13異世界へ行く方法
「さぁ、異世界へ行く方法をお教えしましょう」
私が書庫から居間に戻ると、本物のヒガンは提案した。
「また、なんだか、急、ですね」
私は驚いて目を見開いていた。図書霊のヒガンに出会った話と「いばら姫」の考察について、ヒガンに話そうと思っていた私だったが、そんなことは、すっかり吹っ飛んでしまった。
「言ったでしょう。今日の授業はあなたの興味を飛び切りにそそるものでないといけいないと」
ヒガンはうきうきとしていた。ヒガンにとってもこの話をするのは楽しいことのようだ。ヒガンは爽やかな香りのお茶を用意してくれ、昼食の時と同様に私とヒガンは向かい合って座っていた。
「子栗鼠さん、世界の外側には何があると思いますか?」
いきなり難しい質問である。こんなことは、学校では習わない。それに、私が元いた世界からこの世界に転生するまでの間のことなんて覚えているわけもない。私は、この世界に赤ん坊として生まれ、新しい両親の元で育った。前世の記憶は、成長するにつれて徐々に思い出していったが、元の世界からこの世界へ移動した時の記憶はなかった。
「わかりません。ただ、世界はいくつも存在していて、それは、お互いにくっついた状態で存在しているのではないでしょうか?」
答えが全く分からない私は、とりあえず答えた。
「ふふ。半分は正解ですよ」
ヒガンは微笑んだ。
「世界の外側は、境界と呼ばれる空間があり、世界はその境界を漂っているのです。世界と世界は時に近づき、時に離れ、常に接している状態ではないのです。しかし、異世界への移動を試みるのであれば、この世界と世界が接しているときを狙います。その方が、身体の負担が少なく、安全に異世界へ渡ることができます」
ヒガンは説明した。
「つまり、境界は、私たちの身体には有害な場所ということですね?」
私が質問すると、ヒガンは大きくうなずいた。
「素晴らしい。その通りですよ、子栗鼠さん」
ヒガンは嬉しそうだった。
「境界は、濃密な魔力で満たされていて、魔力が濃い部分は星のように輝いています。あまりの魔力の濃さに生身の肉体は一瞬にして焼けて灰も残らないと言われています。境界を無傷で移動できるのは、魂と永久魔法くらいなものです」
「永久魔法はわかるとして、魂も境界を移動できるんですか?」
私は意外に思って質問した。境界では、人間の肉体も魂も大差ないのではないかと思った。
「意外そうですね。魂とは、生命の核であり、存在のために必要なものが凝縮されているのです。ですから、境界の力に屈することがないのです。物語では、死した後に異世界転生して新しい世界に生まれる様子が描かれるものが多くありますね。これは、魂が境界を移動して新しい世界に至ったのだと考えられます。この過程は描かれないことがほとんどですがね」
物語において重要なのは、元の世界と新しい世界における主人公の行動や心境の変化だ。世界と世界の間に何があるかまで語っていては、それがその物語において重要でない限り脱線もいいところだろう。そんなことを考えて、脱線しているのは、私自身の思考だと気づいた。私は、ヒガンの回答から思いついたことを質問することにした。
「魂がそれほど強いのであれば、先に魂だけになって境界を旅し、気に入った世界を見つけたら、そこに肉体を呼び寄せることは可能ですか?」
世界と世界がくっついた時を狙って異世界移動をしていたら、ハズレのひどい世界に行ってしまうかもしれないし、行きたい世界に着くまでに何度異世界移動をしなければならないかわかったものではない。魂で下見してから、肉体を呼び寄せることができれば、その方が合理的なのではないだろうか。しかし、ヒガンがそれを先に説明しなかったということは、それはできないことなのだろう。または、危険が伴うことなのだろう。
「出来なくはないです。しかし、危険な方法ですね」
予想通りの答えだった。
「何が危険かというと、世界と世界では、そして、境界においては、時の流れが違うのです。魂が境界を旅している間に、肉体はどんどん年を取ってしまうこともあります。魂の時間感覚と肉体の時間感覚は違いますからね。いざ、新しい世界で肉体を呼び寄せてみたら、よぼよぼに年を取っている、ということも考えられます。しかし、肉体が生きていればまだ良い方です。魂が抜けた肉体は、生きるために必要な力をほとんど失った状態です。つまり、すぐに弱ってしまいます。肉体を呼び戻す頃合いを間違えると、魂が肉体に戻れない状態、すなわち、肉体が死んでいることだって考えられるのです」
私は、魂で異世界に渡り、呼び寄せた肉体が老人になっていたり、死んでいたりする場面を想像してぞっとした。呼び寄せた肉体が、蛆が湧く今まさに腐り崩れ落ちている最中だったりしたら、衝撃はすさまじいだろう。肉体が死んでしまっていたら、その後魂はどうなるのだろうか。質問してみたいけれど、こればかりは、その状況にならないとわからないかもしれないと思い留まった。
「……確かに危険ですね。それなら、世界と世界がくっついている瞬間に肉体と魂が同時に移動した方が安全ですね。では、世界と世界がくっついているのかどうかを判断する魔法がある、ということですね?」
私はさらに質問した。
「その通りです」
ヒガンはうなずいた。
「ご覧ください」
ヒガンは、右手でテーブルの表面を撫でた。すると、撫でられたテーブルの表面が黒くなった。そして、黒くなった部分は、宝石を散りばめたように、赤、青、白に輝いた。まるで星空のようだ。
「これは境界図という魔法で、世界の内側にいながら世界の外側の境界の様子を観察できる魔法です。ちなみに、この光っている部分が魔力濃度が高いところです」
ヒガンは説明した。
「まず、私たちがいる世界を探してみましょう」
ヒガンはテーブル上の境界を凝視して集中した。境界の景色が移動していき、金色の丸い球体が現れ、そこで景色は静止した。
「見つけました。ここが、私たちのいる世界です」
「綺麗な金色に光っていますね」
「ええ。ただ、これは境界図上の色です。自分が今いる世界は金色に光るように設定されています。ですから、実際に世界が外側へ放つ色とは異なっています」
「そうなんですね」
私は、美しい境界の景色に見入っていた。本当に美しい。何時間でも見ていられそうだ。
「現状、私たちのいる世界は、どの世界とも接していないですね。では一番近い世界がどこにあるか見てみましょう」
ヒガンは再びテーブル上の境界に集中した。景色が再び動き出した。やがて、今度は銀色に輝く球体が現れた。
「ありましたね。今、私たちの世界に近い世界は、この世界のようです。この銀色の輝きも境界図上の設定ですので、これも実際の世界の輝きとは異なります。このように、今いる世界と近い世界を見つけたら、自分のいる世界と近い世界が今後どのように移動するかを確認します」
境界の光景がどんどん引いていき、やがて境界図の端と端に金色の点と銀色の点が現れた。
「ここまで引いてようやく二つの世界が視界に収まるようになりましたね。二つは、まだまだ遠くにあるようです。では、ここに時間の経過を表す魔法をかけていきます」
ヒガンは、境界図の上に手をかざした。金色の点と銀色の点は徐々に離れていき、境界図から消えてしまった。
「離れてしまいましたね」
私が言うと、ヒガンはうなずいた。
「そうですね。二つは、逆方向の動きをする世界だったようですね」
「世界がくっつく瞬間を探すのは大変そうですね」
私は若干心が折れかかっていた。世界がくっつく瞬間を見つけるだけでも大変なのに、自分の行きたい世界にいくまで、何度もこの見極めが必要になると思うと気が遠くなるようだった。
「確かに大変ですね。しかし、今のは、現状もっとも近い世界が、自分の世界に接する可能性があるかどうかを見る魔法ですから、自分の世界に最も早く接する世界がどれかを見る魔法とは異なります」
ヒガンはそういうと、再びテーブル境界に手をかざした。すると、景色が動いていき、金色の球体が現れた。
「再び、私たちのいる世界が見える位置に戻りました。では、このまま時間を経過させる魔法をかけてみましょう」
ヒガンが時間を経過させると、銅色の球体が近寄ってきた。そして、私たちがいる世界を示す金色の球体に接近し、くっついた。
「あ!」
私は思わず声を上げた。ヒガンはにっこり笑った。
「接しましたね。ご覧ください。ここに文字が浮かび上がっでしょう?」
ヒガンは、金色の球体と銅色の球体が接した部分を指さした。確かに、文字のようなものが浮かび上がっている。
「ここに出ている文字が、この世界ともう一つの世界がいつ接するかの時間を示しています。先に答えを申し上げますと、あと七日後ですね」
「意外と短いですね」
「そうですね。世界は、このように近づいては離れてを繰り返します。そして、このいつ接するかの時間の下に、もう一つ文字が浮かんで来ていますね。これは、どのくらいの期間世界が接しているかを示しています。この場合は、たったの一時間だけのようですね。ですから、異世界移動をする際は、まめにこの境界図を確認する必要があるわけです。まずは、この境界図を呼び出すための呪文をお教えしましょう」
ヒガンはテーブル上の境界を消すと、今度はテーブルに薄緑色に光る文字で魔法式を書き出し、その下に対応する呪文を書き出した。
「さぁ、練習をしてみましょう」
それから、私はヒガンと一緒に境界図を呼びだす呪文の練習をした。昼になるころには、私は境界図を呼び出せるようになっていた。しかし、魔力は枯渇してしまい、疲れ切った私は椅子に座ったまま動けなくなってしまった。
「根を詰めすぎましたね。あなたの呑み込みの早さは目を見張るものがありますから、つい調子に乗ってしまいました。お昼の準備をする間休んでいてください」
私はテーブルの上に突っ伏した。頭が重い。のども乾いていた。と、ヒガンが水の入った器を目の前においてくれた。
「ありがとうございます」
私はかすれた声で言った。
「いいえ。お気になさらずに」
ヒガンは上機嫌だった。私は器の水を一気に飲み干した。ヒガンの様子を見るとスープの準備をしていた。ヒガンはテーブルの上にパンのかごを置き、皿とスープの器を置いた。スープからは、少し刺激のあるにおいがした。
「疲労回復の薬草を入れたスープですよ。後味に少し薬草の独特の風味がするかもしれません。しかし、効果のある薬草ですから、出来れば飲み切ってくださいね」
ヒガンは、「独特の風味」と「効果のある」という言葉にやたらに力を込めていた。ああ、と私は思った。これ、美味しくないやつだ。私は、ヒガンが準備をしている間、せめてスープのにおいに慣れようとずっとスープのにおいを嗅いでいた。ヒガンは、あらあら、と苦笑していた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。でも、身体が受け付けない味というのもありますから、その場合は、無理せずに残してください。ただ、これはとても効果がある薬草なのですよ」
やっぱり「効果がある」を強調している。私は吹き出した。
「ヒガン様、これは暗示ですか」
「暗示ですよ、子栗鼠さん」
ヒガンがさらりと答えた。ヒガンは野菜を盛り付けた皿を置いた。
「さて、子栗鼠さん、具合はいかがですか?」
ヒガンは席に着くと私に尋ねた。
「何だか良くなった気がします。頭が軽くなりました」
「最初のお水にも薬草の雫を一滴だけ垂らしてありましたからね」
ヒガンがいつもなら魔法であっという間に用意してしまう昼食を、わざわざ手作業で行っていたのは、薬草が効いてくるのを待っていたからだ。それに気がついた私は、なんだかしてやられた気分だった。
「お水が飲めたのならスープも心配いらないと思いますよ」
私とヒガンは手を合わせると食べ始めた。スープは確かに薬草のにおいが鼻についたが食べられないほどではなかった。慣れてくると美味しいと感じる瞬間もあった。私はスープを飲み干すと、葡萄のパンを口いっぱいに詰め込んだ。
「まぁまぁ」
ヒガンは笑っていた。ヒガンは私のためにホットチョコレートを出してくれた。
「そういえば、ヒガン様はどのパンが一番好きなんですか?」
ホットチョコレートをありがたく頂きながら、私は尋ねた。
「私ですか? そうですね。私は、このチョコレートのパンが好きですね。内側にやわらかい滑らかなチョコレートが入っているのと、外側のパン生地がなんとも香ばしく、いくつでも食べたくなりますね」
ヒガンが好きなパンは、小さな子供に一番人気があるパンだったので、私は笑いをこらえるために残っていた葡萄のパンを全て口に詰め込んだ。
「あらあら、冬支度にはまだ早いですよ。子栗鼠さん」
ヒガンはゆったりとした動作でスープを口に運んだ。
食事が終わると、ヒガンはあっという間に魔法で食器を片付けてしまった。食事のあとは、境界図に表示される文字について習った。見たことがない言語だった。ヒガンは私たちの言語と境界図の言語の対応表を持ってきた。その説明を受けて今日の授業は終わった。
「でも、どうして異世界に渡る方法を私に教えようと思ったんですか?」
「わかるのですよ。私には」
ヒガンは言った。
「この魔法は、あなたがいずれ必要になる魔法だということが」
「そうですか?」
ヒガンは、私が元の世界に戻り、元の世界の滅亡を阻止することを想定しているのだろうか。この世界は、もしかすると本当に私の元いた世界が滅びる前の時間軸なのかもしれない。しかし、私の世界を滅ぼしたのが永久魔法なら、対抗手段も永久魔法である。今の私では、永久魔法を作り出すことができない。魔力が足りないのもそうだが、永久魔法に必要なのは魔法使いの魂だ。自分の魂を使って永久魔法を作るにしても、果たしてそれが、私の世界を滅ぼした永久魔法を上回る力になるのだろうか。もし、せっかく自分の魂を使って自分の自我を持つ永久魔法を作ることに成功したとしても、私の世界を滅ぼした永久魔法の力よりも弱ければ、すべてが無駄になる。何よりも、元の世界で、ボノさんとアライがまだ無事だった頃の時間軸でなくては意味がない。二人のいない世界など救う意味はない。
「この授業はつまらなかったですか?」
ヒガンの声で、私は思考の渦から復帰した。
「いいえ、とても面白かったです」
私は答えた。これは、本心だ。
「でしたら、今度は異世界に実際に行ってみましょうね。といっても、私とあなたの都合がつく日に世界と世界が接近するかは運任せとなりますが」
「私とヒガン様で異世界に行くんですか?」
私は目を輝かせた。それは、心躍る提案だ。
「ええ。何事も経験が大事ですからね。それまでに異世界に渡るために必要な魔法をあなたに詰め込んで差し上げましょう。ですから覚悟して下さい」
「もちろんです。楽しみです」
私が言うと、ヒガンは満足げにうなずいた。
「それでは、今日はお帰りなさい」
ヒガンは鏡台に向かって私の背中を押した。心なしか、優しい手つきだった。勢いが大事だと最初は言っていたのに。