ソルヴェクの手記(前)
城壁に作られた砲撃用途のバルコニーで、港に出入りする船を見ていた。マホロ共和国の要衝リグルテンの港は、風光明媚なことでも知られている。
私のお気に入りの場所だった。不快な事があっても、ここから様々な船が行き交うさまを見れば、いつか収まるものである。
階段を上ってくる聞き慣れた足音。やがて一人の少年が姿を現した。灰色の髪と瞳の色。議長の秘書官の一人でニールという。私の姿を認めると微笑んで声をかけてきた。
「こちらにいらしたんですね、ソルヴェクさま。お部屋におられなかったんで、探しましたよ」
言いつつ、声も表情もいつもより硬い。あまり気分の良くない知らせを運んできたという事だ。
「……連中の容態は?」
敢えて直截に問うた、その問いに軽く眉を曇らせて
「ムリでした……最期に、少し彼らの素性につながる話が聞けたくらいで」
「……議長はまだ下にいる? 通るわヨ」
「ち、ちょっとそれは! ソルヴェクさまっ!」
ニールの制止を振り切って階下の回廊を進む。目的の部屋の前で一呼吸おいてから、ノックなしで蹴るようにドアを開けた。
執務机にへばりついている老人が恨みがましい声を上げる。マホロ共和国、第一議会議長でオルダム・ゼルケメルという。
「シャザラール嬢……ノックはして頂きたいものですな」
「あのバカ女のちょっかいを放置しているアンタの事だ。少々の無礼なんぞ気にもならないでしょうヨ!」
「……落ち着いてください。確かに我がマホロ公使館が被った損害は大きかったと言えましょうが、最悪の事態に陥らないだけマシという見方もできるはず」
「……最悪ネェ……議長サマには、隷属紋刻まれてテロ任務に使い潰される連中の事情は、次悪以降というわけネ?」
私としては最大限皮肉を込めたつもりだったけど
「……トラヴァリアと正面切っての戦争になるよりは、ましですな。エリザベート王女の嫌がらせは不愉快ではありますが、嫌がらせ以上に発展する可能性は低いですから」
アッサリ肯定されてしまった。……まったく政治家連中の、面の皮の厚さと来たら……
「それでは放置してこのままで行くノ? 公使館の警備隊員はじめ、こちら側の被害だってバカにならないはずだけド」
「放置とは申しておりません……エリザベート王女への、兵力供給を断ちたいと考えております。ニールくん、資料を」
私の後を追ってきたニールに地図を持ってこさせ、卓上に広げる。グレイビル王国とイクシス教皇国の、トラヴァリア国境付近にいくつかの印が付けてあった。地図と一緒に何部かの書類も広げられ、『グリサリア聖教会事件襲撃者』や『マクングラント公使館事件』などのタイトルが付いている。マホロ共和国で最近起こったテロ事件やサボタージュ事件の、犯人たちのファイルと知れた。
「これら、一連の事件の犯人たちには共通点がある事が判ってきました。一つ、彼らは顔を隠して活動していた冒険者ギルドのメンバーがほとんどでした。故郷で不始末をしたなどの理由により、顔を隠し仮の名前で仕事をする冒険者や傭兵は、珍しくない数で居るようですな。二つ、正体不明の相手に誘拐・隷属化されて末端の兵士とさせられた。そして、証言としては二例しか得られてませんが、「所属が変えられた。『お嬢さま』の配下として働けと言われた」といったものが得られています」
正直、鼻を鳴らしたくなった。エリザベート・デルス・トラヴァリアは十五年前、十六歳で当時のマホロ王国に嫁いできて、その後、故郷に逃げ帰る羽目になった。つまり、今さらお嬢さまって呼ばれる歳かよって事。
「……ソルヴェクさま……少しその、感情的になっておられるのでは?」
ニールがお茶を勧めながら気を使ってくる。……確かにちょっと頭に血が上りすぎていたかも。カップを傾けながら、一息つく。
「証言の数が少ないのが気になるけド、その話が事実なら、冒険者の誘拐・隷属化をやっている者はエリザベートとは別人? 別組織?」
「はい、それが我らの結論です。そしてその相手ですが、現状、最も可能性が高いのはホルトミルガー公爵かと」
ホルトミルガー……宮廷権謀術数のツマラナイ所をより集めたような人物ネ。確か最近、意図不明でユニークな行為をやっていた覚えが……
「確か各地の吟遊詩人や聖教会に働きかけて『ザルトクスの悪魔』なんて話をゴリ押ししてたネ? それじゃあ何かナ? 『顔隠し』で活動してる、腕っこきの冒険者を誘拐するのって、『ザルトクスの悪魔』探しが目的だったりしテ?」
「……そこまで行くと、不確定な部分が多すぎますが……あるいはそうかも知れません……」
議長はシワだらけの顔をさらに渋面にして答えた。
「で、エリザベートへの兵力供給を断つって言う事ハ……」
手刀で首をトンと叩いてみせる。老議長、胃に穴が開きそうな顔で
「ホルトミルガー公爵を直接害する事もナシです。何度も言いますが、マホロがトラヴァリアの内政に直接影響を与える事は避けたい。実働部隊を潰す手が一番かと」
ちょっとした冗談だったのに、ユーモアのセンスのないお爺ちゃんだ事。
「……現在、あちこちに手を回して『顔を隠して好成績を上げている冒険者』の情報を集めています。好適な候補を見つけ、彼らの周りで網を張っていれば、自ずと誘拐部隊に行き当たるかと」
「はぁ、勝手に餌に使って釣りをするようなものネー。ま、いいワ、候補が見つかったら連絡ちょうだイ」
私の返事に、老議長と少年執事の二人がそろって「何? 何を言ってるの?」という視線を向けてくる。うーんこれは、判ってないかな?
「あのネ、例えば力勝負の猛獣狩りなら、単純な戦力の足し算でなんとかなるワ。でも、闇夜の毒蛇狩りはそうはいかないノ」
「毒蛇って……いや、相手がよく分からないのはそうなんでしょうけど、ソルヴェクさまが直接出られる事態でしょうか……?」
ニールが戸惑っている。
「思い出しなさイ。グリサリアでもマクングラントでも、相当な腕の冒険者が隷属化されていタ。それだけの精神系魔法かスキルか、それを使うモノが相手と仮定すべきナノ。生半可な戦力で挑むべきじゃナイ。こちらの最高戦力を注ぎ込むべきヨ……敢えて言わせてもらうけド、ネ」
この件で退いたらムダな犠牲が増えかねない。断乎退かないという意志を籠めて議長の目をにらみつけた。
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