39.楽しいお茶会
「何をしていらっしゃるのですか……?」
ノックの音にエーリッヒが入室の許可を告げると、憲兵団──否、王国の騎士が扉を開けた。
一つ瞬きをした後に騎士は、はっとしたように扉を閉めると、室内をしげしげと見回す。
無理もない。
室内には、書類や手紙のみならず本やメモなど、紙という紙が散乱し、戸棚や引き出しは全て空いている。大掃除か家探しのどちらに見える? と問われたならば、九割の人間が後者だと答えるだろうね。
だって引き出しに手を突っ込むソフィも、戸棚に頭を突っ込んでいたエーリッヒも、この部屋どころかこの屋敷の住人ですらないのだから。
だがしかし、エーリッヒは狼狽えることなく顔を上げた。
「ワイズ、戻ったか。悪いな、君も疲れているだろうに」
「滅相もありません! 騎士でありながら、陛下の名に背き悪事に加担していたなんて……むしろ、子どもたちを家に帰してやるなんて重要な仕事を任せていただいて、陛下にもリヴィオ殿にも感謝してます」
ワイズの言葉に苦笑を返したエーリッヒは、立ち上がると邪魔そうに前髪をかきあげた。
「……子どもたちの様子はどうだった?」
「みんな、とても嬉しそうでした」
そうか、とエーリッヒのほっとしたような声に、ワイズはぐっと唇を噛む。
「家族からも感謝されて……俺、何もしてねぇのに」
「ワイズ、」
下を向き、悔しげに呟かれた言葉は、無意識だったのだろう。自責の念が強く滲む自分の言葉に、ワイズは慌てるように顔を上げた。
「もっ申し訳ありません! こんな事言える立場ではないのにっ」
「そうそう」
「!」
自分を責めるワイズの言葉に、エーリッヒが言葉をかけるよりも早く頷いたのは、羽よりも軽く響く、一流歌手のように聞き触りの良い美声だ。
「これっくらいで音を上げてんじゃねーよ。良心の呵責? 子どもたちの事を考えれば、文句を言える立場じゃないだろ」
いつの間にそこにいたのか。困り顔のエレノアの隣で、ティーセットを載せたワゴンを押す美丈夫、一貫して騎士に厳しいリヴィオである。
催眠魔法が解けひどく混乱するワイズに、事情を説明しようとする一同に向かって、「それよりも早く子どもたちを家に帰すべきだ」と、それはもう堂々ときっぱりはっきり、一分の優しさも国王への遠慮もなく言い切りおったのもまた、リヴィオだった。
ソフィをふっかふかのお布団で包むが如く、優しく気遣う配慮の鬼のようなリヴィオは時折、空気が読めない子供のように振る舞う。
それは、自分が少し、いやだいぶ、かなり、とても特殊な家庭で育てられた特殊な感性を持った人間である事に、これっぽっちも気がついていないリヴィオの無自覚な言動によるもの。という可愛らしいものではなく、騎士として生きてきたが故の厳格さなのだろうな、とソフィは思っている。
騎士だった頃のリヴィオ個人について、ソフィが知っている事は少ないけれど、ウォーリアン家の知識ならそれなりにあるからだ。
例えば、ウォーリアン家に返り討ちにあった者の中には、その座を妬み牙を向いた者だけではなく、金や色を使って抱き込もうとした者たちもいた、なあんて事は、貴族にゃ有名な話だ。
ウォーリアン家に手を出すという事は、ドラゴンに石や肉を投げるという事だな、わっはっは。とかね。言ったり笑ったりしちゃったりするオジサマ方が、冷や汗を浮かべている姿を見た事だって、ソフィは数え切れないくらいにある。どこの国でもお貴族ン中には不正が大好きな連中がいて困っちゃうよね。
閑話休題。
ま、つまり騎士でも聖人でもないソフィは、リヴィオがワイズに休む暇も与えずに「僕達が行っても怪しまれるでしょうし、団長殿や他の憲兵に行っていただくのはいかがですか?」とにっこにこ笑顔でエーリッヒに提案したあげく、「憲兵団様が悪徒から子どもたちを救ったんですよ。ね?」と、いやあな笑顔をワイズに向けても、口を挟まなかった。
ソフィは、騎士として騎士に腹を立てているリヴィオを止める資格を持っちゃいないし、何も知らない顔でワイズを庇うほど出来た人間でもないのだ。
エーリッヒも思うところがあったのか、リヴィオの言動に腹を立てることなく、膝をつくワイズを気遣わしげに見下ろした。
「頼めるだろうか」
ワイズの逡巡は一瞬だった。
「有り難く拝命いたします」
響いた重たい声にリヴィオが小さく息を吐いたのを見て、ソフィの心はなんだかちょっとだけ、ぎゅっとなった。
で。今。
日も暮れてきた頃、ワイズが屋敷に戻ってきたわけである。
「少し話をしよう。掛けてくれ」
詳しい事を教えてもらえないまま屋敷を追い出されたワイズに、そろそろ説明をしてあげるべきだという事にはさすがに、リヴィオも異論はないらしい。
一人掛けのソファに腰を下ろしたエーリッヒの前に、静かにティーカップを置いた。
「みんなも座ってくれ」
エーリッヒが見上げると、エレノアは頷き、テーブルに平行に置かれた長椅子に座る。
すかさずエレノアの前にティーカップを置いたリヴィオは、そのままソフィをエレノアの隣に座らせた。優しくけれど有無を言わさない力に抗えずぽすりとソファに落ち着けば、あっという間に運ばれてくるティーカップ。エーリッヒの対面のソファに丸くなっているアズウェロの前にもカップを置くと、リヴィオはエーリッヒから順に紅茶を注ぎ始めた。
その流れるように美しい給仕に、ソフィは思わずため息をつきそうになる。
なんて気品に溢れる優雅な振る舞いだろうか。熟練の執事にも勝るに劣らない姿を見て、彼が騎士であった過去を想像できる人はいないに違いない。
やっぱりリヴィオの美貌は国を挙げて保護すべきなんだわ!
そのうち、マジでリヴィオや母親のアデアライドを巡って戦争が起きるんじゃなかろうか。
いやだがしかし、ウォーリアン家の武力に誰が敵う? ウォーリアン家の勝利と超短時間での終戦は目に見えているではないか。ってこた、ウォーリアン帝国が誕生する? なにそれ一生住みたい。住みたい国ランキング満場一致の第一位に決まってらあな。ソフィが最初にすることはその国に墓を買うことだ。
ソフィは決意した。
お金を稼がなきゃ。
浮かれ脳みそくんに燃料投下が止まらないソフィが、リヴィオの伏せた長い睫毛や、グローブをしていない白く長い指先の、物憂げな色香に夢中になっている間に、全員のカップには紅茶が満たされていた。あらまあ早業!
ゆっくりと部屋に流れていく紅茶の香りの中、リヴィオは紅茶を注ぎ終わったカップを両手に持ち、ワイズの隣に座った。そんで、一つをワイズの前に置くと、自分はさっさとカップに口をつける。
はうん。
ソフィは脳内でため息を付いた。
ついさっきまでの上品さと打って変わって、礼節を放り投げた乱雑ぶりと、なんだかんだワイズにも紅茶を用意してやる生真面目さと、ティーカップを持つやっぱり美しいその仕草に、混乱を極めた浮かれ脳みそくんが溶けかけている。
「有難う、リヴィオ」
湯煎にかけられたお花畑なティーポット状態のソフィの脳内なんざ知る由もないエーリッヒ国王陛下が礼を告げると、リヴィオは「味の保証はしませんよ」とニヤリと悪戯に笑った。可愛いことこの上ない。
「ぐっ」
思わず何かが生まれそうになった口を手で塞いだソフィに、エレノアが小さく呼びかける。
「ソフィ?」
「だい、大丈夫ですちょっと頭の落ち着きがないだけなので」
「ソフィ?!」
囁き合う二人を見てくる、リヴィオのきょとんとした幼い表情に、いよいよお花が大爆発しそうなタイミングで、「さて」とエーリッヒの静かな声が響いた。
「ワイズ、話をしよう。これまでの事、それから、これからの事を」
つまるところシリアスタイムである。
ソフィは気を引き締めた。
先週投稿できなかったので、明日また投稿します。
明日も来ていただけましたら嬉しいです!





