37.カーテンコールにはまだ早い
「な、なんだ貴様らっ!! わた、私が誰かわかっていての所業か! 私はこの地を治める領主だぞ! 伯爵である私にこのような振る舞いが許されると思っているのかこの愚民めが! 卑しい平民ごときが私を見下ろすなど、なんたる不遜不敬だ立場を弁えろ大体、」
わあ、すごい。
ソフィは、思わずぱちぱち瞬きした。
よくも、まあ、ノンストップでこれだけ罵詈雑言を吐けるものである。
狼狽えていたのは最初だけで、怒鳴っている間に気分が乗ってきたのか、どもりもしなければ噛むこともなく喋り続けている。天晴である。
ソフィは淀みなく話し続ける事には相応の能力がいることを、その生い立ちからようく知っている。
才能の無駄遣いね…。もったいないなあ。
怒りを通り越して感心してしまうソフィの前で、地面に転がった領主は怒鳴り続けている。喉丈夫だな。
「伯爵」
「ぎゃあ! きっ貴様何をする!」
べらべらとぎゃあぎゃあと五月蠅い領主を、エレノアが取り出した縄でふんじばる。地面の上で領主を転がしながら、ぐいと縄を引っ張りぎゅうと結び目を作る手際の良さと言ったら。あんまりに鮮やかなんで、拍手を送りたくなるソフィであったが、うん。やめておこう。
さて、とソフィは目を細めた。
ところでソフィーリアは、決して弱みを見せるな下手に出るなと、母や王室の教師に育てられた。
由緒正しき御家柄のご令嬢であったし、王太子の婚約者であるソフィーリアは、国で最も高貴な女性になることを約束されたご令嬢でもあったからだ。
他者に付け入る隙を与えないように、利用されないように。いついかなる時も微笑みを絶やさず、冷静であることがソフィーリアには求められていた。
ま、義妹と比べられ嗤われていたソフィーリアからしてみりゃ、今更じゃねって気分だったけどね。まあそれはそれ。国王陛下がそれを良しとしていたのにはなんぞ理由があるんだろうと、ソフィーリアはただ粛々と己の役割をこなしていた。
揺るがぬように。
揺るがされぬように。
自分ですら見失いそうな本心をあの庭にひた隠して、うっすらと微笑みを浮かべ、王城に住まう魔物と渡り合ってきた。
が。
が、だ。ありゃあソフィーリアにゃ、ちと無理なキャラ設定だったよね。今にして思えば。
だって本当のソフィーリアは好奇心旺盛で、すうぐ泣いちゃう面倒臭い子だったことを、ソフィは知ってしまった。
何より、力を力でねじ伏せるためには、圧倒的なまでの力がいることをソフィは学んだのだ。
ソフィーリアは、悪魔の契約を成立させる王様も、すべてを暴力で吹き飛ばす騎士も見てきた。
ソフィーリア程度のハリボテじゃあ、大きな力には勝てはしまいよ。二人の前では、ソフィーリアのちっぽけな力なんて紙屑以下だろうなあ。
つまるところ、今や身分も肩書も無い一介の小娘であるソフィがいかに強気に出ようと、地面に転がるこの御腐れ領主様にゴリ押しで勝つ事は不可能である、ということだ。
さて。
さて、では小娘が欲しいものを得ようとするならば、どうすれば良いのだろう。
──ソフィーリアは、それもようく知っている。
「まあ、どうしましょう!」
「!」
ソフィが膝をつくと、芋虫のように転がる領主がぎょっとした顔で見上げてきた。
「ああ、こんなつもりじゃなかったのです伯爵さま。こんなに乱暴するなんて、ひどいわお兄さま!」
む。いささか大げさだっただろうか。ちょっぴし恥ずかしい。湧き上がる羞恥を堪えソフィが見上げると、エレノアはきゅう、と僅かに目を見開き、しかし硬い声で言った。
「お前は口を出すなと言ったはずだぞ」
「お兄さま!」
エレノア様!
ソフィは心の中で歓喜の声を上げた。
冷静になる時間を与えない方が良いのではないか、今なら黒幕の事もぺろっと喋ってくれるんじゃないか、とそれはソフィの思い付きであって、事前に打ち合わせたわけではない。
エレノアが芝居に乗ってくれる保証はなかったが、さすが一国の姫である。
「ですが国王陛下は、真実を知りたいと、ナイルズ伯爵をお連れしろと仰っただけではありませんか!」
「へ、陛下、だと?」
あからさまに狼狽え始めた領主、ナイルズにソフィは「ええ」と頷いた。
眉間にしわを入れ、ぎょろぎょろとナイルズは視線を動かす。
存分に考えてね、と口には出さず、ソフィは鞄からハンカチを取り出した。
「この街で子供が相次いで行方不明になっていると、偶然耳にされた陛下が、調査をお命じになったのです。街の状況をお伝えすると、陛下はナイルズ伯爵をお連れするようにと仰いました」
「なんだと!」
ソフィは「ひどいわ」と、ハンカチでナイルズの汚れた頬をぬぐってやる。エレノアによって、ごろんごろん転がされたので砂だらけだ。
「お兄さま、これではまるで、伯爵さまが犯人だと言っているようなものではありませんか!」
「なっ」
「何も知らないお前は黙っていなさい。陛下は、そもそも今回の騒動は伯爵の監督不行き届きだとお怒りなんだ」
「ななっ」
「第一、この屋敷に不審な馬車が出入りしている事は、調べがついている。伯爵が犯人に決まっているじゃないか」
「なななななっ」
「ひどいわ……伯爵は憲兵団をつくって子どもたちを一生懸命に探しておいでなのよ? こんなに街の事を想っているのに!」
そうでしょう?! とソフィが再びナイルズに視線を合わせると、なーなー謎の鳴き声を上げていた芋虫は「う、うむ!」と力いっぱい頷いた。良かった。「な」以外の言葉を忘れていないらしい。
「伯爵さま、わたくしは伯爵さまをお助けしたいのです」
こんな感じだったかな、とソフィは両手を胸の前で組み、一生懸命に眉を下げた。
無垢で純真に見えていますように、と声を震わせる。
「このままでは、伯爵さまが犯人にされてしまいますわ……」
される、っつーかナイルズが犯人であることは一目瞭然だったが、領主を捕らえてハイ終わり、というわけにはいかない。
「伯爵さま、わたくしはきちんと陛下とお話しすべきだと、伯爵さまをお止めしたい一心でしたの! 無礼をどうかお許しくださいね」
だとしたら乱暴じゃね? 魔法使っといておまえ……、って話だが混乱の極みである伯爵は、
「う、うむ」
と、なんとなく頷いただけだった。しめたもんである。
ちら、とソフィが視線をあげると、エレノアは大げさに眉を上げた。
「やめなさい。疚しい事があるから逃げるんだ。そもそも、騎士がいない時点で疑わしいじゃないか」
「伯爵さま、何か理由がおありなのでしょう?」
「む、む……」
伯爵って爵位は、王が配置した騎士を無断で追いやれるほど高い地位じゃあない。なのに、こんな事が露見していないなんて、ありえない。
背後に必ず、大きな力がある。それを逃し、似たようなことがまた起こってしまう事は避けたい。
そんなわけで、この男にはさっさと黒幕を裏切ってもらわねば困るのだ。
ソフィは追撃の手を止めない。
「伯爵さま、王都を追われさぞお悔しかったことでしょう……。それでも、民を想い、民の為につくす貴方様はとても立派です」
「そ、そうだろうとも」
わかっているではないか、と芋虫領主が偉そうに言うのに、ソフィは「ええ、わかっていますとも」と頷いた。
実はこの領主。横領だとか良くない組織との裏取引だとかをやらかした、真っ黒黒な旧体制の産物らしい。
エーリッヒは王位に就くなり、そうした者たちを一斉に排除したそうで、こやつの現状は自業自得というか、それでも爵位があって領主なんてやってんだから、むしろ領民こそが被害者なんだけども。
んなこた、顔には出さぬさ。ソフィは精一杯、なけなしの淑女力でもって、可憐に見えるようにエレノアを見上げた。
「お兄さま、どうか伯爵さまのお話を聞いて差し上げてください。このまま犯人にされてしまっては、伯爵さまは今度こそ全てを奪われるどころか、処刑されてしまうかもしれないわ!」
「なっ……!!!」
びょいん、と身体を起こすナイルズの腹筋に、ソフィはちょっとびっくりした。夏によく見かける、死んだと思った虫が死んでいなかった動きみたいで、ぞわっとしたがソフィの手は自然にハンカチを握ったから多分、結果オーライ。
「ああ、もの知らずな可愛い妹よ。街に騎士を配置したのは陛下だ。それに背いたただけで重罪なんだよ」
「そんな!」
がたがた震えだす芋虫伯爵に、あったりまえやろがーい、と突っ込む声はない。後ろにいる誰かをよほど信用しているのだろうなあ、と思うといっそ哀れであったが、だからって同情するつもりのないソフィは、「ひどいわ」とエレノアの芝居にさらに乗っかる。
いやしかし、もの知らずな妹、ってのは良いね。ソフィがまったくの無知であると後押ししてくれる言葉に、ソフィは目を伏せた。
「伯爵さまは悪くないわ。きっと、誰か悪い人が騎士さまをさらってしまったのよ」
「だとしても、伯爵は責任を取らなくてはいけないんだ。それに、陛下に速やかに報告しなかったことも、あの馬車も、怪しいところだらけじゃないか。これだけの罪を犯すなど、それこそ不遜だ。陛下がお許しになっても、私は許さない。いっそここで……!」
「ひいいいっ」
ぎらり、と大きな真っ黒の刃をナイルズに突き付けるエレノアに、ソフィは「やめて!」と声を上げた。ポイントは、腹からではなく喉から声を出すことだ。良い感じに引きつった声が出た。やったね!
「伯爵さま、兄は本気です! どうか本当の事を仰って!」
「ほ、ほほほ本当の、ことっ」
さあ考えて、とソフィはトドメを指す準備をする。
ソフィがぴゅあっぴゅあで、でも王に調査を命じられるくらいには力を持っていて、そして領主の味方だとしたら?
「この街で何が起こっているのですか!」
「し、しらん」
「伯爵さま、貴方さまが民を守るように、今貴方さまを守ってくださる人はいるのですか?」
「あ、あ、あ」
さあ考えて! 今、ここまで追い詰められた貴方を、その人は本当に裏切らないと言える? どちらにつくべきか、わかるでしょう?
ソフィは、ことさら丁寧に微笑んだ。
「これまで国に尽くしてこられた貴方に、きっと陛下は相応の準備をしてくださいますわ」
まあそれが必ずしも良いモンだとは言わんがね。ソフィは、嘘はついていない。相応の処罰を与える準備はしているのだから。
さあ、あと一押し。
「貴方は、悪くないわ」
「そう、そうだ、私は、私は、」
私は、と正真正銘、焦って引きつった声は果たして、その名を口にした。
「ピューリッツ殿下に指示されただけなんだ!!!!!」
ざん、と大剣が振り下ろされる。
「ひいいいいいいいいいい」
────ざす、と大きな音を立てて剣は地面に突き立てられた。たまたま、丁度、ナイルズの顔の横に。
それを見て、ソフィは「あら」と瞬きした。
「気を失われましたね」
「なんだ、肝が小さいな」
フン、と鼻を鳴らしたエレノアは、突き立てた剣をしまった。光の粒になって剣が消えると、「しかし」と口の端を上げる。
「大層な役者だな、君は」
「お兄様こそ」
はは、と楽しそうに笑ったエレノアは、ソフィの前に手を差し出した。くたびれたソフィは、有り難くその手を握る。
が、エレノアは動かない。ソフィが首を傾げると、
エレノアは「すまなかった」と眉を下げた。
「何がでしょう?」
「酷いことを言った」
はて? 酷い事、とはなんだろう。
ソフィには、エレノアに罵られた記憶は無いし、仮に「酷い事」を言われたって、自分から仕掛けた芝居だ。
そもエレノアが心優しい素敵な女騎士であることなんて、当たり前すぎる当たり前なんだから、疵付くわけがない。
「覚えがありません。むしろ、フォローしてくださって有難うございました」
「ソフィ……」
うまくいって良かった、とほっとしたソフィが微笑むと、エレノアはゆっくりと目を細める。
さら、と偽りの金糸が揺れた。
「こちらの台詞だよ。有難う、ソフィ」
ひょいと身体を引っ張られ立ち上がったソフィは、エレノアの眩い瞳を見上げた。
春風のような温かい微笑みに、なんでだろ。きゅうう、とソフィの心が音を立てる。
ドレスで髪を結い上げたソフィーリアの声が聞こえるような。
そんな在り得ない幻想に、うっかり泣きそうになっちまうソフィだったが、「おい」と低い声に呼ばれそれは防がれた。
ナイスタイミングで声を掛けたのは、ぽん、と大きくなった白い熊さん、アズウェロだ。
魔法を使うソフィのサポートの為、白い子猫の姿でソフィの腕の中にいたアズウェロは、芝居が始まったのを見てそっと地面に降りていた。
「アズウェロも、有難うございました」
「それは良いが、そこの男共、魔法がかけられているぞ」
空気が読める神様の突然の言葉に、驚いたソフィとエレノアは地面で伸びている男たちを振り返った。揃いの服を着た、憲兵団と思しき男たちに、アズウェロは近づいていく。
それを追うと、じっと男を見下ろしたアズウェロは、嫌そうな声で言った。
「催眠魔法だな」
パソコンが壊れて、てんやわでした\(^o^)/
先週も投稿できなかったので、後でまたもう1本投稿します。よろしくお願いします!





