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16郭公

「これは、永久魔法を作る呪文です」

しかも、自我のない永久魔法を作るための呪文だ。おそらく、あの魔術師団長もこの呪文を試すのは初めてのはずだ。だから、私は、立ち会い人という予備なのだ。ヒガンを永久魔法にすることに失敗したら次は私の番なのだ。ドバトとアルテミスはいつの間にか私の肩を押さえる手から力を抜いていた。私たちの周りを兵士たちが取り囲んでいる。私はヒガンを見た。炎に全身を包まれたヒガンは、もうすでに叫ぶのを止めてぐったりしている。しかし、未だ耳の奥では、ヒガンの悲鳴がこだましている。このままでは手遅れになる。魔術師たちが唱える呪文もこの位置にいては、どこまで進行しているのかよく聞こえなかった。興奮した観衆の声が先程の何倍も膨れ上がって五月蝿く聞こえた。

「おチビさん。あっしの役目はここまでだ」

ドバトが言った。私は、「えっ」とドバトを見た。

「時間はない。おチビさん、進むか留まるかを決めるんだ。あっしは……!」

ドバトは苦しそうな表情をしていた。

「おチビさんに行って欲しくない。あっしらと共にここに留まって欲しい!!」

ドバトの必死な声にはいつもの優しさがあった。この言葉に偽りはない。それでも、私は。

「私は進みます。ヒガン様をこのままにしておくわけにはいきません」

ドバトは眉間にしわを寄せたままうなずいた。そして、ドバトはアルテミスの方を見た。

「ミズアオ、もういい」

「うん。わかってる。うっかり死なないでよ、二人とも」

アルテミスは、そう言い残すと霧のように消えてしまった。私たちを取り巻いている兵士たちがどよめいた。ドバトは、私の腕を拘束している魔法を解いた。

「ライメイ様、何を!?」

兵士たちが困惑の声を上げた。ドバトはため息をついた。ドバトの目が赤く煌めく。

「退き給え、小さきものよ」

急に暗雲が立ち込めた。雷鳴がする。ドバトは呪文のようなものを唱えているが、低い声で歌っているようにも聞こえた。すると、(ひょう)が降り始めた。しかも、鋭くとがった矢じりのような雹だ。鎧を着ている兵士は少し驚いているくらいだが、そうではない民衆や観覧席の王侯貴族たちは、慌てふためいている。観覧席にいた護衛兵士が盾を掲げて王侯貴族たちを守った。高貴な人々は、兵士の盾を傘にしてぎゅうぎゅうに集まって身を小さくした。民衆は皆、雹が当たらないところを探して右往左往し始めた。民衆の一部が広場の中に入って来ようとするので、兵士たちは怒鳴りながら、民衆を押さえに行った。私たちを取り囲んでいた兵士は、ほとんどいなくなった。私はヒガンの元に向かって駆け出した。不思議と私の上に雹は降ってこなかった。この時の私は気が付かなかった。ここにも未来を変えるかもしれない分かれ道があったのを。ヒガンの括り付けられている柱の真上、空のその部分だけが丸く晴れ渡っていた。そこまでは気が付いていたが、ドバトがヒガンに雹が当たらないようにしているだけかと思った。そこで羽ばたき、旋回する白い翼に私は気づくことが出来なかった。

 私は魔術師たちの輪に到達した。呪文はかなり進行している。魔術師たちにも雹が降り注いでいたが、彼らの魔法のローブが雹を弾いていた。魔術師たちは、近づいて来た私の存在に気づいていた。彼らの目がこちらを見ている。しかし、呪文を唱えるのに必死で何もできない。永久魔法の呪文は、複雑怪奇なのだから仕方のないことだ。私は、もう一度ヒガンを見た。炎の中のヒガンはもはや黒い塊にしか見えない。私は泣きそうになるのをこらえた。もう、ヒガンの肉体は死んでいるだろう。それでもヒガンを死なせたくなかった。矛盾しているようだが、私にはそれが可能だ。永久魔法を完成させよう。そして、ヒガンの自我を維持するのだ。私は、魔術師たちの声に耳を澄ませた。魔術師たちは、それぞれの役割に分かれて呪文を唱えている。永久魔法を作り出す呪文を唱える者と自我を殺す呪文を唱えている者。異なる呪文を唱えながら、一つの魔術をなす詠唱方法(えいしょうほうほう)重唱(じゅうしょう)という。これが、あの魔術師団長の考えた呪文の(かなめ)だ。私は、わざと魔術師の輪に割り込み、魔術師団長の隣に立った。

「久しぶりですね。勝負ですよ」

魔術師団長は恐ろしい形相で私をにらみつけたが、何もしてこなかった。彼らはもう祈るしかないのだ。兵士が私をつまみ出すか、私の呪文が失敗することを。私はスーッと長く息を吸い、目を閉じた。そして呪文を唱え始めた。まずは、自我を殺す魔法を無効化する。私は流れるように呪文を唱えていった。もはや自分でもいつ息継ぎをしているのかわからないくらいだ。ほどなくして、私の身体に変化が起きた。全身が何かに締め付けられるような感覚がする。肺が圧迫されるようで、呪文を唱えるのが苦しい。しかし、これは想定内の出来事だ。対抗する呪文を唱えるときに起こる反発だ。私の呪文を魔術師団たちの呪文が跳ね返そうとしている。相手は複数だ。しかし、複数だからこそ、呼吸を合わせなければならず、早く呪文を唱えることができない。その分、私の呪文の方が進行が速い。魔力の差は、私が唱える呪文の種類と量で補うしかない。私にはそれが出来るはずだ。私はヒガンの弟子なのだから。私が、自我を殺す魔法の無効化に成功すると、自我を殺す呪文を唱えていた数人の魔術師たちが呻きながら気絶した。彼らは糸が切れたように地面に倒れた。私は、次に永久魔法を作り出す方の呪文に加担した。少し目を開けて見ると、隣で魔術師団長の男が震えているのが分かった。いい気味だ。ヒガンの永久魔法に関する研究書は何度も何度も繰り返し読んだ。私は集中した。ここまで来て失敗するわけにはいかない。「待ってよ!」と戸惑うような子供の声が聞こえた気がした。私は首を振った。私は目を固く閉じた。

 呪文を唱え終えたとき、あたりはしんと静まり返っていた。うまくいったのだろうか。私は目を開けた。ヒガンが括り付けられている柱の先を見ると、炎は鎮まっていた。そこには、黒いもやのようなものが生じていた。そこから薄気味悪い笑い声がしていた。その声がヒガンのものだと気が付いた時、私は自分の過ちを悟った。

「いけない! ヘキレキ!! 引けっ!!!」

どこからかアルテミスの叫び声がした。

「駄目だ、まだおチビさんがっ!!!」

狼狽したドバトの声がする。

「言っている場合じゃない!! ()()は、もうだめだっ!!!」

アルテミスの声はもはや悲鳴のようだった。黒いもやが人の姿に変わった。それは、赤黒く光るヒガンの輪郭をしていた。目は、白熱した光を放っていた。ヒガンは柱の上にふわりと浮かんでいた。広場の人々は凍りついたように静止している。空から叩きつけるように降っていた雹は止んでいた。

「うふふっ。愚かなものですね」

赤黒いヒガンは嘲笑っていた。口の中は鮮血のように赤い。片腕を腰に当てて見下すように空中に立っている。

「犠牲の上に平和が咲くと本当にお思いですか? 傷は癒えても、痕はいつまでも痛むものなのですよ」

ヒガンは高笑いした。私の知らない笑い方だ。私は、呆然とヒガンを見つめることしか出来なかった。ヒガンはすうっと息を吸った。その呼吸音は、何故か耳障りなほど大きく聞こえた。怯えた誰かが耐え切れずに悲鳴を上げた。

「”我が呪い(タマゴ)、他者のヒナとなれ”」

ヒガンは呪文を唱えた。凍てついた風がヒガンを中心に同心円上に王都広場の人間を撫で付けた。ヒガンが私の練習に付き合う時以外に、呪文の詠唱を行ったことがあっただろうか。いや、ない。その事実に気づき、私の背中に冷たいものが走った。私は、がくっと両膝をついた。私の隣では魔術師団長の男が腰を抜かしていた。はくはくと口を動かしているが、一切言葉は出てこない。こんな状況でなければ、私はその姿を存分に嘲っただろう。

「以前私はこう言いました。”私には自分を永久魔法に変えてまで成し遂げたいことなんてありません”と」

ヒガンは凍り付いたように動けない群衆を眺めながら言った。しかし、その言葉は私に語り掛けているものだ。

「あなたが答えをくれました」

ヒガンの首がゆっくりと動いた。ヒガンの白熱した瞳が私を捉えた。

「滅びよ、世界!」

世界が恐怖に悲鳴を上げたかの如く地鳴りがした。呼応するように群衆からも張り裂けるような悲鳴があがった。私は愕然としていた。それはあまりにも聞き覚えのある台詞だった。どうして? 私が正しさを求めた結果がこれだというのか!? まさか、ヒガン様が? あの塔にいたのは! 私の所為!? 私は両手を地面につき、うなだれた。頭がくらくらと回っているようだ。ひどい吐き気がした。魔力をほぼ使い果たした体は石のように重い。と誰かが私の目の前に立った。

「あなたには、(ヒナ)が羽ばたくところを見届けてほしいのです」

ヒガンだ。ヒガンは私の前で膝をついた。ヒガンは私の頬を両手で包み込んだ。ヒガンの手は火傷しそうなほどに熱かった。ヒガンは笑っていた。ヒガンは私の頬から手を離すと、両手を胸の前で組み合わせた。その手をゆっくりと広げると、手の内には赤黒い何かが出現した。形は心臓に似ていた。ヒガンはそれを私の左胸に押し当てた。ヒガンの力に押され、それは私の胸の内側に入っていった。途端に内側から身体が凍り付いたかのように熱を奪われた。心臓が締め付けられるようだ。息が苦しい。

「これをご覧ください」

私に魔法指導をしている時と同じ口調でヒガンは言った。ヒガンは、右の手の平の上に美しい紋様を出現させた。まるで万華鏡の作り出す模様のようにそれは美しかった。

「美しいでしょう? 何かお分かりになりますか?」

ヒガンが私に尋ねた。まさか、と私は思った。

「不老、の……?」

私はやっとのことで言葉を絞り出した。ヒガンは紋様を私の顔に近づけてくる。

「や、やめ……」

ヒガンは紋様を再び私の胸に押し当てた。今度は身体が燃えるように熱かった。

「また会いましょうね。子栗鼠さん」

「待って……」

私はヒガンに腕を伸ばしたが、ヒガンは私の手を払った。ヒガンは飛び上がると、空中で身体を丸めた。ヒガンの身体から輝く液体のようなものが溢れ出し、ヒガンを包み込んだ。それは、一瞬激しく光り、ヒガンもろとも消えてしまった。私はその場に倒れた。兵士たちが集まってきて私を捕らえた。

「王城の地下牢へぶち込め!」

魔術師団長の男の声が喚くのが聞こえた。

「狂いめ……」

私は呟いた。お前たちのせいで。

「狂いどもめ……」

お前たちさえいなければ。


私は意識を失った。

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