転生したら悪女だった1
「聖女様っ、助けてぇ!」
子供の悲鳴が響いた。私は崖から落ちそうになった少年の手をつかんで抱きしめた。
私の足元の地面が崩れた。
このままだとこの子まで落ちてしまう。
私は子供を突き飛ばした。勢いでぐらりと身体が揺れ、墜落してしまった。
「ロレイン様っ」
「聖女様ぁーっ」
子供の悲鳴が聞こえる。
よかった。君は無事なのね。
乗り出さないで。こんなに高い崖の上から落ちてしまったら、死んでしまうわ。
せっかく私が守ったんだもの。
「おじさん。聖女様が落ちてしまった! 足下が崩れたの」
「ロレイン様は、僕を守ろうとしたんだ!」
「聖女様を助けて」
「だめだ。この谷は深すぎる。早く逃げないと危ない。もう、村は安全じゃないんだ。もうすぐここも戦地になる!」
「そんな。聖女様が死んじゃうっ」
「聖女様は女神フルゴナ様に愛されていらっしゃるし、治癒魔法が使えるから、きっと大丈夫だよ」
私は確かに聖女だけど、治癒魔法は限度がある。
心の臓を突かれたら死ぬし、身体がぐちゃぐちゃになるようなケガは助からない。
びゅうびゅうと風を切る音がする。
墜落している時間なんて一瞬のはずなのに、永遠のように長く感じる。
私は死ぬんだ。
私はいろんなことを思い出していた。
聖女に選ばれたときのうれしさと困惑。
任命式。祭壇の前で大聖女様から名前を呼ばれたときの晴れがましさ。
修道院での聖女修行は大変だったけど楽しかった。みんなでお菓子を食べておしゃべりをしてはしゃいだ。
治癒魔法を使いこなせるようになった私は、戦地に派遣された。
戦いに向かう兵士に強化魔法を掛け、ケガをした兵士の治療をする。
銃弾が飛び交う戦場で、血と泥にまみれながら、私は必死に働いた。
苦しいときも、今さえ乗り切ったら戦争は終わると考えてがんばった。
だが、戦争は終わらなかった。
治療しても治療しても治療しても、戦争は終わらなかった。
強化魔法をかけて送り出した兵士が、昼にはケガをして戻ってくる。
治癒魔法をかけてケガを癒やした兵士が、夜にはもの言わぬ死体になって転がっている。
私の聖女の力や祈りは、戦争という大きなうねりの前では無力だった。
祈りを捧げている私に、村人が言った。
「聖女様、何をしてるんですか?」
「死者の世界に旅立つ兵士に、冥福を祈っていたのよ」
「そんなことをしても死んだ人間は生き帰りません。ケガ人がいっぱいいるんです! 早く治療をしてあげてっ」
「ああっ、だめだっ。死んでしまった」
「聖女様、強化魔法をお願いしますっ」
私は何をしているんだろう。
人々を救う聖女になりたいと思ったのに。
戦争があるから聖女がいるのか。
聖女がいるから戦争があるのか。
私はもうわからない。
私が崖から足を踏み外したのは、戦火の拡大で住民を避難させていたときだった。
崖の細い道を夕暮れに移動するなんて無茶なことをしたのは、部隊がひとつ全滅したから。
最後の記憶は、私を心配そうに見つめる子供の顔だ。
走馬灯が終わった。
私は真っ白な世界にいた。
暑くも寒くもない、静かなところ。
まるで雲の上みたい。
神々しいぐらいに美しい女性が目の目に立っていた。
「ロレインよ。よくがんばりましたね」
優しい声が聞こえてきた。
「女神フルゴラ様。私は死ぬのですか?」
「死があなたの希望であれば。天国でのんびりしますか?」
「私は生きたいです。女神様」
「わかりました。聖女の勤めを全うしたあなたに、望みを叶えてあげましょう。あなたはこの先、どうしたいですか?」
「戦争がなく聖女もいない平和な世界で、平凡な幸せを手に入れたいのです」
「わかりました。その願い、叶えてあげましょう」
周囲が金色に包まれた。
☆
ふっと気付くと、私は高い台の上にいた。
後ろ手に縄掛けされ、麻の粗末なドレスを着ている。首に縄が巻き付いている。
豪華な服を着た貴族の男性が、私を見上げている。王子様みたいにキラキラしたハンサムな男性だ。
同じ制服の役人たち、それに、顔を布で隠した獄卒らしい男たち。
柵の向こうでは、庶民や貴族が、面白そうに私を見つめている。
私の首の縄は、上のほうへ伸びていた。
地面には穴が掘られていた。
皮肉なほどのいい天気で、太陽の光が容赦なく照りつけている。
「悪女ロレイン、処刑に当たって確認をする。言い残すことはあるか?」
豪華な服を着た金髪碧眼の男性が声を張り上げた。
ちょっと待って!
これって絞首刑?
この穴は、私を埋めるためなんだわ!
いきなり処刑なんて、女神様、あんまりです!
私は首を振った。
「ユグアス王国司法院長官・ユグアス王国第三王子フレデリック・ユグアスの名において、これより悪女ロレインの処刑を執行する!」