礼拝堂で起きた事
街道の交差するウルカヌス村は、辺りの村落に比べ頭一つ抜きんでた発展を遂げている。その中でもザナ聖教会会堂は「過ぎたる」物に数えられるだろう。壮麗な三つの鐘楼が村に時を知らせ、中央の塔直下には広大な礼拝堂が組み上げられている。村の信者のみならず、住民全員を収められると言われる規模であり、災害その他の不測の事態にあっては避難所とするように、領主である辺境泊から指示されていた。
夕刻、村の自警団団長クルーガーは、教会の通用門から礼拝堂に入った。
礼拝堂の最前列の席には、既に村長のユージンと神父のマルセルが腰掛けていた。説教段の上には、枠木に収まった板芝居絵と、それを支えて待つ道化面をかぶったアノニムの姿が。思わず苦笑を漏らすクルーガー。
「遅くなった……っておいおい、凝り過ぎじゃねーのか? まだ途中のチェックなんだろう?」
「ようこそ団長、まずは席におかけください……」
アノニムに促され、クルーガーは苦笑しながらマルセルの隣にかけた。椅子のきしむ音が小さく反響しながら上方へと消えて行く。全く……四人だけの会合にこんなだだっ広い場所を使うなど、無駄遣いもいいところだ。
旅芸人の男は、気にした様子もなく言葉を継ぐ。
「本日は皆さんに、物語のチェックをお願いしたいと思います。これから上演する物語で『それは違う』『こうした方がいい』と思ったら、どうぞ手を上げておっしゃってください。皆さん、それぞれ見方がおありでしょうから、他者の見方をあまり強く否定しないでくださいね?」
「そいつぁかまわないけどよ、この程度の事に、ここを丸ごと使う必要あんのか? あんたも『ベアトリーチェ』に取り憑かれちまったってわけかねえ?」
皮肉を投げかけながら、クルーガーはユージンが無反応な事に違和を覚えた。いや、ユージンだけではない。マルセルもまた、自分に挨拶を送るでもなく無言のまま……
「はい、理由があります。この場所に皆さんをご招待したのは、今から語られる物語の大半が、この礼拝堂の中で行われたからなのです」
その言葉に驚いて視線を向ければ、旅芸人は道化面ではなく暗い色調のフクロウの仮面を身につけていた。思わず席から立ち上がり、問い詰めようとしたが、
キーーーーーーーン
「あうっ!」
甲高い耳鳴りがしたと思ったら、もう体が動かなかった。カクリ、と、上げかけた腰を椅子に下ろす。
礼拝堂の周辺はアノニムの手によって、二次元座標支配がなされていたのだった。田舎の自警団団長や神父相手に、いささか過剰な施術とも言えたが、使える用心はしておくに越した事はない。二次元座標支配を行った上で板絵芝居の誘導催眠を重ねると、被術者の精神魔法耐性スキルさえ無効化してしまえるのだ。局面によっては、魔力のバカ食いに目をつぶってでも使用する価値はある。
「よろしいですか? では始めましょう。ちょうど十年前の秋祭りの日、この村に七名の旅芸人一座が訪れました……」
アノニムは静かに語り始めた。それを聞く三人は、一様に顔色が青く、額に汗がにじみ出している。
「ウルカヌス村には奇矯な風習がありました。村を尋ねた者で、『実行と後始末が容易い』『実入りがいい』この条件を満たす旅人は、密かに始末して村の養分となってもらう。そんな食虫植物のような風習です」
「まってくれ……それじゃ、のべつ幕なしに殺してたみたいじゃねえか。俺たちがやっていたのは、あくまで村に危害を及ぼす恐れのある連中だ」
「嘘だ! ならばなぜ、ベアトリーチェたちを襲った!」
虚ろな瞳のまま、クルーガーに食ってかかるユージン。自警団長は冷笑を返す。
「連中が旅芸人を騙った盗人どもだったからだ。お前が未だに『ベアトリーチェ、ベアトリーチェ』繰り返してるのが証拠だろうが」
「一座の連中を捕縛して連行しようとした時に、踊り子がユージンに『魅了』の精神魔法をかけよった。そういう手口で盗みや詐欺を繰り返してきたんじゃろうよ」
「魔法なんかじゃない! そういうなら、あの場でマルセルがやった、魔法の解除はなんだったんだ!」
「むぅ……それは、精神魔法の耐性には個人差があって、だな」
「第一、彼女らを拘束した時点で窃盗の被害は出ていなかったじゃないか!」
「予防的措置ってやつさ。流れの旅芸人なんてのは、隙を見せればケツの毛までむしっていくぜ」
「……一座の連中が寄せ集め……仲間になって日が浅く、意思統一がされてなかったやも知れん。しかし、はっきり害意を持った者はいた」
堂々巡りしそうな話を、手を叩いて打ち切った。
催眠誘導を使った尋問の欠点である。皆、客観的な視点を失い、自分視点の話ばかりを語るようになるもので、公正な事実というものがむしろ見えづらくなるのだった。
「話を戻しましょう。自警団は芸人一行を連行し、この礼拝堂に閉じ込めた。その後、何が行われたのです?」
「何って……そりゃあ、どうせだったら楽しまねえとよう。自警団の連中にゃ男色の趣味はねえから、男連中はサクッと始末したけど」
「! 止めろ! 聞きたくない!」
下卑た笑い顔を見せるクルーガーと、蒼白な顔色で耳を覆うユージンと。
「何を気取ってやがんだよ、オメェは。俺らに混ざって犯っちまえばよかったのに。そんなんだから未だに未練が断てねえんだろうが。あの踊り子なんざ、俺らに気に入られるために一番媚び売ってサービスしまくってたのによぅ」
「うわああああああ! ゲフッ!」
ユージンは激高してクルーガーに掴みかかったが、あっさりみぞおちを蹴り上げられて悶絶した。
「……私が言うのも何ですが、礼拝堂でそういうマネが行われるのを、黙認しておられたわけですか?」
半ば呆れてマルセルに問うたが
「いやぁ、それなりに広くて、何も知らん連中の耳目が届かん場所となると、他にありませんしなあ」
悪びれる様子もなく答えるのに、さらに呆れが募る。
「ははは、ムダムダ。第一そいつ、正式の神父じゃねえし」
「クルーガー、ちょっと口が軽すぎだろう」
見た目にはすっかりリラックスしたクルーガーが答える。
「俺が領都に出て冒険者やってた頃、知り合った神官崩れさ。冒険者に見切りつけて郷里へ帰る時、『神父っぽい真似事ができるヤツ知らんか』って話があったんで先代村長へ紹介した。そんだけの事さね」
「いやいや、ちゃんと聖教会で修行した事もあったのだ……正式に修了しなかっただけで」
ベアトリーチェ……ベラと同類じゃないか。呆れてため息しか出ない。こうなってくると、周りの見えない迷惑なロマンチストであってもユージンの方がまだマシに思えてくる。
「……察するところ、ユージンさんはベアトリーチェさんだけはと助命を乞われたでしょうねえ」
「……俺も正直、迷ったんだよ。見た目が良いのは確かなんで、奴隷商にでも売った方がいいかと」
「わしは反対だったぞ。精神魔法を使える術者など、油断も隙もあったものではない。事実、思ってもいなかったマネをやらかしてくれたもので、正直肝が冷えたわ」
「? 一体何を?」
マルセルは立ち上がり、説教段の背後を支える柱を指さした。
「いつの頃からか判らんが、その中央柱につり下げられて『悪魔の触角』というモノが飾られておった。由来も不明な、言わばガラクタと思っておったのじゃが……あの女、我らの隙を突いてそいつを手に取り、極めて不穏な呪文を唱えおったのだ」
「ひゃひゃひゃ、思い出したぜ。お前さん、大慌てだったよなあ? なんであそこまでビビッたんだよ?」
あからさまに侮蔑のこもったクルーガーの揶揄。顔を紅潮させてマルセルは言い返す。
「これだから無知な連中は……! あれはただの呪いではない。魔物の体を媒体にして行う召還魔法だったのだ!」