在るはずのない星空
場所はナーダ大神殿、神器研究室である。
「では、こちらのカードに手を触れて……どうぞ」
「こう……でしょうか、おお!? 今、声が聞こえましたぞ!」
アノニムは神殿の研究員たちに、『座標軸カード』の使い方をレクチャーしていた。被験者役に選ばれた研究員は興奮気味である。
「肯定すると、相当な量の魔力を消耗しますよ。覚悟して、起動を」
「はい、行きます! ……くっ!」
うめき声と共に、彼の身から魔力が奪われ、無機質なメッセージ音声が脳裏に流れた。
『一次元座標支配を起動しました』
今、被験者の目前の卓上には、うっすらと青白く光る一本のラインが見えている。魔力を通すまでは(0.0)と(x.0)の二枚のカードが、およそ2mほどの間隔で置かれているだけだった。魔力を消費する事で『次元座標支配』を起動すると、カードは姿を消してそれぞれを繋ぐ空間に青白い魔力の「スケール」が形成されるのだ。
お気づきの通り、今、研究員の被験者が起動したのは、「原点」と「x座標」だけで成り立つ『一次元座標支配』である。起動に必要な魔力が『二次元』の場合よりも大幅に少なくて済み、このライン上でなら「加速」や「減速」の時間魔法の効率が大幅に上がるのだった。神殿側にはいいデモンストレーションになるだろう。
「あ、ありがとうございます、アノニム殿! まさか、私ごときが、神器を起動させられるなんて……」
「い、いえいえ、お役に立てて幸いです」
被験者から、感激の面持ちで握手を求められ、アノニムは内心忸怩たるものがあった。
「ありがとうございます、アノニム殿、私からもお礼を言わせてください」
「神官長……俺は自分のやりたい事をやっただけですから」
ゼインズも、どこかほっとした表情でアノニムに礼を言ってきた。これでおそらく、ホルトミルガー公爵家への成果報告は一応の形がつけられるだろう。
「これで、もう一段上の『二次元座標支配』を起動できればどんなにか……。やはり人の身ではかなわぬ境地なのでしょうか」
「……難しいですね。必要なのは魔力だけのようですが、それが桁外れのようですから」
内心ドキリとしながら平静を装う。アノニムに預けられたカードは『レア』物らしく、今まで一例しかドロップ例がないという。で、あれば、例えば公爵家側がカードの貸与と独自検証を申し入れて来ても、ごまかせないモノでもない……
そう、アノニムは、カードを返却するに当たって、ある細工を施したのだった。
四枚のカードの内、(x.y)の文字の浮き出るカードの隅に、魔方陣を描く時に使用する不可視の魔力透過インクで、x=∞、y=∞を書き加えておいた。おかげで、(0.0)の原点カードと(x.0)、または(0.y)カードでの『一次元座標支配』は起動できても。四枚のカードを用いた『二次元座標支配』は、チェス盤サイズの面積であっても起動不能になってしまった。チェス盤サイズにカードを並べても、xとyとが無限大の魔力を要求されてしまうわけである。――宿の一室を閉め切って、自分の身で実験したから間違いない。
ちなみに、この世界に於いて生物の完全な魔力枯渇は生死に関わるとされている。しかし、だからこそ、そんな事態に陥ると、意識を落とす『ブレーカー』が本能的に働き、完全な魔力放出を抑えるという。これも自分の身でry
閑話休題、アノニムの立場としては、元々の所有権がダーナ神殿側にある物であっても、ホルトミルガー公爵家に軍事転用されかねない技術は明かすわけにはいかなかった。
「アノニム殿、先のスタンピード時のドロップ品で、いくつかご意見をいただければ……」
「おお、そうでした。よろしいでしょうか?」
「はい、かまいませんよ」
一つ成果を上げると現金なもので、研究員たちの態度がコロッと変わった。そのまま、新たに研究対象になったドロップ品を見せてもらう。
……いくつか「普通」レベルで有用な道具があった。つまり、技術公開する事で軍事バランスが変わってしまう、とかまでの影響はない「向こう側の」製品技術だ。悪目立ちはしたくはないが、神殿側に念押しで恩を売っておくかと、手を貸す事にする。
「こちらの太い筒に、この細めのを組み合わせてみましょう」
「これでいいんですか? 色も装飾も別物に見えますけど」
「飾りは機能とは無関係ですから。多少、寸法が合わないのも、後からリングでもはめて調整してください。……よし、これを、こっちの細い筒側から覗きます」
「……おお、これは! 『遠見』の魔道具ですね!」
「いえ、魔力を使わないのがミソでして」
「え……えええ! 本当だ! 魔力をまるで使っていない!」
研究員たちは『望遠鏡』に夢中になってしまった。自分も見てみたいと皆が集まってきて、ある意味アノニムからも関心が逸れた。そんな騒ぎの中、神官長ゼインズが近づき、彼に声をかける。
「アノニム殿、よろしければ別室で少しお話をうかがえませんか?」
……その語調に、どこか思い詰めた雰囲気を感じ
「ええ、構いませんよ」
アノニムは努めて軽く答えた。
ゼインズが自らアノニムを案内しようとし、あわてて「私が……」と前に出た侍従を、軽く身振りで制する。そのまま二人きり、導かれるままついて行くと、初めて見る部屋に案内された。小コンサートホールほどの広さの、ドーム状の聖堂といった雰囲気の部屋である。いや、聖堂と言うには壁に装飾がなさすぎるような……。まるで、それ自体が目的であるかのように、白く、なめらかな球体内面状に作られている。
はて、何だこの部屋? てっきり冒険者としての『専属』のお誘いか何かの用件かと思ったのだが……
「少々お待ちを」
そう声をかけてゼインズは、部屋の中央に据えられた台座の側で何かの設備を操作した。と、部屋の外周に据え付けられていた魔力灯が消え、部屋の中は暗闇に満たされ、ほとんど同時に
「っ!……」
中央の台座から光条が延びて、外壁一面に星空が映し出されたのだった。
『プラネタリウム』は、仕組み自体は難しいものではない。星の位置を模した穴あきボードと光源があれば再現できるとも言える。しかし、そんな簡単な仕掛けを前にして、アノニムはしばらく言葉を発することができなかった。なぜなら――
闇の向こうから、ゼインズが迷いも露わな口調で問うた。
「アノニムさん……あなたは……この星空に見覚えはないでしょうか?」
忘れようもない北斗七星、アルタイル、ベガ、デネブ、夏の大三角――それはこちらの世界では知るはずもない〝異世界〟の星空だった。
◇