。
ハヤは竜の姿になったマツルの首の付け根のあたりにちょんと座っていた。渡り鳥のような美しい翼が時々羽ばたきながら風を捕らえる光景は圧巻だ。竜となったマツルの白い皮膚は岩のように固いが、とてもなめらかで触り心地がよい。初めて触ったときはあまりの滑らかさにあちこち撫でまわした。マツルは少しの間はハヤのやりたいようにさせていたが、すぐに耐えられなくなり、くすぐったいと、尻尾の先でハヤを優しく押して遠ざけた。
とにかく滑らかな皮膚なので、背中にちょこんと座っていては、飛行中の揺れであっという間に滑り落ちてしまうのだが、そこはマツルが魔法でうまく調整してくれた。おかげでハヤは揺れを感じることも、強風で飛ばされる心配もなく、快適な空の旅を楽しむことが出来るのだ。
……は、箒にまたがって空を飛べますか?
ふと、誰かの問いが脳裏に浮かんだ。一体、いつどこで誰にそう問われたのか。ハヤは、しばらく考えてみたが、思い出すことはなかった。ただ、ひどく懐かしい気分になった。ハヤは箒で空を飛ぶための魔法を知っている。しかし、今のハヤには魔力がないので、実際に飛ぶことは出来ない。自分自身でもそれが不思議だった。知識はあるのに使うことが出来ない。最初こそ理不尽に思っていたが、今はマツルがいてくれるので不自由を感じることはほとんどなくなった。ハヤは、次第に地上に向かってゆっくりとマツルが高度を下げ始めたのを感じ、徐々に近づいてくる水の島の白くまぶしい砂浜に目を細めながら、労うようにマツルの首の根元をそっとひと撫でした。
マツルとハヤは波が寄せては引いていく砂浜に立った。マツルは竜の姿のままだ。ハヤは靴の底を砂にこすりつけて、しばしその音と感触を楽しんだ。マツルは穏やかな海の波間をその赤い瞳で眺めていた。
「さて、ひと泳ぎしようと思うんだけど、きみは、泳げるのかな?」
気軽に尋ねたマツルだったが、ハヤはあからさまに気を悪くした。
「魔法が使えないのに泳げるわけがないでしょう?」
ハヤの返答にマツルは固まった。普通なら、ただ泳ぐのに魔法はいらない。ならば、つまり、そういうことなのだろう。
「オレが悪かったよ。実はこの海の中に探し物があるんだ。きみは、どうしたい? 一緒に行くならオレが魔法で何とかする。行かないなら、砂浜で遊んで待ってて」
ハヤはまだ少し不機嫌な顔をしていたが、マツルと海と砂浜に視線行ったり来たりさせた。ハヤは眉間にくっと力を入れ、小さくうなった。そして、視線をマツルに戻すと口を開いた。
「一緒に行きます」
「なら、一緒に行こう」
マツルは微笑んだ。マツルが何かを唱えると、ハヤを白い光が球状に包んだ。光が落ち着くと、ハヤは球の内側から外を眺めることが出来た。内にハヤを収めた球は、音もなく浮かび上がるとマツルの目線の辺りで止まった。
「この中なら水の影響を受けないよ」
ハヤは自分を包んでいる魔法を観察した。恐らく、防御魔法の応用なのだろう。防御魔法の他にも追尾やらなにやら色々な魔法が組み合わされている。
「凄いですね」
「瞬時に理解するハヤもね」
マツルはそう言うと、バシャバシャと海の中に入って行った。
「水、冷たくありませんか?」
「冷たくないよ」
マツルは可笑しそうに笑って答えた。マツルは足が着かなくなる深さになったところで頭を海の中に沈めた。それに合わせてハヤを包む球体も海の中に入った。
海の中は光に溢れていた。燃ゆる瞳の光が筋のように差し込んでいる他に、水の魔力が光の粒になってキラキラと輝いている。その光を散らすように小さな魚が泳いでいた。マツルは波を描くようにゆっくりと体を縦に揺らしながら泳いでいた。水中だというのに、目はしっかりと開かれ、熟れた果実のような赤い目は、ぼんやりと光って見えた。ハヤを包む球体は、マツルの顔の横辺りを維持して、マツルについていく。ふとハヤはマツルの鼻や口から空気の泡が漏れないことに気づいた。マツルは生き物ではない。呼吸の必要がないから、当然なのだが、それが酷く不思議に思えた。息を吸わないのは、どういう感覚なのだろう。優雅に泳ぐマツルを眺めながら、ハヤはそんなことを考えた。
マツルはゆっくりと海底めがけて潜っていった。海底には白い砂地の上にポツリポツリと黒っぽくみえる岩が点在し、そこに貝やら海藻やらがへばりついている。マツルが傍を通り過ぎると、海藻の間に隠れていた小さなエビのような生き物が驚いたように飛び出し、すぐに海藻と岩の間に隠れた。ハヤは興味深そうにそれを眺めた。
しばらく泳ぐと、海底はサンゴの林で覆われた。丸みを帯びた枝のようなもの、半球状の形に丸い穴のようなものが開いたもの。キノコのように平たい傘を広げたような形のもの。それらは独創的な美術品のようで、ハヤの心を惹いてやまなかった。ちらりとハヤがマツルを横目で見れば、マツルもまたその光景を楽しんでいるかのようだった。しかし、自動的にマツルについていく球体の中にいるハヤとは違い、マツルはサンゴの林ばかりに気を取られてはいなかった。周囲に目を配り、きちんと進路を見定めている。ハヤはその様子を少し残念に思いながらも、自分は他にすることがない分、サンゴ鑑賞に没頭した。サンゴの林の中にも小さな魚が潜んでいた。こちらを窺うように顔をのぞかせてはすぐに隠れてしまう。つぶらな丸い目に、小さな口をパクパクと動かし、ひれを忙しなく揺らす魚は、なんとも愛らしかった。
やがて燃ゆる瞳の光が遠くなり、海の色が深くなった。少し大きめの魚が群れを作って悠々と泳ぎ、マツルは友人かのようにその隣を並んで泳いだ。やがて魚の群れは急に方向を変えてマツルから離れていった。マツルの前には、巨大な岩が立ちはだかっていた。いつのまにか海底も見えなくなっており、岩は、まだ見えぬ海底の青い闇からぬっと現れた巨人のようだ。岩の先端が先を丸めた三角形のような形をしているので、何となく兜をかぶった人間の頭のようだった。マツルはその岩に沿うように、さらに深く潜っていった。徐々に迫りくる青い闇にハヤは畏怖を覚えた。だが、マツルの泳ぐ速さは変わらない。まっすぐ、深く、深く潜っていく。その傍らで、ハヤはたとえ泳ぐことが出来たとしても、魔法無しではマツルについていくことは出来なかっただろうと思った。人間はこんなに長く水の中にいることは出来ない。深く潜るにしても、水圧がある。生身の人間に対して気遣うべきところを、マツルは時々失念しているように思う。確かにハヤは肉体が無い。しかし、肉体を持つ者同様の感覚はある。マツルに出来る出来ないを問われた時は具体的な回答が必要だ。ハヤは独り頷いたが、そんな自分を不思議そうに横目で見ているマツルには気がつかなかった。
深く潜れば、周囲は岩に囲まれていた。岩から生える海藻が黒く妖しく揺れている。マツルは翼をぴたりと背中にくっつけて、身体の動きを極力小さくして、岩にぶつからないように泳いだ。あたりは暗く、もはやハヤには、岩とそうでないところの区別がつかなかった。と、水の流れが変わったような気がした。マツルは真下に向かって泳ぐのをやめ、横方向に方向転換した。どうやら、岩の横穴に入ったようだ。そして、穴に入るや否や景色は一変した。横穴の中には、青白い苔のようなものが一面に生えていた。それ自体も淡く発光しているのだが、キラキラと水の魔力の光が空間の中にあふれていた。
「もうすぐだよ」
マツルが言った。声に期待がにじみ出ている。ハヤもこの先に何があるのかと、胸を高鳴らせた。マツルは横穴の行き止まりまで泳いだ。その先にあるのは、王冠のような形の青く光るサンゴ。そしてその中に抱かれていたのは、渦巻く波のような模様の球体だった。
「迎えに来たよ。我が”角”よ」
マツルはそういうと、優しく前足で球体を抱き寄せた。大きな宝石と言われても疑わない程にそれは美しい。しかし、マツルの反応は宝石を手にしたという感じではない。どちらかというと、幼子を抱き上げるような手付きだ。ハヤは首を傾げた。
「それは、何なのですか?」
「ふふっ」
マツルは球体を見下ろしながら愛おし気に微笑んだ。
「これは、竜の卵だ。いずれ、ここ、水の島一帯を治める者。海竜の卵だ」




