表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/48

9月のある日⑤ ムチムチの副校長

どうしてこうなった……


僕は赤本室と呼ばれる、三方の棚に全国各地の大学の赤本がずらりと並んでいる部屋で、椅子に座らされていた。

目の前には担任と副校長。

担任はいつも通り眉が濃く、副校長は『好物はプロテイン』と公言している通りにムキムキだ。

二人とも真剣な顔で僕の言葉を待っている。

僕は言った。


「医学を学びたいし、医者になるっていう目標がある方が大学生活が充実すると思うからです」


―――――――――――――――――――――


「テルー、次来てほしいって」


出席番号が僕の一つ前である女の子が赤本室から帰ってきて言った。

今日は進路相談の日だ。

進路のおおよそを今日決めてしまおう、と担任が言い出し、出席番号が小さい人から自分の進路を担任と相談しに行ってる。

そして次の順番が僕のようだ。


「オッケー」


僕はシャーペンとイヤホンを置いて席を立ち、赤本室へと急いだ。

担任に医学部を目指すことを伝えようと心に決めて、あとは共通テストの点数が振るわなかったときにどうするかを相談しようと考えた。


コンコン


ドアを叩くと中から「どうぞ」と担任の声がして、僕は中へと入った。

どうでもいいけど、学校の怪談でトイレの花子さんというものがある。

花子さんはドアを三回ノックして「誰か入っていますか」と言うと、「はあい」と言って出るのだという。

男子である僕には関わることがないはずの幽霊だけれど、三回ノックして何かが出て来たらとても怖い。

だから僕はいつもドアを二回しかノックしないことに決めている。


「入っていいよ」


中から男の声がして、僕は中に入った。

鹿児島出身の女の担任とは異なる男声は僕にとって馴染みのあるものだった。

その男は副校長で、化学の先生で、ボディビルダーだ。

身長は160cm弱にもかかわらず、体重は100kgを肥えているという。間違い、超えているという。

僕の入学以前の文化祭の動画では、片手で林檎を握り潰していた。


「テルちゃん!よく来た。

リンダ先生、テルちゃんは前途有望ですからいい大学を推薦してくださいね。

もちろん僕もいい大学を勧めますけどね」


全国の国公立大学に自ら足を運んで教授と話したという副校長の言葉には重みがある。

眉の濃い担任が声を上げた。


「ほら、座って。

では早速、1つ、聞いておきたいことがあるのだけれど。

現状、テルはどこの大学に行きたいとか、どういう方面に進学したいとかの希望はあるのかな?」


医学部を目指している、と伝える良い機会だ。

しかしなぜだろう、先生たちに希望の進路を伝えるのが怖い。

動悸が激しくなり、視野が小さくなっているように感じる。

僕は柄にもなく緊張していた。

後頭部を手で触れると、少し安心した。


「え、えぇっと、僕は、できれば、まぁ、医学部に行きたいかなと思ってます」


「……え、どこって?」


声が小さく、伝わっていなかったようだ。

少し声を大きくして同じ内容を伝えた。

一度口に出してしまったからだろうか、今度はスラスラと言えた。


「医学部に行きたいなとは思ってます」


言い終わってチラリと顔を上げると、担任は驚いた顔をして、一瞬笑みを浮かべた。

「後押ししてくれそう!」と僕が思ったその時、副校長の威厳に満ちた声が響いた。


「なんで?」


担任がはっと副校長の方へ振り返ったのにつられて、僕の目も副校長の瞳に吸い寄せられる。


「なんで、医学部に行きたいのかな?」


同じ質問を繰り返した副校長に、僕は言葉に詰まった。

思わず目を逸らした。

イタズラの言い訳をするときのように言葉が頭の中を駆け巡るけれど、自分が納得のいく言い訳、副校長を納得させられる説明が浮かばない。

……もともとそうだった。

ヤマちゃんに言われたから目指し始めただけだ。

医学を学びたいという思いも、医学を学ぶために医学部に行くのか、ヤマちゃんと一緒に医学部に行くためにこの思いを持ち始めたのか。

目的と手段が逆転しているのかどうかさえ分からない。僕は、事前に用意してきた台本を読むことしかできなかった。


「……医学を学びたいし、医者になるっていう目標がある方が大学生活が充実すると思うからです」


「止めなさい」


「えっ?!」


副校長が即返答してきたから、僕はつい副校長と視線を合わせてしまった。

さっきまでは僕の本心が悟られないよう、目を合わせないよう努めていたのに。


「テルちゃんには医学部に行く強い意思が見られないよ。

それに医者になる覚悟も見られない。

中途半端に医学部を目指して挫けた人を何人も見てきたよ。

医学部に行ったけど6年間耐えられず、結局止めちゃった人。

医者になったはいいけど仕事が思っていたのと違って辞めちゃった人。

医者の仕事が辛くて体調を壊した人。

みんな優秀な人たちだったけど、心と体はいつも健康とは限らないんだ。

医学を学びたいっていう強い心を持ってから、それから大学生活の話をしなさい。


テルちゃん、今のテルちゃんは危険だよ。

テルちゃんには大学で辛い思いをしてほしくない。

だから1つお願い。

もう一度、医学とは何か、医者はどんなことをするのか、医学部では何を学べるのか、調べてきて」


言われてみると、僕は医者についてよく知らない。

それに医学部で何を学べるかも、そもそも医学とは何かすら説明できない。

『医学』という言葉の前に、僕は非力だった。

なぁなぁで進路を決めたツケだ。

……もともと、こんな僕には医学部に行く資格も、行きたいと言う資格も無かったんだ。


僕はどうして医学部に行きたかったんだっけ?

目標は高い方がいいと聞いたからかもしれないし、医者は儲かると聞いたからかもしれない。

でも一番大きな理由はやはり、ヤマちゃんが誘ったことだ。

進路を決めかねていた僕に、ずっと付き合いがあって信頼も厚いヤマちゃんが提案してくれたからだ。

ヤマちゃんは高校1年生のときから医者になりたいと公言していた。


一方で僕は1年生のときは何をしていた?


『コロナウイルスで休校か。

アニメでも観ようかな、暇だし』


2年生のときは何を考えていた?


『やっぱり上手に壁を登る選手にとっては、身長は関係ない。

適切な場所に適切な量の筋肉がついていることが大事なんだ』


どれもこれも遊びのことばかりで、医学部なんて意識していなかった。

初めて医学部を考えたのは3年生の始め、ヤマちゃんからの相談を受けたときだった。


『実は前から医者を目指そうと思ってて。

でもほら、私はそこまで賢くないでしょ。

私、医学部行けるかな?』


ヤマちゃんならできると答えたはずだ。

そのとき初めて、医学部という進路の選択肢が生まれた。

そしてヤマちゃんに誘われて、医学部を目指し始めた。


つまり、僕には自分の意思がなかった。

医学部に受かるのは賢い人たちで、僕は賢くない。

僕が医者になったとして、医者になった人でも体を壊すような環境に耐えられるだろうか。

天職でもない仕事に人生をかけられるはずがない。

進路が決まらない不安定から抜け出したくて医学部を選んだ僕に、大学生活を語る資格はない。


  医学部は諦めようかな。でもヤマちゃんにはどう言おう。


自嘲と喪失感が僕の頭の中を埋めた。

黙りこくった僕に背の低い担任が話しかけてきた。


「先生の友達に医者で開業医している人がいるんだけれど、興味あるかな?

話を聞きたいとかあったら取り次げるけど」


「リンダ先生!

いいですね~、医者の生の声を聞けるなんて貴重だよ。

テルちゃん、リンダ先生のご友人に話を聞いたらどうかな?

ほら、ヤマちゃんと一緒にでも」


医者と会う、という提案をした担任に副校長も賛同する。

医者に会って、それから何を得られるのだろう。

本気で医者を目指していない奴が、ミーハーな気分で医学部を目指している奴が、医者から何を学べると言うのだろう。

『自分には無理だ』という自己否定?

『自分は医者を舐めていた』という自己嫌悪?

嫌だな。

副校長のお陰で現実を見ることができた僕には、もうすでに医学部は目標ではなく、医者と会う理由もない。


「やっぱり医学部諦めます」


きっぱり言えたらどんなに良いだろう。

でも一度目標として医学部を掲げた手前、すぐに手のひらを返すことは優柔不断な人に思われそうで、僕のプライドが許さなかった。


「そうですね、考えておきます。

ヤマちゃんにも伝えてみます」


そう言うと、担任はよろしくと頷いて1つの提案をしてきた。


「3年教師陣で相談してたんだけど、前期に京都大学を受けて、後期に滑り止めの大学を受験したらどうかな?

テルは十分賢いからどんな大学にも合格する能力がある。

……そんなビビることもないよ。

難易度的には医学部と同じくらいなんだから、今と同じような勉強を続けたらいいんだよ」


「リンダ先生いいねぇ~。

京都大学はいい大学だよ、テルちゃん。

教師も良い人たちが揃ってるし、甥もいるしね」


先生たちだけで盛り上がり始めた。


「えっ!先生の親族に京大の教授がいらっしゃるんですか!?」


「実はそうなんだよ、リンダ先生。

甥は京大卒でそのまま教授になったんだよね」


「京大卒!?すごいですね!」


「と言っても甥は補欠合格者だよ。

もともと甥自身の偏差値も低かったし、絶対落ちるって学校の先生にも言われていたらしいけどね。

でも俺は受かると思ってたね。

目が違うんだよ、目が。

本気の目をしてたから、『あ、こいつならいける』って確信したんだ」


「へぇ~。

あ、ごめん、テル、ほったらかしにしちゃって。

えーと、つまり前期に受験する大学、京大も視野に入れてもう一回考え直してほしいってこと」


甥の話をしていたときの笑顔から一転して、担任は真面目な顔をしていた。


「俺からもお願い。

今のテルちゃんはヤマちゃんについていってるだけみたいに見えるよ。

だから医学部を目指すなら相応の覚悟をもってほしいかな。

リンダ先生、話は以上?」


「はい、今日は進路相談ですから」


「じゃあテルちゃん、次の人を呼んできてくれるかな」


収穫のあった面談だった。

そして振り出しに戻った面談でもあった。


「はい、失礼しました」


僕はできるだけいつも通りに動いて、赤本室から退室した。


別になんてことはない、僕が1つの夢を諦めることを決めた数分間だった。

今回は大事なチャプターだったので、長めでした。

人の言葉で心がグラグラ動く、モラトリアム君の話でした。

(テルは『オールラウンダー』の別称があり、その名の通りどの教科も普通以上にできます。だからこそ自分の進む道を1つに定められずにいます)


ところで、自分は自分の小説を読む人がどんな層なのか全然知りませんけれど、4月になったら忙しくなるのは皆さん一緒でしょう。

自分は当分は気長に更新する予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ