明かされた願い
「よく知られた話は『魔王ネフィリム』を、ザナ神が異世界より呼び寄せた『勇者ヤシマ』が討ち取って平和をもたらしたというものじゃが……記録に残る範囲で裏付けは取れていない。南方大陸の、およそ三千年前の石版記録に似た話があると言うが、『事実』としての裏付けとは言えまいよ。それ以降で言うと……お主、史書に残っている勇者召還を尋ねたらしいが……有ると言えば無数にある。しかし結局、自己家系の箔づけが目的の場合がほとんどで、事実関係は疑わしいものがほとんどじゃ……」
エリスは、まるで投げ出すかのような率直さで『召還勇者伝説』を語った。事実関係の真偽はおき、およそのパターンをまとめると――この世に危機の迫る時、世界を見守り下さっている十二神のいずれかが信者の要請に応えて、異世界人を『界渡り』させる事を決める。この世とは異なる世界の神と話し合い、善良な死者の魂を選び出す、そして、こちらの世界で新たな命を与える事を条件に、危機を払うために働く事を誓約させる。神より新たな命を授けられた異世界人は『勇者』と呼ばれ、超絶的な力を発揮して危機を打ち払う。最後は現地人と子をなして、めでたしめでたし。その勇者の末裔がウチの家系なんだよ――そんな感じだ。
神官長の話は、少なくとも意図的な嘘はないとアノニムは感じた。いくつかの事例では、勇者が神授の力に増長して、むしろそれ自身が災厄と化してしまった例もあり、エリスはそんな「都合の悪い」例も包み隠さず話した。だが、話を聞いていくうちに、ある違和感がふくれて行く……
「セネディーさん」
「……そろそろエリスと呼び捨てでよいぞ」
「呼び捨てはちょっと……では、エリスさん。疑問点が二つありまして」
「訊いてみよ? 私に答えられるとよいが」
「別な世界の死者の魂を選ぶとの事ですが、それは新たな命を報酬として、言わば『契約』を結ぶためですか? それとも、死者の魂でなければならない別な理由があるのですか?」
老神官は目を閉じて記憶を探り、言うべき事を整理する。
「これから言う事は、神からハッキリ掲示を受けたのではなく、長年に渡る神託の研究や高位精霊との問答で明らかになってきた、この世の理なのじゃが……。世界の中で生まれた生きものの『魂』は、実は生まれた時から大きな網の目のような『因果律』に組み込まれておる。どんなに孤独に見える存在も、単独ではなく他とつながっておるのじゃ。従って、魂一つといえど簡単に元の世界から別の世界へ動かす事はできん。動かせるようになるのは……もう分かるな? 元世界の因果律から外れた時。つまり、死んだ時なのだ」
質問を重ねるのは『やぶ蛇』になりかねないと分かっていたのだが、自分自身が特殊ケースゆえ、訊かずにいられない。
「それは、絶対に? 例外なく?」
「……信用できる範囲の記録では、一致している、としか言いようがないのう。第一……召還に携わる神さまからすれば、ルール違反など、あえて犯す意味があるまい」
(……そうか、人間が行った召喚だったから『ルール違反』になったのか……なら、やっぱり疑問点はそこに尽きる……)
「では、もう一つの疑問を」
「うむ」
「神さまではなく、人間が異世界召喚を行った例はないのですか?」
その質問に、目にはハッキリとした違いは分からないが、老巫女が緊張の度を増したのが感じられた。
「それも信用できる記録にはない、と答えるしかないのう……じゃが、人の欲とは限りがない故に」
「信用できない……噂話程度だったら、あるんですか?」
小さく吐息をもらすエリス。珍しく、年相応に見えた。
「研究自体の噂は絶えない。成功したと公言した者もおる。……いずれもさしたる武功もなしに消えていったからには、信じるに耐えんがな……
それにな、先ほど話したとおり、記録に残る最も近い『勇者召喚』は、もう四百年ほど前になるが、惨憺たる結果に終わった。東方諸国は甚大な損害を被り、召喚を主導したホローデン帝国は大きく国威を落とし、召喚主だった戦神マクンもまた、神殿ごと大きく名誉を失墜した。……それでも戦があれば、すがらずには居れぬのが人なのだがな……
ともかくそれ以降、ザナ神の聖教会を中心に、勇者召喚をタブー視する風潮が強いのじゃよ。殊に……神に願い出て執り行って頂くのではなく、人が自ら異世界人を呼ぶなどは……聖教会からは間違いなく『手前勝手で不遜な行い』と非難されよう」
「…………」
アノニム――トモヤの脳裏に、ザルトクス子爵の人を見下した傲岸な瞳がよぎる。そうか。あれは最初から、こちらの世界の道徳さえ踏みにじって省みぬ者の目だったのか……。奇妙な納得感が胸に落ちた。
「アノニム……今度は私が問いたい」
「……どうぞ」
話の流れが、ちょっとまずい……。そう思いつつトモヤはエリスの問いを拒めなかった。
「お主の、望みは何か? 我らミュシャ神殿はお主に対し、大きな恩義を感じておる。しかし、この世の全てを握っているわけでもないのじゃからして、望むモノ全てを与えようなどという大口は叩けんさ。それでもお主の希望に対し、できる限りの助力は惜しまん。故に問いたい。お主は、その異様に強大な力を以て、この世界で何を望むのか?」
「…………」
「…………」
一時沈黙が流れた。トモヤの胸に、もう一つの納得が落ちる。そうか。今の自分は、「珍しい」とか「変なヤツ」を通り越して、これほどの強者にも恐れられて当然の存在なのか……
そしてエリスはもう、半ば自分の正体に気づいている……
「……力は別に……関係ないんです……」
「うむ……」
「俺の望みは、元いた世界に帰りたい。それだけなんです……」
「…………そうか…………済まぬ…………」
エリスの詫びは、真情を感じさせるものだったが、何に対しての謝罪だったかは判然としなかった。
多分、『望み』に対する無力を始め、様々な事物に対してのものだったのだろう。
◇