百年の逸失物
ホローデン帝国南西部は辺境泊オイグ・アルム・カルスミスが治める地であり、ユング・マクムはその領都である。西方にトラヴァリア王国、南方に(今は大人しくなったとは言え王政時代は強硬だった)マホロ共和国に接している土地柄、領土争いが絶えず、尚武の気風が強い。
強固な城壁に囲まれたエリアには広大な市街地が広がり、その中央に、近隣の諸殿に比べても長い歴史と規模を誇る戦神マクンの神殿があった。
神殿の一室、ベッドに横たわる老女と、ベッド脇に椅子を据えて気遣わしげに顔をのぞき込む初老の男性神官の姿があった。
老女は咳き込みながら男に問う。
「ゲホッ、ゲホッ……はぁ……はぁ……。まだ……届かぬのか……ゴルダルさまの知らせは……」
「……はい、残念ながら、未だに」
「何としても見つけ出すのじゃ……あの方が『聖遺物』と報告された以上、まがい物ではない……。必ず……我らが神殿へ……」
「皆が手を尽くしております。今しばらくご辛抱ください……」
なだめるように語りかけるうち、老女は疲れたと見えて眠ってしまった。男は起こさぬよう、静かに部屋を出る。表で従者らしき青年神官が控えていた。
「いかがでしたか?」
「……やはり弱られたのう。いかに長命種の血を引く方とは言え……。存命中に良い知らせを聞かせてあげたいものだが」
並んで廊下を歩き出す二人。あまり熱の籠もらぬ、いかにも決まり仕事と言った風の会話が交わされる。
「……探索の方は相変わらずかね?」
「残念ながら、新たな手がかりはありません。正直、百年近く前の事と聞いて、最初から捜索の熱意を失う部下も多くいます。中にはゴルダルファさまの帰還自体を疑う者もいる始末でして……」
その疑問、かなりこの若者自身のモノなのだろうなと思いながら、初老の神官は答える。
「ゴルダルファさま率いる遠征軍が一定の戦果を上げたのは事実。戦利品の中に『聖遺物』が含まれていると報告してきたのは書簡が残っている事実。ラゲーニャの港に凱旋したのは記録に残る事実。となれば、我らの立つ中央大陸を踏む所までは帰ってこられたはずなのだ……」
それは領都ユング・マクムのマクン神殿に伝わる、ほぼ百年にわたる『謎』であった。
唐突に、当時の巫女長に神託が下り、南方大陸の異教徒に対する『聖戦』が命ぜられたのだった。神殿騎士団は団長のゴルダルファに率いられ、南征に赴いた。
その頃から既に、ザナ聖教をはじめとする他神殿、また、中央大陸諸国政府から「無益な戦を」「マクン神は勝利に飢えておられる」等、批判・皮肉も大きかった。外部の人間から見れば、マクン神殿の『聖戦』は、四百年前の勇者召還で失墜した権威回復のために行っている『パフォーマンス』に見えたのだ。
ともあれ数年後、ゴルダルファは遠征先より書簡を送り、戦果を報告してきた。
「異教徒を多数誅滅」「戦利品多数獲得」「注目すべき遺物あり。恐らくは『聖遺物』と思われる……」
神殿は沸き返った。世にある様々なアイテムの内、『聖遺物』と呼ばれるのは、神々に仕えた聖人の遺物、もしくは神の奇跡の証拠とされるモノである。奉納されることは神殿にとって最上級の栄誉。マクン神殿の末端に至るまで、全ての者が騎士団の帰還・凱旋を待ち望んだ。
しかし……彼らは帰らなかった。
ユング・マクムのちょうど南方に位置する港町ラゲーニャ。そこに上陸したという記録を残して、騎士団は忽然と消えてしまったのである。調査の結果、ラゲーニャから隣町へと向かう街道で、戦闘の痕跡が見つかった。あるいは遠征で疲れていた彼らを、山賊の類いが襲ったのかとも思われたが、確証は得られていない。
彼らの行方がつかめぬまま月日が過ぎ去り、神殿首脳部の関心は次第に『聖遺物』の行方に集束していった。ゴルダルファたちの生存が望めぬようであれば、せめて聖遺物だけでも取り戻したいものだ、と。
密偵も放った。情報提供に対し懸賞金も約束し、公布した。しかし……見つからない。
ゴルダルファ率いる神殿騎士団を襲ったのは賊ではなく、国家かそれに属する軍団だったという見方もある。しかしあれから相当な年月が経つが、トラヴァリアかマホロ、あるいは各地の有力な神殿で新たに聖遺物が奉納されたという話も聞かないのだ。
「……こんな時に、神託が教えて下さればと、時々思います」
「これ、神々は人の都合に沿わせるものではない。我らが神のご意志に沿うべく勤めるのだ」
「は……」
従者の青年神官をたしなめながらも、自分自身何度も捕らわれた思いであったと唇を噛む。
もう自ら身を起こすこともできぬまま『聖遺物』の知らせを待つ、前巫女長――あの神託を下した当人――は、毀誉褒貶はあれ、彼の師である事に変わりはなかったから。
◇