15火刑
ヒガンに師事して三年が経った。私の見た目は、ヒガンと同じ年齢くらいになった。ヒガンは相変わらず年を取らなかった。出会った時のままずっと同じ見た目だった。
「私が成人したら、”子栗鼠”じゃなくなりますよね?」
私がヒガンに尋ねると、ヒガンはそうですね、と考え込むような仕草をした。
「あなたが成人したら”栗鼠さん”と呼ばなければならない理屈ですが、私は子栗鼠さんと呼び続けたいです」
ヒガンの返事に私は笑ってしまった。成人していないから子栗鼠なのだと言ったくせに。しかし、私も子栗鼠という呼び名に慣れてしまっていたので、もうこのままで良い気分になっていた。
私とヒガンは窓際の作業台の前に立って一緒に薬を包む作業をしていた。昨年から薬の受注が増え、ヒガンは大忙しだった。だから、私も手伝うことにしたのである。ヒガンは、最初こそ遠慮したが、私が魔法を教えてもらっているお礼がしたいのだと、熱を込めて言うと、少しずつ私に手伝わせてくれるようになった。
作業が終わると、見計らったかのように色とりどりの小鳥たちが飛んできた。私たちは小鳥たちに薬を渡した。時々、鳩も飛んでくるようになったので、ヒガンの新しい顧客なのだと私は思った。薬の受け渡しが済むとヒガンは私の魔法指導を行った。この三年で私は見違えるほどいろいろな魔法を覚えた。例の王国魔術師団の男の永久魔法から自我を抜き取る魔法の穴も見つけた。魔法式の検証と呪文の検証をしつこく繰り返した結果とうとう見つけた。あの呪文を唱えて自我を消滅させれば、永久魔法は完成に至ってもわずか数分で崩壊する。呪文そのものは合っている。だからなかなか気が付けなかった。完成に至ってからの効果の持続の方に問題があったのだ。もし、あの男が得意げに自我のない永久魔法を作る機会に立ち会う機会があったら指をさして嗤ってやろう。まぁ、そんなことをすれば、王城の地下牢で一生を過ごすことになるだろうが。
魔法指導が終わると、いつも通り私とヒガンはテーブルを囲んで昼食をとった。私は、新作のパンが出ると、それを必ずヒガンに買っていき、ヒガンと一緒に感想を言い合って遊んだ。もっとも、素朴な味わいが好きな私と、しっかりした味付けが好きなヒガンとでは意見が合うことはなかったが、それが面白かった。互いの言い分を聞いて、納得したり、反論したりするのが楽しかった。私たちの意見がパン作りに反映されることは一切ないのに、である。
「それにしても、どうしてこんなに薬の受注が増えたのでしょう?」
私はカボチャのスープをかき混ぜながらヒガンに尋ねた。ヒガンは表情を曇らせた。
「北の国で熱病が拡大してしまったようですね。この国は、北との交流がほとんどないことが幸いして、影響がまだ出ていません。しかし、北からの商人や移民を黙認している以上、病がこの国に流れてくるのは、時間の問題でしょうね」
状況は、私が思う以上に深刻なようだ。
「どうにかできないんでしょうか? ヒガン様の薬はとてもよく効くんでしょう?」
私が言うと、ヒガンはやはり浮かない表情をしている。
「私の薬は効きますよ。しかし、量産できないのが難点です。この森で採れる薬草には限りがありますからね。異世界に渡った時も、良い薬草を見かければ、必ず持ち帰って来ていましたが、それでも追いつきません」
私は、ヒガンと何度か異世界に渡ったが、ヒガンは薬草を見つけるたびにしっかり採取を行っていた。しかし、全て取り尽くすようなことはなく、必ずある程度残して採取を終えていた。それが礼儀というものだとヒガンは言っていた。
「そう、ですか」
私はしょんぼりした。この国でも病気が流行ったらどうなるだろうか。良い薬は、貴族たちが買い占めてしまうから、民衆による暴動が起きるかもしれない。国内のことだけならまだ良いが、薬の争奪戦が国同士で行われたとしたら? 私はぞっとした。嫌でも滅んだ世界のことが思い出された。私が青ざめていたからだろうか。ヒガンは静かに立ち上がると私のそばにやってきた。そして、私を抱きしめた。
「ヒガン様?」
私は驚いた。しかし、ヒガンはしばらくそのままの姿勢でいた。ヒガンの心臓の音が伝わってきた。ヒガンも不安なのかもしれない。私はしばらくヒガンの心臓の音に耳を傾けていた。
それからしばらくは穏やかな日々が続いた。変わったことと言えば、色鮮やかな小鳥に混ざって鳩が頻繁に飛んでくるようになったくらいである。鳩はヒガンに封書を届け、ヒガンは中身を確認すると、素早く紙に何かを書き込み、封をして鳩に渡した。この鳩は伝書鳩のようだ。ヒガンは一体誰と手紙のやり取りをしているのだろう。
「そう言えば、最近ドバトを見かけましたか?」
ヒガンは私に尋ねた。私は首を振った。私の勤め先に、時々ドバトはパンを買いに来た。挨拶程度で、会話らしい会話はしていなかった。そのドバトは、ここ数ヶ月、姿を見ていなかった。もしかしたら、私が休みの時にパンを買いに来て、たまたま会わなかっただけかもしれないが。
「もし、あなたの前にドバトが現れて何らかの指示をしてきた場合はそれに従って下さい」
ヒガンは言った。
「どうしてですか?」
私が尋ねるとヒガンは黙った。そして、懇願するような目付きで、どうしてもそうしてほしいのです、と言った。私はヒガンの意図を計りかね、曖昧な返事をした。
それから数日後、私は夢を見た。元の世界の夢だが、何かがおかしい。私が歩いている道は、滅びの直前に歩いていた場所に似ていた。私は配給袋を持った女を見ていた。中には固形の栄養食が入っている。畑で育てた作物や、家畜を食べる文化は失われて久しい。歴史の教科書でそういう食文化があったことを知った。今は、この固形の栄養食が主流である。そして私は気が付いた。私は今第三者の視点なのだ。私は、配給袋の女の斜め後ろを歩いている。しばらくすると、予想通り、向かい側からうつうつとした表情の私が歩いて来た。夢が誇張するせいか、かなり人相が悪い顔をしていた。背が低いために、まったく威圧感など無いのが滑稽だ。
地震が起きて、女は転んだ。袋から飛び出した食糧をしまおうとして、女は異変に気づいた。先ほどまでの青空が嘘のように黒い。と、そばを通りかかった私に衝動的につかみかかる。
「あなたも祈って!」
女は言った。私は、女の手を払いのけた。
「狂いめ!!」
鬼の形相で女を睨みつけたその顔は、私の顔ではなかった。滑らかな黒髪に琥珀の瞳。見間違えるはずもない。女の手を払ったのは、ヒガンだった。
私ははっと目を覚ました。心臓が早鐘のように鳴っていた。冷や汗をかいていた。私は深呼吸した。胸の内の不安感はなかなかおさまらなかった。そのまま眠る気にもなれず、私は顔を洗って着替えた。汗で湿った肌着を変えるといくらか気分が良くなった。私は、ベッドの上で身体に毛布を巻き付けて座った。初冬の朝は、部屋の中でも息が白くなる。何もせずに座っていると先ほどの悪夢が思い出された。夢とは脳が記憶を整理しているから見るのだ。これは、前の世界では常識だった。しかし、こちらの世界では、夢には意味があると言う。たとえば、悪夢を見たらそれは、未来からの警告だから気を付けよ、というように。脳の作りが元の世界と今の世界とで変わるわけがない。正しいのは前者だ。今見た夢は、私の過去にヒガンが割り込んだにすぎない。夢にありがちな無茶苦茶な配役だ。馬鹿馬鹿しいじゃないか。
しばらく物思いにふけっていた私は、もぞもぞと毛布から抜け出した。そろそろ仕事に行くために支度をしなくては。しかし、玄関の方で何やら騒がしい声がした。父が怒鳴るような声を出し、母は怯えて懇願するような声を出している。まさか、夫婦喧嘩だろうか。突然どうしたのだろう。私は自分の部屋を飛び出した。もつれる足で玄関に向かった。
「お父さん、お母さん、どうしたの?」
私の声に振り返った両親は、狼狽した顔をした。
「逃げなさい!」
父が叫んだ。
「いいや、逃げるのは許さないよ。賢いおチビさんなら、逃げたら何が起こるかわかるはずだ」
聞き覚えのある声なのに、まるで別人のようだった。私は、ぎこちない動きで、玄関先に立つ人物を見た。そこには王国魔術師団の制服に身を包んだドバトが立っていた。
「王国魔術師団師団長の命により、お前を王都広場へ連行する」
ドバトが冷たく宣言した。王都広場と言えば、一般的には、民の憩いの場の公園のような場所を想像するかもしれない。しかし、この国は違う。王都広場は処罰の場だ。罪人を国民にさらした上で罰する恐ろしい場所なのだ。ドバトの後ろには、同じく王国魔術師団の制服を着た人物が立っていた。一人はドバトと同じように刺繍の凝ったローブを身にまとい、あとの二人はもっと簡素な制服を着ていた。
「あたなが何者なのか聞く権利はあるでしょう?」
私は動揺して、声が震えていたが、なんとか疑問を口にすることが出来た。
「失礼した。ワタシは、王国魔術師団副師団長のライメイだ」
ドバトが言った。しかし、ドバトは嘘をついている。私の勘が言った。その名は真名ではない。まだドバトの方がしっくりきている。
「同じく副師団長のアルテミスです」
ドバトと同じく凝った制服を着ていた人物が一歩前に出た。落ち着いた低い声をしている。
「私が王都広場へ行かなければならない理由はなんですか?」
「理由なんてない! 連れて行かせない!!」
父が私を抱き寄せた。
「これは、命令です。あなたの子は、行かねばなりません」
アルテミスが言った。
「私が代わりに行く!」
父がうなるような声で言った。
「いいえ、あなたでは代わりになりません。その子が来るしかないのです。そうでなければ、その子が自発的に私たちに従いたくなるように、あなたや、あなたの妻、または、その子の勤め先のパン屋の主人をその子の目の前で痛めつけることになります」
アルテミスは淡々と説明した。
「王都広場は、処罰の場ですよね? 私の罪は何なんです?」
彼らの”連行”という言葉からして、良い理由で連れていかれるわけではないだろう。いくら察しの悪い私でもその辺のことはわかる。しかし、私は何も悪いことをした覚えはない。
「正確に言うと、君は立会人なんだ。君が罰を受けるわけではない。だから大人しくついて来さえすれば、君は無事にこの家に帰れる可能性の方が大きい」
ドバトが言った。私は疑わしそうにドバトを見た。その言い方では、罰を受けるわけではないが、無事に帰れない可能性もあると言えるではないか。つまり、"罪"は無く、"罰"がある。罰と称して何かをしようとしているに違いない。
「私は罪人ではないということですね。でも、立ち会うということは、誰かが罰を受けるところに立ち会わないといけないということですか? 何だか妙な話ですね?」
私は皮肉たっぷりに言ってやった。ほぅ、とアルテミスが溜め息をついた。てっきり呆れているのかと思ったが、アルテミスはなぜか微笑んでいた。
「君は罪人じゃない。それは認めよう。裁かれるのは、別の人間だ」
ドバトは私の目をまっすぐに見つめていた。
「私が立ち会う意味を感じられませんが?」
私は、ドバトをじろりと睨んだ。もう、私の声は震えていなかった。ドバトは、感心したように表情を緩めかけ、しかし、すぐに引き締めた。
「いいや、君は来ないといけない。君の目の前でお父さんとお母さんの背中に鞭でも打てば、その気になってくれるかな?」
私は一瞬、両親を見て、ドバトに向き直り舌打ちした。
「わかりました。立ち会います。行きましょう」
私は、父の腕を優しく払い、前へ出た。が、すぐに振り返った。
「お父さん、お母さん。生んでくれてありがとう。愛してる」
私は二人の首に腕を回して抱きしめた。多分、両親とはこれで最後になるだろう。そんな予感がした。両親は私を抱きしめ返したが、その手をなかなか放そうとしなかった。
「気持ちはわかるが、時間だ」
ドバトが冷たく言い放ったが、二人は私を離さなかった。
「何事もなければ、その子は無事に帰れるんだ!」
ドバトが言葉を荒くした。
「私に任せなさい」
アルテミスがかすれた声で短い歌をうたった。すると両親は、急に腕の力を抜いて私を離した。両親の表情はうつろだった。
「何をしたんですか!」
私は慌てて叫んだ。
「大丈夫。少しの間、眠るだけ」
アルテミスは落ち着いた声で言った。そして、私に近づくと私の腕を魔法の縄で縛った。睨み付けて唾でも吐いてやろうかと私はアルテミスの顔を見上げた。アルテミスは女性だった。私は思い留まった。察した様子でアルテミスは私の頭を撫でた。
「さぁ、いきましょう」
私は、魔術師四人に囲まれた状態で家を出た。何事かと近所の人が不安そうに顔を出していた。
「野次馬は感心しないな」
ドバトが凄んだ声でいうと、近所の人たちは、いそいそと家の中に戻った。家の前には馬車が二台止まっていた。魔術師たちが乗る用と、私の連行用かと思っていると、何故か一台に私とドバトとアルテミスが一緒に乗り、もう一台に残り二人の魔術師が乗った。どういう状況だ。私は首を傾げた。馬車の扉が閉められ、馬車が走り出した。しばらくは無言で馬車に揺られていた私だったが、黙っていると、この状況への苛立ちが募った。
「何の黒魔術を始める気ですか?」
私は二人に尋ねた。
「着くまでは言えない」
ドバトが言った。どことなく気まずそうな表情だ。すでに王国魔術師団副師団長の仮面が外れかけている。柄にもないことをするからである。
「私が罪人ではなく、立会人ということは、そういうことですよね? 生贄か何かの予備に私が選ばれたということですね?」
私はなおも質問したが、ドバトは答えなかった。私はドバトに腹を立てた。連れていくことに変わりがないのなら教えてくれたっていいじゃないか。
『その通りだよ。おチビさん』
不意にアルテミスの声が私の頭の中に聞こえてきた。
『おっと、平静を装ってね。ドバトは、私が心に語り掛ける能力を持っているのを知っている。悟られたらこの会話を中止しないといけない。だから、返事は心の中でお願いね』
アルテミスは心地よい低音で言った。
『あと、私の名前はミズアオだよ。魔法使いが真名を明かす意味はわかるね。これで信用してほしい』
アルテミスは言った。嘘を言っているようには聞こえなかった。私は今、嘘を見抜く魔法を掛けることが出来ない。アルテミスの掛けた縄が私の魔法を封じていた。だから、私は、アルテミスが本当のことを言っているのか実際のところはわからなかった。しかし、真名を告げられた時、その名の響きが嘘でないと私に告げていた。
『王国魔術師団は、これから大罪を犯すんだよ。人命をささげる禁術でね。何故ならこの国は今危機に瀕しているからだ。国民にはまだ伏せられているが、北の国がこの国に宣戦布告をすることになりそうなんだ。これから魔法戦争が起こるんだよ』
私は耳を疑った。北の国の動きが怪しいという噂は何度か聞いたことがあったが、そこまで深刻な状況だとは思わなかった。
『北の国は熱病で乱れ、国力を疲弊させている。だから、この国に侵攻して豊かな資源と人材を根こそぎ奪おうとしているんだ。さらに、この国には北の国にはない熱病に良く効く薬があるからね。運悪く、北の国の王はそれに気づいたんだ。だから最初は、薬を買い取る方針をこの国に示したんだよ。しかし、この国の王は、そのよく効く薬とやらの存在を知らなかった。北の国から貴重な薬の現物が見本として送られてきたのに、それが何の薬なのかわからなかった』
まさか、と私は思った。よく効く薬とは、ヒガンの作った薬のことではないだろうか。ヒガンが細々と他国の知人たちに販売していた薬の評判が、北の国の王の耳に入ってしまったのだ。隠れているヒガンが作った薬など、この国の王が知る由もない。
『だから、交流を公に再開すると見せかけて侵攻の手がかりにしようとしているのだと、言いがかりをつけたんだ。薬の成分を王国魔術師団に調べさせることすらしなかった。この国の反応に北の国の王は大層お怒りになった。それもそうだよね。薬を買い取らせて欲しいと言っただけなのに、侵攻する気だろうなどと言われては、怒るのも当然だ。故に、薬を手に入れ、さらには資源と人材をも奪って国力を回復する決断を北の国はしてしまったんだ。そして我が国はそれを阻止するための大魔術を今まさに執り行おうとしているんだ』
まさかヒガンの薬でこんなに事が大きくなるだなんて。ヒガンはこのことを予想していなかったのだろうか。
『しかしながら、この国にも下心がある。王国魔術師団の師団長は今回の魔術に自信がある。だからこの状況を好機ととらえたんだ。北の国には、この国にはない魔力を持った鉱物資源があるからね。北の国の魔法戦士団が何故優れているかといえば、その魔法鉱物で作られる武器がまさに伝説級の強さだからだ。北の国は、病気で国が弱っているから攻めるには今しかない。この国はそういう考えに至ったんだ。もちろん、北の国は弱っているとはいえ、戦士団の強さは変わらない。だから北の国は、我が国を攻め滅ぼすのは簡単だと思っている。懸念があるとすれば、ただ一つだ』
アルテミスは微かに唇の端を上げた。
『この国には恐ろしい魔女がいる。かつて北の国を救い、そしてその女王を石へと変えた救国の悪女、魔女・ヒガンがね』
何だかすごいことをやらかしているじゃないか。私はヒガンにあきれてしまった。気まずそうにする訳だよ、と納得もした。
『ヒガンがこの国を去ったら、北の国は迷わず侵攻を開始するだろう。宣戦布告をする、と北の国内ではもう発表しているのに、それがまだ実行できてないのは、未だにヒガンが恐れられている証拠だね……さて、ここで一つ提案だけど』
アルテミスは少し声色を変えた。
『君、私と一緒に逃げないかい? 私が君の新しい師匠になってあげよう。そして私と一緒に世界中を旅しよう。くだらない争いに付き合う必要はないんだ。君には素質がある。私にはわかる』
アルテミスが言った。私は困惑した。どうして出会って間もない私にそんなことが言えるのだろうか。アルテミスの提案は魅力的だったが、しかし、私はうなずくことが出来なかった。私がアルテミスについてここから逃げ出せば、両親や、私の知り合いたちが危険な目に遭うのではないだろうか。アルテミスも私の懸念を察したようだ。
『残念。良い案だと思ったけど………痛い!」
アルテミスが声に出して叫んだ。私が驚いていると、アルテミスは頭を両手で押さえていた。隣に座るドバトは苛立たし気にこぶしを握り締めていた。ドバトがアルテミスの頭を殴ったのだ。
「黙っていれば調子に乗って! おチビさんを誘惑するんじゃない。まったく、油断も隙も無いなお前は」
「黙って聞いていたくせに、早く止めればいいじゃない。この鈍間!」
「鈍間っていうな!」
ドバトとアルテミスの口論が始まってしまい、私は困惑するよりほかなかった。この二人、いったい何がしたいんだろう。本当に王国魔術師団の人間なんだろうか。私は、言い合いをする二人を観察した。ドバトとアルテミスの歳は同じくらいに見えた。二十代後半から三十代前半くらいだ。ドバトは耳が隠れるくらいのぼさぼさ頭なのに対し、アルテミスは女性にしては短く髪を切っており、耳が見えるくらいだ。そして、二人ともこの国では珍しい目の色をしている。ドバトの目は冴えた空色で、アルテミスは熟れた果実のように赤い目だ。口論している二人の目の色は時々色が変わって見えた。ドバトの目が赤く見えたり、アルテミスの目が青く見えたりすることもあった。腕が縛られていなければ、私は目をこすって確かめていただろう。私は何度も瞬きをした。やがて口論は治まり、二人はバツが悪そうに黙っていた。今、ドバトの目は空色で、アルテミスの目は赤い色だった。一体何だったのだろうか。
やがて馬車が止まった。ドバトは先に下りて何やら外で話していた。そして、中にいる私とアルテミスに下りるように合図をした。私は緊張した。これから何が起こるのだろうか。私は恐怖のあまり吐きそうになっていた。アルテミスが私の背中に優しく手を当てた。もう一台の馬車に乗っていた二人は先に広場に走って行った。私はアルテミスに支えられながら歩いた。ドバトは、私たちの前を歩いている。薄青い空のもと、小雪が舞い落ちてきた。私たちは、王都広場へのアーチをくぐった。王都広場はぐるりと群衆が囲んでいた。処罰の儀式に王都の成人は、病人や怪我人を除いて全員集わなければならないのだ。ドバトが合図をすると、兵士たちが集まり、群衆をどかした。人々は捕らわれている私に好奇の目を向けた。
「そいつも、人喰いの化け物なのか!?」
「子供の姿だけど、油断ならないな!」
私は声がした方をにらんだ。私ににらまれた人々は異常なまでの悲鳴を上げた。何なんだ。私は腹が立った。私たちは群衆の中を抜け、広場の中に入った。広場の奥には王族や貴族のための観覧席が作られている。櫓のように組まれた木製の観覧席の椅子に腰掛け、彼らは澄ました顔をしていた。広場の中央あたりには、黒っぽい柱が建てられていて、その周りを王国魔術師団の魔術師たちが円になって囲んでいた。柱を見上げた私は、柱の先に括り付けられているものをみて、心臓が止まりそうになった。
「これより、敵国と密通し、我が国を陥れようとした罪人を火あぶりにする!」
王国魔術師団師団長のブローチを付けた男が叫んだ。私に呪文を掛けたあの男だった。男の声に、群衆はわーっと歓声を上げた。
「さて、何か申し開きはあるか。お前が北の国に送っていた手紙は証拠としてここにある。また、夜な夜な子供をさらって食っては、若さを保っていたそうだな、え? お前は本来ワシよりも年上のはずだ。悪趣味に若い娘の姿をいつまでもして恥ずかしいと思わんのかね? 何か言ったらどうだ? ヒガン!」
ヒガンは柱に括り付けられたまま、口を真一文字に結んで黙っていた。
「ヒガン様!」
私は声が裏返るほど叫んだ。ヒガンはゆっくりと私を見た。その目は光を失って虚ろだ。
「いやだ、やめて、やめろっ!」
私は泣き叫んだ。私の肩をドバトとアルテミスが押さえた。
「ではこれより刑を執行する!」
魔術師団長は、厳かに言うと、柱を囲む輪に加わり、声をそろえて呪文を唱えた。瞬間、柱の根元に火が起こり、それは蛇のように螺旋を描いて柱を這い上った。火がヒガンの身体を這い上ると、ヒガンはおぞましい悲鳴を上げた。
「やめろーっ!!!!」
私は、もはや言葉になったか怪しい程の声で叫んだ。ヒガンは炎の中、身をよじって、苦しみ泣いていた。私は怒りのあまり震えていた。と、笑い声がした。
「はっはっ。泣いてるぞ、いい気味だ。魔女と言えばやっぱり火刑だな!」
「生で見るとすごい迫力だね!」
なんで、私は呟いた。苦しみ泣き叫ぶヒガンを指さし笑う声は一つではなかった。拍手まで起こっている。対岸の火事だからか。だとしても! だとしても、可笑しいじゃないか! 私は頭に血が上っていた。
「なんで、笑うんだよ! この状況が笑えるなんておかしいだろ! こんなっ!!」
私は身体をよじってドバトたちの手を振り払おうとした。ドバトたちは必死に私を押さえた。私が暴れ出したのを見て、兵士たちも集まってきた。
「落ち着きなさい」
アルテミスが言った。途端に強制的に頭が冷めていく。
「奴らの呪文が何かわかるかい?」
ドバトに問われ、私は、はっとなって魔術師たちの呪文に耳を傾けた。そしてこの茶番のすべてに合点がいった。奴らが唱えていたのは、永久魔法を作り出す呪文だった。