21遭遇
マツルは、大樹の内側、まだ未設定の三階の部屋にいた。ハヤは最下層の花畑で眠っている。マツルがこの三階の空き部屋にやって来たのは、とある魔法に挑戦するためだ。先日のある出来事がきっかけで、急ぐことにした。それは、唐突に訪れた厄災だった。
その日、マツルはいつも通りに世界の成長を促し、ハヤと共に周辺の見回りをして過ごしていた。燃ゆる瞳が力を強めた昼、ハヤはうとうとと船をこぎ、そのまま眠ってしまった。ハヤの睡眠事情は、マツルにはよくわからない。肉体を持たないはずのハヤは、飲食の必要はないくせに、睡眠は必要とした。夜になれば眠ることはもちろん、昼寝もする。しかし、昼寝は絶対ではなく、する時としない時がある。また、かなりの頻度で朝寝坊もする。朝寝坊したからと言って、昼寝をしないかと言えば、そうでもない。朝寝坊した上に、しっかり昼寝もし、夜もぐっすり眠る。ハヤはとにかく良く眠る娘だった。睡眠を必要とせず、疲労すらも感じないマツルは、眠ってばかりいるハヤを少し勿体ないとも思う。自分のようにいつまでも動き回れた方が有意義だろうに。
マツルは花畑に埋もれるように眠るハヤを何とはなしに眺めていた。黒く長いまつ毛に白い肌。髪はまるで絹織物のようだ。その姿は、人間の童話に出てくる姫君のようだ。口付けたら目覚めるのだろうか。悪戯に安らかに眠る顔に自身の顔を近づける。そして動きを止め、数秒。
「まぁ、オレは王子じゃないんだけど」
マツルはひとりごちて、身体を起こした。見下ろすハヤの顔は変わらず安らかだ。自分は何をしているのやら。と、大樹の外側に妙な気配を感じた。何だろう、マツルは首を傾げた。ざわざわと空気が微動する。胸の内を掻き乱されるような不安感。ハヤが身動ぎし、マツルはびくりと肩を跳ねさせた。ハヤは、ふーっと息を吐いた。不思議と周囲の温度が下がった気がした。ハヤの唇がゆっくりと動く。言葉が紡がれた。
「……ヒナが、羽ばたく」
マツルの背を冷たいものが走る。
「見届けて欲しいのです」
ごぉっと空気が唸る音が響いた。マツルは弾かれたように大樹の外へ駆け出した。穴から外に飛び出すと、即座に竜の姿になった。大きな白い翼で羽ばたき、大樹の真上に静止する。見上げる空には黒雲が渦巻いている。ひどい地鳴りがした。まるで世界が悲鳴を上げているようだ。と、渦巻く雲の中心から何かが飛び出した。マツルの魔力構造が嫌悪に震えた。それは、赤黒い影で、輪郭は良く見知った人物だった。マツルは熟れた木の実のように赤い目を鋭く細め、しかし、穏やかな声で問うた。
「何故だい? ハヤ?」
赤黒い影は答えなかった。影はゆっくりと目蓋を持ち上げた。白熱した目が現れた。マツルは、歌うように呪文を唱えた。大樹を守るため、白く柔らかな光の防壁が大樹のてっぺんから根元までを包み込んだ。マツルは自身の上方に浮かぶ影を睨んだ。影もまたこちらを見ている。あの影は何か。何故ハヤの姿をしているのか。胸の内に渦巻くのは嫌悪。そして、懐かしさ。これは、どうも自身という永久魔法の生みの親とあの影に関係があるらしい。そうでなければ、懐かしく思う理由がない。もし、関係がないのに懐かしいなどという感情が発生するのであれば、既に自分は影の術中ということになる。それは勘弁して欲しい。
影が動き、マツルは思考から戻った。影はゆっくりと右腕を上げ、立てた人差し指で空を指す。何をするつもりだろう。呪文の詠唱はない。しかし、影の内側から禍々しい程の魔力が膨らんでいくのがわかる。このまま好き放題魔法を発動させるわけにはいかないだろう。マツルは大きく数度羽ばたくと魔法の突風を起こした。人間どころか同じ竜であってもあっという間に吹き飛ぶ程の風量だ。しかし、影に意に介した様子はない。何事もなかったような顔だ。マツルは首を傾げる。無詠唱による魔法の無効化だろうか? しかし、それにしては、無効化の魔法の気配がない。ならば、マツルも知らない未知の魔法なのだろうか。マツルの脳裏にハヤの右手の印がよぎった。人間達が大魔法使いの印と謳う紋様だ。それは、マツルの能力さえも凌駕する可能性を示唆する。だが、それがどうしたというのだろう。マツルは、口を開け、すぐに炎を噴射した。まるで噴火するが如き勢いで黒い煙を伴いながら吐き出した火の魔法だったが、影に避ける素振りはない。炎は影に直撃したが、まるで効いた様子はない。炎も駄目か。まいったな、とマツルは顔を顰めた。マツルが影を見ると、どうしてか、その白熱した目が揺らいだ。全く効いていないにも関わらず、不愉快だと言いたげに表情を歪ませた。どうやら炎が嫌いらしい。怒らせたのだろうか。マツルは、まずいな、と内心呟いた。あの影にはどんな攻撃も効かないのかもしれない。だとすれば、反撃の余地はない。マツルは口元をひきつらせた。
「私は呪い」
影は呟いた。抑揚のない冷たい声色だった。
「棲み処を見つけました」
マツルはようやく影が何を指さしているのか気が付いた。この世界を照らす星。燃ゆる瞳だ。影の内側で膨らんでいた禍々しい魔力が爆発した、ようにマツルには感じられた。影は瞬く間に上昇し燃ゆる瞳に衝突した。正真正銘の爆発が起こった。視界が白けて何も見えなくなり、激しい熱風に襲われる。人間の鼓膜なら破れてしまってもおかしくない程の轟音がした。ようやく周囲の様子が見えるようになると、燃ゆる瞳の夥しい数の破片が宙に浮いたままマツルのはるか上空で静止していた。と、今度は衝突音がした。視界が白けることはなかった。しかし、強烈な音の波に頭を殴られたかのようだった。マツルは、夜を司る星である水面の瞳もまた破壊されたのだと悟った。水面の瞳の破片は燃えながら落下し、地上にたどり着く前に灰になった。
「これらが降り注いだらどうなるでしょうね?」
感情の一切こもらない声で影が言った。斜め上の空中からマツルを見下ろしている。静止している燃ゆる瞳の破片は小さな隕石のように赤々と燃えて空に留まっている。影は、どうだと言わんばかりに両手を広げて小首をかしげてみせた。
「最悪を防ぎたいならば、あなたの選択肢は一つです」
影は広げた両手を閉じ、すーっと宙を滑ってマツルの目の前までやって来た。影はマツルの口にそっとその小さな手を添えた。その手の温度は、予想に反して熱かった。
「世界を守りたくば、私を受呪するのです」
有無を言わさぬ冷たい声で影は言った。その声は、マツルの心に浸食し、思考を乱し始めた。影は、邪悪だ。しかし、強力な魔力の塊でもある。受呪すれば、強力な魔力が手に入る。星の破片の落下を食い止めることなど容易にできてしまうだろう。
「この力があれば、あなたは何だって出来てしまいますよ」
おそらく、世界創造の速度を上げることすらできるだろう。影の言葉は、ひどく魅力的に響いてマツルの心を犯した。マツルは、影の持つ力が欲しくて欲しくて仕方がなくなった。影は、マツルの口に添えた手を動かして口の周りを撫でまわした。まるで口を開けろと促しているかのようだった。知らず知らずのうちにマツルは口を開いていた。鋭い牙が並ぶ口を覗き込みながら、影は満足げに目を細めた。
「さぁ、私を飲み込んで下さい」
そうすれば、受呪できる。燃ゆる瞳の破片からこの世界を守り、そして世界創造は一気に進むだろう。マツルは、大きく開いた口を自ら影に近づけた。そして、ふと動きを止めた。オレはいったい何をしている? 相手は呪いだ。呪われた力で成した世界で、あの子が、メイトが幸せになれるとでも? マツルは己に問いかけた。マツルの心境の変化が精神を犯していた呪いを退けていく。影もそれに気が付いたようだ。自らマツルの口に滑り込み、そのまま体内に入ろうとした。マツルは影を吐き出そうと激しく首を振った。その時、澄んだ鈴のような音が鳴り、視界に冴えた青い光が弾けた。
「お前は永久魔法だろう?」
「アンタは永久魔法だろ?」
「貴方は永久魔法ですよ?」
『きみは永久魔法でしょ?』
諭すように、責めるように、叱るように、からかうように、声が言った。マツルは開いたままの口から炎を吹き出した。影は炎と一緒にマツルの口の中から吐き出された。手で炎を払うような仕草をして、影が再び顔を歪めた。マツルは大きく羽ばたくと影を避けるように飛んで、空に腹を向けた。あの影に攻撃は効かない。それは、まるで無自我期の永久魔法に一切の手を加えられないように。ならば、対処すべき相手は影ではない。マツルは歌うように小声で呪文を唱えた。影がマツルを脇を通り過ぎ、空に向かって上昇した。マツルは、呪文を終えていた。
「遅いよ」
マツルの周囲からいくつもの光線が空に向かって打ち上げられた。それは、宙に静止している星の破片を次々に撃ち壊した。影は、星の破片の落下を開始させた。しかし、破片が地上に到達する前に、マツルの放った光線は破片を次々に撃ち壊した。撃たれた破片は、キィインと高い音を立てて、細かな砂のようになった。
すべての星の破片を壊した時、世界は静寂に包まれた。そして真っ暗になった。しかし、大地と芽吹き始めた生命は守られた。世界の創造主であるマツルにはそれを感じ取ることが出来た。マツルは、暗闇の中に光る白熱した一対の目を見つけた。その輪郭はぼんやりと赤黒く光っている。
「この世界から立ち去ってくれると嬉しいんだけど」
白熱した目は閉じられた。同時に赤黒い輪郭も消えた。姿は闇に紛れて見えなくなってしまったが、静かに首を横に振ったような気がした。そのまま気配をまったく感じられなくなった。この世界から去ってくれたのか。それとも身を隠しただけか。おそらくは後者だろう。だが、少し弱らせることができた実感はあった。それが救いだ。あの影は、最初、燃ゆる瞳に授呪し、燃ゆる瞳が受呪された状態だった。そして、燃ゆる瞳を爆発させ、その破片を操って、水面の瞳を破壊した。だが、影は目移りした。燃ゆる瞳ではなく、マツルに授呪し直そうとしたのだ。マツルを誘惑することに失敗したのも、半端に燃ゆる瞳に取り憑いたままだったからだろう。そこでふと思う。もし、完全に燃ゆる瞳が受呪していれば、燃ゆる瞳を破壊すると同時にあの影も破壊出来たのではないだろうか。これは憶測にすぎないが、授呪前の影はいくら攻撃しても効いた様子がなかった。魔法の無効化をしていた線も否めないが、しかし、可能性は無くはないだろう。影がマツルに目移りしたことで、授呪の状態が半端になり、結果的に影を命拾いさせてしまったのかもしれない。うーん、とマツルはうなった。世界創造序盤にして手強い敵が現れてしまった。そして、マツルは自らを励ますように、青い光と複数の声を思い返した。青い光を見るのは、これで二度目だ。さらに、聞こえた声の一つも聞き覚えがある。どうやら積極的に関与して手助けしようとしてくれているようだ。そう考えるだけでも心強かった。と、マツルは魔力構造が震えているのを感じた。少し、”休憩”というやつが必要らしい。ハヤには見られたくないな、とマツルは苦笑し、真っ暗闇の中、迷わず大樹のうろの中に飛び込んだ。




