幕間の協奏
会議室を出ると、四人は一旦別れる。特にアノニムは、神器研究室に顔を出すのが決まりになっていた。
「じゃ、また後で」
「はい、ゼインズ神官長によろしく」
「僕たちは道具屋のぞいてから宿に戻るよ」
「判ってると思うけど、最近――」
「ええ、嗅ぎ回ってる連中が増えてるわね。お互い気をつけましょう」
「了解」
言い交わして別れ、神殿の奥に進む。扉に設置された『魔力認証』をパスし、入室した。用心のためという名目で後付けされたものだが、実質、常時マスクを付けているアノニム専用のようなものである。
「こんちはぁ、失礼しますね」
「あ、アノニムさん」
「どうも、神官長は奥です」
もう研究員も慣れたものである。望遠鏡や六分儀など、知っている範囲の道具の使い方を、それとなく誘導してきた結果だった。
奥まった一室に、ノックして入室する。
「どうぞ……おお、アノニム殿」
ゼインズは透明なケースに収められた神器に見入っている所だった。ケース自体が魔法的な構造物で、それに収められているという事は、他の神器とはレベルの違うセキュリティ対策が施されているという事である。
アノニムとゼインズは並んで「それ」に視線を向ける。
「……二十階層の宝箱からのドロップ品で、ようやく『あと一つ』と確信出来るところまでこぎつけました。私は賭け事が苦手ですが、それでも最後のパーツが出るとすれば……」
「ええ、二十五階層。このダンジョンの初回踏破時をおいて他に無いように思いますね」
これほどの労力と根気を要求して、果たしてこの神器はどんな力を秘めているのか。視線の先、『竜頭』のみを欠いた黄金の懐中時計は、今は静かに眠っているかのようだった。
◇
宿に帰り着くと、一階の酒場が賑わっている。楽士が入っているようだ。アノニムが利用し始めてから初めてである、
(おや、この音は……)
単弦で六本弦、リュートとは毛色の違ったギターの音色だ。こちらの世界では、まだ珍しい。
一人の女楽士が、小型のギターを奏でながら、異国情緒あふれる歌を歌っていた。吟遊詩人の詩とは別方向の芸である。
周りの客は手拍子を打ち、ある者は足を踏みならし、踊り出さんばかりにノっている。
『街へ行こう 街へ行こう ヤギを連れて 街へ行こう 街では人が ヤギより多いんだぜ 知っているかい……♪』
恐らく村祭りなどで演奏される曲なのだろう。明るくアップテンポで野趣に満ち、聞いているだけで踊り出したくなってくる。
(……そう言えばしばらく、芸人活動やってないなあ)
ナタジャラムに来た当日に、酒場で板芝居を一幕演じているわけで、別にそのこと自体を秘密にしているわけではない。少し考えると、アノニムは、黄色い布を頭に巻き付けて、オカリナを鳴らしながら女楽士の演奏に割って入った。これは「あなたの稼ぎをジャマするつもりはありませんよ?」という、こちら側の芸人同士で発達してきたサインである。女楽士も少し驚いた表情をしたが、鷹揚に笑みかけて『怪傑ゾ□マスク』の乱入を受け入れた。アノニムのオカリナは、誰が聞いても素人芸ではないと判るレベルである。
「いいぞ、にいちゃん!」
「うめーじゃねーか! ハッハッハッ!」
メロディーに厚みを増した演奏は、さらに観客を盛り上げて、酒場の女将をして「床板が痛んじまったんじゃないかねえ、全く」と愚痴らせる盛況ぶりをみせたのであった。
おひねりも結構な人数からあつまった。女楽士もちょっとビックリしている。
「やー、稼いだ稼いだ。おにーさんのお陰だヨ。ホントに全取りで構わないノ?」
「いや、そこは後から勝手に俺が割って入ったわけですから、しきたり通りの配分で」
演奏を終えて女楽士とアノニムは、酒場の隅の卓に向かい合っていた。
彫りの深い顔立ちの美女だった。歳の頃は二十代後半から三十代と言ったところか。ゆったりめのローブの上からでも察せられる豊満なプロポーション。あまり日に焼けてはいないが、言葉の語尾に特徴的なイントネーションがあり、遠方から流れてきた人物という印象を受ける。
ちなみに、しきたりというのは、先に演奏していた楽士・楽団に対し、後から割りこんだ者がその時の演奏の対価を要求してはいけない、という事である。楽士同士の即興的な共演というのはよくある事で、そこから生まれる人の縁もあるのだけれども、お金の事は、ハッキリさせておきましょうね? という話。
「でも、一杯くらいは奢らせてヨ? 人生の先輩として、そのくらいはネ?」
「では、遠慮なく。エールをもらえますか」
注文を取りに来た女給仕にオーダーを伝える。
「はい、エール一つ、払いはこちらで。アノニムさん、夕食はどうします? 私これで上がりなんで、今食べるなら持ってきますけど」
対応したのは、昼シフトの無愛想なあの娘であった。
女楽士が眉を上げる。
「アノニム? ひょっとして、あなた『到達者』の一人?」
「あー、そう、そう呼ばれてるみたいですね、最近は」
自分でも下手くそな韜晦だなと、気恥ずかしさを感じながら答える。
「へー、噂には聞いてたけど……オカリナの腕に驚いちゃったワ。『黄布の礼』といい、楽士ギルドにも所属してるのかしラ?」
「まあ……似たようなもんです。あの、お名前をうかがっても?」
「そうだったわネ、ごめんなさい。ワタシはソルヴェク。覚えていられたら、覚えててネ?」
いたずらっぽい笑みと共にウィンクを一つ残し、彼女は席を立つ。
「これで失礼させてもらいますネ、未来の英雄サン。明日は明日で早いものデ」
「いえ、お気になさらずに。……楽しい共演でした」
一例を交わし、別れた。彼女の宿は、こことは別らしい。楽器ケースを背負って酒場から出て行った。
「どうぞ、後は自分で下げてくださいね」
「……はい、ありがとう。お疲れ様です」
こちらの返事も聞かずに夕食のトレイを持ってきた昼シフトの彼女。神経の図太さに感嘆し、一日の勤労に感謝した。いや、マジで。
少々塩気の濃いスープを口に運びつつ「空振りだったか……」との思いが湧いた。久しぶりに楽器を演奏してみたい気持ちもあったのだけど、自分が泊まっている宿の酒場に楽士がやって来る確率がどれほどかと考えて、ソルヴェクと名乗った彼女が『ミュシャ神殿からの使者』ではないかと思ったのだが……違っていたらしい。やけに急いでいるなとは思ったが、不自然な点は感じられなかった。
後年アノニムは、この時の自分がいかにザルのような識別眼しか持ち合わせていなかったか、自己嫌悪に苛まれる事となる――
◇