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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
番外編:王太子殿下が浮気現場を見られちゃったので終わりの鐘が鳴りました
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さようなら

「やられた…!!」


 だん!とローテーブルに両肘をついて頭を抱える小さな手を、ヴィヴィアナは「かわいいな」と眺めた。小さい身体でいっぱしの大人ぶっている感じが、生意気でとても良い。

 自身が腹を痛めて産んだ我が子は、落ち葉のような小さな手で金色の髪をぐしゃぐしゃにした。いや落ち葉ってのはちと言いすぎか。子供ってのはいつまでも小さく見えるから不思議なもんである。実際のところは、まあ朝食の丸パンくらいの大きさはあるか、とヴィヴィアナは息子、レーベリオンを眺めながら紅茶をすすった。美味い。


「禿げるぞ、リオン」

「私が禿げるとしたら陛下のせいですよ一生呪ってやる」


 き、とわずか11歳の息子に睨まれた父親、リオネイル・フォンス・アルベイユ・ロゼイスト国王陛下は、身を縮めた。ぎゅ、と文字通り両手を握り身体を小さく丸めるのがこう、いい感じにイラッとさせてきやがる。ヴィヴィアナは鼻で笑った。はん、可愛いつもりか貴様。


「ちょっとヴィーヴィー、あなた笑ったでしょう」

「君、いくつだい。自分が可愛いと思うんじゃないよおっさんが」

「おっさんじゃないもんまだ48歳だもん!」

「おっさんなんだよ」

「私からしたらどっちもおっさんとおばさんなんで黙ってもらっていいですか脱線しないでもらえますか」


 バン!とテーブルを殴りつける小さなおててに、リオネイルは「ひゃあ」と大げさに驚いた。そういうところがムカつくんだよな、とヴィヴィアナは短い髪を耳にかけ、レーベリオンは眉間の皺を濃くした。あらまあ、11歳にしてなんて立派な渓谷でしょう。拍手。パチパチ。


 反面教師とはよく言ったもんで、いつもヘラヘラとしている父と粗雑な母。「王家の異端者」と囁かれる夫婦に反して、レーベリオンは真面目だ。あと短気。

 いやお前らがそういう感じだからだろ、と言う声なきツッコミは聞こえた上で、国王夫妻は我が道でのんびり花見をしたり新しい道を開拓したりしている。「ふざけんな!さっさと来いよ!」と呼びに来る息子の顔をヴィヴィアナが楽しみにしていることは、まあ、多分バレている。だがそこが良い。ヴィヴィアナは、息子が困る顔がこの世で一番好きだ。


「まあ、そう怒るな」

「怒ってませんよ腹が立っているだけですよ」


 そらどう違うんだ。思ったがヴィヴィアナは口を引き結んだ。カッ!と目を見開いたレーベリオンの気迫ったら。ヨシヨシと髪やら頬やら撫でくりまわして威嚇されたい。ヴィヴィアナはにんまり笑う。

 レーベリオンは「笑っている場合ですか」と忌々しそうに言った。だって可愛いものは可愛いだろうて。その生意気なお顔をもっと歪めてやりたくなるヴィヴィアナは自分の性格がよろしくない事も、息子が聡明であることも知っている。


「兄上が馬鹿なのはいつも通りとして、このように事が大きくなったのは絶対にソフィーリア嬢の思惑でしょう。国から逃げているのがその証拠ですよ」

「逃げた、などと。生死不明のご令嬢にそのようなことを言うものではないよ」

「あのウォーリアン家の長兄を負かせる盗賊が本当にいるならスカウトしたいもんですね」


 はん、と吐き捨てるレーベリオンに、ヴィヴィアナは思った。

 まあな。

 ウォーリアン家は、代々戦闘力が馬鹿だろってな男が生まれ、家督を継ぐには親と戦うというおっそろしい騎士の名家である。今代、「最強の鉾」の名を家督と一緒に受け継ぐ予定だった長兄が、王太子の婚約者の送迎中に盗賊に襲われて、馬車は炎上したらしい。あのウォーリアン家の騎士が?負けた?盗賊だか山賊だかに??んな馬鹿な。

 ドラゴンでも連れとったんかっつーな。どんな盗賊だ。

 王太子殿下のやんちゃっぷりを知るものは頭を抱え、知らぬものは恐怖に怯えている。


「だから兄上を、さっさとどうにかすべきだったんですよ」

「どうにかって、捨ててくるわけにはいかないでしょう」


 ぶふ、と笑うリオネイルにレーベリオンは「捨ててくればよかったんですよ」と吐き捨てた。容赦がないうえにガラが悪い。誰に似たのかしらん。


「私は何度も何度も、陛下に申し上げましたよね。兄上とソフィーリア嬢は絶対にうまくいかない。ソフィーリア嬢は兄上に勿体ないから、婚約を解消すべきだと」

「いやー、そうは言うけれどね。婚約解消なんて、ソフィーリア嬢の名前に傷が付くだろ?それにパパ、ソフィーリア嬢もロータス家も手放したくないんだよねぇ」

「はっ、それでソフィーリア嬢に逃げられてんだから世話ねーですよ。名前どころか、彼女自身に傷付けまくっといてよくもまあ、いけしゃあしゃあと。陛下は恥を知らないんですか」

「ねえヴィーヴィーあなたの息子、言葉の火力が凄いんだけど」

「君の息子だからじゃないか?」


 え、どういう意味?と首を傾げる男にヴィヴィアナが「そういうところだろ」と返さないのは優しさではなく面倒だからだ。自覚がない奴に何を言っても無駄である。無駄は嫌いだ。体力も使いたくないし。ヴィヴィアナは、そっと自分の腹を撫でた。ふう。

 最近は息をするのもしんどいのでエネルギーは節約せんと。


「あれ、またお腹大きくなったんじゃない?」

「まあな」

「その中で()()()()()って、なんか不思議だよねえ」


 はは、と笑う顔は子供のように無邪気なのだから、本当に気持ちの悪い男だなあ、とヴィヴィアナは己の夫である君主を前に憮然と思った。つくってるって何だ。粘土じゃねーんだよ。

 水槽の中で泳ぐ魚を見るような目で「不思議だよねえ」などと。いい大人が言うんだから、ほら薄気味悪いだろう。純粋な嫌悪感はある種の防衛本能かもしれん。頭オカシー生き物からは逃げとけ。ま、ヴィヴィアナは逃げられんけどもな。笑うとこだ。


「父上、話を逸らさないでください」

「逸らしてない逸らしてない。うーん、じゃあさあレーベリオン君は、どうすべきだと思ったんだい。レアオフェル君を王にするには、ソフィーリア嬢は必要な存在だったんだよ。その婚約を解消したとして、レーベリオン君が私の跡を継いでくれるのかい」

「はあ?なんで私が。私は王太子ではありません。私が生まれる前に、側室の子を王太子にしたのはアンタだろう」

「だってリオン君に逢えると思わなかったものなあ」

「愛称で呼ばないでください。寒気がする」

「ひどい」


 けたけたと笑いながらソファにだらける男の子供を、ヴィヴィアナは長い事産むことができなかった。

 いや、産みたくなかったって意味じゃなくってね。

 そりゃあ誰が好き好んでこの男の、と思わなくも無いがヴィヴィアナは王族に仲間入りをして、当時王太子であったリオネイルの妻だったので。そこにヴィヴィアナの感情は不要である。

 そうでなくて、15で王家に嫁ぎ、それから5年間。ヴィヴィアナには妊娠の兆候すら無かったのだ。それなりにやることはやっとんのに、だ。あら、お下品?失礼。だがオホホ、と扇で煽いだとて、身体に張り付くような視線と言葉が不愉快で仕方がなかった。まだ若いんだから今後に期待しましょう、とか気持ち悪い。本気で城を燃やしてやろうかと思ったほどだ。


 そこで。

 お世継ぎを産めぬ妃という、あまりに煩わしい立場に辟易したヴィヴィアナは、ちょうど20歳の時に、側室を迎えることをリオネイルに進言した。


 開口一番、リオネイルの言葉は「え、やだよめんどくさい」だったので、ヴィヴィアナは「うるっせぇこっちは現在進行形でメンドクセー思いしてんだよ」とぶん殴って、さっさか準備を進めた。目にも留まらぬ早さ、ってのは勿論言いすぎだが、とにかく周囲の無責任な目をうっかり物理的に潰してしまう前に、とヴィヴィアナは高速で手配した。神の如く慈悲深かろう?

 そもそも。ヴィヴィアナとリオネイルの間に、愛なんて高尚な感情は無い。互いにそういうもんだから、と婚約し、結婚し、王と王妃と呼ばれている。周囲はもとより、ヴィヴィアナ自身もお世継ぎさえご誕生あそばされりゃあ、それで良かったわけだ。


 そんなわけで、ヴィヴィアナは側室が早々に男子を産んでくれたとき、飛び跳ねて喜んだ。心の底から喜んだ。有難う、神様。有難う、ご側室様。

 ついでに、「側室の子に王位を継がせるのは」とかなんとかよくわからんことを言う連中は、あの手この手をもってして夫婦で黙らせ、まだろくに言葉を話せんレアオフェルを王太子に据えた。あんなにオトナシクて淑やかだったはずなのに、王子を産んだことで急に勢い付いた側室と揉めるのはめんどくさい、というのがリオネイルとヴィヴィアナの共通認識だったのだ。


 それにしても御早い懐妊であった。

 こりゃやっぱり自分が原因かな、とヴィヴィアナは身軽な己の腹を撫でていたもんで、11年前。レアオフェルが生まれてからなんと7年後に、リオネイルの子を授かった時は腰を抜かしそうになったし、おんぎゃあと対面した子が男だったので頭を抱えた。

 空気読んでくれよ。

 思わず口から出た。我が子にではない。「不仲だって思われるのも不味いよなあ」と、ふらりと閨に訪れる夫にだ。いや、ヴィヴィアナとて「そうだな」と頷いて夜着をすぽーんと脱いできたんだから、リオネイルばかり責めるは違うだろうよ、と思うんだがな。出産後は気が立つもんらしいからまあほら、一発殴られろよ、と拳を握ったがリオネイルは笑いながら逃げた。そういう男だ。


 予想通り、正室の子が誕生した!と騒ぐ連中はわんさか居たが、ヴィヴィアナが相手にすることは無かった。なぜって。めんどくさいからだ。ヴィヴィアナは国が健やかであればそれでいい。欲が無いのではない。めんどくさいのだ。めんどくさい。

 ただ、ヴィヴィアナと違って大抵の人間は勤勉である。

 己の立場と権力を育てることに余念が無いってんだから、はー凄い。感服する。嫌味ではない。仕事以外に脳も労力も使いたくない怠惰なヴィヴィアナは、レアオフェルが王太子である事の正当性を叫ぶ側室を、ひたすらに尊敬しているのだ。あれが親の愛というものなんだろうかと、いっそ引くほどに賢く育ったレーベリオンに、ヴィヴィアナはある日聞いてみた。


「リオン、王になりたいか?」

「はあ?嫌ですよ面倒くさい」


 びっくりするくらいヴィヴィアナとリオネイルの子だった。


「でも君、陛下や大臣と政務の話をするじゃないか」

「国を整えるのは楽しいです。だから私は誰かが責任を取ってくれる安息地で好き勝手やっていたいんですよ。トップの責任なんて面倒くさいもの、絶対にいらないんで母上はそのままご側室と兄上を良き傀儡にお育てください」


 びっくりするくらいヴィヴィアナとリオネイルの子だった。

 性格悪ッ。

 ああだがしかし。世界とはままならん。その当時、片手にも満たん程しか生きていない餓鬼に、すでに侮られまくっていた王太子殿下の馬鹿っぷりは、そんなモンじゃあ済まなかったわけだ。傀儡ってのは大人しくしてくれているからこそなのに、ヒモぶっちぎって大はしゃぎした挙句舞台から飛び降りちまったら、ねぇ。どうにもならん。



「レーベリオン君が王様になってくれるなら、話が早いんだけど」


 ちら、と寝そべったソファから視線を寄越すリオネイルに、レーベリオンは「絶対に嫌です」と笑った。良い笑顔だ。


「ご心配なさらなくとも、もうじき弟が生まれるので。私が立派な王太子に育ててみせますよ」

「えー、それまだまだ先の話だろう」

「長生きしてくださいね、パパ」

「うわー、可愛くねぇ」

「あ、蹴った」


 勝手な事ばかりを言う男共の声が聞こえたのか。ぼこん、とそれなりの力で中から腹を蹴られ、ヴィヴィアナは笑った。


「君たちの思い通りにはならんらしいぞ。そもそも、リオネイルの子では無いから王位継承権は無いし、男か女かもわからないんだぞ」

「あの馬鹿兄上が王太子でいられたんだから、誰でもなれますよ」

「ひどい言い草」


 けらけらと笑う王は、数年前。ヴィヴィアナが愛人を持つことを咎めなかった。

 多分、興味が無い。

 陰でこそこそ、というのも好かぬし、妙な噂を立てられるのも困るので。うっかり恋を知ってしまったヴィヴィアナが、彼の人の手を取る前に正面切って「愛人をつくってもいいか」と尋ねると、リオネイルは「へー、良いよ」とどうでも良さそうに言った。どころか「ところで今日は部屋に行っても良いかい?」とか聞きやがるのでヴィヴィアナはしっかりぶん殴った。

 結婚生活も20年を迎えようか、というタイミングだった。そんでレアオフェルが王太子と呼ばれて久しく、リオネイルとヴィヴィアナの間には賢い子供も生まれた。今更、王と王妃の仲をどうこう言う輩はおらんだろうに、安定のデリカシーの無さにヴィヴィアナはいっそ笑ってしまった。側室の機嫌でもとっとけ。

 両親がビジネスライクな関係であることなど、とうに知っていた賢いレーベリオンはと言えば、「見る目がある」とむしろ喜んだほどで。ヴィヴィアナは堂々と愛人といちゃつけた。はたから見りゃあ、おかしな家族だろうけれど、ヴィヴィアナにとっちゃ大切な家族なので、そんな様子を見て側室がほっとしているらしいことも、ヴィヴィアナにとって大変に喜ばしいことであった。やー、側室の迫力ったら凄かったからね。

 彼女のその熱意ったら、年々パワーアップしていくのだから、いやはや本当に。凄い。

 こう言っちゃなんだが、無能で済まん男を、王にしようというのだ。それも、優秀な第二王子と優秀な婚約者の名声に搔き消されぬように、だ。そりゃあもう、並々ならぬ努力をせねばならん。母が。

 いやだって息子本人は努力しないんで。汚い手でも泥臭い手でも使える手はなんでも、なんなら足も使う勢いでご側室様は頑張った。


 なのに。その息子がやらかしちまったのだから、なあ。目も当てられん。親の心子知らず、ってのはうまいこと言ったもんだな。さてはて、あちら側はどこまで事態を理解しているのか。生憎と、賢く性格の悪い息子に恵まれたヴィヴィアナの知るところではないが。

 ヴィヴィアナの対面に座るリオネイルは、はあと大仰に溜息をついた。


「それで?レーベリオン君は、私にどうしてほしいんだい?レアオフェル君にどんな罰を与えれば良いんだろうね?」

「っ、いい加減にしてください!国の宝を失ったというのに、いつまでふざけるつもりですか、このクソッたれ野郎がっ!」


 あっはっは。口悪。いやほんと誰に似たのかしらん。

 だん、と拳をテーブルに打ち付け、レーベリオンは立ち上がる。きっ!とソファに転がるリオネイルを睨みつけ、それからヴィヴィアナを見た。


「母上!」

「なんだ」

「私は失礼します!どうぞお身体をお大事にっヴェリオス殿にもよろしくお伝えくださいっ!!」


 ふんぬと怒りをぶつけながらも、母への思いやりと礼儀を忘れない我が子をいじめてやりたい気もしたが、ヴィヴィアナは「君もな」と小さな背中を見送ってやった。()()()ヘソを曲げられても母は寂しいのである。

 バタン!と荒々しい音を立てて扉が閉まると、リオネイルは「賢いなあ」と身体を起こした。


「怒ったフリで退室するとは、やるなあ。巻き込まれたくないって?」

「いや、クソッたれ野郎と言ったのは本気だと思うぞ」

「はは、可愛いなあ」

「嘘くさいわ」


 嘘くさいっていうか。

 まあ、嘘だろうな。

 リオネイルはどちらの息子にも愛情は無い。愛情、フーン。うんうん、あれな。辞書に載ってるやつ。くらいのもんだろう。

 実のところ、ヴィヴィアナはこの男が可愛げもへったくれもない、性格破綻者であることをようく知っている。ちいと頭のネジが足りていないというか、ハナから大事な部分のネジ穴が人より足りていないのだ。

 ああこの人は感情というものを理解できるが共感ができないのだな、とヴィヴィアナが気付いたのはわりとすぐで、それでもヴィヴィアナは王妃の席に座った。


「勿体ないなー。あの年で、自分の立場もわかっているし、自分を王にしようと企む連中も抑えているんだろう」

「ついでに、君を勝手だと非難しながらも、自分は好き勝手しようという傲慢さもある。君によく似ているよ」

「えー、私?あなたに似たんじゃないの」


 納得いきません、とばかりに言うリオネイルをヴィヴィアナは鼻で笑った。感じ悪ーい、と不貞腐れるおっさんにだきゃあ言われたくないヴィヴィアナである。


「しかしまた、なんでウォーリアン家の息子が出てくるんだ」

「彼はソフィーリア嬢の信奉者だったらしいからな。見るに堪えんかったんだろう」

「へー、よく知っているね。ヴェリオスからの情報かい?」

「さてな」


 ヴィヴィアナがカップを持ち上げると、リオネイルは「まあいいけど」と金糸をかきあげた。


「あー…しかしまあ、どっちも半分は私の血が入っているのに、なんでこうも違うんだろうなあ」

「…これは持論だがな」


 ん?とリオネイルはカップに口を付けた。中身と言動はあれだが、仕草には品がある。こんなんでも、王様だからな。


「人は血ではなく、環境がつくるものだろう。例えば子供が転んだ時に、親はどうするのか。何が正しいというわけではなく、そういう差異の積み重ねが、性格や素養の違いなんじゃないのか。まあ、生まれ持ったものがあることも否定はしないがな」


 例えば、リオネイルは生まれつき()()であったらしいから、才能や親から受け継ぐものについて否定する気はヴィヴィアナにも無い。あくまで持論なもんで、ご不快な方は聞き流していただきたい。リオネイルはとくに快不快はないらしく、「ふーん」と首を傾げた。


「じゃあレーベリオン君が転んだ時、あなたどうしてたんだい」

「立ち上がれるな?と声をかけて、立つまで待っていたな」

「こわ」

「ちなみにご側室は転んだ道を封鎖して、庭師はクビにしていた」

「母親って怖い生き物だなあ」


 はあ?

 失礼な。なんて失礼な男だろうか。こいつ、自分の所業を忘れくさっていやがる。

 ヴィヴィアナは、ぎろりと睨んでやった。


「よく言う。私は転んで涙ぐむリオンに向かって、なぜ転んだと思うのか、その推測は事実に基づいたものなのか、本当に原因かどうやって検証するのか、次に転ばないためにはどうすれば良いのか、それが解決策だと検証できるのか、どうすれば繰り返さないのか、と矢継ぎ早に質問した君を忘れていないぞ」


 お前が声を掛けているのは大臣でも政務官でも秘書でもなく3歳の子供だぞ。ヴィヴィアナは呆れ返ったが、親がおかしければ子もおかしかった。ふんぬと起き上がったレーベリオンは、まだうまく喋れない口を一生懸命に動かして、父王の質問に答えてみせたのだ。

 ヴィヴィアナはドン引いたし、侍女や騎士たちは青ざめた。この親にしてこの子あり。非凡であることは一目瞭然だったので、誰の耳にも入れぬようにと根回しが必要だった。ご側室様一派に聞かれようもんならお前…煮え滾る油に爆弾を放り込むようなものだ。

 ま。肝心の問うた本人が「何言っているのか全然わからないんだが」と返したように、言語として理解するには皆大人になりすぎていたんだけど。だって相手は幼児だもの。あやわや言われてもよーわからん。


「ええ?そんな事あった?何、レーベリオン君なんて答えたの」

「わからん」

「何それ。やっぱりあなたの勘違いなんじゃないの?」


 張り倒してやろうかな。

 ヴィヴィアナは、ばちーん!と年齢不詳感のある端正な顔を張り倒して、その首がぐるん!と飛んでいく様子を思い浮かべる。胴から切り離しゃあ、ちったあこれを愛せるやもしれん。妙案に思えるがしかし、仮にも王様なのでそれにはヴィヴィアナの命と息子の命、それから腹で育むもう一人の子供の命を懸けねばならん。そこまでの情熱は無いので、ヴィヴィアナは手近なクッションを投げつけるにとどめた。


「ぬはっ」


 クッションはまあまあな威力でリオネイルの顔面にぶつかった。ざまぁみろ。

 気分よくヴィヴィアナが鼻で笑ったところで、ふいにノックの音が部屋に響いた。

 その音に、リオネイルはクッションを抱き込み嫌な顔をする。


「うげ、来たんじゃないか、これ」

「入れ」


 ヴィヴィアナが直ぐ様入室を促すと、リオネイルは「うげえ勝手にさあ」とさらに呻いたが知らん。ヴィヴィアナは面倒事はさっさと済ませて、すっきりしてから心ゆくまでのんびりしたいタチだ。何事も、後回しにして良かったことなど無い。

 今回の騒動がいい例だ、とヴィヴィアナなんぞは思うわけだが。ヴィヴィアナに輪をかけて面倒事を嫌がるリオネイルは眉間に皺を入れ、クッションを放り投げた。


「失礼致します」


 果たして、頭を下げたのはオスニール・ウォーリアン副騎士団長。件の騎士の父であり、家門の当主だった。

 ちなみに。

 撫でつけた黒い髪に、切れ長の青みを帯びた紫の瞳。戦闘になると血を浴びて笑うのだというその獰猛な顔を、ヴィヴィアナはちょっとイイな、と思っている。若い頃、分厚い筋肉に覆われたデカい男が背筋を伸ばしているのを見るたびに、ちょっとそわっとして、目が合った子女が泣き叫ぶのだという話を聞くたびに、誰のものにもならん事にほっとして。どうにかならんかな、と妄想してみたりした。

 ま、どうにもならんかったのでヴィヴィアナは夫一人と子供一人と愛人一人と愉快に暮らして、オスニールは一人の妻と二人の子供と生きている今があるんだが。

 それはそれとして、年を重ねたオスニールもやっぱり、ちょっとイイな、とヴィヴィアナは立ち上がった。


「私がいては邪魔だろう」

「何を言うんだいヴィーヴィー。王と王妃は一心同体。あなたに知られて不味いことなど、私には塵一つもありはしないよ。寂しい事を言わないでおくれ」


 ああん?つまり一人で逃げるなんて許さねぇってことだなこのクソ野郎。なーにが寂しいだ気色悪ッ。思ったがヴィヴィアナはこう見えても王妃なので、舌打ちをしてオスニールに視線を移した。


「卿はいかがだろうか」

「王妃様とご一緒できるなど誉れでありますれば。異論などありましょうか」


 あらそう?

 本音かどうかは知らんが、好みの男にそう言われて従わぬは女ではない。

 フフン、とヴィヴィアナは微笑み、カップを持ってリオネイルの隣に腰を下ろした。メイドや侍女は元々部屋に入れていないので自ら席を空ける。


「ならば掛けるといい。茶を持ってこさせるから、少し待ちなさい」

「いえ、結構です。できれば話を始めさせていただいても?」


 そんなせっかちなところも、ヴィヴィアナはイイな、と思うのだけれど隣でリオネイルは「うへえ」と声を漏らした。さっきから煩い。アヒルか。いやアヒルに失礼だった。


「相変わらずの堅物だね」


 は?そこが良いんじゃろがい。と思ったがヴィヴィアナは眉を下げた。息子を失ったかもしれない家臣を思いやる王妃。と、見せかけて会話を促す一言を告げる。


「卿、ご子息の件はどうだ。捜索は進んでいるのか」

「ご心配痛み入ります。その件についてなのですが…」


 ヴィヴィアナの意思を汲み取ったオスニールは、ちらりとリオネイルを見やる。当のリオネイルは口をへの字に曲げた。


「なんだい」

「王太子殿下のご婚約者であられるソフィーリア嬢をお守りできなかったこと、改めてお詫び申し上げます」

「…ふうん?息子を亡くした親に免じて許せって?随分とつまらない手を使うんだなあ。謝罪をするなら騎士団長で、一人おめおめと帰ってきた騎士なんじゃないのかい」


 打って変わって、いやあな笑い方をするリオネイルはどう見ても悪役だった。

 仮にも人の親が言うセリフではない。が、まあ仕方が無い。とりあえず親には誰でもなれるのだ。とりあえずは。こんなんでも、どんなんでも。

 嘆かわしい事ではあるが、片棒担いでいるヴィヴィアナの言えた事ではない。せめてレーベリオンがまっとうに育ったのが救いだろう。いや、あれまっとうかな。はて。

 良い親とはなんぞ、と思ったところで、良い親代表のオスニールは表情一つ崩さず答えた。


「無事戻って来れた騎士は未だ起き上がることもできない、ひどい怪我なのです。また、団長はソフィーリア嬢捜索の指揮を執っております。愚息の父として、まずはお詫びに参った次第です」

「詫び、ねえ」


 はは、とリオネイルは「やめようか」と笑った。軽薄な笑みは、支配者のそれだ。


「知っているでしょう。私もヴィーヴィーもめんどくさい事が嫌いなんだ。率直に言いなさい。望みはなんだ」

「騎士団を罰しないでいただきたい。もし仮に、ソフィーリア嬢が見つからなくとも」

「見つける気がなくとも、ではなくて?」

「それから、捜索についての一切の権限を騎士団にいただきたい」

「聞けよ」


 は、とリオネイルは笑いながら腕を組んだ。「ねぇヴィーヴィー」とヴィヴィアナを呼ぶやたら甘ったるい声が、その実甘さなんざティースプーン一杯もない事を、ヴィヴィアナ自身がよく知っている。


「王太子殿下の婚約者を守れなかった騎士団が、王にこの態度だ。こういうのを恥知らずって言うんだと思わないかい」


 よう言うわ、とヴィヴィアナは思ったが。まあ、その通りである。相手が相手なら首を刎ねられていただろう。王と王妃を前になんと堂々とした振る舞いだろうか。天晴。

 この、年相応の落ち着きと威厳をできれば夫から感じたいものであるが無理だろうなあ、とヴィヴィアナは頷いた。


「卿ともあろう者が、随分だな」


 ちょっとその威厳、乱してみたい。

 どうやら息子とソフィーリアを逃がしたいらしいオスニールと、それに同意したらしい騎士団の思惑がわからぬヴィヴィアナではないが、それはそれとして素直に応えてやるわけにはいかん。王家を侮られちまっては困るのだ。


「…常々お尋ねしたかったのですが」


 はあ、とため息をつくオスニールに、ヴィヴィアナは眉を上げる。


「なぜ、ソフィーリア嬢と王太子殿下の婚約を見直されなかったのでしょうか。お二人の仲が良いものではないことなど、誰もが知っておりました」


 おっとジャブが来た。

 そもそもお前らがソフィーリアが逃げ出すまで追い詰めたんだろ、と言いたいわけだな。うーん、オスニールのこういうところが、ヴィヴィアナはイイな、と思う。でっかい身体で愛情深くて、意外と理知的。きゅん、としちまう。のだけれど、勿論顔には出さん。

 ちっともときめかんヴィヴィアナの夫は、あのさあ、と間延びした声を上げた。

 

「卿、冷静に考えてごらんよ。お前だから言うけれどね、レアオフェル君が一人で王になれると思うかい?ソフィーリア嬢は王子の政務までこなせるうえに、それを驕らず、レアオフェル君より前に出ない。決して王家を蔑ろにしない、あんなに良くできた王妃候補がいるかい?それにロータス家は、伊達に王家の血を引いていないからね。敵に回すは得策じゃないさ」

「ソフィーリア嬢の気持ちはお考えにならなかったのですか」

「なぜ?国の益になる事だ。彼女が行ったいくつもの政策や提案は、非常に素晴らしいものだ。それをレアオフェル君の名前で交付する事にも、文句一つ言わない。彼女以上の婚約者を連れて来れるならやってごらんよ」

「……息子の面倒くらい、ご自身で見てはいかがですか」

「言うなあ」


 はは、舌戦極まれり。ヴィヴィアナは、ゆったりと紅茶を味わった。

 いやはや、凄いよな。この男。ヴィヴィアナは夫を眺める。

 これを、本気で言っているんだこの男。本気で、少女の苦痛を悲哀を人生を、国益との天秤に乗せる意味が分からんと主張しとんのだ。


 だから、ヴィヴィアナは王妃の席に座った。

 この男は、側にいる人間を不幸にしてでも、国民を不幸にしない。

 国はいつも豊かに満ち足りて、大勢の笑顔に溢れかえる。民の血は、決して流さない。そこに、誰かや誰かの悲しみが海のように広がっていようとも、だ。男は光る水面を前に、平然と言う。一点の曇りも憂いも躊躇いもなく。「だって、それが私達の責務でしょう」と。

 イカれてんな、と婚約者に任命されて早々に気付いたヴィヴィアナは、だから王妃の席に座った。

 リオネイルは「国の為に死ねるよね?」と命じることはあっても、何も言わずに、それも私利私欲で自分に毒を盛るような裏切りはしないだろう、と信じられたからだ。

 人間性は破綻しているがある意味に於いては誠実な王だ、とヴィヴィアナは夫を愛していないが、信用はしている。


「情で国民が飯を食えるなら、私が王になることはなかったさ」


 リオネイルは、自分が他と違う事を自覚している。どうやっても、どうあっても、他人と同じになれない自分を自覚している。ヴィヴィアナが知る誰よりも、豊かで孤独な男は、だから平然と恐ろしい事を口にできるのだ。


「…ロータス家当主に、前妻を殺害した疑いがある事もご存じだったのでしょう」

「国益を損なわない悪事に興味は無いよ。おかしいなあ、みんな気付いてて知らん顔してたくせに、なぜ今私は責められているんだい」

「無法を許せば、ゆくゆくは国が破綻しましょう。その為に法と秩序が必要なのではありませんか」

「では聞くが、卿が私に許せというそれは、無法ではないのかな?」


 実に、嫌な男だ。

 意外と理知的、くらいじゃあこの面の皮の厚さには勝てんだろう。王とは、この男のありようとは、そんな優しいものではない。

 ただ、まあ。


「では陛下。これまで通り、無法をお見逃しください」

「私は国益に影響を及ぼさなければ、と言ったはずだがなあ。王家について、この国の政治について熟知しているあの娘を逃すわけが無いだろ」

「ならばウォーリアン家は剣を捨てましょう」

「……なんだって?」


 にやり、と笑う獣の如き男の性分もまた、優しいものでは無かった。


「これまで何代にもわたって忠義を誓ってきたウォーリアン家当主の()()()が、ただの一度も聞き入れられないと仰るならば、私の剣はご不要ということでしょう」


 最強の鉾、とはウォーリアン家そのものであり、ウォーリアン家当主のことを言う。誰の鉾なのかは言うまでもなかろう。王家にとって、国にとっての鉾だ。

 一振りで山を切り裂いたと馬鹿みたいな伝説を残すウォーリアン家初代当主は、その剣でいかなる時も王を護り通した。伝説を誰も笑わないのは、全ての当主がそうであったから。王族が布団の上で死ねるのはウォーリアン家のおかげだ、と笑い話になる程度に力がある存在なのだ。

 そして、それは他国にとっても同じだった。

 ウォーリアン家当主が騎士として王家に仕えていること、ただそれだけが他国の脅威になる。あの騎士がいる国にゃあ手を出すな、ってね。人間砲台っていうか人間防壁だ。防衛費助かりまくり。

 とどのつまりこれは。


「…お前、私を脅しているのかい」

「さて」


 脅し以外の何物でもないだろう。

 ウォーリアン家が反旗を翻すなど大事件も大事件。ともすれば他国が攻め入ってきてもおかしくはなく。リオネイルは歴代随一の愚王として名を遺すだろう。

 正直ヴィヴィアナは、リオネイルが愚王と呼ばれるのもおもしろいな、と思わなくもなかったんだけど。本当に戦になっては困る。リオネイルならウォーリアン家の力が無くともどうにかしてみせるやもしれんが、めんどくさいのはご免である。王と王妃は運命共同体らしいから。

 仕方が無い、とヴィヴィアナは溜息をついた。


「リオネイル、君の負けだ」

「…納得がいかん」

「そりゃあ君、負けた事が無いからな。良かったな、初体験だオメデトウ」

「うわーん妻がセクハラする」





********



 結局、リオネイルは無条件でオスニールの()()()を叶えてやることになった。

 オブラートに包んじゃいるが、ようはソフィーリアとリヴィオニスを探さない、逃亡を手助けした騎士団に一切の罪を問わない、というしてやられた結果となった。いやー気持ちが良い程の負けっぷり。惨敗も惨敗。王家ってなんだっけ。


「王太子の婚約者をみすみす殺された騎士団を処罰しない良い感じの理由、あなたが考えてくれるんだろうね」

「なぜ私が」


 オスニールが退室した後、再びソファでぐでぐでと融解し始めたリオネイルは「だって」と口を尖らせた。


「あなた、あの男が気に入っているから味方したんでしょう」


 あ?

 ヴィヴィアナは、ぱちりと瞬きした。

 なんだって?


「私は共感ができないってだけで、人の感情は理解しているよ。でなけりゃあ国政なんてできませんて。駆け引きだって、相手を理解しないとできないんだからさ。ああは言ったけれど、国なんて人の感情の塊でしょうよ」


 なるほどなあ。だから、ヴィヴィアナがオスニールをイイな、と思っていたことも気付いていたと。そういうわけか。名推理のつもりか知らんが、ははん。所詮はリオネイルだ。


「あなた、ああいうのタイプだものな」

「阿呆か君は。これはな、罪滅ぼしだよ」

「へえ?」


 リオネイルは当然、罪悪感というものも体験したことが無い。興味深そうに、「誰への贖罪だい」とヴィヴィアナを見上げた。

 まあ、ああいうのがタイプってのは否定せんがな。

 そういうことではなくて。とヴィヴィアナは、いつも静かに微笑んでいた少女を想った。


「ソフィーリア嬢の他に誰がいる」


 リオネイルは、ぱちん、と子供のように瞬きをした。


「…私は王太子殿下とも、ご側室とも関わらんことで平和を保ってきた。いらぬ諍いはお前の言うところの、国益にならんものだろう」


 それは、うんと頷くリオネイル自身と交わした約束でもある。

 側室を迎えろ、嫌だめんどくさい、絶対に揉めないと誓うから、と問答した際の着地点だ。リオネイルに側室と正室のあれそれが管理できるはずもない事は、お互いにわかっていたので。なんといっても人格破綻者だ。

 ヴィヴィアナとて、好きでもない男と興味もない権力を、側室と取り合う実のない戦争に身を投じるなんぞ、考えただけで国を逃げ出したくなる。


 そういう思いを、少女にさせていた。


「王妃として教育せねばならん時や、公の場以外は言葉を交わした事すらない。常に義務的に接してきた。…幼い時から心を殺して生きていることを、たった15歳の少女であることを、知っていたのにな」

「あなたが私と国を背負ってくれたのも15歳だったでしょう。婚約したのはもっと前だろ」

「…そうだ。私には、君がいた。私は君と、国を背負うと決めたんだ。一人じゃなかった」

「ふうん」


 まあ、そうかもね。とリオネイルは珍しく、本当に珍しく、共感らしいものを示した。え、嵐が来るの?地割れでもする???

 ヴィヴィアナが驚くと、リオネイルは「何、その顔」と身体を起こした。


「私だって君に感謝くらいはしているよ」


 ドラゴンでも飛んでくるんじゃないかな。いや、ドラゴンが実在してるのかヴィヴィアナは知らぬけど。

 感謝。はー、感謝。感謝ね。

 そんな人間のような感情がまさかこの男にあったとは!腐っていると思った卵がそういう料理だと知った時くらいびっくりした。え、だって腐った卵ですよね??てな感じだ。

 ヴィヴィアナがまじまじと観察する前で、リオネイルは「ああ」と、ぽつんと言った。



「…そうか、私がしようとしていたのは、そういう事か」



 ふうん、と呟いて。


 それきり、リオネイルは喋らなかった。

 部屋を出るでもなく。ヴィヴィアナに触れるでもなく。

 ただ、そこにいた。ただじっと。日が暮れるまで、ただじっと。リオネイルはヴィヴィアナの隣にいた。






 一週間後。

 オスニールが捜索を打ち切ったのを機に、リオネイルはレアオフェルの王位継承権の剥奪を宣言した。同時に、リリーナ・ロータスと婚姻を結び婿入りし、ロータス家と共に北の領地を治めることを命じる。

 関係者まるっと揃えて事実上の追放であり。レアオフェルともロータス家とも縁切りを宣言したようなものなので、多くの貴族が混乱し、異を唱えた。

 ロータス家に連なる者たちの苛立ちの声や、それから、側室の切り裂くような声。リオネイルはそのどれもに取り合わず、にこりと笑った。


「隣国の王を招いた夜会での失態を責めるなと?お前らがそんなに寛大だったなんて、私知らなかったなあ。へえ。あっそ。じゃあ誰か代わりに責任とってくれるんだろうね?」


 ハイ!私が!いや私が!なあんて手を挙げる優しい世界だったなら、ソフィーリアは逃げんわな。ドーゾドーゾ、と差し出された哀れ(笑)なロータス家とレアオフェルは北へ旅立った。いってらっしゃい。

 否さようならだな。かーわいそっ。


 お世継ぎ問題は、「いったん保留なー」とのことだ。

 ヴィヴィアナが、半狂乱になる側室に言葉を掛ける事は最後まで無かった。レーベリオンを抱く自分を階段から突き落とそうとした事は公にしていないだけで、根に持っていないわけではなかったので。


 同情も憐憫も湧かないヴィヴィアナの隣で、リオネイルは、その全てをどうでもよさそうに眺めていた。






「一応言っておきますが、私はやりませんからね。大体、世襲制なんて不合理なんですよ。その世代に馬鹿しかいなかったらどうするんですか」

「よその家の子を養子にすれば良いんじゃない?」

「だったら今すぐ養子をとってくださいよ」

「リオン君がいるのに?」

「じゃあ私も馬鹿ってことでいいですよ。ちょっと女遊びでも男遊びでもしてきます」

「君は遊ぶにも賢そうだからなあ。まあやってみれば?」


 せいぜい私は長生きしてあげるからさ、と笑うリオネイルは相変わらずだ。

 それでも、一応はレーベリオンの事を思いやっているのか。あらゆる問題の火種にしかならんだろうに世継ぎについて言及しなかった。珍しく自ら面倒事をこさえるとは。

 ヴィヴィアナは夫が見せた人間みたいな面に驚いたりもしたが。それだけだ。何も変わらず、今日も王妃として生きている。

 世界は相変わらずとして、素知らぬ顔でそこに在る。


 ヴィヴィアナは、ぎゃいぎゃいと賑やかな夫と息子と別れ。自室で、ソフィーリアに貸し出すつもりだった本のカバーをそっと外した。ここ数年、続けていたどうでもよい作業だ。

 ヴィヴィアナは、小難しい歴史書や王妃としてのなんちゃらみたいな本のカバーを、恋愛小説やら冒険小説やらに被せて、小さな両手に握らせていた。

 王妃教育を担当する教師共。それから、側室様やロータス家の人間の前では、決して開けぬ本だ。

 娯楽で本を読むことを知らなかった少女の、ほんの少しでも息抜きになれば良いと、顔を合わせる時にはなるべく渡していた本は、自己満足でしかない。

 助けてやることもできぬくせに、自分の気持ちを軽くする為のたかだか一匙の施しなど、なんともまあ馬鹿々々しく傲慢なのだろうか。所詮は、ヴィヴィアナは王妃だった。どこまでいっても、傲慢で身勝手で、いかれちまってる王の妻でしかなかった。


「吐き気がするな」


 少女は、毎回不思議そうにそれを受け取っていた。

 優しくしてやることができなかった少女が。優しくされることに慣れていない少女が。それでも今。この、どうしようもできない世界の何処かで。

 幸福であれば良いと。


「えっ大丈夫ですか?横になりますか?」


 背中を撫でる、優しい手の温度を。心配の色を浮かべる眼に見つめられる喜びを。


「…ヴェリオス、愛しているよ」


 愛を告げる幸運を。今。知ってくれていたならと。


 願う事だけは、許されるだろうか。




 大海をつくる罪を知るヴィヴィアナは、それでも今日を生きている。



どんなよろこびのふかいうみにも

ひとつぶのなみだが

とけていないということはない

(谷川俊太郎 黄金の魚)

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― 新着の感想 ―
キャラ全員が個性強くていいですね…!言い回しも凄く好きです!皆みんな何処か擦れてて、でも人間味はあって…今後の展開も楽しみです。
マンガから来ました。 王様がマンガ以上にイカれているのにびっくり。 色々理屈はつくが、誰かに一方的に理不尽を強いて成り立つような幸福はごめん被ります。間違いなく恨みつらみが積み重なり、いつか破裂する。…
[一言] 王様はサイコパスだけど、社会に悪とされるご趣味がないので席に座っていれて理解者もいて。 自身は他人への共感も感情も動かないけれど傷つかないわけではなく ただ、世間一般の愛ではないかも知れ…
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