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2月⑥ 審判の日~1日目~

朝七時、分厚いコートに腕を通し、僕は京都大学へと向かう車の中にいた。

母以外の家族はみんなまだ寝ている。

普通なら公共交通機関を用いて大学へと行くべきだけれど、母が「バスは混んでるだろうし送っていってあげるわ」と言ってくれたら、ありがたく乗せてもらっているのだ。


車中。

助手席に座る僕に母が話し始めた。


「どう?緊張してる?」


「うーん、まぁ、うん。多少はね」


「緊張なんて全然しなくて良いんだからね。

共通テストで八割五分取れてるんだから、いつも通りで大丈夫だよ」


自分の言葉を確かめるようにうんうんと頷きながら言う母は、多分自分が緊張しているのだろう。

だから僕を元気付ける振りをして、自分の言葉で自分を納得させようとしているのだ。


「直前まで学校に行って頑張って勉強してたんだから、他の人たちにそうそう引けを取らないわよ。

でも計算ミスは怖いかな。

落ち着いて、検算とか見直しをちゃんとしてね」


「うん」


今朝あえて車で行こうと誘ったのもこのためか。

僕に言いたいことを言うため。

母が僕と二人きりでゆっくり話せるタイミングなんてほとんどないから。


 いやー、そんな期待されても困っちゃうぞ(キャピ)


なんて、僕に期待されるような力がないことは僕が一番よく知っている。


思えばあのときはまだ、僕に才能があると言えたかもしれない。

僕が始めて受験を経験したのは中学受験のときだ。

地元の中学校に行きたくなくて家の近くの進学校に受験に行ったのだ。

三年分の過去問を手に入れることができたから、それらを解くことで僕は自分に十分な知識と応用力があることを確認していた。


勉強らしい勉強はそれだけ。

僕は進学校に合格した。


小学校までの僕はいわゆる「天才型」で、自分には才能があると思い込んでいたのだ。


「あれー、抜け道を通ってるはずなのに、渋滞してるね。

やっぱりみんな考えることはおなじなんだね。

遅れることはないけど、到着まであと10分はかかりそう」

と母は言った。


到着が思ったより遅くなったのは前にもあった。

中学三年生で英検を受験しに行ったときだ。


英検準二級を受けに行こうとなったとき、僕の懸念はリスニングだけだった。

読み書きは十分なほどできていたけれど、聞き取りは求められる水準に達していないと思っていた。


その日は雨が降っていて、電車で2駅の距離をバスで移動していた。

なぜか道が混んでいてバスの運行が遅れており、刻一刻と迫る試験開始時刻を意識しながら、僕はバス停で単語帳を開いていた。

寸前でバスが来て試験には間に合い、僕は英検準二級の称号を得ることができた。


鬼門だったリスニングも合格者の水準を上回っていて、僕は自分の能力の高さを再確認したのだった。


「忘れ物ない?受験票持った?弁当も持ってる?」

と母は言った。


「うん、大丈夫だよ」


答えると、母は「ならよし」と頷いてアクセルを踏んだ。

こんなときは母は心配性だ。


例えば模試の試験場に行くとき。

例えばオープンキャンパスに行くとき。

例えば部活の大会に行くとき。


良い大学に入れることに関しては心配性になるのだ。

今だってわざわざ送ってくれてるし。

親の教育方針って奴だろう。


母が質問を止め、沈黙が続いていると、京都大学の近くに着いた。

母は路肩に寄せ、車を停めた。

下車して歩いてすぐ農学部のキャンパスだ。


「ここら辺でいいかな。

……受験票持ってるよね?

何かあったらスマホで教えてくれたら良いからね」


「うん」


「シャーペンと消しゴムは多めに机の上に置いとくんだよ。

お茶は試験中は飲めないから脱水にならないようにね。

あ、京大の構内に自販機あるよね?!

水筒が空になったら自販機で飲み物買いなさいよ」


「うん」


「テルは地頭も良いしこれまでも頑張ってきたんだから自信持って。

楽しんできてね」


「うん。じゃあ行ってきます」


母との会話を切り上げ、僕は京大の門をくぐった。

厚着をしていても肌寒い、今日この頃だった。


―――――――――――――――――――――――――――


一時間近く構外で待たされた。

大学見学として二回ここに訪れたが、あまり見覚えがない場所にいる。

見覚えがないってだけでドキドキしてしまう。


ずっと立っているのも疲れるから、自転車置場の近くの花壇に腰掛け、古典の単語帳を開いて、建物の扉が開かれるのを待った。

というか、なんとか勉強で緊張をほぐしたいのだ。

大学見学は大学の雰囲気や様子を知るために足を運んだが、受験会場となる建物は当日知らされるから下準備も何もない。

まぁ、みんな同じ状況だけど。


遠くの方で人垣が崩れ始めた。

ようやく、扉が開いて建物の中に入れるようになったみたいだ。

すぐに建物への入場待ちをする列が出来た。

だいたい四列かな?太く長く列がのびている。

列は遅々として進まないし心臓はより強く働くけれど、どうにかこうにか建物の中に入ることが出来た。


受験票と机の上に置かれた受験番号照会用紙を見比べ、席に着く。

それからいつものルーティン。



心を穏やかに。



国語の試験問題が配られる。

一日目は国語、数学の順で行われる。


京大の問題はとにかく時間が足りない。

国語でさえ、90分の試験で10分余れば良い方だ。

数学に関しては150分で3問、つまり1問50分かけないと解けない。

……どうやらショウは150分で5問完答を目指しているらしいけれど。

……僕みたいな阿呆からすれば、異次元だ。



弱気になってどうする、集中、集中。



いつの間にか国語の試験は終わって、昼食の時間だ。

手応えは、ちょっとだけあった。

ワンチャン良い感じ……かも?


母が作ってくれた昼ごはんの弁当を食べ終えて辺りを見渡すと、前の席の人は突っ伏して寝ていた。

余裕だな、と思い、でも僕も次の数学の対策なんて手につかずソワソワとしちゃって、建物の外に出ることにした。


ちょっとした探険だ。

木々が繁り、四方を古そうな建物に囲まれた空間があった。

他の人が一人もいないから、とても居心地が良い。

でも。


でも、僕はその空間に場違い感を感じてしまっていた。

京都では共通テストは雨で、京大入試当日は雪が降ってもおかしくないほどの寒さだったようです。

もし遠方から京都に受験しに行って、厚着していなかったら……。

当日はどんな天候、気温になるかわかりませんからね。

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