歪な物語
「当時、村の自警団の主力は領主さまの軍に付き従って南へ遠征に出ており、その隙を突いて悪魔が村を襲ってきました。そこで踊り子ベアトリーチェは、自分が生け贄となるから村に手出しはしないでくれと、悪魔に申し入れたのです」
「……あのー」
「はい?」
口調と表情が固くならぬよう心がけて、アノニムはユージンに問う。
「ベアトリーチェ嬢は、何かその……この村と縁があった方なので? ずばりこの村出身とか、何代か前がそうだったとか?」
「いえ、縁故でそう申し出たのではありません。あくまで、彼女の慈悲の心からです」
「そうでしたか。いや、失礼。先をお願いします」
『なんじゃそりゃ、有り得ねー』と思いつつも、アノニムはそれ以上ストーリーに突っ込むことを止めて、一度「絵コンテ」組み上げを優先することにした。ユージンはアノニムの指摘にも一切動じる様子がなく、彼の中で物語はよほど強固に組み上がっているらしい。それを一々あげつらっていては、時間のムダの上、感情的にもマイナスでしかない。
「ベアトリーチェは悪魔に指示されたように、ウルカヌスの北の森、古びた祠の前で悪魔を待ちます。しかし、村に残った自警団の若者の内、彼女を見捨てられないと思う者がおりました。ユーリという、まだ未熟な若者でしたが、勇気を奮い起こして槍を持ち、ベアトリーチェの後を追います」
(おいおい、ユーリって、あなた)
口元を覆うマスクが欲しいなと思いつつ、顔を伏せ、コンテを走らせるアノニム。このキャラ、ユージンに似せて描いたら喜ばれるだろうか? それとも、あからさまに過ぎるだろうか?
「祠の前で神に祈りを捧げるベアトリーチェ。ユーリはようやく追いつき呼びかけます。
『お逃げくださいベアトリーチェ! 後は私が何とかします!』
『どうして来たのですユーリ! あなたたちを守るために私は、この身を捧げる覚悟でしたのに!』
言い合いながらも互いを思う心情を感じる二人に、地の底から響くような声が聞こえてきました。
『そこにいる小僧は誰だ? つまらぬ小細工を弄しよって、死ぬがよい』
言い捨てて襲いかかってくる悪魔を、ユーリは底力を搾って迎え撃ちます。悪魔の爪と槍が交錯する事数合、力及ばずユーリはその場に倒れ伏したのでした。
『おお、ユーリ!』
血糊に汚れる事も厭わずに、ユーリの遺体にすがって嘆くベアトリーチェ。そんな彼女に悪魔は嘲笑を投げかけます。
『フン、伏せさせるなら、もう少しましな使い手にすべきだったな』
ベアトリーチェは怒りに燃える視線を真っ直ぐに悪魔に向けて言い放ちました。
『非道も暴虐も、全ては自身で贖う事になる。ザナさまは見ておいでです。そしてウルカヌスには正義を示す槍が帰ってくる。あなたが嗤っていられる時は、既に尽きかけています!』
返す言葉もなく、悪魔は彼女の心臓を貫いて息の根を止め、立ち去りました。心のねじけた存在であっても、彼女の清らかな相貌を、何より、燃えるような眼差しを、傷つける事は出来なかったのです……」
……それからの筋立ては典型的なものだった。帰還した自警団の本隊が義憤と復讐心に燃え、悪魔を、まるでキツネ狩りかというようなワンサイドゲームでなぶり殺しにしてしまう。聖教会の神父さまがベアトリーチェの冥福を祈ってめでたしめでたし、であった。
気づくと四時間近く、ぶっ通しで作業していた。「絵コンテ」も、ざっと百枚近い分量になっていて、ここから取捨選択して要所のシーンのみに絞っていかねばならない。
いや、これはちょっと、それ以前の問題だと思うけど。ユージン氏が異様に入れ込んでるベアトリーチェ関連の筋立て、「自警団伝記」にとっちゃ、蛇足でしかないと思うんだよね。
「アノニムさん、これから絵板の制作に入るかと思いますけど、是非とも! ベアトリーチェの姿には、力を入れて頂きたいです! 私の理想に近い姿に仕上げてもらえたら、割り増し料金を払ってもいい!」
「ユージンさん、落ち着いて。まず一旦、団長と神父さまに見てもらいましょう? ウルカヌス村全体の事業だと言う事をお忘れなく」
「それは……そうかも知れませんが……」
まあ、お金をもらってやる事だから、どれほど制作者の思い入れ過剰な話であっても、それ自体は問題ない。ただ、一旦手を着けた絵板が「やっぱり、あそこの話自体ボツになりましたー」というのは願い下げである。ユージン氏も、団長と神父に見てもらうという話の後は、かなり「ダメ出し」を食らうだろうという自覚があるのか、目に見えてテンションが下がってしまった。
「……アノニムさんの目から見て、この話の出来具合はどんなものでしょう……?」
「う~~ん、そうですねー……」
かなりやんわりと、オブラートとお薬ゼリーに包んだ気持ちで、ベアトリーチェ関連の筋立ては、他に例を見ないものだと指摘した。ついでに……
「最後に、悪魔を殺してしまうと言う筋立て、あまり類例がない、と思います。大抵は追い払ってお終いですね。これは多分、悪魔というモノが、ハッキリと具体性というか客観的な証拠をもって『存在する』事が示しづらいという事情があるからだと思うのですが……」
「おお、それなら大丈夫です。我が村には、悪魔がいた証拠があります。……今は紛失してしまいましたが、十年ほど前まで、教会に展示されておりました。『悪魔の触角』と呼ばれておりましたな」
「……ほほう……」
今、ないならないんじゃん、と、突っ込むべきか。珍しいモノをお持ちだったのですねと流すべきか?
◇