『聖女』の原像
絵コンテの整理と成形に二日ほどかかった。その後、再び神父と団長を招いて一連の下書きをお披露目したのだが……
「……ユージン殿、労作なのは認めますが……」
「おいおい、何だよベアトリーチェって。そんなもん出す意味ねえだろうがよ」
第三者視点の指摘は正直だった。殊に団長の感想は遠慮がない。
「いや……ご指摘はもっともな事ではありますが……」
ユージンは満面の汗に濡れながらも、物語には『華』が必要だと説いて二人の説得を試みた。しかし……
「ものには限度ってもんがあるだろうが! 作るのは、あくまで『自警団伝記』のはずだよなあ? 余計な話のために寄付金むしられるってか?!」
「『聖人』認定された方ならまだしも、ただの旅芸人をここまで持ち上げるのは……」
二人の納得は得られない。少々感情的に、険悪な雰囲気さえ漂いだしてきた。
うん、でもまあ正論だよね。正直ユージンのやってる事は、村の事業を口実に、自作の物語を発表するに等しいと思う。そりゃあ、他者の目から見れば腹立たしい限りだろうさ。
しかし……アノニムの胸に、ベアトリーチェ関連の描写を全部切り捨ててしまう事への微かな抵抗感が生まれた。理由は分からない。残したら残したで、ユージンの思い入れが強すぎる分、作画で苦労させられるに決まっているのに。まあ、むさいおっさんの絵面だけになるよりマシだと、男子の本能が働いたのか。
「あのぉ……ひと言よろしいでしょうか?」
「? なんでぇ?」
「私の意見を言わせて頂くと、物語の『やられ役』は、有ってもいいんじゃないかと思いますが……」
「やられ役……とは?」
「ええ、多くの昔話では、悪役をより『悪く』描くために『犠牲者』が必要な役回りになっているわけでして……」
柄にもなく、物語の典型を解説してみせるアノニム。しがない旅芸人とは言え、いくつもの物語を知っている専門職人の意見である。解説自体も納得のいくモノだったようで、結果、団長と神父は、分量は大きく削りながらも、悪魔の犠牲者として旅芸人一座を残す事に同意した。
二人が引き上げた後――ユージンは文字通りアノニムの手を取って伏し拝んだ。
「ありがとうございますっ! お陰で守り抜く事ができました! アノニムさんもベアトリーチェの姿がこの世に残る事を望んでおられるのですね!」
「いや、その、まあ……」
「では早速取りかかりましょう!私たちのベアトリーチェに、目に見える姿を与えるために!」
既にこの時点で、結構後悔しているアノニムだった。
◇
「う~~ん、違いますね……先ほどよりは良いと思いますが、少々幼く感じます」
「……ハイ、ソウデスカ……」
ロマンチスト村長の聖女像を、書き直す事数十回。さすがに煮詰まってきた。
『細面で怜悧な印象。しかし内面に優しさと高潔さをたたえた女性』それがユージンの言うベアトリーチェ像であった。正直それだけでどうなるものではない。しかし、こう言ったイメージの擦りあわせ作業といったものは、時間と共にどうにかなってしまうものである。つまり何枚か候補を挙げていくうちに、ユージンの持つイメージの方が形になった「絵」の方へ引きずられていって、「ん……こんなものか」と納得する、それが常識的なレベルのイメージ強度だ。
だがしかし、ユージンのベアトリーチェ像の強固さは、ちょっと類を見ないものだった。よほど明確に、彼の脳内で映像化されているらしい。
疲れてきたアノニムは、無意識に実際の「人物像」を流用してしまった。やってしまってから「まずいか」と思ったが、だめ出しされるなら同じ事。労力が少ない方がいい、といった開き直りもあったのだが……
「……おおお! これですっ、これっ! ぴったりです! しかしここからこう、もう少し柔らかな雰囲気に、微笑んだ感じにお願いできますか?」
「え? ええっ……! これが、ぴったりって……」
驚愕しながらも内心の動揺を押し隠す。
狂喜するユージンを前にして、半ば条件反射的に表情の修正をするアノニムだったが、押し殺した外面の内で目まぐるしく思考を走らせていた。
(……これはまた、厄介事に巻き込まれちまったんだろうか……)
なぜなら、描いてしまった人物像は、冒険者ギルドに出回っている『お尋ね者』の似顔絵だったから。無意識にやってしまった事ではあるが、考えてみるとユージンが言葉を換えて繰り返す人物描写にあてはまっている像と言える。彼が強固な人物イメージを持っているのも、想像の産物ではなく実際に存在する人物を見た記憶であれば、何の不思議もない。
機械的に手を動かしながら、手配書の記憶を探ってみる。確か、ずいぶん前から放置されたままの手配書だった……
本名:ベラ
出身:ホローデン帝国東部
魔法の才能を見込まれて商業神パラジェ神殿の巫女となり修行するも、問題行動を起こして出奔。
以後、その美貌と『魅了』魔法で数多くの詐欺行為を働く。
活動形態は行商人、旅芸人と多岐にわたる。
近年の活動は確認されていない……
描き上げた『ベアトリーチェ』像に、ユージンはほとんど拝み出さんばかりだった。
「おおっ……アノニムさん、ありがとうございます。正に、まさにこれこそが……私は、あなたに千金を払ってでも報いなければなりません!」
「千金ですか……ありがたいですねえ。ですが、それよりも」
顔を伏せ、手を組んで……体を開いた次の瞬間、まるで手品のように旅芸人の男は、フクロウを模した仮面をかぶり、胸元には白木の板絵を構えていた。
「聞かせてもらえませんか……この村で何があったかを。『ベアトリーチェ』の本当の結末を」
◇