奇妙な〝支配〟力
酒場の二階の宿に戻ってくると、廊下でロザリーと行き当たった。
「あら、ご機嫌よう。今日は収穫あったかしら?」
宿の中では口元を覆おう布を外している彼女は、蠱惑的な唇で笑みを送ってくる。冒険者の挨拶じゃねーだろと思いつつも、つい見入ってしまった。
「いや……大した事はなかったよ。フランジスっていう神官長さんには会えたけど」
「ああ、あの方ね。噂では部下に突き上げられ気味と聞くけど……。歯車の方はどうだった? いい値がついたかしら?」
「いや……話の流れで寄付する事に……」
「ふうん、そう? まあ、神殿に『貸し』を作っておくのは悪い考えではないと思うけど」
「悪い、ロザリー。話は後で」
「ごめんなさい、引き留めちゃって。では後で」
やや強引に話を打ち切って、部屋に籠もるアノニム。小さく吐息をつきつつ、部屋の中を改めて調べ上げる。魔法的な手段で盗視・盗聴されていないかを、念入りに。
自分の手で再度構築し直した結界魔法。表面に魔力を流してシールドの具合を確認する。
「……こんなもんか」
そして、部屋の調度品である簡素なテーブルの上に、借り受けてきた四枚のカードを並べてみた。自分から見て、左手前に(0.0)、右手前に(x.0)、左手奥に(0.y)、そして右手奥が(x.y)。一応、目測でだが、正方形の頂点に当たるように配置した。……何も起こらない……
「これだけでは足りないか? ならば……」
直感に導かれるまま、(0.0)のカード……『原点』に触れてみる。
「っく……!」
途端に結構な量の魔力が吸い取られ、四枚のカードは元の形を失い、青い四角の魔力格子に姿を変えた。そして脳裏に無機質なメッセージが流れる。
『二次元座標支配を起動しますか?』
◇
自室に戻ったロザリーに、部屋の隅で逆立ちをしていたヴィードが声をかけた。
「お帰り、どうだった?」
「……そういうのは部屋が汗臭くなるから止めてって言ったでしょ。言ってたとおりだったわ。ナーダ神殿を訪ねて色々聞いてきたみたいね」
「ふーん、そう。明日はダンジョン行けるかな」
ふわりと、床板も鳴らさず立ち上がり、コリコリ指をほぐすヴィード。やっていたのは、正確に言うと指逆立ちだったのだが。
「……もう少しパーティーメンバーに気を配ってちょうだい」
「だってウラのウラとか、読んでたらきりないし。役に立ってくれるならそれでいいんじゃね? それにアノニムさ、どこかの間者にしては、僕らに遠慮がないような気がするよ。『合わなかったら別れていいや』って感じがする」
「それはまあ……しかし、『有りがち』の逆を行くからこそ擬装として成りたつ、とも言えます」
「結局ウラのウラになるんだろ? やだやだ。メシにしよー、メシ。先に降りるね」
子供のようなしかめ面を残し、ヴィードは酒場兼食堂へ降りていった。やれやれと、ため息をついて見送るロザリー。
(しかしまあ、何だかんだで人を見る目が付いてきたかしら……?)
今でも十分『非常識』扱いされているヴィードだが、旅を始めた頃は、これに輪を掛けて世間知らずだった。あの頃から較べれば……ずいぶん成長したものである。ほとんど生まれた頃から弟扱いしてきたロザリーにしてみれば、いささかの感慨を感ぜざるを得ない。
しかしまた同時に、太陽が中天を過ぎ日時計の影が短くなっていくような、残り時間を惜しむような気持ちも湧いてくるのだった。
いつまでもこんな生活は続けられない。いや、もう『冒険』と呼べるのは、このダンジョン攻略が最後かも知れない。ヴィードにとっても、自分にとっても、『国』という枠から逃れて過ごせる猶予期間は、もう余り長くはないはずだ……
◇
すっかり検証に没頭してしまった。急がないと夕飯、追加料金とられる時間だ。
盛大に魔力を消費してしまったもので、痛切な空腹感を抱えて酒場兼食堂に降りてきたアノニムだが……何か辺りが騒がしい。
「アノニム」
「遅かったな、呼びに行こうかと思ってたよ」
ロザリーとヴィードが少し離れた卓から手招きしている。給仕の娘に「夕飯、パン増しであの卓に運んで」と言いつけ、二人の元へと向かった。
「何? なんかあったの?」
椅子を引きながらの問いに、簡潔ながら緊張感のこもった答えが返る。
「ダンジョン管理部とギルドから通達よ。十階層でモンスター暴走の兆候あり。ランクD以上の登録者は防衛戦に強制参加」
「どうする? ランク外でも希望者は拒まないそうだけど」
「……どうぞ。あたし、これであがりだから、食器は自分で下げてくださいね」
「わかったよ、遅れてゴメン」
途中ではさまったのは、夕食のトレイを運んできた給仕娘である。
「面倒な事になったな……やるよ、決まってるだろ」
ため息をつきながらもアノニムはそう答えた。
ダンジョン内に湧くモンスターは、基本的にはダンジョン内で発生し、消えて行く。しかしダンジョン内の何かのバランスが崩れた時、モンスターが大量発生してダンジョン外にあふれ出し、周辺地域に多大の被害をもたらす事がある。これが〝暴走〟と呼ばれる現象であり、各地のダンジョンを管理している者にとって、悪夢のような災厄だ。基本的に『自由業』の冒険者たちを、この時ばかりは強制的に組織に組み込んででも防がねばならない。
「よく言ったアノニム! それでこそ冒険者! 力なき人々に代わって危険を冒す者だ!」
握手せんばかりに両手を差し出すヴィードを放置し、アノニムは食事に忙しい。そんな『仲間』にロザリーは値踏みをするような視線を向けてくる。
「……戦力は多いに越した事はないけど、この場で決めていいの? はっきり言って戦争規模になるわよ?」
大急ぎで夕食を詰め込んだアノニムだが、しばらく黙考すると
「うーん、やっぱり使われ方を見てから決めようかな。さすがに一度組織編成に組み込んだら、好きに動かせてはくれないだろうし」
「は?! おいおい、アノニム!」
ヴィードは呆れと怒りが半々。ロザリーは口には出さなかったが『余計な事を言ったか……』と言わんばかりの雰囲気だった。
「何も戦わないって訳じゃないんだよ。ただ、俺が一番効率よく敵にダメージ与えるやり方は、ギルドのお偉いさんには判らない。まあしばらく一緒に行動して状況を確認させてもらうぜ? よろしくな」
「「…………」」
(『合わなかったら別れていいや』のヤツとは思っていたけど……)
ここまで悪びれなく利己的にふるまえるとは。もうヴィードの中では呆れが十割に達してしまった。
◇