終結
更に再度身を翻し、今度は自らロングホーンへ仕掛ける。踏み込んできたフクロウ仮面を、怒りの感情も露わに迎え撃つ人型甲虫。しかし「手数」が一つ減った相手に、アノニム側には一手を加える余裕ができていた。
触角と前・中足の攻撃をかいくぐり、背面に抜けると背甲に触れて、余剰魔力が漏れないように詠唱・保持してきた魔法を放つ。
「『遅滞』」
「ギギッ!」
目に見えてロングホーンの動きが重くなった。ナタジャラムのナーダ神殿で習い覚えた時間魔法。何となく予感していたが、直接破壊力を及ぼす魔法と違って無効化吸収はしづらいらしい。
そのまま、真っ正面に身をさらして攻撃をかわし、打撃で嫌がらせをして、ロングホーンを挑発する。そして相手を誘導した先は――説教台の角。二次元座標支配、四枚のカードの内、原点カードを仕込んだ地点。
新たなカードを手に入れて何度か試す内、気づいた事がある。それはカードの機能の発動条件・起動指示を言葉で行えると言う事だ。もとからそうだったのか、あるいはダンジョン踏破で手に入れた称号『時の先行者』が関係しているのか。今は検証のしようがないが。
相手が『原点』に踏み込むタイミングを見計らって――
「二次元座標支配解除……」
「グギッ!」
その瞬間ロングホーンは、何かに驚いたように動きを止めた。人間の感情表現に例えれば「拍子抜け」とでも言うような。
止まった動きは更なる好機。発動条件を指定し、そして――
「x=∞、y=∞。二次元座標支配、再起動!!」
言いつつ大きく飛び退る。その場に取り残されたロングホーンの体が、暗紫色にネガ反転したかのように染まった。
「…………」
冥い光のエフェクトが収まると、ロングホーンは声も上げずに崩れ落ちた。外骨格の中身はがらんどう、文字通り中身の無い鎧のようだった。
『二次元座標支配の起動に失敗しました』
脳裏に流れる無機質なアナウンスに、吐息をつくアノニム。
座標軸カードのシステムは、起動の際に指示者がその場から大きく離れると、原点近くにある魔力を生物・無生物問わず吸い上げて起動しようとするのである。ユージンの言葉に触発されるまで意識の外だったが……
アノニムのやった事は、例えて言えば、借金の証文を他者になすりつける詐欺のような手口ではあった。
ちなみに正確に言うと、ユージンの言葉で思い至ったのは、あの場で二次元座標支配を使った事が、ロングホーンの「なわばり本能」を逆なでし、目覚めさせてしまったのだろう、という事である。いくら自分の運が悪いとは言え、襲ってきたタイミングが良すぎたと言うか、悪すぎた。
ロングホーンが基本的に(餌の味を覚えるまで)アノニムのみを攻撃してきたのも、自分の近くで「ここ、オレのナワバリ」宣言した不届き者と感じたからだ。そう考えると、どこまでも野生の本能に忠実な生物だった。
ロングホーンの残骸に歩み寄る――と、鎧のパーツのように見えた甲殻の外皮はボロボロと崩れ始め消えて行き、後には一本の触角だけが残った。恐らく、これがオリジナルの『悪魔の触角』なのだろう。
警戒心を保ちながら手に取ってみたのだが、内部組織が完全に失われ殻だけになっていた。……カードシステムの『魔力取り立て』は想像以上に厳しかった模様である。
その時、急に体が熱くなり、めまいを感じた。思わずその場に膝を突く。――現象自体には心当たりがあった。以前『魔の森』で強敵を倒した後に覚えた感覚である。恐らくは急激なレベルアップ酔いのようなものだろうと思っている。いっその事と、その場に座り込んで体の緊張を解いた。
通用門が開く音がした。だる重い体のまま、アノニムは注意だけ向ける。
「……マルセル様、おられますか? クルーガー殿……ユージン? 何があったか教えてくださ……っ!!」
気遣わしげな声をかけてきたのは、村長夫人エマ。堂内の惨状に、言葉の後半は息を呑んだ。その後ろから古株らしい自警団員が三名、手槍を構えて付き従っている。彼らも、礼拝堂の有り様に目を剥いて固まった。
「な! なんじゃこら……!」
「神父様……団長……なんてこった、村長に、あの道化まで……」
「誰がこんな、大それたマネを……」
……自分も死人のうちに数えられている事に気づいたが、今はわざわざ訂正する気力が、ちょっと湧いてこなかった。黙って動かずにいたアノニムだったが、
「兄サ! 心柱が!」
「なんじゃと! げえぇっ! ザナ様お守りを!」
「ま、まさか、あの悪魔憑きの女が蘇ったのか?! それじゃ、これをやったのも……」
手にした槍が滑稽なほど震えている。……まあ田舎の自警団と言ったら、こんなもんだろうけど。
しかし、エマは違った。顔色は青ざめてはいたが、怯えてはいなかった。地に横たわるユージンの姿を認めると、ふらつきながらも歩み寄る。
「エマ様!」
「まだ悪魔が隠れてるかも……!」
言葉だけの制止で足は動かない団員たち。
エマはユージンの側に跪き、意外にしっかりした手つきで脈を確かめ……そして深いため息をつき、両手で顔を覆った。
◇