10月のある日① 数字の上では……
医学部を諦めた後の僕の行動は早かったように思う。
まず言われた通りに第一志望を京都大学に変更し、これまでの勉強に加えて国語の勉強を始めた。
次に両親に京大を目指すことを告げ、大学案内と願書を取り寄せてもらった。
両親は手放しに喜んでいて、少し気にくわなかったことは秘密だ。
そして担任に、担任の友達の医者には会わないことを伝えた。
運良く兄が京大生だから京大の過去問は持ち合わせており、国語の勉強用に新たな問題集を買う必要はなかった。
兄の問題集も、親に願書などの資料を取り寄せてもらうのもそうだけれど、僕は使えるものは使う主義だ。
両親も担任も副校長も、医学部を諦めることを歓迎し、そして京大を目指すことも歓迎した。
僕にはみんなの反応が疑問だった。
医学部と京大の何が違うのか?
僕に行きたいという強い意思が無いのは共通しているのに、なぜ医学部だけは目指してはならないのか?
だって、医者は直接的に患者の命を救い、一般職の人々は間接的に人々を助ける。
つまり、医者は1人ずつしか救えないのに、一般職の人々は不特定多数を助けられるとも言える。
なら京大を目指して一般職に就くときも強い覚悟が必要なんじゃないか?
実際に聞いてみた。
「医学部もその他の学部も直接、間接の違いはあるにせよ、人々の生活を守るという点では同じだと思います。
なぜ、医学部だけ反対したんですか?」
副校長は考え込むこともなく、僕を諭した。
「確かにね。
でも医学部は他の学部とは大きく違うんだよ。
まず、入学試験に面接が必要なことからも、学生の素質に適性が必要のはわかるよね。
それに、医学部は6年間ある。
さらに、他学部からの編入ができないんだ。
加えて、カリキュラムが医者になることに特化してるんだよ。
だから、テル。
合わない人にとっては、医学部は逃げることもできない、ツラい6年間になるんだよ」
なるほど、と感心した。
僕は医学部のその先を考えていた。
医者になったら人を助けて云々、と。
でも先生たちは大学生活の充実を第一に考えていた。
人を救うという大義名分のために自分を犠牲にする必要はない。
まだ18歳なんだ。
大学生活を楽しまなくちゃ、ってことだ。
納得はしたけれども未練たらたらな僕は、勉強意欲が低下していることを自覚していた。
「はぁ……」
気力の湧かない僕はリビングの食卓に問題集を開け、ペンを動かすこともなく、ボーッとしていた。
右手にシャーペン、左手にスマホを持ち、左手の親指ばかりを忙しなく動かしていた。
検索ワード『京都大学 偏差値』
検索ワード『京都大学 農学部 合格最低点』
生物選択の僕は農学部を受験することになる。
医学部より偏差値は低いものの、合格は困難に思われる。
「はぁ……」
目標得点率六割五分という数字を見て、恐怖するのを止められなかった。
過去問を見てみないと難易度も分からないか、と京大受験に怯えることをいったんはやめ、目の前の問題集に向き合うことにした。
京大農学部の合格者の採用方法は少し異質だ。
農学部全体として200名強を合格として判定し、得点数が高い人から自身の志望する学科に割り振られる。
高得点の人で1つの学科が埋まると、以後の人たちは第二志望の学科に回されたり、あるいは第六志望の学科に入ることになる。
つまり、高得点を取った人から望みの学科に入学できるというわけだ。
だから僕は農学部の中で少なくとも上位200位に入らなければならない。
難しい注文ではあるけれど、例年の倍率は2倍ちょっとらしいし、2人に1人は合格するんだ。
できないことはない注文かもしれない。
もしかしたら兄弟で京大に行けるかもしれない。
ワンチャン、あるいはツーチャンくらいは京大に行ける、という希望が見えてきた気がした。
勉強を熱心にせず、数字だけ見て「受かるかも」とか言うのは馬鹿のする所業です。
数字に踊らされず、数字を見て満足せず、自分の学力向上に一心に取り組むこと志望校合格の秘訣と言えるかもしれません。
この小説の「僕」は優秀な反面教師ですね。