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蝶望

作者: タルト

開いてくださりありがとうございます。


「ちょうぼう」と読みます。



評価・感想お待ちしています。ブックマークも是非していただければと思います。

 彼は家族がいた、という気がした。ふとそう思った。

 彼がいるのは、森の只中であった。決して特別な物や動物のある聖地ではない、ごく普通の森である。

 見えるのは陽光を散らす雫を纏う若々しい緑と、そのすぐ側の幹と土の茶色ばかりだった。

 この様子では、彼の家族を見つけることは到底叶わない。そもそも家族が本当にいたのか、それすらも不確かなのである。

 彼はあてもなく歩く気にはならず、その場に座り込んだ。


 彼が再び動き出したのは、日が沈むのも間近という頃であった。昼間の明るさに眩んだ目は、暗さによく馴染んだ。

 上方から葉々の擦れる音がした。その正体は小鳥であった。握りこぶしほどの大きさしかないが、彼にはその存在を主張するかのような強い拍動が聞こえるように思われた。

 飛び立つまで見ていよう、と考えていたとき、丁度数羽の鳥も近くにやってきた。拍動が感じられるのは他になかった。異質な強い生命のあるその鳥が何かを鳴くと、鳥たちは一斉に飛び去った。

 彼は家族だったんだな、と納得した。迷っていたのか、待っていたのか、ともかく他の鳥が来たとき、あの鳥の鼓動は高まった。それが歓喜であることは容易に分かった。彼自身も彼らの再会を喜ばしく感じた。

 そうして鳥たちを祝っていた彼だったが、日が完全に落ちるときにはそれも終わり、自身の家族の存在に思いを巡らせていた。

 否、巡らせるものを探していた。何時の何処とも知れないような断片を見つけようとしていた。

 彼自身に記憶がないため、この行為が実を結ぶことはない。だが、そうと知らない彼は、ただその虚構の中を彷徨していた。


 明け方、彼は土の中にいた。息苦しさのために目覚めると、そのままもがきながら地上に出てきた。

 彼が土から顔を出したとき、彼の目の前にいた小鳥は、驚きながら逃げていった。その後には、ひらひらと落ちるものがあった。彼はそれを鳥の羽だ、と思って手に取った。

 しかし、実際は、大きな羽の、しかしその片方を喪った蝶であった。

 彼は蝶を静かに地に下ろすと、静かにその場を去った。羽に付いていた鱗粉の煌めきは、彼の掌を覆うように残っていた。


 彼は暫くの間、言い知れぬ喪失感を抱えながら歩いていた。そのうちに耳に水の音が届くと、彼の足はそこに向かった。

 よく澄んだ湧き水の流れであった。その穏やかな音のもたらす安らぎに、彼の心も自然と和らいだ。

 彼が水を手に取ると、輝きが手の中を舞った。彼はそれをそっと飲んだ。美しい水は、まるで彼の心身の隙間を埋めるように沁み渡った。


 それから満足するまで飲み終えた彼はふと、先程の蝶を流してやろうと思い立った。

 自分の足跡と思われる、濡れた草の潰れた道を辿ると、元の場所へと行き着いた。しかし、彼の足は止まり、ただ視線を一点に向けるのみとなった。

 地に残された蝶の周りに、数頭の蝶が漂うように飛んでいたのだ。

 彼はあれは家族だ、と思った。

 陽光は残された彼らの鱗粉の美しさを強調していた。だが彼には、既に落ちている蝶の方が優れているように感じられた。

 それは、あの蝶の羽が一際大きいためか。あるいは木漏れ日が、正確にあの蝶を映しているからか。

 彼に明瞭な答えは出なかったが、蝶たちはそんな優劣がつけられているなど夢にも思わず、ただ悼みを纏いながら飛び続けていた。

 蝶に射していた光が雲に捕えられたとき、彼はそっと立ち去った。鱗粉を洗い流したことを、少しだけ悔いていた。


 彼の動きが止まったのは、日暮れを迎えた頃であった。昼間の明るさに慣れた目では、降りた夕闇を上手く見通せず、半ば強いられる形で水辺に腰を落ち着けることとなった。

 暫くの間は、水の流れと風の音、またそれに伴う梢のざわついた声ばかりが彼の耳に入っていた。

 同じような音が繰り返される中、僅かに頭上から鼓動が聞こえた。

 彼はあの鳥だ、と思った。昨日とは異なり、その姿は判然としない。だが、強い鼓動は、その生存を確かに伝えてきた。

 彼は鳥たちの声を聞きながら、蝶を思った。

 蝶たちには、弱さと脆さばかりがあった。太陽に煌めいている鱗粉は、落ちている蝶に比べれば、色のないようにさえ感じられた。

 唐突に鳥の心音が近づき、水音がし、再び拍動が遠ざかっていく。

 濡れた羽は水に果敢に飛び込んだ証、太陽に照らされて輝く勲章だ。彼は艶を帯びながら枝々を飛び移る鳥の姿を浮かべ、称えた。

 どれほどの大きさの蝶でも、あの鳥と同じ真似はできない。そう思うと、急にあの華やいでいた蝶が可哀想に感じられた。

 だが、彼がそれ以上に憐れみを覚えたのは、自分自身に対してであった。

 別れていたのが出会い、夕暮れを背に、歓喜のさえずりを上げながら飛び回る。

 出会っていたのが別れ、高く昇った太陽の下、煌めく鱗粉を零しながら、静かに飛び続ける。

 その姿は対照的であったが、どちらも家族と呼べる存在がいた。しかし、今の彼にそれらしいものはない。

 彼が昨日地中に潜ったのは、空や地上になくても、地中ならばあるいは、と考えたためであった。

 だが、その色の通わない、当てのない夢は、ひどく冷淡に否定された。彼の霧でできた幻は、蝶の脆い羽にさえ吹き散らされるような儚いものでしかなかったのだ。

 彼は、蝶になりたい、と思った。たとえ鳥に啄まれようと、水に入れなかろうと、それでも家族のない身よりは遥かに良いものに感じられた。

 彼は闇が光に移るまでの間、太陽に照らされながら飛び回る蝶を、ずっと羨み続けていた。

最後までお読みくださりありがとうございました。

またもや久方ぶりの投稿となってしまいました。


今作は「家族」という単語と、カフカの『変身』が頭を過ぎったことで始まりました。

『変身』の「虫」と「気がかりな夢」から『胡蝶の夢』が連想されたので、それを題に先の「家族」の要素を僅かに足し、今の形に落ち着きました。


題名の『蝶望』は、「眺望」とかけています。

「彼」は蝶となることを望みましたが、それは見通しのきかない森の中であったためで、そうでない場所であれば、恐らくはまた違った結果となっていました。

「眺」が欠けたために「蝶」となることを望んだ、そんな「彼」を端的に示せる題になったと思います。


重ね重ねになりますが、評価・感想、ブックマークをいただければと思います。よろしくお願いします。

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