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どっちかなんて選べない!~素直になれない幼馴染み達~

作者: 朋佑

「はぁ……」

「どうしたの?」

「俺って、皆から避けられてるんだよなぁ」

 大きな溜息。俯いて頭を抱えている。

「そんなことないと思うよ」

 慰めの言葉を掛けるが、浮かない顔を崩さない。

「きっと目だよ。俺眼つき悪いからさ。それなんだよ」

「うーん、どうかなぁ」

「昔もそれで年上やら同級生やらに絡まれたし。別に睨んでないのに……」

 机に突っ伏してしまう。思わず手が伸びて頭を撫でようとしてしまい、とっさに手を引く。

 今の私達はそんな関係ではない。昔みたいに子供扱いは出来ない。

 手を引いた直後に顔を上げる。頭を撫でようとしたのがばれたのかと思ったが、気にする素振りもなく窓の方を眺める。

 顔が赤くなるのを感じる。窓から見える景色に意識を取られている彼は全く気付いていない。

 こういう所が昔からずるい。鈍感なのか何なのか。少しは察してくれてもいいと思う。

 私も倣って窓の景色を見る。夕焼けの光が差し込む教室には私達しかいない。


 私は小鳥遊空。目の前の彼は徳井蒼太。私達は幼馴染みなんだけど、学校では隠している。だからこうして放課後だけ幼馴染みに戻る。


 放課後の一時。この時間が私は好きだ。彼もそう思ってくれていると嬉しいな。




「現代文って眠くなるよな。抗い難い魔力があるというか」

「蒼太はいつも寝てるよね」

 蒼太の他愛のない話を聞くのがいつもの流れ。教室では隣の席で、休み時間の蒼太はいつも寝ている。本当なら友達に話す様な雑談を私にしているのだろう。

 もっと積極的にクラスメイトに話しかければいいのに。特に休み時間の狸寝入りを止めれば友達も出来ると思うのだが、私自身も友達がいないので、偉そうな事は言えない。

「でも、蒼太って国語得意だよね? 実は家で勉強してるの?」

 蒼太は昔から陰で努力する性格だ。本人はばれていないと思っている様だが、何度も頑張っている姿を見ている。

「数学は苦手でさ。上手い勉強法とかないものかね」

「私も苦手だなぁ。数式は覚えられるんだど、どう使うかが分からない事が多いんだ」

「―――そういえば、空も昔から数学苦手だったな」

「うん。でも蒼太よりは出来るからね?」

 意味深な笑みを浮かべる蒼太。どうせ「お前も仲間だな?」とか思っているのだろう。悪いけど、蒼太よりは得意である。というか、成績全般は私の方が上なのだ。

「毎日勉強しなきゃダメだよ? 蒼太は自主学習とかしてなさそうだけど」

「まぁ、俺よりは当然できるよな。俺も空を見習いたいね」

 情け無さそうに笑う蒼太。その態度に私は嬉しさを感じてしまう。口元がにやけそうになるのを必死で抑える。

 昔の蒼太は皆の人気者で、いつも先頭に立つリーダー的存在だった。そんな蒼太の背中を追いかけるだけだった私が、今は蒼太にもついて来れない場所にいるというのは考え物だ。

「そうだ! それなら私が勉強を―――」

 そう言いかけてとっさに口を塞ぐ。危ない。抑えられなくなる所だった。心臓がバクバクとうるさい。

 恐る恐る蒼太を見るが、幸いにも蒼太は窓の方を見ていた。

 ふうと、一息入れる。心を落ち着かせていると、蒼太がこちらに向き直る。

「今日は帰るわ。少しは頑張って勉強してみようかと思う」

「―――うん。それがいいよ」

 そう言うと蒼太は立ち上がり、鞄を持って教室を出ていく。互いに手を振って別れの挨拶をする。夕方の教室には誰もいなくなった。

 本当は、蒼太と一緒に帰りたい。昔みたいに肩を並べて帰りたい。でも―――。

「そんな事、今更言えないよ」

 私は放課後のこの時間が好きだ。唯一幼馴染みの二人に戻れるこの時間が。これ以上を望むのは欲張りというもだろう。


 いつか、胸に秘めた想いを伝えられる日が来るのだろうか。




 放課後は家の近くにある公園で読書をするのが日課だった。最近は出来ていないが、公園には来ている。気が付いたらいつものベンチに座っているのだ。

「はぁ……」

 思わず溜息を吐いてしまう。そういえば昔は悩み事がある時はこの公園に来ていたっけ。もしかしたら、無意識に身体が覚えていてこの公園に足を運ばせたのかもしれない。

「どうしよう」

 思わず天を仰いでしまう。途方に暮れていると、座っているベンチの端に女性が座ってきた。

「……」

 無言でスマホを弄っている女性は、私と同じ制服を着ている。短めのスカート丈に垢抜けた髪色は、まさに今時の高校生といったいで立ちだ。比べると私なんか芋女だろう。

「……何見てんの?」

 女性の声にビクリと肩が震える。思わず愛想笑いで返すと、女性は溜息を一つ吐きこちらを向く。

「空、アンタこんな所で何してんの?」

「……あはは、何してるんだろうね。私……」

 彼女の名前は青葉春。同じクラスの女子生徒で男女問わず人気がある、いわばスクールカーストの頂点に君臨する存在だ。月とすっぱんとはこの事だろう。

「もしかして、蒼太の事?」

「……いやー、春ちゃんは察しがいいなー」

 確信を突かれた私はおどけた態度を取る。春ちゃんは複雑そうな表情をしている。相変わらず性格に見合わない気遣いさんだ。昔からそういう所は変わらないなぁ。


 私と蒼太。そして春ちゃんの三人は幼馴染みだ。そして、蒼太と春ちゃんは付き合っているのだ。


「大丈夫。私は蒼太に何も言えないよ。分かるでしょ?」

「……別にそんな事気にしてない。私はただ―――」

 続く言葉が出てこない。春ちゃんは言いかけて止まってしまう。

「春ちゃんは優しいね」

「……だから、そんなんじゃないっての」

 そう言うと春ちゃんは俯いてしまう。そんな春ちゃんに私は思わず笑みが零れる。

「笑う所あった?」

「いや、私だけかもね」

 一度笑いだしたら止まらない。春ちゃんは困惑しているみたいだが、それも仕方ないだろう。

「―――私の事は気にしないで。蒼太は春ちゃんが好きなんだからさ」

「気にするなって方が、私には無理なの知ってる癖に……」

 そっぽを向く春ちゃん。こういう所が可愛くて、どうしても許してしまう。本当なら私と春ちゃんは話が出来る間柄ではないはずなのに。

「幼馴染みだからって遠慮しない。そう言ったのは春ちゃんでしょ? なら最後まで貫かないと。それに―――」

 立ち上がり、握り拳を春ちゃんの前に突き出す。

「私もまだ、諦めてないから」

 私の宣戦布告に春ちゃんは驚いた顔をしている。それはそうだ。彼女持ちから奪い取ろうなんて略奪行為、私に出来るだろうか。鏡見てから出直して来いと言いたい。

「……ふん、今のアンタにできる訳ないでしょ」

「お、言ったな~」

 鼻を鳴らす春ちゃん。相変わらず挑発に乗りやすいのも可愛い所だ。


 私達は幼馴染み。昔から変わらず、今になってもライバルなのだ。




 私と蒼太は幼稚園から一緒だった。家が近所で親も仲が良かったこともあって、毎日の様に一緒にいた。その頃からだ。私が蒼太を好きになったのは。

 小学生に上がって春ちゃんと出会った。いつも蒼太の後ろを怯えながら付いて回っていた。その頃は二人で春ちゃんの面倒を見ている関係だったのに、春ちゃんはどんどん魅力的な女性になっていった。

 高校生になっても地味な私とは大違いだった。


 蒼太は教室でいつも寝ている。授業の時だけ起きて、終わったら机に伏せる。基本は狸寝入りなのだが、クラスの皆は本当に寝ていると勘違いしているのだろう。近付いてくる人はいない。

 本人は目つきが悪くて避けられていると思っている様だが、寝てフリを止めて普通にしていれば、人も寄ってくると思うんだどなぁ。

「……」

 今日も隣の席から蒼太を眺める。蒼太は一番後ろの席で、私はその隣で横目で彼を見るのが日課だ。学校では幼馴染みである事は秘密なので、話しかけたりはしない。

 現状に不満はないが、少しは触れ合いたいと思っていると、不意に視線が合う。と言っても蒼太とではなく、教室の人だかり、その中心にいる人物。

 周りの生徒に話しかけられ、楽しそうに笑顔を振りまいている春ちゃんだ。クラスの人気者。それどころか他学年でも噂は広まっているらしい。学校一の美少女だとか。

「―――」

 一瞬合った視線は直ぐに逸れ、人込みの中に春ちゃんは消える。相変わらず春ちゃんの周りには人が集まっている。男子も女子も惹きつける魅力が春ちゃんにはある。

 昔は私達の後ろをちょろちょろしていたクセに、今となっては私が陰に隠れる側になってしまった。とても腹立たしいが、認めざるを得ない部分もある。

 美少女で人当たりも良く、性格もいいなんてあまりに隙が無い。皆からちやほやされているクイーンビー。それが今の春ちゃんだ。常に何かに怯えていた春ちゃんは、もういない。

「……そりゃ、蒼太も好きになるよね」

 思わず小声で漏れてしまう。隣で突っ伏している蒼太は、そんなマドンナと付き合っている。皆には内緒にしている様子だ。幼馴染みの関係と同じだ。まぁ、私達が幼馴染みなんて誰も信じ無さそうだし、付き合っているなんて尚更だ。

 蒼太と春ちゃん。二人の仲が良くなっていったのは中学生の頃だったか。両想いだと気が付いたのはもう少し後。私も色々頑張ってみたけど、結局は止められなかった。

 当然か。春ちゃんは誰もが焦がれる美少女。一方私は陰湿な根暗女子。勝負にもなっていない。

 どうしてこんなことになってしまったのか。後悔してもしきれない。もっと早く知れていれば、こんな思いをする必要もなかったのだろうか。

 今の私には手も足も出ない。二人を交互に見るが、見える以上の差が私達にはある。

 ―――それでも。


 心の中で強く誓う。私はどうやら諦めが悪いらしい。自分でもびっくりだ。どんなに変わってしまっても、変わらない想いがあるものなんだなぁ。




 放課後を向かえ、今日も今日とて蒼太と一緒の教室を満喫していた。

「昨日見た動画が面白くてさー。つい夜更かししちまって今日は眠かったぜ」

「ふふ、蒼太は夜更かしとか関係なく、いつも寝てるじゃん」

 蒼太の話を聞くのは楽しいが、今日はそれだけでは終われない。

「どうやってアプローチするかだよね……」

 少し考えるが、正直何も思いつかない。啖呵を切った手前引くに引けないが、まともな手立てが出てこないのはどうしたものか。

 ただでさえ略奪愛なのに、奪い取る相手が自分と比べて遥かに高みにいる女生徒とは、どうやって太刀打ちすればいいかわかない。

 見た目も性格も、圧倒的に春ちゃんが上回っている。私が春ちゃんに勝っている所は……まぁ、学力とか、後は胸……。

「……」

「―――は!」

 上の空になっていて気が付かなかった。蒼太が私の事をじっと見つめていた。思わず胸を隠す様に距離をとってしまう。

 私の不自然な行動に動揺一つ見せない蒼太。こんな人をどうやって落とすのか。隙が無さ過ぎる。私でも不意を突けばやれそうだと思っていたが、思い上がりだったのだろうか。

「……なぁ」

「は、はい」

 思わず声が上ずってしまう。やっぱり私の変な態度が不審だったのだろうか。


「明日休みだろ? 一緒に出掛けないか?」


「……へ?」


 今度は変な声が出る。さっきからまともに喋れていないが、それどころではない。今、何て?

「えっと、もう一回言って?」

「デートしよう」

「……えええええー!!」

 大きな声が出る。これは不可抗力だ。驚くなという方が無理だ。

 私からどう動くか考えていたが、まさか蒼太からアプローチしてくるとは。この展開は予想外だ。

 顔を手で覆う。まともに蒼太の顔が見れない。嬉しいのは勿論だが、恥ずかしいという気持ちと、この期に及んで春ちゃんの事が頭を過る。

 こいつ、彼女がいるのに他の女をデートに誘うのはいかがなものか。しかも全然動揺していない。堂々としたもんだ。昔から変な所で度胸があるのが、こんな場面で発揮されているのかもしれない。

 少し悩む。断る選択肢が生まれてしまった。私から誘うなら問題なかったが、蒼太からというのは話が違う。はっきりとした浮気だ。私が誑かしてデートに行っても浮気なのだが、主導的か受動的かの違いは大きい。蒼太の事が好きだからこそ、浮気性なのは頂けない。

 蒼太の問いに直ぐには答えられない。少しの沈黙の後にようやく答える。

「うん、わかった。よろしくお願いします」

「―――ありがとう」

 小さく頭を下げる。顔が赤くなっているのを感じる。今の顔を蒼太には見せたくない。あくまで冷静に、余裕のある態度で応えたい。

「明日、駅前に十時集合でいいよな?」

「うん」

 こくりと頷く。蒼太は笑顔でそう言うと立ち上がり、教室を出ていこうとする。

「じゃあ、また明日な」

「うん、明日ね」

 出ていく蒼太に小さく手を振って送る。蒼太のいなくなった教室で、私は頭を掻きながら声を荒げる。

「わー!! どうしよう!? 本当にデートだよ!」

 まさかこんなに早くデートに行けるなんて。考えていなかった訳ではないが、心の準備が出来ていない。

「どうしよう。初めてだから緊張する……」

 人生初のデートだ。それが好きな人と何て緊張するに決まっている。

「……よし、明日は頑張らなくちゃ」

 経緯はどうあれ、デートできるのなら気合を入れなくてはならない。決めたじゃないか。例え相手が春ちゃんでも諦めないって。


 こんな私でも、好きな人と一緒にいられるって証明してみせる!




 デート当日、私は始まる前からピンチだった。

 集合場所は最寄り駅の犬の銅像前。駅前に集合と言えばこの場所で、デートの待ち合わせでは定番スポットだ。初めからこの場所を指定してくる辺り、デート慣れしているのだろうか。

 私は離れた場所から隠れるように銅像を見る。集合時間の十分前、既に待ち人は来ている。

 いつも学生服しか見ていないからだろうか。綺麗なシャツにジャケット姿の蒼太はとてもお洒落に見える。実際お洒落なのかも知れない。私は高校に入ってからの蒼太のプライベートについて詳しくない。中学校までは服装に気を遣う人ではなかったはずだ。やはり彼女がいると意識が変わるのだろうか。

「うう……どうしよう」

 集合時間五分前。私はまだ蒼太の元に行けずにいる。割り切っていたはずなのにいざとなると緊張してしまう。後悔してももう遅い。私にはこれしかないのだ。

 集合時間数秒前、意を決して蒼太の前へ。伏し目がちに蒼太を見る。

「お待たせ……その、もっと早く付いてたんだけど」

 自分の服に目を向ける。普段見覚えのある服。デートに絶対に着てこない服ナンバーワン。

 制服だ。制服でデートに来てしまった。言い訳したい気持ちでいっぱいだが、何も言っても意味がない歯がゆさが、私の羞恥心を加速させている。

 恥ずかしくてまともに蒼太の顔が見れない。俯く私だが蒼太は何ともない風に、

「じゃあ、行こうか」

 そう言うと、すたすたと歩き出してしまう。私は呆気に取られたが、直ぐに後を追う。

 私が間違っていた。私の知っている蒼太は服装一つで態度を変える人ではない。見た目は変わったが、中身は私の知っている蒼太と何も変わっていない。変わったのは私の方だった。

「―――そういう所が、好きなんだった」

 小声で呟き蒼太の隣を歩く。歩幅が違うので時々私が遅れてしまう。


 ……もうちょっと、気配りしてほしいものだ。




 夕陽が二人を照らす。公園のベンチに座る二人。

 今日一日のデートはとても楽しかった。楽しかったのもそうだが、それと同じくらい驚きもあった。

 最初にカフェに行ったのだが、蒼太はあんなにお洒落なカフェを知っていたのか。手慣れた感じで二人分注文していたし、通っているのだろうか。

 お昼もカフェだったが、蒼太はコーヒーだけで足りたのだろうか。私は小食だからいいのだけど、蒼太は昔はよく食べる印象だった。

 午後からのショッピング。これも私が普段行かない様な、服やら靴やらを売っているお店。蒼太が色々服を着ていたのが新鮮で楽しかった。出来れば私も試着したかったが、贅沢は言えない。今日の幸せな時間に比べれば、些細な願いだ。

 日が傾いてきたタイミングで私御用達の公園に来た。休日の公園は余り人がいない。最近の子供は休みの日は家でゲームでもしているのだろうか。何にせよ都合がいい。蒼太だけの公園は中々にムードがある。デート帰りとなれば尚更。

 肩を並べてベンチに座る。今日始まったばかりは緊張していたが、今は心地いい高揚感に包まれている。

 横目で蒼太を見る。気恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちが半々といった所。今、私の顔はどんなだろうか。想像するだけで発狂しそうだ。決して人様には見せられない表情をしているだろう。蒼太の前だけ特別だ。

 二人の間に会話はない。だけど気まずくはない。静寂が自然なのは幼馴染みの成せる技なのか。それとも、デートで心境が変化したのか。どちらでも構わない。今この時間を大切にしたい。

「……なぁ、空」

「何?」

「……俺さ、お前に言いたい事があるんだ」

 ぽつぽつと話し始めた蒼太。私は少し肩を震わせる。蒼太の纏う空気感が私の背筋を伸ばさせる。

「改まってどうしたの?」

「……本当は、もっと早く言わなきゃいけなかったんだ。なのにこんなに遅くなった。もう、本当に……」

「……」

「今更、本当に今更だと思うんだけどさ。聞いてくれるか?」

「……うん、いいよ」

 蒼太の手が少し震えている。本当はその手を包み込んであげたいが我慢だ。まだ私にはその資格がない。

「俺、俺……空に―――」


 蒼太の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。どうやら、私のターンはここで終わりらしい。


 本当に羨ましくて憎たらしい。どうしようもない私との違いを見せつけられた。




「こんな所で何してんのよ」


「……春」


「何してんのって聞いてんの!」


「……別に、何も―――」


「空って言ってたじゃない」


「……」


「もういい加減にしてよ」


「……だって、俺が」


「蒼太のせいじゃない」


「違う。俺が、俺が……!」


「目覚ましなさい!!」




「空は死んだの!! もうこの世にはいない!! いつまであの子とのごっこ遊びを続けるつもりなの!?」







 私の名前は青葉春。どこにでもいる普通の高校生……でもない。

 昔の私は泣き虫で、いつも泣いていた。周りの皆も私を馬鹿にしていた。

 そんな私に優しくしてくれたのが蒼太と空。小学校で二人に出会って、私は変わった。

 内気で内向的だった私は、今はそれなりに社交的になったと思う。クラスでもそれなりのポジションを確立できている。もう誰も私を馬鹿にしたりはしない。

 私は変わった。それでも変わらないものというのはあるようで。

 泣き虫だった原因は何も、私が弱気だっただけではない。あの頃の歳の子が私と同じ症状だったら、誰だって泣き出すに違いない。


 私は昔から幽霊が見える。霊感体質とでもいうのだろうか。見えるだけならまだいいのだが、幽霊側からの干渉も受けていた。

 と言っても、少し足を触られたりとか、肩に乗られたりとか。今は慣れたし意識的に踏ん張ると幽霊を遠ざける事が出来る事が分かった。でも、幼い少女にとってこれほど恐ろしい事は無い。

 高校生になった今でも幽霊は見えている。昔より見なくなってきたのは、もしかしたら徐々に改善してきているのだろうか。

 なんだっていい。見えない方がいいに決まっている。早く全く見えなくなってほしい。


 見たくない物が見えるのは、想像するよりも何倍も辛い。




「お、はるー、おはよー」

「おはよー」

 友達からの挨拶を返す。自分の席に座ると、周りに何人か集まってくる。

「はるー、宿題やった? アタシ忘れててさー」

「見せてほしいって言うんでしょ?」

「へへ、ビンゴー」

 仕方なく鞄からノートを取りだして渡す。

「お前少しは自分でやってこいよ」

「昨日は偶々忘れたんですぅー」

「アンタそれ、一昨日も言ってたよね?」

 周りの男女が楽しそうに会話をしている。その中心には私がいて、皆が私の周りに集まってくる。

「はるは頭も良くて可愛くていいよねー」

「そんなことないよ」

「えー、可愛いよー。そう思うでしょぉー」

「え? ま、まぁ、そうだな……」

 振られた男子が頬を掻きながら答えている。顔が赤くなっているのを女子に揶揄われている。いつもの光景だ。

 朝から騒がしい集団の隙間から、ふと外側の光景が目に入る。机に突っ伏して寝たふりをしている男子生徒と、その隣の席。窓側の最後列の席。

 本来ならそこに生徒はいない。空席だ。だけど、私の目には映ってしまう。いないはずの誰かが。いるはずのない誰かが。

 誰かなら良かったのに。知らない誰かなら今までと変わらなかったのに。視線を逸らし見ない様に振る舞える。

 だけど、そうはさせてくれない。無視させてくれない。無視する事はできない。これ程、自分の体質を呪った事は無い。一度も好きだった事は無いが、今は人生で一番、この体質が嫌いだ。

 見えてしまう。彼女の姿が。見慣れた彼女の姿が私の瞳から離れない。


 小鳥遊空。半年前に死んでしまった幼馴染みの彼女が、幽霊としてそこにいる。そして、隣の席にいる生徒、徳井蒼太を見つめている。


 幼馴染み三人の学校生活は、奇怪な状態で再現されていた。




「今日さー、どっかよってかなーい?」

「お、いいねー」

 放課後はいつも複数人で帰る。クラスの賑やかな男子や女子の集団と一緒に。

「今朝さー、転びそうなって車にひかれるかと思ったんよ」

「あっぶな。てか、一昨日もそんな事言ってなかった?」

「あれ、そうだっけ?」

 他愛のない会話で盛り上がっている。今朝の話。授業の話。友達との出来事。話題には事欠かない。

「そいえば、皆知ってる?」

 男子の一人が唐突に話題を出す。

「うちのクラスのなんだっけ? 徳井ってやつ?」

「誰だっけ? それがどしたのー?」

「放課後、教室で一人ぶつぶつ何か喋ってるって」

「はぁー何それ。ヤバくない?」

「クラスの奴が見たって話でさ。男子の中じゃ有名なんだよ。話聞こうにもアイツずっと寝てるしさ。何か話しかけづらくて」

「確かに徳井がクラスで喋ってる所見た事ないな」

「もしかしてハブってんの? 虐めじゃん」

 楽し気に笑うクラスメイト達。皆にはきっと悪意はない。ただ話のネタとして楽しんでいるだけだ。しかし私の心は乱される。罪悪感に押しつぶされそうになる。

「……」

「はるー? どしたの?」

 立ち止まった私に心配そうに声を変えてくる。私は笑顔を作りお道化てみせる。

「ごめん。宿題のプリント忘れちゃった。取りに戻るから先に帰ってて」

「えー!? いいよそんなの明日で!」

「現代文の先生、宿題忘れると怖いしさ」

「そうだよ。アンタもどうせやってこないんだから春が宿題忘れると困るだろ」

「うーん、それもそうか」

「そこは自分でやれ」

 女子二人の軽快なやり取りで上手く集団を抜け出す事に成功する。私という人間は何をするにも嘘を吐かなければならない。どっちにしろ罪悪感を抱える事になる。

 でも、それならせめて。彼と彼女の為に罪を償いたい。

 小走りで学校に戻り自教室へ向かう。教室の前に付いた所で、室内からの話し声に耳を傾ける。


「昨日見た動画が面白くてさー。つい夜更かししちまって今日は眠かったぜ」

「ふふ、蒼太は夜更かしとか関係なく、いつも寝てるじゃん」


 聞こえてくる話し声は二人。蒼太と空の声。でも、空の声が聞こえるのは私だけ。傍から見れば、蒼太が一人で喋っている様にしか見えない。勿論、蒼太自身も。

 何とかしなければならない。でも、どうすればいいか分からない。私は蒼太に何て声を掛ければいいのだろう。

 蒼太も何の意味もなくあんな事をしている訳ではない。あれも彼なりの罪滅ぼしの形だ。その行為に私が口出しできる筋合いはない。

 胸が締め付けられる。どうしようもないから見ないふりをしてきたが、どうにも我慢の限界らしい。今すぐにでも蒼太を説得したいが、言葉が思いつかない。

 踏み出せずにいる私の耳に教室からやり取りが聞こえてくる。


「……なぁ」

「は、はい」

「明日休みだろ? 一緒に出掛けないか?」

「……へ?」

「えっと、もう一回言って?」

「デートしよう」

「……えええええー!!」


 頭が真っ白になる。今までぐだぐだ迷っていたのが嘘の様に思考がクリアになっていく。

 これ以上はまずい。戻ってこられなくなる。

 今すぐにでも蒼太を引き留めたい気持ちを堪え、冷静に状況を確認する。蒼太がデートに誘い、それに応じる空。どうやら今日はこれで閉幕らしい。

 私は直ぐに教室の前を離れ、速足で岐路に付く。もう迷っている暇はない。どうなってでも蒼太を止めなければならない。


 彼が、道を踏み外す前に。




「空は死んだの!! もうこの世にはいない!! いつまであの子とのごっこ遊びを続けるつもりなの!?」


 蒼太に突き付ける。現実は違う。もう空はいない。

「いや、違うんだ。いるんだよここに」

 自分の隣を震える手で指さす。そこには誰もいない。虚空を指さしている。

「誰もいないよ」

「いるだろ。いるんだよ。だっていなきゃおか―――」

「おかしいのは蒼太だよ」

 言葉を遮って主張する。狼狽える蒼太の姿は痛々しく、とても見ていられない。

 それでも、もう後戻りはできない。空が死んだあの日から、彼の時間は止まっている。

「空は死んだ。でも、それは蒼太のせいじゃないよ」

「……違う。俺のせいだ」

「空は事故で死んだの。道路に飛び出した子供を庇って」

「……俺がいれば事故は起こらなかった。あの場には俺もいるはずだった」

 徐々に蒼太の語気が強くなる。血が出そうな程拳を握りしめている。

「俺が空からの誘いを断ったから、空は死んだ。あの日、俺が空の想いに応えてれば……!」

 震える声から怒りが伝わる。これは私に対する怒りじゃない。私にも多少なりとも蒼太の気持ちが分かる。

「空は死ななかった! 俺が代わりに死ねたんだ!!」

「っ!! バカ!!」

 感情が溢れ出し、勢いのままに蒼太を抱きしめる。震える身体を締め付ける程抱きしめる。

 放してしまうと、蒼太が何処かへ行ってしまう気がした。

「蒼太が死んだら同じじゃん! 蒼太がいなくなったら私、もう……」

「……春」

 一筋の滴。それを皮切りに流れてくる流水は、止めどなく瞳から溢れてくる。

「蒼太……ダメだよぉ……私、蒼太と一緒にいたい……」

 蒼太を放したくないのに、足に力が入らない。足腰が崩れ地面に座り込む。私は足掻く様に蒼太の服を握り締める。

「春……ごめん。俺、わかんないんだ」

 私と同じ目線で、蒼太は私の肩を抱く。まだ蒼太の手は震えている。

「俺は春が好きだ。だから空の気持ちに応えられなかった。でも、空がいなくなって、ずっと心に穴が開いたままなんだ」

 私の耳元でか細い声が響く。声も震えている蒼太の独白は、私の心にも深く突き刺さる。

「春も空も大切だった。二人共大好きな幼馴染みで、親友で……」

「……」

「でも、春が好きだったんだよ。だから選んだ。その結果がこれなんだ。俺、間違えたのかな?」

 今にも泣き出しそうな蒼太の言葉は自虐的だ。きっと蒼太自身も分かっている。

「……間違ってないよ。ただ運が悪かっただけ。そう思わないと、前に進めないよ。私達は」

「春……俺……」

「間違ってたなんて思わない。蒼太が私を選んでくれたのが嬉しかった。蒼太が私を選んだ結果だんて思いたくない」

 蒼太を強く抱きしめる。一度は離れる覚悟したのに、いざ手元にあるともう二度と手放したくない。そう思う程蒼太が好きだった。

「蒼太は、何処にも行かないで……」

「……」

 私の言葉への返答なのか、そう思いたいだけなのか、蒼太の腕に力が入る。その力強さと温もりをいつまでも放したくないと思うのは我儘だろうか。

「俺、やっぱり間違ってた」

「蒼太?」

「許されないと思ってたんだ。こんな俺が誰かを好きになっちゃいけないって。でも、そうじゃないのかも知れない。今すぐには納得できないけど、必ずけじめはつける」

「……蒼太」

 蒼太の表情は、影があるが、それでも一抹の希望を抱く。そんな表情だ。

「うじうじするのは俺らしくないもんな。こんな姿見られたら、空に心配されちまう」

「……そうだね。元気なのが蒼太の取り柄だし」

 笑い合って、罵りあって、立ち上がる。昔から変わらない幼馴染みの関係だ。これからはもう一歩、踏み出した関係になるのだろうか。それを望んでいる自分と、もう少しこのままでいいかもと思う自分がいる。恋愛がどうこうという前に、私は全てをひっくるめて蒼太が好きなのだ。こんなどうしようもない私を蒼太が選んでくれたのが嬉しくて、気恥ずかしい。そう思うと、今のみっともない姿や言動が恥ずかしくなってきた。

 顔を赤らめる私に蒼太が笑う。揶揄うような表情は、私の良く知る蒼太だ。私は蒼太が帰ってきた様に感じた。

 水滴が顔に当たるので雨が降ってきた事が分かった。いつまでも泣いてばかりいられない。私の代わりに泣いてもらおう。これからは泣いた数だけ笑って生きる。蒼太の隣で。

 私達は公園を出る。蒼太は私を家まで送ってくれた。いつも一緒に帰っていた昔を思い出し、ほっとした。


 こんな日々が帰ってくる事を、私は待ち望んでいたのだ。




「明日から夏休みだが、あまり羽目を外さない様に」

 担任の先生の一言で締められる。放課後の解放感、そして明日から始まる夏休みの空気感で教室は賑わっていた。

「よう、蒼太。明日遊びに行こうぜー」

「あー、悪い。明日は用事があるんだ」

 早々に席にやってきて遊びに誘ってくれる。心苦しいが断ってしまう。

「えー、何だよ。デートか?」

「まぁ、そんな所」

 冗談めかして言うと、二人で笑い合う。手を振って「また今度」と言い残して去っていく後ろ姿を見送って、俺は教室を出る。

 校門まで辿り着き、そこで数分待機。暫くすると待ち人が現れる。

「ごめんね。待った?」

「いや、今来たとこ」

「そんな訳ないでしょ」

 腕を軽く叩かれる。冗談を言い合いながら二人で下校する。

 隣を歩くのは幼馴染みの女の子。同じクラスの青葉春。最近は一緒に下校している。

「友達と帰らないのか?」

「いいじゃん。今までの分」

「……ありがとう」

 高校生になってからは別々になっていた俺達だが、最近は行動を共にする事が多くなった。昔みたいな関係に少しでも戻れただろうか。

「なぁ、明日一緒に出掛けないか?」

「それって、デート?」

「……そんな所かな」

 顔を覗き込まれて思わず視線を逸らしてしまう。本人に向かって言うのはこんなにも恥ずかしいものだったのかと実感する。

「気持ちの整理はついたの?」

「それも込みなんだよ」

 ワントーン低くなる春の声に、俺も背筋が伸びる気分だ。試されているのだろう。

「一緒に、空の墓参りに行かないか?」

「……それは」

 空がいなくなって以来、一度も墓前に訪れていない。言い訳は色々あるが、要約すると怖かったのだ。認めたくなくて、受け入れられなくて行けなかった。でも、けじめをつけなければならない。

「―――わかった。一緒に行ってあげる」

 そんな俺の心を見透かした様に、微笑みながら了承してくれる春。春は昔から俺の弱さを知ってくれている。それがとても心強い。

「ありがとう」

「まぁ、彼女ですから」

「その事も、曖昧な今の関係じゃなくて、はっきりと俺から言わせてくれ」

 春に告白して、その直後に空が死んで、俺が春から離れてしまっていた。そのせいで曖昧なままに放置されていた俺達の関係にも、形を持たせる必要がある。

「楽しみにしてるね」

「頑張るよ」

 少し頼りない返事をしてしまったが、隣を歩く春の表情は何処か満足気だった。それは俺の弱い心が見せた幻だったのだろうか。


 それでもいい。今は少しでも前に進む為に勇気が欲しかった。




 集合時間三十分前に到着した。場所は最寄りの駅、犬の銅像前。デートと言えばの集合場所だ。

 十分前、春が現れた。普段とは違う雰囲気を纏う春に心がかき乱される。

「おはよ」

「―――おう、おはよう」

 応対が遅れてしまう。そんな俺の様子に春は顔をにまにまさせる。

「何? 見惚れちゃった?」

「うん」

「っ! ―――素直になるな!」

 腕を叩かれる。それなりに威力が高く痛かった。春を宥めて電車に乗る。向かうのは少し離れた場所になる墓地。空のお墓がある場所だ。

「ここが……」

 眼前にある墓標には「小鳥遊空」の文字が刻まれている。その字面を見るだけで胸が締め付けられる。空がいない現実を認められない気持ちが、心の弱い部分が押しつぶされていく。

 現実を見ないで、空想を見ていた俺に相応しいのだろう。これからは認めていかなくてはならない。今日はその第一歩だ。

「……ゴメン。私外に出てるね」

「悪いな。付き合ってくれて」

 身体を摩りながら出ていく。空が居なくなった事で辛いのは俺だけじゃない。春は俺以上に辛かったはずだ。それを思い出させてしまったのかも知れない。

 改めて向き直る。今日ここに来たのは、自分へのけじめ。そして空に伝えたい事があったからだ。

「空。俺は―――」


 数分間、空に想いをぶつけた。悔いの残らない様に、思いの丈の全てを。

 




 子供の頃はお墓参りには行けなかった。色々と余計なものが見えてしまうからだ。

 お盆になると母は私の霊感を気にして、無理に来なくていいと言ってくれていた。私は母の言葉に甘えていたが、中学生のある時期からお墓参りに行くようになった。

 何かきっかけがあった訳ではない。ただ、いつまで目を逸らしている訳にはいかないと思ったからだ。生まれ持った自分の特徴の様なものだ。向き合うなら早い方がいい。

 それに何より、逃げているみたいで悔しかった。本音はそこにあるのだろうか。


「珍しいよね。春ちゃんがこういう所に来る気になるなんて」

 墓地の入り口で待ち人を待つ私に声が掛かる。私は声のした方向を見ずに応答する。

「気まぐれよ」

「本当にそうかな?」

 私のそっけない態度に懐疑的な声の主は、私の表情を覗き込もうと顔を寄せてくる。私は斜め下を見ながら声のトーンを変えずに答える。

「私自身もけじめを付けたかったのかも」

「それって、私への罪悪感?」

「……」

 問いかけに直ぐに答えられない。私の気持ちを分かっていて聞いてきているのだ。相変わらず意地が悪い。

「私が蒼太を好きなのを知っていたのに、蒼太からの告白にオーケーを出した。友達想いの春ちゃんが何とも思わないなんて在り得ない。自責の念に苛まれていたはず」

「中学の時、身を引く為に二人から距離を置いた。だけど気持ちは変わらなかった」

 二人が恋仲になれば諦めもつく。そう自分に言い聞かせた。でも、びっくりするくらい好きなのは変わらなくて、離れれば離れる程、想いは強くなった。

「春ちゃんは、幼馴染みの友情より、自分の恋を取ったんだね。春ちゃんはそんな事出来ないと思ったんだけどなー」

「……悪いけど、亡霊の戯言には惑わされないよ」

 私の周りを歩く幽霊。小鳥遊空に私はきっぱりと言ってのける。

「そっか。私にはこれくらいしか付け入る隙がなかったのに。あーあ、やっぱり春ちゃんには敵わないなぁー。最初から分かってたけど」

 残念といった様子で笑う空。そのまま天を仰ぐ空の表情は何処か晴れやかだった。

「空……アンタ」

「まぁ、楽しかったからいっか。蒼太との恋人ごっこ」

 自分の墓前にいる蒼太に見つめる空。その様子を私は黙って見ていた。

「出来ればもう少しここで蒼太を見ていたかったけど、時間がないみたい」

「……」

「春ちゃん、帰りは気を付けてね。あんまり遅くなっちゃダメだよ。電車に乗る時とか、しっかり蒼太の隣で見守っててね」

 笑顔で私に話しかけてくる空に、私は何も言えなかった。彼女なりの別れの挨拶なのだと分かってしまう。そんな空の様子が私には見ていられなかった。

「―――」

「……? 春ちゃん? 泣いてるの? どうして?」

 目から溢れる涙を止める事が出来ない。あぁ、最近は泣いてばかりだ。

 俯いて涙を流す私の頬に、ふんわりと何かが触れる。きっと私でないと気が付かない。現実ではない感触。

「まださよならには早いし、涙はその時に取って置いた方がいいよ。大丈夫。私はしっかりしてるから」

「自分で……いうなし……」

 込み上げてくる想いで言葉が詰まる。言いたい事があるはずなのに、空の下らない発言に反応するのが精一杯だ。

「空……私、本当は……」

 言いかけた言葉を遮る様に、頬に触れていた手が離れる。顔を上げると、空が口元に指を当てている。

「その続きは今度会った時に聞くね。今聞いちゃった揺らいじゃいそうだからさ」

「空……!」

 涙で前が霞む。言いたい事が山ほどあるのに、嗚咽が混じって言葉にならない。そんな私を優しい笑顔で見つめる空。

「春ちゃんは優しいね。私もそれくらい出来ればよかったんだけど、ごめんね? 私は私の事で精一杯なんだ」

「……」

「先に行ってるから。春ちゃん来るまで、私は楽しんでるから、心配しないで、ね?」

 まるで子供に言い聞かせる様な振る舞いで、空は片手を上げる。


「それじゃ、また後で」


 そう言い残し、私の前から姿が消える。私は消えていった場所を見つめて、涙が枯れるように天を仰いだ。

 私は空を成仏させたくてここに来た。

 空がどうして幽霊となって現れたのか。大抵の場合は現世での心残りがあるからだ。十代半ばでこの世を去った空には沢山の心残りがあるだろう。でも、何が空をこの世に留めているのかは明白だった。

 空は蒼太の周りにしか現れない。そうなれば答えは一つだ。それに何より、私達は似ているのだ。同じ人を好きになった者同士。考えている事は分かる。

 空がいなくなってからの蒼太は見ていられない程に心を病んでいた。そんな蒼太が心配で現世に幽霊として現れたのが空だ。きっと立場が違っていたら、私も同じ事になっていただろう。

 だから立ち直った蒼太を見せれば、成仏すると思った。正直、最近蒼太の近くにいなかったから、もう成仏したのかと不安になった。成仏させたかったのに、居なくなっていないか心配とは、矛盾した話である。

「ちゃんと居なくなるのを見届けないとね……でないとさ―――」

 それが幼馴染みで親友の私の責任であり、けじめだ。

 そして、この世ならざるものを見る私にしか出来ない、見届け人としての役目。

「……なんてね」

 今まで幽霊が見えて嬉しかった事なんて一つもない。でも、今日、ほんのちょっとだけ。この力に感謝したい。


 私は私にしかできないやり方で、親友を見送る事が出来た。その事実を大切にしていけば、私も歩き出せる気がする。




 電車から見る外の景色は夕焼け色に染まっていた。放課後の教室か見ていたのが懐かしく感じられた。

 帰りの電車に揺られながら、俺は今日一日を振り返る。

 空の墓前で、空に別れの言葉とこれからの事を伝えた。嘘偽りのない俺の気持ちを。

 まだ完全に振り切れていないけど、それでも前に進まなければならない。その前に過去の自分は置いてきた。俺にとっての決別の意味も込めた。そんな墓参りだった。

 空からすれば遅すぎる内容だっただろうが、いつか、また会う事が出来たのなら、その時に沢山謝ろう。それまで待っていてほしい。

「自分の事ばっかりだな」

「それでいいんじゃない?」

 俺の独り言に春が答える。春は正面の席で頬杖を突きながら窓の外を眺めていた。

「みんな自分の事で必死なんだよ。誰かを思いやるなんて、結局は自分の都合を優先させる為の免罪符に過ぎない」

「そう……かもな」

 春の言葉が心に刺さる。そうかもしれない。放課後に独り言を呟いていたのも、一人でデートをしていたのも、空がどうこうではなく、自分を守るためにしていた行動だ。

 空の名前で自分の行動を正当化しようとした。それなのにどの口が空の為だと抜かすのか。

「俺は卑怯者だ」

「だから、それでいいんだよ」

 自虐的な俺を春の真っ直ぐな瞳が射抜く。

「みんな自分が一番大切なの。それは当たり前で、自分を守る為の行為を否定する権利なんて誰にもない。だから、蒼太も当たり前の事をしていただけ」

「……そうなのか?」

「そう。自分が卑怯者なんて卑下する必要はないのよ」

 めっという春の態度は、まるで息子を叱っている母親のようだ。そんな様子に俺はそこはかとなく安心感を覚えた。

「わかった。ごめんよ母さん」

「キモい」

 そう言いながらチョップされる。これもまたそこはかとなく痛い。出来れば少し加減して欲しい。

「春の事も話してきたよ。俺の気持ち、伝えてきた」

「―――そう」

「春にも改めていうから、待っててくれ」

「それを本人に言うな」

 そっぽを向く春。頬が少し赤らんでいるのは見間違いではないと思いたい。

「次のデートは来週でいいか?」

「今度はバスに乗り遅れないようにね」

 墓参りの後に言ったデートの話で時間が過ぎていく。これからも二人の時間を増やしていきたい。

 空にも伝えてきた。春が好きな事。昔から変わらず春が好きだった事。今更なのは分かっているが、どうしても伝えなきゃならないと思った。

 あの時、空を選ばなかった事で空の運命を変えてしまったと思っていた。でもそれは俺の傲慢で、春を選んだ事に後悔はない。だからこれからの俺を見守ってほしい。

 俺は選択を間違わない。後悔もしない。これまでも、これからも。


「そろそろ付くな」

 電車内のアナウンスが降りる駅を知らせてくれる。話し込んでいて気が付かなかった。

 停車してから二人で降り、乗り換えの為にホームで電車を待つ。いつもなら退屈な時間だが、春と一緒に待つ時間はそれなりに幸福感を感じる。

 他愛のない話をしながら待っていると、ホームのアナウンスがもうすぐ電車が到着する事を伝えてくれる。また時間を忘れてしまった。どうも春といると気が抜けてしまう。

 夕方の帰宅ラッシュでホームに人が多くなってきた。ホームに備え付けられているベンチに座っていたが、込み合う前に電車に乗る為に早めに立ち上がる。

 電車を並んで待つ。俺達の後ろにも何人か待っている。辺りを見渡すとかなり人が増えている。やっぱり早く並んで正解だった。

 隣の春をちらりと見る。すると春と目が合う。もしかしたら、春も同じことを考えていたのかもしれない。そんな恥ずかしい妄想をしながら、俺はおずおずと春の左手に手を伸ばす。

 手の甲が触れ、春の手がぴくりと震える。すると今度は春から俺の手の甲に触れてくれる。

 お互いの顔は見れない。見てしまうと照れてしまうからだ。

 触れ合った手を絡めようと、一歩、勇気を―――。


 出た。一歩。だがそれは、思っていた歩み寄りではなかった。寄って行ったのは隣ではなく、前。それこそ分かりやすく一歩を踏み出していた。

「え」

 声が漏れた。時間がゆっくりと進む。春の顔が視界に入ってくる。春も俺もきっと、同じような表情をしていただろう。

 踏みしめる大地を失った脚は宙をかいて、バランスを保てない身体は前に倒れる。

 音が聞こえる。物凄い音だ。普段聞くより何倍も大きく感じる。それは、自分に迫りくるから、そう錯覚してしまうだけなのだろうか。

 近付く終わりの瞬間で、俺は思った。

 もし、もっと早く手を繋いでいたら、きっとまた、俺は失っていた。

 間違えなかった。選択に後悔はない。空に誓った事、守れてよかった。


 これからも間違えない。正しい選択をする。そうすれば空も―――。







「いやー、いい眺めだなぁ。最初はどうなるかと思ったけど、しっかり出来てよかった。これで私も満足だよ。―――っと、手が。そろそろ時間かな―――」

「……」

「―――ん? あぁ、春ちゃん。久しぶり。半年ぶり? 一年ぶり? よくわかんない。この身体って時間間隔分からないんだよね。時計もないし……」

「……アンタなの?」

「え?」

「アンタなんでしょ。あの時、あの時、蒼太を……蒼太を……!」

「んー?」

「蒼太を落としたの!! アンタなんでしょ!!」

「あー、まーねー。気付いていてたんだね。どうして? 上手く出来たんだけどなぁ」

「……どうして? 何で……?」

「どうしてって、言ったじゃない。『諦めない』って」

「何を……言って……」

「私は蒼太が好きだから、諦めない。例え春ちゃんが相手でも。だから頑張った。そして成し遂げたんだよ」

「……」

「私の勝ちだよ! 蒼太は私の物。もう春ちゃんでも邪魔できない、二人の世界」

「アンタ……」

「いやー、本当に大変だったんだよ。本当はもっと早くこうするはずだっただけど、私ってば要領悪いからさ。何度もミスしちゃってね」

「……」

「最初の小学生もさ。さりげなく押すだけのつもりだったのに、服捕まれちゃって、引っ張られちゃったんだよ。そのせいで私だけ死んじゃって……。その後も何回か練習したんだけど、やっぱりこの身体は不便だね。人一人に触れるのも精一杯だよ」

「……空」

「本番は上手くいって良かった。私、緊張しいだからどうなるかと思ったけど。小学校の時の読書感想文をクラスで発表する時くらい緊張したよ。あの時は噛み噛みで何言ってるか分かんなかったよね。あぁ、思い出したら恥ずかしくなってきちゃった」

「……」

「―――はぁ、そろそろ時間だから行くね。今度こそお別れね」


「春ちゃん」




「勝負は私の勝ち! 蒼太と楽しくしてるから、また会う日まで。さようなら!」



 何も、言えず。ただ、去っていく者を見届ける事しか出来なかった。選択の余地はそこには無かった。

この度は読んで頂きありがとうございます。初投稿で至らぬ点や、作品内の矛盾点などが多々あるかも知れませんが、今後も精進していきたいと思っております。

私としては、テーマに沿った作品になったと思っておりますが、読んで頂いた方の裁量に任せたいと思います。

くどいようですが、読んで頂いた方に感謝を。心よりの感謝を申し上げます。

それでは、また何処かで。

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