23闇を食らう
「マツル! マツル!! 早く来て下さい!!」
足をもつれさせながら、ハヤは階段を駆け下りた。なだらかな階段を慌てるあまりに踏み外しそうになりながらも、ハヤは何とか花畑の部屋に飛び込んだ。ハヤの声に気付いたからなのか、たまたまなのか、マツルはちょうど立ち上がったところだった。慌てた様子のハヤを眺めながら、そういえば星を壊されてしまったのだったとマツルは思い返していた。また同じことをされてはたまらない。より強固な魔法で星を打ち上げなければならないだろう。それに今、世界は真っ暗闇だ。急がなければならないだろうな、とマツルはひどく冷静だった。
「マツル!」
ハヤはマツルの前に立つと、彼を怒鳴った。緊急事態なのに何を悠然と構えているのか。
「マツル、白く光る目の、化け物がっ!!」
「落ち着いて」
マツルがあまりにも普段通りなことに憤慨したハヤは、マツルの腕をつかんで引っ張っていこうとした。しかし、伸ばした腕はかわされて、ハヤはマツルの両手で肩を押さえられてしまった。ハヤは腕を払おうとしたが、マツルは一切動かなかった。肩に置かれたマツルの手に力がこもった。ハヤは苛立ちを隠さずにマツルを睨んだ。
「きみは、オレに怒りを感じているのかな? そうされる覚えがオレにはないよ」
ハヤは目を瞬かせた。マツルの言うとおりだ。
「白熱した瞳を持つ影のような存在に会ったんだね? 随分煽られたみたいだ。今のままでは、きみは、あの影の思うつぼだよ」
マツルは静かな口調で穏やかに言い聞かせた。その声に取り乱した心が凪いで行くのが分かった。マツルは、ゆっくりとハヤの肩から手を離した。
「不安になるのはわかるよ。飲まれそうになったのも良くわかる」
ハヤはうなずいた。実際マツルも危うく受呪してしまいそうになった。
「でも、きみは拒否したね。だからここに戻って来られた。今は何も思い出せなくても、その心を忘れてはいけないよ」
影がハヤに接近したということは、影はハヤをも狙ったのだろう。影がハヤの輪郭をしていたということは、ハヤがあの影の生みの親なのかもしれない。あの影は自身を”呪い”だと言った。確かそういう表現をする魔法があったはずだ。何だったか。鳥の名前の魔法だったような。そうだ。郭公だ。他者に目的達成を強要する呪い。この”呪い”を生みつけられた者は、やがて呪いに意識を支配され、自らを滅ぼしてでも目的達成のために動くようになる。と、何かが引っ掛かった。永久魔法のマツルさえも誘惑するほどの強力な呪いだ。その目的とやらも常軌を逸したものに違いない。自分はその答えを知っている気がした。どこかで、何か、聞いた? ような? しかし、思い出せず、マツルは一旦諦めた。今重要なのはハヤが無事にここに戻ったという事実だろう。つまり、ハヤはあの影を拒否できたのだ。もし、ハヤが影の生みの親、つまり、ククールスの呪いを発動した張本人だとしたら、彼女は条件を満たせば、また”呪い”を生み、”厄”を増やしていくに違いない。そうだ、確かに彼女は言った。”ヒナが、羽ばたく”のを”見届けて欲しいのです”と。やはり、ハヤが術者で間違いないのだろう。ならば、影が接触した目的は他でもなく、ハヤを呪いを生む存在に戻そうとしているのだ。しかし、今は、魔力が宿るべき肉体がないゆえに、影が如何様に働きかけたとしても何もできないはずだ。ならば、ハヤが拒否できたのは、肉体がないからだろうか。または、ククールスを発動した時の記憶がないからだろうか。それなら、いずれ肉体を得、魔力を取り戻し、記憶が戻れば、また”呪い”を生み始めるのだろうか。しかし、もし、彼女がもうこのククールスの呪いを止めたいと思っているが故の拒否ならばどうだろうか。失われた記憶の中にククールスを拒否する理由があり、無自覚ながらも影の言葉を拒否できたのであれば、まだマツルにもこの世界にも希望がある。単純に、今この手でハヤを亡き者に出来たら楽なのだが、そうもいかないだろう。何故ならあの影に攻撃は効かず、消滅させることができなかった。ならば、肉体を持たない今のハヤも消滅させることは出来ないのだろう。そもそも自分にそんな所業が出来るのか。友人をこの手に掛けるなど。マツルはそっと、ハヤの髪を梳いた。
「どうか、忘れないで欲しい。きみがあの影を飲むところなど、オレは見たくない」
”影を飲む”と表現したのは敢えての事だった。本当は”影を生む”と言った方が正しいのだろう。しかし、その事実を今の彼女に与えることは出来ない。何がきっかけになるのか分からないのだから。マツルの悲痛な声色にハヤは言葉なくうなずいた。ハヤとてあの影が自分のものなのだと認めたくはない。抗うことが出来るならば、抗い続けたい。そして何より、マツルのそばにいたい。あの影の言葉に従えば、間違いなく自分はマツルと敵対することになるのだろう。それは絶対に嫌だった。このひどく魅力的な友人と争うことなど想像することさえ嫌悪に値する。
「勿論です」
ハヤは答えた。まるで祈るように。まるで誓うように。
「では、共に行こう。世界の様子を確かめないとね。さっきから、外が騒がしいし」
マツルはハヤの手を取り、ハヤは強くうなずいた。ふたりは上の階へと向かった。天井付近に開いた穴は真っ黒だ。外は光を失っている。そして虫の羽音のような、甲虫がうごめくような、不快な音が聞こえている。マツルはハヤと手をつないだまま、宙に浮かんだ。そして穴のふちに立つと、そこから外を見た。外は暗闇と不愉快な音にあふれている。
「光を失ったことで、邪悪な魔物が湧いたのかな? いや、あの影に惹かれてよそから集まったのかも」
マツルは考えた。その隣で、ハヤは心配そうにマツルを窺っている。
「大丈夫だよ」
マツルは優しくハヤの背を叩いた。マツルは、じっくりと広がる闇を観察した。
「実に純度の高い闇の魔力だ。これが発生したということは、かえって良かったかもしれない。この世界を支える影にできそうだ。まずは魔物を排除して、オレの魔力で濯げばいい。あとは、底に沈めて……でも、少し残しておきたいかな。何かの役に立つかもしれないし」
一体何をする気なのだろうか。魔法に詳しい自負のあるハヤにもマツルが何をしようとしているのか見当もつかなかった。よし、とマツルはうなずくと、穴のふちから宙に踏み出した。その姿は一瞬で竜へと変わる。
「さて、始めるよ」
マツルは明るい声で言った。心なしか、闇の中にあふれる虫の羽音が弱まった気がした。マツルは純白の翼を広げ、暗闇の中をまるで泳ぐように飛んだ。闇の中、マツルの輪郭は仄白く光って見えた。
「綺麗」
ハヤは思わず呟いた。その呟きはマツルに届くことなく、闇に吸い込まれた。マツルは大きく円を描くように大樹の上空を旋回した。そして、歌った。ハヤの知らない言語だが、良く響く透き通った歌声だった。やがて白く輝く雨が降り出した。虫がうごめくような不快な音は、やがてサァーッという雨の音に搔き消されていった。次にドオン、ドオン、と何かを撃ち出すような音が二回響き、周囲の闇が渦を巻き始めた。渦巻く闇は、やがて大樹の真上で大口を開けて静止しているマツルの口の中へ吸い込まれていった。闇をすべて飲み込むと世界は明るくなった。空には、何事もなかったかのように燃ゆる瞳が燦然と輝いていた。マツルは、大樹のうろのふちでこちらを見上げるハヤに前足を振ると、とある島を目指した。大樹のある島を囲むように海に浮かぶ六つの島。その島の一つに尖った形をした死火山がある島がある。マツルはその死火山の山頂に舞い降りた。そして、闇を抱くぽっかりと開いた火口部に飲み込んだ闇を半分吐き出した。吐き出した闇は蝶々の形になって、少しの間マツルの周りを飛んでいたが、ゆっくりと火口部の闇に沈んでいった。その様子を見届けた後、マツルは呪文を歌い、そしてその島から飛び立った。吐き出した闇の半分はこの世界の底に送り、どんな呪いにも侵されることのない清浄な領域と化した。この世界を支える影として。そして、体内に残した半分は、自身の闇の魔力に変換した。何に使うかはまだ決まっていないが、きっと役に立つことだろう。マツルは満足そうに笑みを浮かべると、ハヤの待つ大樹へと戻った。
マツルの姿が見えると、ハヤはほっと胸をなでおろした。それから少し怒ったような表情を浮かべた。
「まさかとは思うのですが、闇を飲んだのですか?」
マツルは竜から少年の姿になり、ハヤの隣に立った。
「飲んだよ」
事も無げに言ってみせた。
「悪影響はないのですか」
「ないよ。浄化したからね」
マツルはからかうように笑った。
「影、闇、それらが悪しきものだと感じるのは人間ならではの感覚かな?」
「そういう訳ではありませんが、あの影のような存在を見たばかりでよく言えますね?」
「確かに見た目はそうだね。実のところ、あれは、影というよりは、呪いだ」
何の呪いなのか、ハヤは聞きたそうにしていたが、マツルは肩をすくめて、それを流した。
「純粋で清浄な闇はなかなか貴重で、手に入れがたいから。今回、それが手に入ったのは幸運だと思う」
話題を変え、上機嫌で語るマツルにハヤはあきれ顔だった。それに、とマツルは心の中で続けた。この世界の影として底に沈めた闇は、やがて一つの世界となるだろう。そのために成長を促す魔法も掛けて来た。願わくばそこに”地の底に御座す者“が宿らんことを。きっとこの世界を支えるためにその腕を伸ばしてくれることだろう。
「なんて、夢を見すぎかな」
マツルは呟いた。
「何ですか?」
いぶかし気なハヤの視線をかわし、マツルは上機嫌に燃ゆる瞳の輝く冴えわたる空を見上げた。




