32.天使のような悪魔の笑顔
「いいかい、街道を行くんだよ」
鈍感だが気の良い店主に見送られ外に出ると、ふう、とリヴィオは息を吐き、エーリッヒの足元に膝をついた。
「リック様、領主ってのちょっとシメ上げてきてもいいですか」
「だっ駄目っ駄目よリヴィオ!」
「よしやれ紫の」
「アズウェロ!」
どうやら人目のある場所では猫の姿を選んでいるらしいアズウェロが、ソフィの腕の中で尻尾を揺らした。煽るな神様!
「え~? だって」
「っ」
かっ……!
ソフィは、首を傾げて見上げてくるリヴィオから後ずさりをした。
可愛い。可愛さ爆発だ。下がった眉に、きゅるんと子犬みたいに艶々なブルーベリー色の瞳。ちょっと突き出たぷるぷるの唇。100点満点ブチ抜いてお空へ跳ね上がるくらいに可愛い。
ソフィが上目遣いに弱いと知ってやっているんじゃなかろうか。最近、頻発するこの上目遣いにソフィの疑いの心が「こんにちわ」と顔を出すのに、可愛いのだ。文句が口から出ない程に。うぬぬぬ。
「領主、怪しすぎません? 縛ってアレしてソレしてあーやれば吐きますって」
「レディの前で何をどうするつもりなのか聞かないけれどね」
はあ、と溜息をついたエーリッヒは、リヴィオに立ち上がるように促す。道の往来でやるこっちゃないわな。
歩き出したエーリッヒは、すいと路地裏に入るので、それを追うと、エーリッヒはくたりと笑った。
「証拠もないのに、そんなことはできないよ」
「そんなの待ってたら逃げられますよ。先手必勝って言うじゃないですか。捕まえるための罪状なんて、テキトーに後乗せすりゃいいんですよ」
「君は……顔のわりに随分乱暴な……それもこういうことに慣れているように話すんだね」
「否定はしません。だから、腹が立っています」
「……不甲斐ない王だね」
は? と低く響くリヴィオの声は、いろんな感情を混ぜた濁りのようだった。
「どれほど偉大な王だろうと、全てを見通し管理できると思うのは、傲慢ですよ」
切り裂くような声は、先ほどまでが嘘のように。ソフィの知るリヴィオからは想像もできない程に、冷たい。
「……僕は、本当に国を想う人の、どれだけ辛くても投げ出さない苦しみを、知っています」
ソフィは、リヴィオの背中を見詰めた。
かつて国中の期待と家門を背負っていた、その背中を。
「泣きたくても泣かずに、吐き出したくても歯を食いしばって耐える、そういう人がたしかに国を支えている事を、僕は知っています。貴方も、そういう人の一人なんでしょう?」
だから腹が立つんですよ、とリヴィオは膝をついた。
それは、忠誠を誓う騎士にも見えるし、子供を諭す大人にも見えるし、ただ視線を並べる旧友のようにも見えた。
「権力なんて興味なさそうな貴方が、命を狙われてもその椅子から降りないのは、貴方が覚悟を持って戦っているからだ。不甲斐ない? どこがですか。貴方は、勇敢だ」
「っ」
「勇敢な人を助けず、民を救わず、何が騎士だ。不甲斐ないと言うなら、そのヘタレ騎士共ですよ」
ふん、と鼻を鳴らしたリヴィオは立ち上がると、忌々しそうに髪をかき上げた。
不機嫌丸出しの顔も、うん。とっても格好良い。
ソフィの騎士は、世界で一番格好良い。
「王国の騎士をどうこうできて、それを隠蔽できるなら、裏で糸を引く大物がいるということだ。その、大きすぎる権力にどうにもならなかった、というフォローをしても良いか?」
苦笑するエレノアに、リヴィオは眉を跳ね上げた。
「ご冗談を。アレン様の慈悲深さは尊いと思いますが、実害が出ている以上言い訳は許されませんよ。いなくなった子どもたちが、どんな思いをしているのか。それを思えば、騎士は死んでも情報を王都に届けるべきだった。貴女ならそうなさるでしょう」
「……まあ、な」
ソフィーリアの知っているリヴィオニス・ウォーリアンという騎士は、寡黙で美しい騎士だった。
ソフィーリアの視界の端っこで、静かに護衛任務に就いていて、言葉を交わした事など一度もない。
お茶会やパーティーで聞こえてくる噂や報告書の中でしか、動いているリヴィオニスを見ることはなく、どれほど強かろうと美しかろうと、リヴィオニスは他の騎士と同じように、ただ静かに立っていた。
ところが、初めてソフィーリアの名前を呼んでからというもの、リヴィオニスは大変に可愛らしかった。リヴィオと呼ぶようになってからは、もっとさらに超可愛かった。
天使の翼とか花冠とかもうレースすら似合っちゃうんじゃないかしらんって可愛さだ。いや、ほんと可愛すぎてソフィは体中の血液が上がったり下がったり大忙しだし、浮かれ脳みそ君も殉職の危機だし、可愛さ対決なんて開催した日にゃあ、世界中の可愛いものを集めても徒労に終わるだろう事が簡単に想像できる程の可愛らしさというのは、もう暴力であり正義でもあるという不条理かつ理不尽な状態を容易につくりあげるのだ。
つまりはわけがわからんほどリヴィオは可愛いから、ソフィの思考はこのように簡単に破裂するわけで。
だから、ソフィはリヴィオニス・ウォーリアンという騎士を本当の意味では知らない。
彼がどんな想いで騎士として在り続けたのか、ソフィは知らないのだ。
それが、ソフィは、無性に悔しいと思った。
「……君が騎士なら、きっと良い国になるだろうな」
「さあー? それはどうですかね。結局、国を動かすのは王族様ですからね」
あ、にこって。にこってその黒い笑みカッコいいやつ。ソフィはきゅんと胸を押さえ、レイリは「それで」と首を傾げた。
無口なレイリは存在感を消すのが上手いので、ソフィはちょっとだけびっくりする。
「出発はなさらないのですか? 俺としてはアレン様のお身体の他に気になるものは何一つないのですが」
「おまえ……人の心を何処に捨ててきた。一緒に拾ってきてやるから言いなさい」
「うるせーですよ」
なかなかに無礼で恐ろしいレイリに、エーリッヒは肩をすくめて笑った。
「レイリの言う通りだよ。物見遊山じゃないんだ。先を急ごう」
「嫌だ」
そのエーリッヒの笑顔を、すっぱりさっぱりと切り捨てたのは勿論、エレノアだ。
涼しい目元を細め、鋭利な刃物のような瞳をしたエレノアは「私は行かないよ」と腕を組んだ。
そう。エレノアは、騎士をフォローしても、この事態を許すとは言っていないのだ。
「アレン、子供が心配なのは俺も一緒だ。すぐに動くように国に手紙を書くから」
「それで? 手紙が届いて、騎士が来るまでどれだけかかるんだ。その間に動きを悟られたら? 子どもも犯人も黒幕も全部残らない、なんて結末になり得る事を、君ならわかるだろう。そして、そうなった時に一番悔やむのは君じゃないか」
追いつめるようなエレノアの物言いに、エーリッヒは苛立ちを誤魔化すように髪をかき上げた。群青色の睫毛が、エレノアの視線を避けるように伏せられる。
「……わかった。じゃあ、俺はここに残るから君は」
「馬鹿か君は! 自分がどれほど重要な存在なのか、わかっているのか! そんな事できるわけがないだろう! 君の代わりはいないんだぞ!」
「ばっ、っ君こそ、もっと自分の身体を大事にしたらどうなんだ!」
「しているさ! 私がいくつの戦場を生き抜いてきたと思っている! 自分の身体の事くらいわかっている! ソフィ! 封印が解けるような様子はないな?!」
「え、え?」
「ないな。主の魔法はきちんと働いている。そう慌てずとも良い」
突然始まった言い合いの中、ぎゅるん! とこちらを見られ戸惑うソフィに代わりアズウェロが返事をすると、エレノアは再びエーリッヒを睨みつけた。迫力がすんごい。どうしたら良いのかわからないソフィは、狼狽えるばかりである。
ソフィは、会議の最中に意見が分かれた大臣たちが言い合いを始めるシーンには何度も遭遇した経験があるが、親しい人が怒鳴り合う姿は見た事がないのだ。ていうか親しい人とか、今までいなかったしね。はは。ここ笑うとこだぞ。
会議であれば、王が「ねぇいつまでやるの」と氷のような声で言えば終わったが、当然ここにあの王はいない。違う王様ならいるけれど、その王様が当事者だからな。誰が止めるんだこれ。
ソフィがハラハラしながら見守る喧嘩は、だがしかし。意外な人物によって急ブレーキがかけられた。
「聞いたか! 私よりも今! 君には優先しなくてならない事があるだろう!」
「っ、だから、俺は残るから」
「あの、ソフィはアレン様と行きますよね? じゃあ僕もソフィと行きますよ?」
なんか僕も残る前提で話してません? と、空気を読む気なんざさらさらねーわって声で、空気は吸うものでしょ? ってピュアな顔でリヴィオが首を傾げるもんだから。
「え?」
「え?」
「おい」
エーリッヒとエレノアは固まり、あのアズウェロさえ突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってリヴィオあの格好良い戦いは?! 託されたじゃない!」
「いや、それはそれですよね。僕の身体は一つですし、僕が一番大事なのはソフィなので」
「な」
いやそんな胸キュン台詞でソフィのハートをぶすりと刺しとる場合か。しっかりがっつり串刺しになった己の心臓を押さえるソフィを気にもせず、リヴィオはエーリッヒに向き直ると、にっこりと笑った。
「だからリック様。僕に、誓いとソフィを天秤に掛けさせないでいただけますよね?」
それは反論を許さない、地獄に急転直下な天使のフリした悪魔の如き笑みだった。
はあん、そういう顔も格好良いけどね!
罪もないのに苦しんでいるその心……。





