49.酒場のパーティー
「つまり、あたくしたちに、その何某さんの護衛をしてほしいって事かしらん?」
ふふ、と歌うように首を傾げたとんでもない美女に、ああ、とワイズが頷いた。
ばーんと胸が開いた黒いドレスは、どーんと深いスリットも入っていて、惜しげもなく真っ白い肌を晒している。輝く魔法石に負けない輝くようなお肌と、濡れたような緑の瞳がとんでもなく魅力的な迫力ある美女を前に、ソフィは自分の身体を見下ろした。なんとなく。
「護送、って言った方がいいのかしら」
大きな三角帽子を被った美女は、ちら、と意味ありげに視線を動かす。
視線の先にいるのは、黒い前髪の奥で眉を下げるエーリッヒだ。
気付いている。
賢い人なのだ、とソフィは背筋を伸ばした。
自分の魅せ方を徹底的に知っている賢い美女は、決して敵に回してはならない。夜会の掟である。まあここは夜会の会場でもなけりゃお城でもお屋敷でもなく、酒場なんだけどね。
「とあるお方を王都までお連れしなくっちゃならない。憲兵団の皆様は、なぜか動けない。隠密で、こっそりと動かなくちゃいけなくて、馬車の中は決して覗くなと仰る。随分とふざけたご依頼よね?」
「街で起きてる異変と結び付けるなって方が変だわ」
つん、と顎を上げたのは椅子の上で足をプラプラと揺らす、なぜか大人用と思しきサングラスをかけた少女だ。
白いラインの入った大きな襟と、スカートが大きく膨らんだシルエットが愛らしいワンピースに、ピンク色のローブのような上着が、耳の上で括った金色の長い髪とよく似合っている。とても可愛らしいのに、背中には可愛いリュック……ではなく剣を背負っている。なんともちぐはぐな印象の少女の隣で、男が「なあ」と声を潜めた。
「内緒話なんだよな?」
大きな体躯を小さく丸めて聞いた男に、美女は「大丈夫よ」と甘く微笑んだ。
「とっくに防音の魔法をかけてあるわ」
「ねぇねが、そんなヘマするもんですか! それで? よくもまあ私たちに、そんな無茶苦茶な依頼ができたもんよね? よほどの見返りがあるのかしら?!」
少女は、ああん? となかなかの凄みでねめつける。ソフィの視界に映るのは威嚇する子猫だが、背後に歴戦の猛者のオーラが見える気がするのは、多分、気のせいじゃない。ガルルル、と今にも唸りそうな少女の前で、美女は手を振った。
「おやめなさいな、ルチル。あのお嬢ちゃんの腕をご覧なさい」
「え?」
「あ」
バチン、と音が鳴りそうなほどに強い視線を向けられたソフィは、へらりと笑いながら、腕を上げた。
ソフィの頼りない腕には、銀色の腕輪が、きらりと光っている。
さて、ソフィが卑怯にも愛らしい騎士と過ごした後。
領主と、証拠の手紙と魔法石を誰に運んでもらおうか、という話になった。使用人を下がらせた朝食の席だ。
領主は賊に襲撃され、恐ろしい魔法をかけられた。これを解くためには、王都の魔法使いを頼るしかない! だが領民に知られれば動揺を招く。決して他言をするな、とワイズは「領主の命令だ」と使用人たちに告げた。
ソフィたちはその賊を捕らえた、たまたま居合わせた旅人ということになっていて、まあなんていうか、穴だらけの嘘臭ストーリーだったんだけども。
領主の命令を無条件で信じる「催眠」がかかっている上に、使用人たちは元々領主に思い入れがない。少ない給料でこき使うに飽き足らず、領主は使用人に平気で暴力を振るったり紹介状もなしに追い出すこともあったらしい。そりゃあ使用人も、逆らうわけがない。
そんなわけで、使用人たちは否の一言もなく、素直に頷いた。
そんな嫌な話が重なって良い方向に転がっているという、捻じ曲がった現状の中、エレノアが口を開いた。
「レイリだけに任せるのは、いささか負担だろう」
「待ってください、俺の腕を疑っているんですか。というか、あんたの側を離れる事を了承した覚えはない」
エレノアからの指名にレイリは目を吊り上げて怒るが、エレノアは「だって」と何でもないように言った。
「他に適任者がいるか? 私が心から信頼できて、刺客を退けられるだけの強さがある人物が、他にいるか?」
「……っ」
卑怯だな。
まったくもって、卑怯であった。
しかも、エレノアの瞳は噓偽りのない澄んだ色をしている。おだててその気にさせようとか、弁で煙に巻こうとかそういうんじゃなくて、本気で不思議そうに言っている。こんなピュアな信頼を両手で差し出されて、誰が突き返せようか。
騎士ってずるい人が多いのかしら。
ちらりとソフィはリヴィオを窺うが、リヴィオは知らん顔で紅茶を飲んでいる。まー紅茶を飲む仕草が本当に様になっておいでで……。うつくしいわ、と思わず目を細めるソフィであった。
レイリは、ぐぬぬぬ、と歯を食いしばる。エレノアは労わるように眉を下げた。
「だが、いくらレイリだって休息は必要だろう? 私はお前に無茶をさせたくないんだ。わかるだろう?」
ぐぬぬぬぬぬぬ、と歯を食いしばり両手を握ったレイリが、「くそったれ」と歯の隙間から磨り潰すようにして言ったのは、ソフィの聞き間違いじゃなかっただろうけども。誰もそれに触れんかった。
まあそんなわけで、一名の苦しい同意を得た一行は、この街を良く知るワイズに、口が堅く腕が確かな冒険者に心当たりがないかを問うた。
下手に騎士の魔法を解くわけにもいかないし、腕が立つ騎士なら猶更、何があるかわからない街から動かせない。ならば、と冒険者への依頼を提案したのはエーリッヒで、ワイズは少し考えた後に、「そういえば」と口を開いた。
「ちょうど、今は『銀色の海』の団員が滞在していたはずです。この街の解体屋は腕がいいので、彼らは時折モンスターを持ってくるんです」
「銀色の海……」
ソフィが瞬くと、ワイズは「ご存知ですか」と頷いた。
「銀色の海は、巨大な商団で、船長と共に船で海を旅をする者と、陸を旅して希少なアイテムを集めたり、買い付けをする者に分かれています。この街にはよく、魔女が率いる三人組のパーティーが訪れるんです。銀色の海の団員なら身元も腕もたしかですよ」
エーリッヒは、うん、と顎を撫でた。
「彼らの話は、ヴァイスからもよく聞いている。王都の港も、彼らのおかげで随分と栄えているんだ」
「陛下が良ければ、俺が話をつけましょうか」
「うーん、せっかくだし俺も」
「あの」
話がまとまりそうなところで、ソフィはそろそろと手を上げた。
「それ、わたくしも同行させていただけますか?」
お力になれるかもしれません、と笑うソフィの腕に光るのは、細工が美しい銀色の腕輪。
「銀の雫じゃない」
少女があんぐりと口を開いて見詰めるのは、そう、船を降りるあの時。
神様に呪いを掛けられた、小さくて口が悪くてからりと晴れた大空みたいな船長に渡された、あの腕輪だ。
「それも、船長の魔力が込められた特別製よ。あれを見ちゃったら、あたくしたち『銀色の海』の団員は、放っておけないわね」
「我らがキャプテンの友達ってことだもんなあ」
「もう! あのエロおやじのことだもん! なんかやらかしたに違いないわ!」
うーん。ソフィがこの腕輪をもらったのは、船長の「失言」というか、「ピリピリしちゃってごめんね」という謝罪の気持ちなので、当たっているような、いないような。ソフィ自身は気にしちゃおらんし、頼れる騎士さんたちが、ちと過保護だっただけなので。なんと言おうかね。
へら、と笑うソフィを置いて、「だったら猶の事、お手伝いしなくっちゃ」と美女は微笑んだ。
「よくってよ。そのご依頼、『銀色の海』の名と、『自愛の魔女ララフォネル』の名に誓って、必ず叶えて差し上げるわ」
「自愛の魔女?」
興味深そうにエレノアが問うと、ララフォネルは「ええ」と色香をたっぷり乗せて微笑んだ。
「あたくし、自分の事が大好きなの。自分が大好きなものは、もっと大好き。愛するもののためには力を惜しまないし、愛するものを害するもののためにも力を惜しまない、とってもキュートな魔女なのよ」
うふ、と赤い唇で蠱惑的に微笑むララフォネルに、なぜか一緒にいる二人が自慢げに頷いた。
「この街も気に入っているの。何度かおかしいわよ、って言った声が握りつぶされてるみたいで、ちょっと頭にきてたから、まあちょうどいいわ」
これはもしかして、自愛の魔女が「力を惜しまない」事態になる一歩手前だったのでは、とソフィがエーリッヒを窺うと、エーリッヒもその隣に立つワイズも思い至ったようで、力なく笑っている。
「吉報をお待ちしておりますわ、陛下」
「ご武運を」
「死んだら全財産巻き上げるから」
うーん、やっぱりバレてる。なんか、色々、深いところまで、バレてる感じがする。
はは、と小さく笑ったエーリッヒは前髪をかきあげた。
「俺の国を荒らしたツケは払ってもらうさ」
かくして、一行は領主を冒険者とレイリの手に託し、ルディア国に向けて再び出発した。
エレノアの呪いを解くために。
汚泥で煮込んだみたいな魔導士を捕らえるために。
「犠牲者を出すわけにはいかない」
魔法石におさめられた子どもたちの証言による、もう一つの悪事を、止めるために。