割に合わない神器
神殿の日常業務が全て終わり、時刻は真夜中にさしかかる頃、無人の回廊を音もなく伝って行くフクロウ仮面の姿があった。
既に熟知している防犯装置を丁寧に解除し、最深部に向かう。目指すのは……神器研究室。中でも最重要、最厳重のセキュリティ対策が施されている部屋へと忍び入る。
つい先日、二十五階層で得られたパーツで、黄金の懐中時計はついに完成を見た。それが収められている魔動金庫の前に立ち、鍵を解除しようとしたところ――鍵が掛かっていない。
「……ウソぉん……」
金庫は空、もぬけの殻だった。
若干、ショックから立ち直れないアノニムが侵入ルートを引き返していると、
「っ!」
「よう、散歩かい?」
「今さら抜け駆けはなしよ」
行く手にヴィードとロザリーが。宿を出たところから尾けられていたらしい。思わず苦笑が湧く。
「で、何を持ち出したんだ、って、おい!」
「アノニムよね?」
「ああ、初めてだったかな。実はこれ、気合い入れる時専用のマスクでね……あー、それで、そのー、神器の件なんだが……」
初めて見るフクロウ仮面に鼻白む二人へ、目的の神器が既に持ち出されていた件を、しどろもどろに説明する。
こんな身の置き場のない感じは久しぶりである。小学校のキャンプの時「山ほど釣ってくるから」と千秋に大見得を切って、ボウズで帰ってきた時以来だ。
そんなアノニムの思いは知らず、ヴィードとロザリーは顔を見合わせる。
「さっきゼインズ神官長が中央塔の方へ……」
「ええ、こんな時間に変だとは思ったんだけど」
「それだ!」
思えば防犯装置も鍵も、正規の手順で解除されたとしか思えない「自然」さだった。何だよ、俺より先に二人、正解にぶち当たっていたなんて!
三人揃って足音を忍ばせ、中央塔の下部――『フーコーの振り子』が設置されている部屋を目指す。そっとのぞき込んでみると、そこには、ゼインズ神官長が『儀式』のステージをしつらえていた。塔の最上部から下げられていた振り子は今はなく、部屋の中央には寝台に横たわるテルマの姿がある。周りを囲む、時を現す文字盤があたかも魔方陣のようで、『時間』に関わる秘儀が行われるに相応しい場所に見えた。
「ゼインズ神官長」
「わっ! ……あ、アノニムさん、皆さんまで……」
かけた声に飛び上がって驚いたゼインズ。三人が揃っているのを見ると、もう言葉を交わさずともお互いの目的は通じ合った。
ゼインズは無言のまま、懐から黄金の懐中時計を取り出す。その異様な存在感は、魔道士でなくても感じられるレベルだった。
「……なるほど、ちょっとヤバイくらいな代物だね」
「ヴィードさんがおっしゃる通り、この神器は強大な力を秘めていますが、代償として多くを求めるモノでもあります。私の眼には『理を遡らせるには、割りに合わぬほどの犠牲を払う』という警句が見えます。生なかな覚悟で起動させていいものではありません」
ゼインズの言葉が重い。この男、決して上手い言い回しをするわけではなく、感情のこもった弁舌を操るわけでもないのだが、だからこそ、ゆるがせにできない一点は不思議な説得力をもって迫ってくる。
「私には、これしか償う術が思いつきません。孤児院で育った子は私たちの子供に等しく、また、無思慮に罪を犯した者も我が身内です。だからこそ、例え身命を投げうつ事になっても、私がこれを起動させなければならない。……それに、私は思い出したのです。今、この世で生きている人生が、異界での生より数えて二度目の人生だと。一度きりの人生を生き始めたテルマと引き替えにできるなら、むしろお釣りが来るようなものですとも……」
気負いも衒いも無い笑みを浮かべるゼインズではあったが、アノニムは心中密かにツッコミを入れる。『言うほどあんた、二回の人生を生きちゃいねーだろ』と。今生はともかく、前世ははなはだ心許ない……
いや、そうじゃなく、身命投げうつまでは行かなくても、身命を賭ける理由は俺たちにもあるんだぜ?
「あー、その、ゼインズ神官長……」
「私たちが先です……!」
語りかけようとしたアノニムは、常にない強い口調のロザリーにさえぎられ、
「僕たちはパーティーなんですよ、ゼインズ師。パーティーを組んだ以上は互いに命を預け、体を張るのは当然ってもんです。それが『冒険者』稼業というものでして……」
身の丈に似合わぬ優雅な一礼と共に、ヴィードはそう言い切った。
ああ、もう付け足す事ないや。何言っても蛇足になりそう!
「……手伝わせてくださいよ。俺らにも、これをやる理由はあるんです。単純に、注ぎ込める魔力の量からしても、四人でやった方がよくないですか?」
「……皆さん……」
三人の説得に、ようやくゼインズは首を縦に振った。
部屋の中央に横たわるテルマに向かい、神器を両の手で捧げ持つゼインズ神官長。魔力をよく通す袈裟状の帯を手に持ち、彼の右手側にヴィード、左手側にロザリー、そして背後にアノニムが配置した。
黄金の懐中時計を恭しく掲げ、そして蓋を開ける。
キィーーーーーーーン
辺りの空間が染まり変わった。この場が一種の神域と化した事を、その場の全員が理解する。
「『深遠なるナーダ 我らが願い叶え賜え…… 若木の運命を正しき形に…… 儚きヒトに慈悲を垂れ賜え……』」
ゼインズの祈りと共に、波の波頭のようなモノが盛り上がり、四人の魔力と意識を押し流そうとする――
(くっ! 時間に関わる魔法は、相変わらずのコスパの悪さ!)
正確に計ったわけではないが、自分の魔力量について、並の魔道士十人分は下るまいと自負するアノニムだった。それが一気に『危険水域』にまで吸い上げられてしまった。
見るとヴィードとロザリーの手の中で、魔道具の発動光が漏れ光った。ああ、君らも用意していたのか。そんな事を思いつつ、予備手段の魔晶石を起動させる。出血大サービスってやつだねぇ。
場の空間の感触が変わった。全て絡み取り押し流すような圧が消え、
「うっ!」
「これ……!」
「何が……」
「千秋……!」
突然四人は走馬燈のような、過去の思い出の奔流に包まれていた。その中から、チクリと、何かが切り取られる感触が。
「「「「っ!」」」」
そして黄金の懐中時計がゼインズの手から離れ、テルマの上へ飛んで行く。ジリジリジリと空気を震わせて、時計の針が巻き戻るのが見えた。そして一時、その動きを止めると、
パキーーーーーーーン
甲高い音を立てて懐中時計は分解してしまった。そのまま全てのパーツが光に包まれて、流星のようにダンジョンの方角へと飛び去る。
……しばらく四人は、言葉もなく懐中時計が飛び去った方を見ていたのだが、
「……○ラゴンボールかよ……」
「全くですなあ……」
実に不用意なアノニムの発言と、それに同意するゼインズ神官長。
しまった、バラしちゃったよ! 今までうまいことはぐらかしてきたのに!
口元を押さえて固まるアノニムの様子に、ようやく気がついたゼインズ。
「あーー!」
「しーっ! しーっ!」
頼むから黙っててくれのポーズに、満面の笑みを向けてうなずく神官長。
奇妙なジェスチャーのやり取りをしているアノニムとゼインズに、怪訝な顔を向けていたヴィードとロザリーだったが、
「え? ここ、どこ?」
「「テルマ!」」
当惑の声を上げてテルマが身を起こすのを見、飛び上がるように駆け寄った。
それからしばらく、皆が喜びを爆発させた。――主にロザリーが。つきあいの長いヴィードさえ「あそこまで感情をダダ漏れにする彼女を初めて見た」という有り様だった。無論、後で他言無用と、きっちり口止めされたわけだが。
◇