2 化学の天才イザベラは実験室に籠る
「イザベラの奴はまた『化学実験室』とやらに籠もっているのか?」
リンコン侯爵は呆れ顔で問う。
「ええ、もうずっとですね」
笑顔で答えるその息子アルフィー。
「大丈夫なのか? ちゃんと食べているのか? 寝ているのか?」
「実際に食べていたり、寝たりしているところを見たわけではないですが」
アルフィーは笑顔のままだ。
「お会いするとイザベラは実に生き生きとされていていますね。髪とか肌の艶は本当に良くなって、わが姉ながら美しさに拍車がかかっています。やはり好きなことに打ち込むというのはいいことですな」
「何を呑気なことを言っているか。アルフィー。はああ。イザベラの外見の美しさは亡き妻に似たが、化学実験好きまでは似ないでほしかった」
「ふふふ。でも、リンコン侯爵はそんな母上が良かったのでしょう。再婚の仲介を次々に断れて」
「うるさい。アルフィー。おまえ最近生意気だぞ」
ズドドドド ドドーン
「何だっ? 今の爆発音は? 敵襲か? 鎧と槍をもて。馬引けい。馬―っ」
「リンコン侯爵、落ち着いてください。あれは鉱山の発破の音ですよ」
「何だ? それは?」
「イザベラが趣味の化学実験で開発した『安全火薬』を鉱山で活用しているのですよ。おかげで採掘量の数字が跳ね上がりました」
「『安全火薬』?」
「従来のものと違って、安全に運べる上に雨にも強い火薬です。と言うか、先日、リンコン侯爵の決裁をもらった『鉱山再開発計画書』に載っていたでしょう?」
「わしはイザベラが婚約破棄されたショックからまだ立ち直れんのだ。次期侯爵のアルフィーがしっかりしてくれてるから助かっているが」
◇◇◇
「お二人ともお話中恐れ入ります。火急の用件がございます」
そこに現れたのは執事だ。
「何? 火急の用件?」
リンコン侯爵は身構える。婚約破棄の一件からすっかり警戒心が強くなってしまっている。
「はい。リチャード第二王子殿下とエレノア第一王女殿下がお忍びでアルフィー様を訪ねておいでです」
「な・ん・だ・とー」
目をむくリンコン侯爵。
「わしは何も聞いてないぞ。おもてなしの準備など何もしていないではないかっ! アルフィー。おまえは知っていたのかっ?」
「知っていましたよ」
「何故リンコン侯爵に言わん。これはわが侯爵家は両殿下をろくにおもてなし出来なかったと大恥をかくぞ」
「リンコン侯爵、落ち着いてください。両殿下はお忍びでおいでになられたのですぞ。大仰な歓待をしたら、お忍びでなくなってしまいますぞ」
「そうは言ってもだな……」
「侯爵。急に訪問して申し訳ない。アルフィー久しぶりだね」
「おっ、王子殿下っ。もう入ってきちゃったのですか?」
「うむ。執事には『アルフィーの了解は取ってあるから入れてくれ』と言ったら、入れてくれたよ」
「アルフィー。何でリンコン侯爵に事前に言わなかったんだっ?」
「リンコン侯爵に言ったら、それこそ大仰な歓待の準備をしちゃうじゃないですか」
「おい、アルフィー」
リチャード王子は声をひそめて言う。
「アルフィーとリチャード王子が王立幼年学校からの親友で、エレノア王女とも親しいとリンコン侯爵に伝えてないのか?」
「何度も言いましたよ。だけど、リンコン侯爵はイザベラを王太子妃にすることに夢中で聞いてくれませんでしたが」
「そっ、そうか。イザベラ嬢のことを」
リチャード王子は頬を染め、コホンと咳払いをしてから話した。
「リンコン侯爵。お気持ちはありがたいが、本当に内々でエレノア王女と一緒にアルフィーに会いに来たんだ。急な訪問で申し訳ないが、個室を一つお借りできると助かるのだが」
「はっ、ではすぐ一番大きな部屋を」
「リンコン侯爵―っ」
アルフィーが呆れ顔で制止する。
「王子はお忍びで来たのですぞ。アルフィーが小部屋を用意しているので、アルフィーにお任せください。さっ、王子、王女こちらに。アルフィーがご案内します故」
アルフィーは呆然としているリンコン侯爵を尻目に王子と王女を予め押さえてある個室に誘導していった。
◇◇◇
「ふぃー。王子王女。何でも大仰にしたがるリンコン侯爵で申し訳ないです」
「ふふふ」
リチャード王子が微笑む。
「そう言ってくれるな。リンコン侯爵は実直な方なのだよ。父たるヘンリー二世もよく言われていたよ。『リンコン侯爵は不器用で、決して切れ者とは言えないが、人間的には信用できる者だ』とね」
「そう言っていただけるとホッとします。しかし、王子。ヘンリー二世の病状はいかがなのですか?」
「分からないんだ」
途端にリチャード王子の表情が曇る。
「『面会謝絶』とやらで実の子であるリチャード王子もエレノア王女も全く見舞いにも行けない。アイラ男爵令嬢、いや今はもう王妃か、が指定した医師のみが立ち会える状態だ」
アルフィーの表情も曇る。
「失礼ながらそれは?」
「ああ」
リチャード王子は頷く。
「先王陛下は夕食後に日課のワインを嗜んでいた後に昏倒されたとのこと。正直怪しい要素が多すぎる。いろいろなルートで調査をしているが、相手方のガードが堅くて何も分からないのが現状だ」
場が重くなったのを振り切るようにアルフィーが話題を変える。
「ところで王子。今日の用件は?」
◇◇◇
「うむ」
リチャード王子も同調する。
「一つは隣国に間者として送り込んでいた商人が戻った」
「ほお」
アルフィーは興味深そうに目を光らせる。
「隣国の動向に、何か新しい情報が入りましたか」
「ああすごいものだ。あれだけ精鋭を誇った騎士団を解体し、殆どを銃兵に変えたそうだ。騎士個人の武勇から集団の火力中心へどんどん切り替えているとのことだ」
「しかしそれでは、騎士を務めていた貴族層から不満が出ませんかね?」
「悔しいがそこが隣国のシャルル王太子の凄いところだ。騎士から銃兵小隊の隊長になってもいいと言った貴族を早い順から優遇したそうだ。それで、野心のある若い貴族がどんどん銃剣の使い方を覚えて、手を上げたそうだ」
「やるなあ。シャルル王太子。衆望を集めているから出来ることでしょうけど。それにしても間者はよくそんなことまで調べられましたね」
「それがな」
リチャード王子は右手の平で額を押さえる。
「隣国は隠す気もないらしい。間者が隣国の商人と商品の取引交渉をしている時に後方からドンパチ音がするので、何だと聞いたら、笑顔で『いつもやっている兵隊さんの演習だよ。最近はお貴族様が騎士じゃなくて、銃兵の隊長をやっているってね』と返されたそうだ」
「! それだけ隣国は自分の力に自信を持っているってことですよね」
「そういうことだ。別の言い方をすると、いつ我が国が戦争しかけられてもおかしくないってことだ」
「……」
「そして、もう一つの用件だが、イザベラ嬢に頼んでいたものは出来ているのかな?」
「はい」
その問いにアルフィーは不敵に笑う。
「アルフィーのイザベラは化学の天才ですよ」
次回第三話「実験室に籠るイザベラは美しい」