21.あなたが魔女で私も魔女?
「それで? あなたの名前は?」
賑やかな会話から振り返ったレイジニアンが、再びソフィと目を合わせる。アーモンド型の瞳に、ソフィは首を傾げた。
名前?
「ソフィ、ですが」
「そっちじゃなくて」
ちゃうちゃう、と聞きなれない言葉で手を振るレイジニアンに、ソフィはむむむと眉を寄せた。なんか違うらしい。ならば、家名を言っているのだろうか。
たしかに、家名のない人間が一国の王女の部屋にいるというのは、おかしな話である。
どこの世界に平民を自室に招く王女がいるのだ! って、まあ、ここにいるわけだけども。んなこた言えんわけで。
どうしたもんかとソフィが眉を下げると、レイジニアンは「通り名よ」と首を傾げた。
「通り名で挨拶するのが魔女の習わしじゃない」
「え」
「ええ!」
私が魔女??
何でもないように放り投げられた言葉を咀嚼する前に、隣から素っ頓狂な声が上がったので、ソフィは驚いて見上げる。
リヴィオが瞳を、これでもかと大きく見開いていた。ただでさえ大きな目なのに、そんなに見開いたら落ちてくるんじゃなかろうか。ころん。と落ちてくる両の瞳はそりゃあもう美しかろうが、どえらいホラーだ。やったね最高級のブルーベリー大収穫☆ なんて喜べるわけがない。神々の作りし至宝に傷を入れるわけにはいかぬので、思わず両手を差し出しそうになったソフィの肩を、リヴィオはがしりと掴んだ。
「ソフィ! 魔女だったんですか!」
「え? え、うーん、多分、違うと思うんですけど」
「曖昧!」
「というかリヴィオは何をそんなに驚いているの……?」
「だってソフィのことですよ?!」
「そ、そうね……?」
いやいやそんなに大騒ぎするような事だろうか、と思ってでもしかし。ソフィは思い直す。
そんな些細な事で大騒ぎしちゃうリヴィオは、可愛い。すごく。とても。
自分がドラゴンの血を引いているとわかったときより驚くというのは、ソフィからすれば全くもって意味がわからん思考回路であるが、そういうとこすら可愛い。勘弁してくれ。ぐう。
おまけにソフィちゃん、ちょっと前に勢いに任せて少々大胆な事をしちゃったもんで。リヴィオの安定の美貌のドアップと、不意打ちの可愛さにぐあっと顔が熱くなる。だ、だめだ! 血液をぼおっと沸騰させる命令を出しやがる浮かれ脳みそ君を落ち着かせなければ、命に関わる!!
も、もうちょっと離れてもらえないかしら。
思わず口をついて出そうになった台詞を、だけどもソフィは唇を噛んで誤魔化した。
だって、今言ったら泣いちゃいそうなんだものなあ、リヴィオったら。ぐうう、可愛い。
ま、ソフィだって、いついかなる時だろうと、リヴィオにそんなん言われたら泣いちゃう自信しかないけどな。言葉の刃、駄目絶対。
く、と思わずソフィが目をつぶると、「えーと」とレイジニアンが笑った。
「重たい彼氏君はさておき……アディ、どうなってんの?」
名前を呼ばれたアドルファスは、かちゃりと眼鏡のブリッジを押し上げる。
「ソフィ嬢、貴女の魔法の使い方、魔力の動かし方は、母上ととても良く似ていました。てっきり魔女なのかと思ったのですが……」
魔導士でも魔女でもなんでも良いのでは、と思ったソフィの声がまるで聞こえたかのように、エーリッヒは不思議そうに口を開いた。
「魔導士と魔女は、そんなに違うものなの?」
さらりと金色の髪を揺らす小さな王様に、レイジニアンは「ええ」と頷いた。
「魔導士は理論を学び、魔女は魔導力の掴み方を学びます。魔導士はルールを重んじ、魔女は自然の理を愛する。なんというか……」
パチン、とレイジニアンが指を弾くと、小さな青い炎が、ゆらりと揺れた。
真面目な空気に、リヴィオがソフィの肩から手を離す。ソフィは小さく息を吐いた。ほっ。
「火を起こすという目的地が一緒でも、そこに至る手段が違う、とでも言えばいいのでしょうか。歩いて行くのか、馬車で行くのか。歩いて行くなら、どんなルートなのか。馬車だとしたなら、どんな馬にするのか。その手段と方法が無限だと知っているのが魔女で、効率の良い方法を探求するのが魔導士、といったところでしょうか」
「わかるような、わからないような」
エーリッヒが腕を組むと、レイジニアンは笑った。朗らかな笑みは、無邪気に楽しそうに言う。
「まあ簡単に言えば、魔女に魔法を教われば魔女ですわ」
「つまりアドルファス、君は魔女か?」
くり、とエーリッヒが見上げると、アドルファスは肩をすくめた。
「残念ながら」
本当に残念そうなアドルファスの表情は、ちょっとだけ可愛い。大人の男性に可愛い、なんてのは変な話だなとソフィも思うわけだけども。当たり前だが、決して下心があるわけではないので、良いではないか。視界の端に映る、こっくりこっくりと頭を振っているアズウェロに可愛いな、と思うのとおんなじようなもんだ。
だから隣からなんか不穏な空気を混ぜた瞳でこっちを見てくるのはやめてほしいな、とソフィはリヴィオに視線を合わせないことにする。絶対なんか気づかれとるのが怖い。
「アディは学園で魔法を学んでいますから。私が魔法を教えた事なんて、ほとんどないよね?」
「技を盗むくらいはさせてもらってますけどね」
「あら」
ぱちぱちと瞬きするレイジニアンに、アドルファスはニヤリと口の端を上げた。楽しそうなのに、何か良からぬことを企んでそうに見える笑みである。悪人顔って損だな。
「周囲から浮かないようにと気を遣ってくださった母上には悪いんですが、俺の魔法は、魔導士としては結構邪道ですよ」
「え、気付かなかった!」
「まあ、母上のやり方とも違いますしね」
「アドルファスはよく、家庭教師と違う話をしてくれるから楽しかったな」
「それは良かったです」
「ええ……なんか複雑だけど…………まあいいや」
はあ、とため息をついたレイジニアンは、「それで?」と三度ソフィを見た。
「あなた、どうやって魔法を学んだの」
「え、っと」
言い淀むソフィに、レイジニアンは「あ」とソフィの手を握った。ほっそりとした指先にソフィが思わずどきりとすると、柔らかく細められた瞳がソフィを映している。
「言っておくけど、責めているわけじゃないよ? 魔女にとって魔女であることは誇りだし、魔女を嫌う魔導士もいるけど、魔女以外から見れば、魔女だろうと魔導士だろうと大した問題じゃないもんねえ」
どちらでもいい、と思った己を見透かされているようでどきりとするソフィであったが、レイジニアンは気付いた様子もなく、にこりと笑った。
「魔導士にとって魔法が学問なら、魔女にとって魔法は生きる事そのものよ。私たち魔女は、自然と会話できることを誇りに思っているの」
「会話、ですか?」
「ええ。この世界を構成する魔導力の一つ一つを感じて、呼びかけて、そして応えてくれるのを待つのだから、会話でしょ?」
「なるほど、魔導士とは違うようだ」
うむ、と頷いた声に、レイジニアンがソフィから手を離した。
レイジニアンの向こうを見ると、エーリッヒが輝くようなアクアマリンで、にこにこと微笑んでいる。
「魔導士は、自分の魔力を操作し、自然界の魔力と反応させることで魔法を発動する、と習うが、魔女は自然界の魔力を構成するもの自体に働きかけるわけだな」
「そうですね。イメージする事や魔道力を視ることを重視する考えは、魔導士にはあまりない気がします」
ソフィは、ちら、とついにソファで寝息を立て始めたアズウェロを見やった。
眠るエレノアの前に立った時、神様の低い声は、「視ろ」とソフィを導いた。それはレイジニアンの言う魔女のやり方ととても似ている。似ている、つーか、まんまだ。
つまりはそれだけ、魔女は自然に近い存在、ということなんだろうか。
それはなんか壮大な話の気配がする。
このままそっとしておいた方が良いやつだ。魔法の知識なんざ碌にないソフィが手を出すには、あまりに無謀というものなので、ソフィはそっと思考に蓋をした。
「ソフィ」
そこでタイミング良く名前を呼ばれ、ソフィは顔を上げる。
視線が合うと、リヴィオはちょっとだけ眉を寄せた。
「つまりソフィは、僕の知らない魔女の知り合いがいるということなんでしょうか」
「君ほんと重たいな」
「うっ」
「重たい?」
ソフィが首を傾げると、ふ、と静かな声が笑う。じっと話を聞いていたエレノアが、くすくすと笑っているのだ。波打つブルネットのように柔らかい声は、ソフィと目が合うと「失礼」と笑いが滲む声で言った。
「すまない、良いコンビだなと思ったらつい」
ふ、と目尻を下げたエレノアの瞳と言葉は何かを含んでいて、けれどソフィがそれに考えを巡らせる前に、エレノアはソフィに問いかけた。
「それで、ソフィは誰に魔法を学んだんだ?」
「大した話ではないのですが……」





