9月のある日④ 誰がための医者、誰がための父
「テル、ちょっと座れ」
真剣な雰囲気で父が食卓の議長席から声をかけてきた。
「はい……」
ちょうど夜ごはんだから、僕はいつもの自分の席に着く。
なんだろうと思いながら、今言われたら嫌なことはこの前の模試の成績かな、どう言い訳しよう、と考えた。
「行儀悪いが、ご飯中にテレビを見る。
医者を特集したドキュメント番組だ。
これを見て、医者の現場はどのようなものか、理解しなさい」
父が言うことは絶対だ。逆らうことはせず頷いた。
「はい」
「じゃあ食べようか」
「いただきます」×6人分
72時間を30分にまとめたドキュメント番組を見終えると、父が聞いた。
「医者は人の命を預かる。
自分が辛いときも患者にそれを見せてはいけないし、患者が辛いときは寄り添わなければならない。
それを負担に感じるなら諦めなさい。
自分の人生を医者として生きる覚悟があるなら、挑戦しなさい。
もう少し考えて、自分が本当に医者になりたいのか、それだけの覚悟があるのか、自問しなさい。
その上で医者になりたいと思うのであれば、応援する。
お金は気にするな。
自分の目標に向かって進みなさい」
「……はい」
別に医者じゃなくてもいい。
医学に携わる仕事(研究者とか病理診断とか創薬とか医療機器開発とか)をしてみたいし、何より医学のことをもっとよく知りたいだけなのに、大袈裟な反応だ。
医学部=医者という思考回路をどうにかしてほしいものだ。
まぁ、医学部に進学するなら結局は医師免許取得を目指すのだろうけど。
「ご馳走さまでした」
みんなはまだ食事中で勉強のために食卓を使えないから、僕は自分の通学カバンから英単語帳を取りだし、パラパラ捲ることにした。
家族みんなが食事を終え、食卓が空いたので、僕は『化学の新演習』という問題集を開いた。
すぐに問題を解くということはせず、いったんスマホの電源をつけた。
どうでもいいけど、スマートフォンの略語はスマフォにすべきだろう。英語の発音に倣った方が英語教育という点でより良い。子供が誤った発音を正しいものだと勘違いする可能性がある。他に顕著なのはコロナ禍以前に始まった"GO TO TRAVEL"という企画だ。これは英語の文法をまるっきり無視している。正確に"GO TRAVELING"という企画名にすべきだ。
とりあえず、医学部のある大学を探すことから始めた。
医学部を擁する国公立大学は全国に50校あり、その中で僕でも入れそうな偏差値の大学を検索した。
「岡山大学は京都から近くて偏差値も低いな。
ここなら入れるかも」
やりたいことに合致する大学を選ばず、偏差値で大学を決めるのは如何なものか、という意見もあるかもしれない。
しかし、目的のために手段を選んではいけない。
医学を学ぶ、ひいては医者になるための最終目標は医師免許取得。
医師免許はその人がどこの大学を出ていようが関係なく、医学部に進学する必要がある。
それなら一番確実な方法で医師国家試験を受験する資格を手に入れるべきだ。
医学部なんて入ってしまえばこっちのもの。
覚悟なんて代物はその後つければいい話だ。
ねぇ、そうでしょ?
3月22日前後、大学の卒業式があります。
卒業生にとってはハレの日ですね。