1.百聞は一見に如かずといいましても
こっ…!!!!!!!!!!!
ソフィーリアは、出かかった言葉をすんでのところで飲み込んだ。
オーケイ。ソフィーリアは、15年間淑女として生きてきた。ふふん。任せろ。言葉も感情もいくらだって飲み込んでみせる。たっぷりのチョコレートソースがかかったケーキだって、おっえ、と吐き出したかったけどちゃあんと飲み込んできた。ええ、とっても美味しいわ。ってね。本当は全然ちっとも美味しくなかった。ソフィーリアは甘いものがあんまし好きじゃない。
だけどもお茶会には必ずケーキだクッキーだマフィンだつって甘いものが大行進で、それでも微笑んで生きてきた。
だから大丈夫。
ソフィーリアは、ぎゅうと握っている手綱に力を入れた。
「大丈夫ですか?」
後ろから、やわらかい声が言う。
ああ、その美声ったら!ええ。ええ、ええ。大丈夫でなくったって、大丈夫にしてみせましょうとも。ソフィーリアは、頷いた。
「はい」
「疲れたらすぐに仰ってくださいね」
申し訳なさそうに、心配が滲む声がソフィーリアを包む。比喩ではない。良いか、諸君。これ、物理的にである。
ソフィーリアのうすっぺらい身体は、たくましい騎士の身体にすっぽり収まっているのだ。
木が茂る荒れた道を、ぱっからぱっから馬が駆ける。いや、違うな。ドドドドドド!って感じだな。何せ凄い速度。めっちゃ駆ける。走る。
その馬を操るのは、リヴィオニス・ウォーリアン。美貌の騎士と呼ばれ、老いも若きも魅了した男だ。
天使か妖精かと問いただしたくなるような美貌に連れられ、ソフィーリアは諦念にまみれた日常から飛び出した。
手を引いたリヴィオニスは、まずソフィーリアを美しい毛並みの黒馬に乗せた。馬。そう、馬だ。
やってはいけない事ばかりだったソフィーリアには初めての体験。乗り方すらわからないソフィーリアの身体を、にっこり微笑み一つで持ち上げひょいと馬に乗せたリヴィオニスは、続いてひらりと後ろに乗った。まあ軽やか。って近。近い。意識を逸らそう。
ソフィーリアは、邪魔にならんようにと、うんしょうんしょと馬をなんとか跨ぐ。両足揃えて御淑やかに椅子に座るみたくあっちゃ、お馬さんも走りにくかろうと。馬に関しての知識は無いが、無い物振り絞って考えたソフィーリアである。
リヴィオニスが家で一緒に育ったのだという馬は大変に大人しく、慣れないソフィーリアがもぞもぞじたばたしても、じっと待ってくれていた。めっちゃ良い子。
で。
ソフィーリアは思った。
こっ…………わ!!!!
こわい!高い!怖い!!え…っ…!高いところって怖いのね!!!!!!
15年間生きてきて新発見。
高い所は怖い。いやあ勉強になるよね。世界はソフィーリアの知らんことだらけだ。あっはっは。笑っとこ。
役割をただ淡々とこなしてきたソフィーリアはそれを体験する機会すら無かったんだけれど、どうもソフィーリアは、あれ。高所恐怖症ってやつだった。多分。初めて知った。新しい自分との対面にドッキドキである。あ、まあ恐怖からのドキドキかもしれぬけど。
だって、足が地に付いていないって事実が怖い。浮いてる。浮いてるんだよ、地面から。身体が。え、浮いてない?馬に乗っているだけだろうって??馬鹿野郎だから地面に足が付いてねーつってんだから浮いてんだろうが。道理がおかしいだろ。
え、というか馬ってこんなに目線が高くなるの???
いやいや。ソフィーリアは己に言い聞かせた。
初めてだからよね。きっと。慣れる。大丈夫。ほら、夜だし。景色なんて見えない。
そうよソフィーリア思い込むのよ。ここは地面。ここは高い所じゃない。ちょっと揺れている気がするのは、そう、気のせい。凄い速さで木々が後ろに流れて行っている気がするのは、気のせいなのよ。
ソフィーリアは必死に自分に言い聞かせた。思い込もうとした。
でも駄目だ。怖い。怖かった。そりゃそうだ。催眠も暗示もやったことが無いソフィーリアの自己暗示なんて、よちよち歩きの赤ん坊が新聞見て「あ!」つったのを、「まあ文字が読めたのね!」とか言ってるレベルだ。できるかばーか!つってな。
そんなので読んだことになるなら教師も授業も学校もいらん。こんなんで恐怖感とバイバイできたならソフィーリアは今すぐに催眠術師にでもなれる。やったね恐怖感を失った最強兵士でもこさえよか!富国!強兵!ふざけんな戦争反対。
いやあ、恐怖ってすごいな。
理屈じゃない。暴力。ただの暴力。怖い、って自然に思うんだから。恋に似ておるな、ってはは。やっぱり笑えない。
いやまじで。
ソフィーリアは砂粒ほども笑えんかった。あと気持ち悪い。酔った気がする。馬酔い。そんな言葉あるんだろうか。ソフィーリアは、ぎゅうと手綱を握り締めた。その手をぐるりと握る大きな手が、労わるようにすりと撫でる。
「ソフィーリア様、本当に大丈夫ですか?」
「だいじょうぶです」
声が良いなあ。
ソフィーリアは思った。怖いし気持ち悪いし、まあ正直なところ大丈夫か大丈夫じゃないかを天秤にかけたら大丈夫じゃないが地面えぐるぐらい大丈夫じゃないんだけども、んなことより声が良い。あと、すごくあったかい。
ソフィーリアの頭3つ分くらい背が高いリヴィオニスの大きな身体は、あたたかくて、なんだか良い香りがして、びくともしない。なかなかの速さで駆け抜けているのに、安定感バッチリだった。上下に揺れさえしなけりゃ酔うことも無かっただろう。
乗馬くらいやっておけば良かった、と思うがあの家は母は父は決して許さなかっただろう、とソフィーリアは思い直す。
乗馬がやりたいです!オッケー!てな親だったならソフィーリアは今頃お屋敷のベッドだ。すやすや。
「は」
ソフィーリアは、小さく息を吐く。
なんとか、このむかむかするのから逃れたい。
ちなみに目を閉じるのは駄目だった。地面に足が付いていない浮遊感と揺れが強調されて、一気に恐怖感と吐き気が増したのだ。いらんことした。
おかしいな。フッ実におもしろい。じゃ、ない。おもしろくない。ちっっっともな。
だって、ソフィーリアの知る物語の主人公たちは、みんな空飛んだり高い所に登ったりすると「わあ!素敵!」って喜んでた。馬に乗れば「風になったみたい!」ってはしゃいでた。あと「お馬さん、よろしくね」ってすぐ仲良くなれる。だからちょっと、ちょっとだけ、ソフィーリアは馬に乗るって聞いてわくわくした。のに。
ソフィーリアは思った。
話が違うわ。
そう、話が違った。
これは博識で才能溢るる作者によって巧妙に練られ丁寧に書き上げられた重厚なる物語ではなく。ソフィーリアの人生だ。現実だ。違って当然だった。
ああ、高い所は全然素敵じゃないし、風になれるもんならなりたいし、お馬さんはカッコいいけど「よろしくね」ってそんな余裕は無い。重たい荷物が増えてすいません汚さないようにだけ頑張ります、と今すぐ陳謝したい。
はああああ。
ソフィーリアは、細く、長く、静かに、息を吐く。あ、だめだ吐きそう。
ぎゅうう、と手綱を握る。最早、生命線。手綱を握って、どうにかこうにか意識を逸らそうと。して。
馬がふいにスピードを落とした。
それで、ぱっからとゆっくりと止まる。
不思議に思い後ろを振り返ると、存外近いところにあった白い顔が、うすく頬を染めたのが暗闇でもわかった。かっわいい。
「ソフィーリア様」
「…はい」
ソフィーリアは、なんとか声を出す。危うく違うものが出そうだった。
「少しでも早く王都から離れたいというのもありますが、できれば貴女に野宿をさせたくないと思い急ぎました。…でも、貴女に何も相談していませんでしたね」
しゅん、と眉を下げる顔に、ソフィーリアは瞬いた。
相談。
初めて旅をするソフィーリアなんざ遠く及ばない経験と知識をお持ちの騎士様が、ソフィーリアに相談。何をだ。
「野宿をするのと、一晩駆けて明日の朝には町に到着できるのと、貴女はどちらが良いですか?」
「え」
あまりの驚きに、一瞬。ソフィーリアは恐怖と嘔吐感を忘れた。
え、な、なんて?
「え、と」
「僕もソフィーリア様も一人じゃありません。僕と、ソフィーリア様は二人でいるのに、僕が勝手に決めるのは、おかしいですよね。すみません…」
は。
は?あ?え???
ソフィーリアは盛大に混乱した。驚いた。あっのバカクソ王子がある日突然真面目になってもこんなに驚かんだろう。あーへーやっと自覚したんだあっそ。とかそんな。
で?で。この、名家の生まれで国の最高峰たる王家騎士団の期待を一身に背負っていた美貌の騎士は、なんだって?ソフィーリアに、相談。
ソフィーリアの知る他人は、いつだってソフィーリアを試したり馬鹿にしたり嘲ったり無視したりしていて、ソフィーリアが提案をするときは入念な下調べと膨大な言葉が必要だったのに。手ぶらのソフィーリアに宙に浮いた状態で、相談。
相談って、あれよね?
ソフィーリアは頭の中の辞書をバラララッとめくった。意見を求めるあれだ。あれでいいのよね?
「…え、と、わたくしは、恥ずかしながら屋敷や城から出た経験がほとんどありません。…意見を言えるほどの知識も…なくて…」
もごもごと答えるソフィーリアに、リヴィオニスはにこ、と笑った。かわいい。
「知識や経験が無いから希望を言ってはいけない、なんて事はありませんよ。だって、これは仕事でも任務でも公務でもないんですから。僕はただ、あなたのことが知りたいだけです」
えへ、と頬を染めて。
かわいく、そんな。ソフィーリアのことが知りたいと。ソフィーリアのことなんかが、知りたいと。仰る。そのかわいいお顔で。
信じられない思いでいっぱいのソフィーリアは、次いで、瞬きをした。
これは公務じゃない。
ソフィーリアは、頭の中でリヴィオニスの言葉をなぞった。
「あなたが今、どう思っているのかを聞かせていただけませんか」
「そんな、」
そんな抽象的な事を言っていいんだろうか。
なんの確証も理論も根拠も無い、そんな曖昧で無責任で生意気な事を言っていんだろうか。
だって、優しいリヴィオニスはそう言うけれど。公務だろうがなかろうが、ソフィーリアは素人で女で、今ここで放り出されたらなんにもできないお荷物だ。
だから、ここでの最適解は「お気になさらないで。早く町を目指しましょう。夜の森なんて危ないわ」だ。そうだ。それしかない。旅なんて生まれてこの方経験したことが無いソフィーリアだが、追手を撒かにゃあならんって事はわかるのだ。
で、意を決して口を開くと、リヴィオニスは、にこお、と笑った。わ、あ、なんて素敵な笑顔。え、すご。え、光ってない??
こう、ぱああ、って。キラキラって。ソフィーリアがいよいよ話すぞ!!ってな具合なのだ。嘘とかつけない。でも最適解を。正しい答えをしないとならん。え、でもこの場合の正しいとは。
ソフィーリアは、ぐるんぐるん考えた。
ぐるんぐるん考えて考えた。んで、ソフィーリアのちっさな脳みそは、その瞬間。
ショートした。ばすん。
「う」
「う?」
「う、うえええええええええん」
「!!!!!!!!!!!」
で、泣いた。
うえええん、って。そんな子供みたいな。笑えるだろう。これが嘘じゃないんだなあ。
ソフィーリアはえんえんと泣いて、期待に胸を膨らませていたらしいリヴィオニスを萎ませて叩き潰した。見事なカウンターパンチ。
これがリングならゴングが鳴ったし、喧嘩なら決め台詞の一つでも聞いただろうが、生憎とこれは夜の森で愛の逃避行の最中だったはずで、互いは喧嘩のつもりなんざ無い。
いやはや。人生とは本当に、物語のようにはいかない。
うまくいかないもんだなあ。
新章です。
なるべく間をあけずに投稿できたら、と思っていますので……!
完走できるように評価等、応援していただけましたら嬉しいです。
よろしくお願いします!!