20娘の名前
「やはり、私は魔女なのでしょうね」
花畑に座り、澄んだ泉を眺めてくつろぐ娘は、のんびりとした口調で言った。まるで他人事のような言い方の割に、確信めいた響きを持っていた。
「魔女だと思うよ。確実に」
マツルはあきれた声で答えた。このやり取りは、この娘と出会ってから何度もしている。この娘とは、真蔓の森で出会った。世界創造はまだまだ初期段階。人間の祖先すら発生していないのに、何故かこの人間の娘は、真蔓の森の中にいた。魔力構造が突如動揺して、うずくまっていたマツルに大丈夫かと声をかけて来たのだ。その時は、驚きのあまりしばらく声が出なかった。彼女の正体を知るためにマツルは大樹の中に彼女を連れて来た。よく観察すると、彼女の身体は透けていた。暗いところではわからなかったが、明るいところで見るとその姿は半透明で、肉体が存在していないことが分かった。これは、いったい何を意味するか。それに、とマツルは振り返る。あの時、こちらを気遣う娘の問いに答えようと、一歩足を踏み出した瞬間、近くの真蔓が素早く動き、マツルの片腕に巻き付いたのだ。まるで、「その娘に近付いてはいけない」と警告しているかのようだった。しかし、マツルは、正体不明の存在を放置するつもりはなかった。この世界にとって、どう影響する存在なのかを見極めなければならない。マツルの意思を汲み、真蔓はするすると滑らかな動きでマツルの腕を解放した。マツルは意識を目の前の娘へと戻した。
「きみってもしかして永久魔法なんじゃない?」
「さぁ、どうでしょうね? 何も覚えていないものでして」
このやり取りも何度も繰り返していた。正体を問う言葉に対して、この娘はとにかくぼんやりとしていた。そのくせ、何も覚えていないという割に、魔法の知識はかなりあるようだった。世界を育てるマツルの様子を興味深げに観察したり、この魔法は面白いとか、この魔法を使った方が良いのではないかなど、マツルのやることに口出ししてくることもあった。時にその助言にはっとさせられることもあり、娘の口出しにマツルは不快感を感じるどころか、積極的に耳を傾けていた。魔法使いとしての彼女の知識は本物だ。
「魔法にそんなに詳しいんだ。そろそろ名前を思い出したんじゃない? もしくは、記憶を取り戻す魔法を使うとか?」
マツルが言うと、彼女は、ふむ、と考える仕草をした。滑らかな黒髪が揺れる。その右手の甲には赤黒い紋様がある。二重螺旋の蔓に四枚の葉の紋様。人間の魔法使いたちが大魔法使いの印と呼ぶ真蔓の刻印である。おそらく、この真蔓の森に触れて出来た刻印ではないだろう。印を受けたのは、それ以前、娘の過去の出来事のはずだ。
「記憶に働きかける魔法はとても繊細です。肉体がない私にはうまく働かないでしょう。脳に働きかける魔法ですから」
確かにその通りである。マツルは渋い顔をした。
「私の呼び名が欲しいなら、あなたが考えて下さい。私はこういうことに関する適性が低いもので」
「えぇ、オレが考えるの?」
マツルはあからさまに嫌がった。命名行為など、荷が重すぎる。魔法使いは命名にありったけの神経を使う。名とは、その人を表し、他者と差別化するものだ。そして、その役割は、それだけに留まらず、その人の人生の在り方や道筋さえにも作用する。魔法が関わってくれば、それはより顕著なものとなる。
「適性なんて言ってないで、自分で考えたらどうだい? 何か候補はないの?」
マツルに言われると今度は娘が渋い顔をする番だった。眉間にしわを寄せている。その表情ですら美しいとマツルは思った。
「コリスなんてどうでしょう? なんだかひどく愛着がある響きなのです」
慈しむような口調で娘は言う。マツルは首を大きく振った。
「それは、ないね」
マツルは盛大肩を落としてみせた。娘に小動物の名はあまりにも似合わなかった。小柄な体型ならまだしも、娘の背は高い訳ではないが、低い訳でもない。その背筋はすらりと伸び、立ち居振舞いは優雅だ。小動物の動きのようなせせこましさはない。では、何が似合うのか。娘は美しい。艶めく滑らかな黒髪。通る鼻筋に、形のよい唇。少し垂れた目尻に琥珀の瞳は、どこか妖しく、どこか神秘的だ。動物の名を与えるくらいなら、ありきたりになってしまうが、花の名の方が良いだろう。
「きみは、話にならないね」
「はじめから言ったではありませんか」
からかうマツルに、娘はふてくされた顔をした。マツルは、娘に背を向けた。
「おでかけですか?」
娘は、期待するように少し腰を浮かした。
「そう。見回りに行ってくる。きみの名前は見回りがてら考えるとするよ」
マツルは花畑の部屋の出口へ向かった。
「今日は連れて行ってくれないのですか?」
娘は腰を落とすと、寂しそうに言った。
「お留守番してて。きみの名前を考えるから、ひとりの方がいいんだよ」
マツルの言葉に娘は、ふふっと笑みをこぼした。蕾のほころびを連想させる柔らかな笑みだ。マツルはそのままゆるやかな階段を上り、二階の部屋にある出入口から外に出た。マツルはそこで少年の姿から竜の姿に変身した。大きな白い翼で大樹から飛び立った。
マツルは、大樹が佇む島を囲む六つの島の上空を大きく旋回しながら、魔法の光を降らせていた。それは、いずれ土地の魔力となり、生命を成長させる。土地の魔力が成長したら、竜の魔力を落として行こう。マツルは世界の様子を観察しながら娘の名前を考えた。先程も少し思ったが花の名前はどうだろうか。彼女は愛らしい系の美人ではない。淡くて可憐な花の名は違う気がする。存在感のある花の名の方が合いそうだ。山百合、牡丹、菊、紫陽花。うーん、違うな。それならば、麝香撫子、金鳳花、それも違うな。遊蝶花、大千本槍、野萱草。マツルは首を振った。彼女を、色で喩えるなら赤だろう。マツルは赤い花を思い浮かべた。鶏頭、椿、緋衣草。薔薇、木瓜、雛芥子、仏桑花。それから、とマツルは閃いた。彼岸花だ! その神秘的なすらりと伸びる赤い花の姿は、まさしくあの娘にふさわしい気がした。しかし、不意に目の前に奇妙な光景が浮かんだ。燃え盛る炎、不気味な笑い声。ぞっとした。あまりにも彼女に適合する名を与えるのは避けるべきだ。本能的にそう感じた。邪な秘密を引き出してしまいそうな、そんな感覚だ。
「花はやめよう。ありきたりだし」
マツルは一度首を振った。そして、先程浮かんだ光景について考えた。真蔓も自分を止めたくらいだ。彼女は危険なのだろう。おそらく、名前は鍵だ。危険な扉を自ら開く必要はない。ただ関わってしまった以上、いずれ向き合うことになるだろう。さて、どうしたものかな。マツルは大きく羽ばたいた。やがて、燃ゆる瞳の力が弱まり、水面の瞳の暗い静かな光が大地を照らす頃、ようやくマツルは大樹へ戻った。マツルは竜から少年の姿に変わった。
マツルが花畑の部屋に顔を出すと、泉のほとりには、明らかに機嫌が悪そうな娘がいた。少し、待たせ過ぎただろうか。
「遅いです。あなたは、休憩という概念をもたないのですか?」
待たせたことを怒っている訳ではないらしい。マツルは安堵した。
「もたないよ。生き物じゃないし」
からかい口調でマツルが答えると、娘は盛大にため息をついた。その様子を見ると不思議でたまらない気持ちになる。今の彼女には、肉体がない。だから、呼吸とは無縁の筈だ。しかし、彼女は肉体を持つ者と同様の仕草をするのだ。ため息をついたり、寒そうに腕をさすったり、眠ったり。極めつけは、触れ合うことが出来る。霊体というには鮮明で、肉体と呼ぶには希薄だ。彼女という存在は実に中途半端だ。魔法使いのくせに、魔力は一切感じられない。故に彼女は魔法を使えない。彼女を永久魔法と疑いながらも断定できない理由はそこにある。彼女が永久魔法なのだとしたら、何か特殊な条件を持っているのだろう。その条件が何なのかは、全く検討もつかないが。彼女が世界創造の障害になるのなら、排除しなければならない。しかし、正体がわからないものをどうやって排除するというのだ。マツルは、ちらりと娘を盗み見た。娘はあきれと心配が混ざったような顔をしている。その顔に親しみを感じないと言えば嘘だ。彼女を本当に排除できるのか? 既に良き友人のような存在なのに。
「どうかしましたか?」
娘は言った。首を傾けて上目遣いにマツルを見ている。
「考え事」
マツルは娘の隣に腰を下ろした。彼女は何なのか。創造中の世界故に、生まれられなかった魂、という表現が一番近いだろうか。だとすれば、世界が確固たるものに成長することで、いずれ生まれる為に未来の肉体の元へかえるのだろう。そして得るべき魔力を手に入れ、彼女は本来の姿を取り戻す。それが、この世界にとって吉と出るか、凶と出るか。しかし、これもまた想像の域を出ない。
「名前、思い付きましたか?」
娘に問われ、マツルはふふっと笑った。名前について考え込んでいると思われたようだ。娘は期待のこもった眼差しをマツルに向けている。
「名前は”ハヤ”にしよう」
マツルの声に迷いはなかった。
「ハヤとは甲矢のこと。最初に射る矢だ。オレの世界に最初に現れた人間だから。いいでしょう?」
肉体に先行して現れた魂もどき。魂は最初の矢。後を行くは、肉体。これを説明すれば、情緒がないと娘は不貞腐れるだろう。しかし、この名に込めた意味はそれだけではない。矢には、魔を滅し、幸いを射る呪具がある。この名が災いを破るならば。名とは、それ程に深い意味をもつ。運命の道筋に、影を落とし、されど、その先を照らすもの。
「やはりあなたに頼んで正解でした」
ハヤと名付けた娘は、感嘆の笑みを浮かべていた。その表情にマツルは満足げに微笑んだ。




